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第23章 5歳の誕生日
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第23章 5歳の誕生日
ディオール邸の大広間は、朝から宝石箱をひっくり返したみたいにきらめいていた。
壁には季節の花。天井からは水晶のシャンデリア。領都の名工が競い合うように届けてきた飾り付けが、光を跳ね返すたび、小さな歓声が上がる。
――が、主役のセリカは、膨れた頬に手を当てて小さくため息をついた。
「どうしてこんなに……宝石ばかりなのかしら。まだ五歳なのに」
ひとつひとつ丁寧にリボンを解く。現れるのは、宝飾細工の髪飾り、星のように瞬くネックレス、指先ほどの宝石を散らした扇――眺める分には美しい。けれど、セリカの心が跳ねるのは、穀倉の改良書や土壌改良の標本、橋梁の設計図だったりする。
そっと肩へ手が触れた。母、公爵夫人だ。
香のように優しい声が降りてくる。
「セリカ。これは、あなたがこの領地を導く光だと、皆が信じている証よ。
宝石のように、あなたに輝いてほしい――そんな気持ちが込められているの」
セリカはこくりと頷く。
わかる。気持ちは確かに、宝石より価値がある。
そこへ執事が一歩進み出て、恭しく告げた。
「リュミエール王家各殿下より、御令嬢への献上品が到着いたしました」
広間に、さっと緊張が走る。
セリカの胸の奥も、ほんの少しだけ高鳴った。
---
王子たちからの贈り物
最初の箱は、薄い薔薇色のリボン。
開けると、淡いピンクのシルクドレスがふわりと膨らんだ。刺繍は繊細、レースは息を呑むほどの密度。縫い代にまで手が入っている。
「第一王子アコード殿下より、特注の――」
「……サイズ、ぴったりね」
セリカは目を瞬かせた。裾丈も肩幅も、誤差の許されないほど正確。
嬉しい。けれど、どこかむずがゆい。
(サイズまで調べるなんて……油断ならない方)
頬が自然と緩むのを、慌てて指先で押さえる。
綺麗なものは、正直に嬉しいのだ。
次の小箱は、天色のリボン。
蓋をひらくと、指先ほどの細い銀輪。清らかな小粒石が一列、夜明けの霜のように光った。
「第四王子セドリック殿下より。――“誓い”ではなく“祈り”に、と書状が」
セリカは思わず吹き出す。
「まさか、婚約指輪じゃないよね?」
侍女たちがくすりと笑い、老執事は咳払いで笑いを袖に隠した。
セリカはそっと輪を光にかざす。飾り過ぎない気品――贈り主の人柄がにじむ。
三つ目は、少し大きめの木箱。
梱包材を外すと、花鳥の絵付けが美しいティーカップのセットが現れた。薄磁の白に、春の庭が咲いている。
「第三王子シビック殿下より。王都の名窯の新作にございます」
「……意外と、繊細なものを選ぶのね」
強引で押し出しの強い彼の印象からは、少し外れている。
セリカはカップを指先で鳴らし、軽やかな音に目を細めた。
四つ目――運び込まれた瞬間、広間がざわめく。
セリカの背丈をゆうに超える、巨大な熊のぬいぐるみ。ふかふかの毛並み、甘えた顔。
「第五王子ランディ殿下より。……搬入は、たいへんでした」
「どこに置くのかしら、これ」
呆れた声のまま、セリカは顔をうずめる。
ふわ、と心まで沈み込む柔らかさ。思わず笑みがこぼれた。
「……でも、かわいい」
最後の台車に、銀の蓋が載る。
執事が目配せをし、侍女がゆっくりと蓋を上げた。
――甘い香りが、春風みたいに広がる。
花冠みたいに繊細なデコレーション、細い筆で描いたような砂糖細工の草花。
大輪の花の中心に、小さなチョコのプレート。
“Selica — 5th Birthday”
「第二王子エリシオン殿下より。……ご自作だそうで」
「え」
広間の空気が、ふと緩む。
セリカは吸い寄せられるように一歩近づき、砂糖の花に触れかけて、慌てて手を引っ込めた。
「エリシオン王子が……? 本当に?」
耳元で、側近のドライドが小さく囁く。
「殿下のご趣味はお菓子づくり、と伺っております。静謐で、精確なお方ですから。お砂糖も、真面目に計量なさるのでしょう」
「……謎がまた増えたわ」
小さなフォークで、花弁の影を一口。
やわらかなスポンジがほどけ、蜂蜜とミルクの香りが舌の上でやさしく結ばれる。
「……おいしい」
思わずこぼれた声に、周りの大人たちが安堵の息をつく。
セリカはもう一口、こっそりと。頬が自然とゆるみっぱなしになる。
「わたし、食べる才能はあるけど、つくる才能はないの」
すかさずドライドが、涼しい顔で相槌を打つ。
「それは意外な欠点で。お嬢様には、できないことなどないと思っておりましたが」
セリカはむっ、と眉を上げる。
「メイドとシェフがいるのに、公爵令嬢が自ら作る必要はないわ」
「ご尤も。ただ、嗜みとして手作り菓子を披露される令嬢も多うございます。……“器用さ”は、ときに政治力より効くことも」
「そんな時間があったら、本を一冊読むわ」
ドライドは肩をすくめ、満足げに目を細めた。
そこへ、そっと小さな影が近づく。
ドライドの養子、サナ。セリカより三歳年上、台所では頼れる小さな名人だ。
彼女は両手で抱えた小皿を、恐る恐るテーブルへ置く。
「お嬢様……。お誕生日、おめでとうございます。
王子殿下のケーキほど立派ではありませんが、わたしからも、ささやかに」
白い絞り出しクリームに、森苺が一粒。
飾り気はないけれど、まっすぐに“おいしくなれ”と願った跡が見える。
セリカは目を丸くし、すぐにふんわりと笑った。
「サナ。ありがとう。とっても嬉しいわ」
差し出された手を、セリカがぎゅっと握る。
サナの耳まで、ぽっと赤く染まった。
ドライドは二人を見つめて、師として父として、目を細める。
---
夕刻。
贈り物の山は控えの間に移され、広間には甘い香りと、にぎやかだった時間の余熱だけが残った。
自室に戻ったセリカは、ドレスの裾を整えながら窓辺に寄る。
暮れゆく空に、ひとつ、ふたつと星が灯る。
(王子たちの贈り物。みんな、私に期待してくれている……)
アコードの“正確さ”、セドリックの“祈り”、シビックの“意外性”、ランディの“やさしさ”。
そして――エリシオンの、静かな“手仕事”。
胸の奥が、不思議と温かい。
豪奢な宝石の光より、砂糖の花の可憐さが、長く瞼の裏に残っていた。
「期待に応えるのは、嫌いじゃないわ」
セリカはふっと笑って、リボンを外す。
背の高い熊のぬいぐるみが、部屋の隅でどっしりと座っている。
「……あなた、ここに置くことにする」
熊の額を小さくつつくと、ふわふわが指をくすぐった。
「ドライド、サナ。いつもありがとう」
小さく口にして、ベッドに潜り込む。
まぶたが落ちる直前、遠い庭の方角から、微かな甘い香りがもう一度、そっと揺れて届いた。
(――次の一年は、今年よりも、もっと良くする)
五歳の誓いは、宝石よりも固く、砂糖よりもやさしい。
セリカは守られる子どもでいることをやめない。けれど同時に、守る側に立つ子どもでもあるのだ。
そうしてディオールの夜は、祝福の余韻のまま、静かに更けていった。
ディオール邸の大広間は、朝から宝石箱をひっくり返したみたいにきらめいていた。
壁には季節の花。天井からは水晶のシャンデリア。領都の名工が競い合うように届けてきた飾り付けが、光を跳ね返すたび、小さな歓声が上がる。
――が、主役のセリカは、膨れた頬に手を当てて小さくため息をついた。
「どうしてこんなに……宝石ばかりなのかしら。まだ五歳なのに」
ひとつひとつ丁寧にリボンを解く。現れるのは、宝飾細工の髪飾り、星のように瞬くネックレス、指先ほどの宝石を散らした扇――眺める分には美しい。けれど、セリカの心が跳ねるのは、穀倉の改良書や土壌改良の標本、橋梁の設計図だったりする。
そっと肩へ手が触れた。母、公爵夫人だ。
香のように優しい声が降りてくる。
「セリカ。これは、あなたがこの領地を導く光だと、皆が信じている証よ。
宝石のように、あなたに輝いてほしい――そんな気持ちが込められているの」
セリカはこくりと頷く。
わかる。気持ちは確かに、宝石より価値がある。
そこへ執事が一歩進み出て、恭しく告げた。
「リュミエール王家各殿下より、御令嬢への献上品が到着いたしました」
広間に、さっと緊張が走る。
セリカの胸の奥も、ほんの少しだけ高鳴った。
---
王子たちからの贈り物
最初の箱は、薄い薔薇色のリボン。
開けると、淡いピンクのシルクドレスがふわりと膨らんだ。刺繍は繊細、レースは息を呑むほどの密度。縫い代にまで手が入っている。
「第一王子アコード殿下より、特注の――」
「……サイズ、ぴったりね」
セリカは目を瞬かせた。裾丈も肩幅も、誤差の許されないほど正確。
嬉しい。けれど、どこかむずがゆい。
(サイズまで調べるなんて……油断ならない方)
頬が自然と緩むのを、慌てて指先で押さえる。
綺麗なものは、正直に嬉しいのだ。
次の小箱は、天色のリボン。
蓋をひらくと、指先ほどの細い銀輪。清らかな小粒石が一列、夜明けの霜のように光った。
「第四王子セドリック殿下より。――“誓い”ではなく“祈り”に、と書状が」
セリカは思わず吹き出す。
「まさか、婚約指輪じゃないよね?」
侍女たちがくすりと笑い、老執事は咳払いで笑いを袖に隠した。
セリカはそっと輪を光にかざす。飾り過ぎない気品――贈り主の人柄がにじむ。
三つ目は、少し大きめの木箱。
梱包材を外すと、花鳥の絵付けが美しいティーカップのセットが現れた。薄磁の白に、春の庭が咲いている。
「第三王子シビック殿下より。王都の名窯の新作にございます」
「……意外と、繊細なものを選ぶのね」
強引で押し出しの強い彼の印象からは、少し外れている。
セリカはカップを指先で鳴らし、軽やかな音に目を細めた。
四つ目――運び込まれた瞬間、広間がざわめく。
セリカの背丈をゆうに超える、巨大な熊のぬいぐるみ。ふかふかの毛並み、甘えた顔。
「第五王子ランディ殿下より。……搬入は、たいへんでした」
「どこに置くのかしら、これ」
呆れた声のまま、セリカは顔をうずめる。
ふわ、と心まで沈み込む柔らかさ。思わず笑みがこぼれた。
「……でも、かわいい」
最後の台車に、銀の蓋が載る。
執事が目配せをし、侍女がゆっくりと蓋を上げた。
――甘い香りが、春風みたいに広がる。
花冠みたいに繊細なデコレーション、細い筆で描いたような砂糖細工の草花。
大輪の花の中心に、小さなチョコのプレート。
“Selica — 5th Birthday”
「第二王子エリシオン殿下より。……ご自作だそうで」
「え」
広間の空気が、ふと緩む。
セリカは吸い寄せられるように一歩近づき、砂糖の花に触れかけて、慌てて手を引っ込めた。
「エリシオン王子が……? 本当に?」
耳元で、側近のドライドが小さく囁く。
「殿下のご趣味はお菓子づくり、と伺っております。静謐で、精確なお方ですから。お砂糖も、真面目に計量なさるのでしょう」
「……謎がまた増えたわ」
小さなフォークで、花弁の影を一口。
やわらかなスポンジがほどけ、蜂蜜とミルクの香りが舌の上でやさしく結ばれる。
「……おいしい」
思わずこぼれた声に、周りの大人たちが安堵の息をつく。
セリカはもう一口、こっそりと。頬が自然とゆるみっぱなしになる。
「わたし、食べる才能はあるけど、つくる才能はないの」
すかさずドライドが、涼しい顔で相槌を打つ。
「それは意外な欠点で。お嬢様には、できないことなどないと思っておりましたが」
セリカはむっ、と眉を上げる。
「メイドとシェフがいるのに、公爵令嬢が自ら作る必要はないわ」
「ご尤も。ただ、嗜みとして手作り菓子を披露される令嬢も多うございます。……“器用さ”は、ときに政治力より効くことも」
「そんな時間があったら、本を一冊読むわ」
ドライドは肩をすくめ、満足げに目を細めた。
そこへ、そっと小さな影が近づく。
ドライドの養子、サナ。セリカより三歳年上、台所では頼れる小さな名人だ。
彼女は両手で抱えた小皿を、恐る恐るテーブルへ置く。
「お嬢様……。お誕生日、おめでとうございます。
王子殿下のケーキほど立派ではありませんが、わたしからも、ささやかに」
白い絞り出しクリームに、森苺が一粒。
飾り気はないけれど、まっすぐに“おいしくなれ”と願った跡が見える。
セリカは目を丸くし、すぐにふんわりと笑った。
「サナ。ありがとう。とっても嬉しいわ」
差し出された手を、セリカがぎゅっと握る。
サナの耳まで、ぽっと赤く染まった。
ドライドは二人を見つめて、師として父として、目を細める。
---
夕刻。
贈り物の山は控えの間に移され、広間には甘い香りと、にぎやかだった時間の余熱だけが残った。
自室に戻ったセリカは、ドレスの裾を整えながら窓辺に寄る。
暮れゆく空に、ひとつ、ふたつと星が灯る。
(王子たちの贈り物。みんな、私に期待してくれている……)
アコードの“正確さ”、セドリックの“祈り”、シビックの“意外性”、ランディの“やさしさ”。
そして――エリシオンの、静かな“手仕事”。
胸の奥が、不思議と温かい。
豪奢な宝石の光より、砂糖の花の可憐さが、長く瞼の裏に残っていた。
「期待に応えるのは、嫌いじゃないわ」
セリカはふっと笑って、リボンを外す。
背の高い熊のぬいぐるみが、部屋の隅でどっしりと座っている。
「……あなた、ここに置くことにする」
熊の額を小さくつつくと、ふわふわが指をくすぐった。
「ドライド、サナ。いつもありがとう」
小さく口にして、ベッドに潜り込む。
まぶたが落ちる直前、遠い庭の方角から、微かな甘い香りがもう一度、そっと揺れて届いた。
(――次の一年は、今年よりも、もっと良くする)
五歳の誓いは、宝石よりも固く、砂糖よりもやさしい。
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