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窓の外の空はすっかり夜に沈み、気づけば随分と時間が過ぎていた。
サフィルはぐーっと一つ伸びをして、ため息をこぼした。
「やっと、終わった……」
そう零す彼の目の前の机からは書類が消え、確かに公務の終わりを告げている。
静まり返った執務室に、紙の擦れる音もペン先の走る気配もなく、ただ、積み上げられた疲労だけがそこに残っていた。
終わった。けれど、もうこんな時間だ。あと数時間もすれば、侍女たちがぱたぱたと廊下を行き交い、朝の気配が城を満たしていくような、そんな。
「セレナも、夜遅くまで付き合ってくれてありがとう。助かった」
サフィルの声は疲れが滲んでいた。
それでも、彼は私への労いの言葉を欠かさない。困るくらいに、まっすぐで純粋だ。
「私の務めですので。……それでは、殿下。そろそろ寝室へと戻りましょうか」
「いや、もうこんな時間だ。今日は執務室で仮眠を取ろう。セレナはもう帰ってもいいから」
空元気に声をあげて、彼はそのまま机に突っ伏してしまった。どうやら疲労は限界らしい。
ただ、このままでは首も腰も痛めてしまう。
「殿下、そこで寝ては……」
声をかけても返事はなく、ただ曖昧にううんと唸るだけだった。
彼の元に近付けば、その曖昧な唸りが微かに聞こえ、インクを吸った紙の匂いに混じって、ふと彼の体温が香る。
その体温に触れようと、彼の額に手を伸ばせば、彼は私の指先を求めるように、甘えた。
公務の間は、お互いにある程度の距離を保っていたというのに、こうして眠っている彼はあまりにも無防備に、そして、無意識に私を求めていて——。胸が酷く熱を帯びた。
「失礼しますね」
その熱に浮かされながら、そっとサフィルの肩に手を添える。
彼は眠気からか小さく肩を揺らして、そして——
次の瞬間、力の抜けた身体がふっと前に傾いた。抑える暇もなく、咄嗟に胸元で受け止め、それどころか、思わずぎゅっと抱き締めてしまった。
彼のゆったりと微かな寝息と私の跳ね上がる鼓動が混ざりあって、嫌に感情が燻る。
慌てて体勢を保ちながら、机の傍らにあるソファへとそっと彼を導けば、腕の中のサフィルは、素知らぬ顔で静かに眠り続けていた。
こっちはこんなにも慌てているというのに。
やっとの思いでソファに腰を下ろすと、彼は自然な重力に従うように、私の肩へと頬を寄せた。
そして、やがて彼は肩先から胸元へと、迷子のように少しずつ落ちてくる。
それでも足りないと言うように、膝の上へと、まどろみの感覚を残しながら、ゆっくりと身を委ねてきた。
膝の重みを感じながら、彼の頬を撫でる。まるで猫のように、くすぐったそうに彼は表情を綻ばせた。
……明日は、今日ほど彼を奪っていかないでほしい。そんな我儘を誰にも聞かれないように願って、灯りを消した。
サフィルはぐーっと一つ伸びをして、ため息をこぼした。
「やっと、終わった……」
そう零す彼の目の前の机からは書類が消え、確かに公務の終わりを告げている。
静まり返った執務室に、紙の擦れる音もペン先の走る気配もなく、ただ、積み上げられた疲労だけがそこに残っていた。
終わった。けれど、もうこんな時間だ。あと数時間もすれば、侍女たちがぱたぱたと廊下を行き交い、朝の気配が城を満たしていくような、そんな。
「セレナも、夜遅くまで付き合ってくれてありがとう。助かった」
サフィルの声は疲れが滲んでいた。
それでも、彼は私への労いの言葉を欠かさない。困るくらいに、まっすぐで純粋だ。
「私の務めですので。……それでは、殿下。そろそろ寝室へと戻りましょうか」
「いや、もうこんな時間だ。今日は執務室で仮眠を取ろう。セレナはもう帰ってもいいから」
空元気に声をあげて、彼はそのまま机に突っ伏してしまった。どうやら疲労は限界らしい。
ただ、このままでは首も腰も痛めてしまう。
「殿下、そこで寝ては……」
声をかけても返事はなく、ただ曖昧にううんと唸るだけだった。
彼の元に近付けば、その曖昧な唸りが微かに聞こえ、インクを吸った紙の匂いに混じって、ふと彼の体温が香る。
その体温に触れようと、彼の額に手を伸ばせば、彼は私の指先を求めるように、甘えた。
公務の間は、お互いにある程度の距離を保っていたというのに、こうして眠っている彼はあまりにも無防備に、そして、無意識に私を求めていて——。胸が酷く熱を帯びた。
「失礼しますね」
その熱に浮かされながら、そっとサフィルの肩に手を添える。
彼は眠気からか小さく肩を揺らして、そして——
次の瞬間、力の抜けた身体がふっと前に傾いた。抑える暇もなく、咄嗟に胸元で受け止め、それどころか、思わずぎゅっと抱き締めてしまった。
彼のゆったりと微かな寝息と私の跳ね上がる鼓動が混ざりあって、嫌に感情が燻る。
慌てて体勢を保ちながら、机の傍らにあるソファへとそっと彼を導けば、腕の中のサフィルは、素知らぬ顔で静かに眠り続けていた。
こっちはこんなにも慌てているというのに。
やっとの思いでソファに腰を下ろすと、彼は自然な重力に従うように、私の肩へと頬を寄せた。
そして、やがて彼は肩先から胸元へと、迷子のように少しずつ落ちてくる。
それでも足りないと言うように、膝の上へと、まどろみの感覚を残しながら、ゆっくりと身を委ねてきた。
膝の重みを感じながら、彼の頬を撫でる。まるで猫のように、くすぐったそうに彼は表情を綻ばせた。
……明日は、今日ほど彼を奪っていかないでほしい。そんな我儘を誰にも聞かれないように願って、灯りを消した。
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