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第二章 共鳴の輪郭
13.灯坂律の夜明け前
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黒波燦は忙しい。
フリーターという時間に自由がきく立場を利用して、あいつが突然オフになった時に駆けつけたりすることもあったが、最近はそれも叶わずに通話ばかりの日々が続いている。
海外に二週間、なんて時期もあった。時差ぼけのフラフラな状態でも、あいつは俺に会おうとしてくれた。それが嬉しくもあったが、俺のために無理はして欲しくない。
あいつと会えない時間に、少しずつ曲を作るようになった。
今何をしているのか。俺のことをどう思ってくれるのか。あの日はあんなことがあった。俺はあいつをこんなに想っている。そんな内容だ。
正直、最初に「あいつを想って曲を作る」と意気込んだら、ただひたすらあいつを讃えるだけの歌ができたのでお蔵入りにした。開き直って、いつか透子が言っていたように讃美歌アレンジにしてやるかもしれない。
恋心を歌うなんて初めは照れくさかった。だが、あいつを想うと自然に言葉が溢れてきた。ああそうか、世の中にあふれる恋愛の歌は、こうやって作られるのかと納得した。好きだと思えば思うほど、音が止められなくなる。
少しずつだが聴けるようなものが出来上がってきた。まあ、悪くないんじゃないか? 出来上がった曲を聴き直している最中、透子から俺のスマホにメールが届いた。
『件名:できた』
メールのccを見ると、俺の他に燦、佐藤さん、あと多分会社の偉い人間。アドレス丸出しだ。個人情報保護もあったもんじゃない。これは後から燦から聞いたことだが、同時に受信したらしい佐藤さんが激昂していたらしい。「こんな大事なものをこんな雑に送るんですか? 天音透子って方は」と、天音透子『氏』が消えたと笑っていた。そりゃそうだ。曲以外何もかもひどすぎで、あとで透子はお偉方にこっぴどく怒られることだろう。
添付されていたデータはmp3だった。どうやら例の黒波燦の初めての曲が出来上がったということだろう。
ふうん、とそのアイコンをタップして聴いてみた。
「ぐあッ」
一瞬にして俺のクリエイティブ魂が吹っ飛ばされた。
音の透明感、曲の構成力、一体感、メッセージ性、時代性。今さっきまで曲を作っていた立場だから余計に身に沁みる。完成度が高すぎて音楽に全部持っていかれる。知っていた曲だが、改めて聴いて心が折れる。ああ、もちろん黒波燦の歌はよくできている。歌うたいとして完成した。洗練された仁が歌っていた。改めてあの男は最高だ。
問題なのは透子だ。
「どうやったらこんなのが作れるんだ?」
開けようとなかったパンドラの箱のようなものだ。覚悟を決めて何度も繰り返し聞く。音を譜に書いてみる。分解して分析してみる。同じように組み立ててみる。
この発想はどこから来るんだ。どうやったらこんな細部まで機械みたいに組み合わせられる? 才能の一言で片づけてしまいたくない。
あいつだって努力をしているはずだ。確かに化け物女だが、仕事の忙しさのせいで何度も病院に運ばれていた。一時期、俺が中学生くらいの頃なんて、あいつはスタジオに籠りすぎて鬱を発症していた時だってあったじゃないか。
だがきっと俺がいくら努力したって、こんなところまで絶対届かない。
「あー……、くそ」
ヘッドフォンを放り投げ、部屋の床に大の字で寝ころんだ。泣きたくなる。
だから嫌だったんだ、本気になっても絶対敵わない。あのババアには。
『ちょっとの努力だ。努力をするかしないかの判断で、俺はいつも努力をする方を選んだ』
燦の声が脳内に蘇る。こんなの、ちょっとなんてもんじゃない。血反吐吐いても今世じゃ無理だ。
だから無理だと諦めてしまえばいい。
なんとなく見える明るい未来を薄目で見つめたまま、ぬるい生活を送っていればいい。
今までずっとそうだったじゃないか。
「そうだ、今までずっとそうだった」
転がったヘッドフォンを見つめる。耳のフワフワがもう平べったくなったからと透子から貰い受けたものだ。
こうして、お下がりのものをもらってコンビニバイトやあいつからのバイトで食いつないで?
何者にもならずに、いつか就職してどこかの会社員になって、もしかしたら結婚して、子供ができて、生きるためにやりたくもない仕事をする毎日を送るのか?
愛する音楽とかけ離れた、そんな生活を?
ひんやりと背筋が冷えた。
俺は透子みたいな天才じゃない。胆力もない。金だってない。
作る曲だって、ほかのやつらと違うなんだか変わったものばかりだ。
でも、作っているときは間違いなく楽しい。演奏するのだって楽しい。
その瞬間だけは、息が楽にできる気がするから。
俺は一つ息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「……やるか」
俺は、俺が納得できるものを作る。
逃げるのはもう飽きた。
湧き出てくる色々な感情を噛みしめながら、俺はギターを引き寄せる。
弦を一本、指で弾く。澄んだ音が部屋の中に広がっていった。
フリーターという時間に自由がきく立場を利用して、あいつが突然オフになった時に駆けつけたりすることもあったが、最近はそれも叶わずに通話ばかりの日々が続いている。
海外に二週間、なんて時期もあった。時差ぼけのフラフラな状態でも、あいつは俺に会おうとしてくれた。それが嬉しくもあったが、俺のために無理はして欲しくない。
あいつと会えない時間に、少しずつ曲を作るようになった。
今何をしているのか。俺のことをどう思ってくれるのか。あの日はあんなことがあった。俺はあいつをこんなに想っている。そんな内容だ。
正直、最初に「あいつを想って曲を作る」と意気込んだら、ただひたすらあいつを讃えるだけの歌ができたのでお蔵入りにした。開き直って、いつか透子が言っていたように讃美歌アレンジにしてやるかもしれない。
恋心を歌うなんて初めは照れくさかった。だが、あいつを想うと自然に言葉が溢れてきた。ああそうか、世の中にあふれる恋愛の歌は、こうやって作られるのかと納得した。好きだと思えば思うほど、音が止められなくなる。
少しずつだが聴けるようなものが出来上がってきた。まあ、悪くないんじゃないか? 出来上がった曲を聴き直している最中、透子から俺のスマホにメールが届いた。
『件名:できた』
メールのccを見ると、俺の他に燦、佐藤さん、あと多分会社の偉い人間。アドレス丸出しだ。個人情報保護もあったもんじゃない。これは後から燦から聞いたことだが、同時に受信したらしい佐藤さんが激昂していたらしい。「こんな大事なものをこんな雑に送るんですか? 天音透子って方は」と、天音透子『氏』が消えたと笑っていた。そりゃそうだ。曲以外何もかもひどすぎで、あとで透子はお偉方にこっぴどく怒られることだろう。
添付されていたデータはmp3だった。どうやら例の黒波燦の初めての曲が出来上がったということだろう。
ふうん、とそのアイコンをタップして聴いてみた。
「ぐあッ」
一瞬にして俺のクリエイティブ魂が吹っ飛ばされた。
音の透明感、曲の構成力、一体感、メッセージ性、時代性。今さっきまで曲を作っていた立場だから余計に身に沁みる。完成度が高すぎて音楽に全部持っていかれる。知っていた曲だが、改めて聴いて心が折れる。ああ、もちろん黒波燦の歌はよくできている。歌うたいとして完成した。洗練された仁が歌っていた。改めてあの男は最高だ。
問題なのは透子だ。
「どうやったらこんなのが作れるんだ?」
開けようとなかったパンドラの箱のようなものだ。覚悟を決めて何度も繰り返し聞く。音を譜に書いてみる。分解して分析してみる。同じように組み立ててみる。
この発想はどこから来るんだ。どうやったらこんな細部まで機械みたいに組み合わせられる? 才能の一言で片づけてしまいたくない。
あいつだって努力をしているはずだ。確かに化け物女だが、仕事の忙しさのせいで何度も病院に運ばれていた。一時期、俺が中学生くらいの頃なんて、あいつはスタジオに籠りすぎて鬱を発症していた時だってあったじゃないか。
だがきっと俺がいくら努力したって、こんなところまで絶対届かない。
「あー……、くそ」
ヘッドフォンを放り投げ、部屋の床に大の字で寝ころんだ。泣きたくなる。
だから嫌だったんだ、本気になっても絶対敵わない。あのババアには。
『ちょっとの努力だ。努力をするかしないかの判断で、俺はいつも努力をする方を選んだ』
燦の声が脳内に蘇る。こんなの、ちょっとなんてもんじゃない。血反吐吐いても今世じゃ無理だ。
だから無理だと諦めてしまえばいい。
なんとなく見える明るい未来を薄目で見つめたまま、ぬるい生活を送っていればいい。
今までずっとそうだったじゃないか。
「そうだ、今までずっとそうだった」
転がったヘッドフォンを見つめる。耳のフワフワがもう平べったくなったからと透子から貰い受けたものだ。
こうして、お下がりのものをもらってコンビニバイトやあいつからのバイトで食いつないで?
何者にもならずに、いつか就職してどこかの会社員になって、もしかしたら結婚して、子供ができて、生きるためにやりたくもない仕事をする毎日を送るのか?
愛する音楽とかけ離れた、そんな生活を?
ひんやりと背筋が冷えた。
俺は透子みたいな天才じゃない。胆力もない。金だってない。
作る曲だって、ほかのやつらと違うなんだか変わったものばかりだ。
でも、作っているときは間違いなく楽しい。演奏するのだって楽しい。
その瞬間だけは、息が楽にできる気がするから。
俺は一つ息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「……やるか」
俺は、俺が納得できるものを作る。
逃げるのはもう飽きた。
湧き出てくる色々な感情を噛みしめながら、俺はギターを引き寄せる。
弦を一本、指で弾く。澄んだ音が部屋の中に広がっていった。
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