悪役令嬢は数字しか愛せない~婚約破棄されて、貧乏領地を世界一の商会に変えます~

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第1話:【序章】悪役令嬢の断罪

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王城の第一会議室は澱んだ空気と見栄、そして老齢の貴族たちが発する樟脳の匂いで満ちていた。壁にかけられた歴代国王の肖像画が亡霊のように、テーブルを囲む者たちを黙って見下ろしている。
その重苦しい沈黙を破ったのは、私の静かで抑揚のない声だった。

「――以上が我が国の現状です。結論として、王太子殿下が主導された先月の『建国五百年記念祭典』は三百万ゴールドの純損失。これは北部三つの男爵領の年間税収に匹敵します。また王室費の対歳入比は前年比で120%に達しており、このままの歳出を続ければ二年以内に王室財産は枯渇。国家予算の債務不履行、すなわちこの国の破産はもはや避けられません」

私は分厚い報告書の最後のページを閉じ、無感情に顔を上げた。
目の前に座る私の婚約者――アルベルト王太子殿下の顔が、みるみるうちに朱に染まっていくのが分かる。隣の財務大臣は血の気を失った顔で額の汗を拭い、他の重鎮たちは互いに目配せをしたり気まずそうに咳払いをしたりしている。

私の名はアイリス・フォン・アルトマン。アルトマン公爵家の長女にして王太子の婚約者。そしてこの国でただ一人、王国の財政がすでに破綻しているという不都合な真実を、数字で証明してしまった女。

「……アイリス」

アルベルト殿下が絞り出すような声で私の名前を呼んだ。彼のプライドの高い青い瞳が屈辱と純粋な憎悪に揺れている。
彼が反論できないのも当然だ。私の報告書に記された数字は、すべて王室の会計記録に基づく揺るがしがたい事実なのだから。彼は事実で、論理で、完璧に追い詰められていた。
そして追い詰められた人間が取る行動はいつの時代も同じだ。論点をすり替え相手の人格を攻撃する。

「貴様はどうしてそう数字の話ばかりするのだ!」
バンッ、と彼がテーブルを叩く。
「民の喜びは!祭典によって生まれた彼らの笑顔や幸福は、貴様にとってはただの『損失』なのか!未来の国母となるべき人間が、なんと冷酷でなんと傲慢なのだ!」

(違う。非効率な投資が未来の民の生活を圧迫すると言っているのです)
心の中で反論したが口には出さなかった。感情的な相手に論理は通用しない。それは無駄なリソースの消費だ。

私が黙っていると、王太子の隣に座っていた子爵令嬢のメリッサがここぞとばかりに口を開いた。潤んだ瞳でうっとりと王太子を見上げながら。
「アルベルト殿下……。殿下のお心遣いはきっと民に届いておりますわ。数字では測れない大切なものがこの世にはございますもの」

その言葉は王太子にとって砂漠で出会ったオアシスだったのだろう。彼は救われたような顔でメリッサに微笑みかけると、再び私に向き直った。その瞳にもはや私への愛情など一欠片も残っていなかった。

「そうだ……そうだとも!メリッサの言う通りだ!アイリス、貴様には人の心が無い!愛も慈悲も温かみも無い!お前が愛しているのは無機質な数字だけだ!そんな女がこの国の母になるなど断じて許されることではない!」

彼は立ち上がり、会議室にいる全員に聞こえるように高らかに宣言した。
「よって今この時をもって、私アルベルト・フォン・ヴァインベルクは、アイリス・フォン・アルトマンとの婚約を破棄する!そして私の隣に立つ心優しきメリッサこそ、我が伴侶にふさわしい!」

ああ、やはりこうなったか。
これが最も確率の高い未来だと予測はしていた。私の「正しさ」は彼のプライドを傷つけ、破滅的な関係しかもたらさない。感情という変数を私は制御できなかった。

私が無表情のまま彼を見つめていると、その態度がさらに彼の癇に障ったらしい。
「……その澄まし顔が気に入らぬ!罰だ!罰として貴様を、帝国で最も貧しいあのジアン・ベルク辺境伯に嫁がせる!」

ジアン・ベルク辺境伯。
北の果て、不毛の地を治める無骨で無教養な、中央の貴族社会では「蛮族」とまで揶揄される男。その領地は岩と泥しかない、税の取り立ても忘れ去られるほどの見捨てられた土地。

「数字が得意なら存分に腕を振るうがいい!あの不毛の地で石ころでも数えながら一生を終えるのだな!ははは!」
王太子の高笑いが重苦しい会議室に響き渡る。

私はその場で、貴族令嬢としての完璧なカーテシーをしてみせた。スカートの裾を優雅につまみ深く恭しく。
「王命、謹んでお受けいたします」

私のあまりにも冷静な反応に、王太子は一瞬虚を突かれたような顔をした。彼が期待していたのはきっと、泣き喚き許しを乞う惨めな女の姿だったのだろう。
だが私の心にもはや感情の波はなかった。
(予測通りの結果。ならば次のフェーズへ移行するだけ。損失を最小限に抑え、新たな環境でのリソースを最大化する。やるべきことは変わらない)

私は誰からの同情の視線も受けることなく、たった一人で会議室を後にした。
屋敷に戻り父であるアルトマン公爵に事の次第を報告すると、彼は深い溜息をついた。
「だから言ったのだアイリス。正論は時として刃物よりも人を傷つける。特に王族のプライドという最も脆く最も厄介なものをな。……だが決まったことだ。お前ならどこへ行ってもやっていけるだろう」
父はそれ以上何も言わなかった。アルトマン家は王家との関係悪化を避けるため、私という「資産」を損切りすることを選んだのだ。それもまた合理的な判断だった。

三日後、私はたった一台の馬車に乗って北の辺境へと旅立った。
嫁入り道具として許されたのは数着のドレスと、そして私の知識が詰まった数百冊の専門書だけ。
揺れる馬車の中で私は涙を流す代わりに、新しい帳簿を開いた。そしてその美しい白紙の最初のページに、万年筆でこう記した。

『ベルク領、再建計画書:第一年度予算案』

私の心は数字と、そしてこれから始まる壮大な事業計画への冷たい興奮だけが満たしていた。
婚約破棄?追放?結構だ。
私の価値を認めなかった愚かな男と破産寸前の国に、本当の「損失」というものをこれからたっぷりと教えて差し上げよう。
数字で。揺るぎない、結果という名の事実で。
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