悪役令嬢は数字しか愛せない~婚約破棄されて、貧乏領地を世界一の商会に変えます~

YY

文字の大きさ
2 / 5

第2話:【邂逅】貧乏領主と、最強の参謀

しおりを挟む
王都を離れ北へ向かう街道は帝国の繁栄から完全に見捨てられていた。石畳は途切れ、馬車の車輪は容赦なくぬかるみに轍を刻む。肥沃な平野はいつしか姿を消し、代わりに痩せた土地と厳しい風に耐えるように立つ背の低い木々ばかりが窓の外を流れていった。
道中いくつかの村を通り過ぎたが、どこも活気というものがなく、人々は土気色の顔で見慣れぬ馬車を遠巻きに眺めるだけだった。彼らの目には諦観とそしてわずかな好奇心しか浮かんでいない。これが王都の貴族たちが「我らが領地」と呼ぶ場所のありのままの姿だ。

十日後、馬車はついに目的地であるベルク領の領主の館に到着した。
館というよりは、石と木で雑に組み上げられた大きな砦といった方が正確だろう。アルトマン公爵家の庭師の詰所よりもみすぼらしい。壁には苔が生え、屋根瓦はところどころ剥がれ落ちている。これが一国の辺境を守る伯爵の居城だとはにわかには信じがたかった。

出迎えたのはくたびれた鎧を身につけた数人の兵士だけだった。彼らは私を一瞥すると、好奇心よりも先に面倒事が舞い込んできたというような、あからさまにうんざりした顔を隠そうともしない。
「……お待ちしておりました、アルトマン公爵令嬢殿。主は執務室におります」
兵士の一人が不躾な視線を私に向けながら言った。その言葉には貴族令嬢に対する敬意など微塵も含まれていない。

通された執務室はさらに酷かった。壁には巨大な領地の地図が雑に貼られ、床には使い古された武具や泥のついたままの長靴が無造作に転がっている。部屋の中央にある傷だらけの大きな木の机。その向こうに男は座っていた。

彼がジアン・ベルク辺境伯。
噂に違わぬ粗野な男だった。日に焼けた肌に無造作に伸ばされた黒髪。着ている服は上等とは言い難い革のチュニックだ。王都の貴族たちが纏う絹やベルベットの華やかな衣装とはあまりにもかけ離れている。彼は私が部屋に入っても立ち上がろうともせず、ただ値踏みするような鋭い目で私を見つめていた。

「お前がアイリス・フォン・アルトマンか」
地を這うような低い声。
「王都の姫君がこんな吹き溜まりに何の用だ。聞けば王太子殿下に捨てられたそうだな。同情はせんぞ」
挑発するような言葉だった。ここで私が泣き喚いたり怒り狂ったりするのを期待しているのだろう。

だが私は表情一つ変えず、彼に向かって優雅にカーテシーをしてみせた。
「お見知りおきを、ベルク辺境伯。本日より貴方様の妻となりますアイリスと申します」
「……ほう」
私のあまりにも冷静な反応に、彼は初めて興味を引かれたようだった。その黒い瞳が私という存在の奥を探るようにわずかに細められる。

「それで辺境伯。早速ですがお願いしたいことがございます」
私は長旅の疲れなどおくびにも出さず本題を切り出した。
「このベルク領の過去五年分の財政帳簿、収支報告書、資産台帳、そして納税記録。それらすべての閲覧許可をいただきたいのです」

私の言葉にジアン辺境伯は今度こそ虚を突かれたようだった。彼の眉がかすかにひそめられる。
「……帳簿だと?着いたばかりの女が最初に求めるのがそれか。普通は寝床や食事の心配をするものではないのか」
「必要ありません。私が今最も必要としている情報は、この領地の正確な財政状況です。現状を把握せずして未来の計画は立てられませんから」

私は淡々と答えた。その言葉に嘘はなかった。
ジアンは数秒間黙って私を見つめていた。彼の頭の中で何かが高速で回転しているのが分かった。やがて彼は面白い玩具を見つけた子供のように、にやりと口の端を吊り上げた。

「……面白い。気に入った」
彼は立ち上がると、部屋の隅に山と積まれた埃まみれの羊皮紙の束を指さした。
「そこにあるのがお前が求めるものだ。好きにしろ。ただし俺は知らんぞ。その数字を見ればどんな気の強い女でも、絶望して泣き出すことになるだろうからな」

その夜、私は与えられた簡素な部屋で蝋燭の灯りを頼りに帳簿の山と格闘していた。
ジアンの言った通りその内容は絶望的という言葉すら生ぬるいものだった。歳入はほぼゼロに等しく負債だけが雪だるま式に膨れ上がっている。資産と呼べるものはこの痩せた土地とやる気のない兵士たちだけ。
だが私の心に絶望はなかった。
むしろその逆だった。

(……なるほど。負債はあるが担保権は複雑化していない。人的資源の質は未知数だが数はいる。土地は痩せているが広大だ。何より中央政府からの干渉が事実上存在しない)

私の頭脳は冷徹な興奮に満ちていた。
これは絶望的な状況などではない。ゼロから、いやマイナスから、理想の経済圏を構築できるまたとない機会だ。
夜が白み始める頃、私は数十枚に及ぶレポートを書き上げていた。

翌朝、私は再びジアンの執務室を訪れた。目の下に隈を作った私を見て彼は嘲るように言った。
「どうだ姫君。絶望して王都に泣いて帰りたくなったか?」

私は彼の言葉を無視し、書き上げたレポートの束を彼の机に叩きつけた。
「これが現状分析と短期的な改善計画です。まず領内に自生している薬草の商業化。次に近隣のドワーフ王国との交易路の開拓。そして兵士たちを労働力として活用した灌漑設備の建設。詳細な収支予測と初期投資の回収計画も記載してあります」

ジアンは狐につままれたような顔でレポートのページをめくり始めた。そして読み進めるうちにその表情が驚愕へ、そして畏敬とも呼べるものへと変わっていくのを私は冷静に観察していた。

すべてを読み終えた彼は顔を上げると、まるで初めて私を見るかのように言った。
「……お前はいったい何者だ?」

「私はアイリス・フォン・アルトマン。あなたの妻であり、そしてあなたの領地の未来を黒字に転換させる者です」

ジアンはしばらく黙り込んだ後、腹の底から豪快に笑い出した。
「ははは!面白い!実に面白い!王太子殿下はとんでもない宝物を俺のところに放り込んできたらしいな!」

彼は机の上に置かれていた領主の権限を示す印章を手に取ると、それを私に向かって差し出した。
「いいだろう。好きにやってみろアイリス。この領地のすべてをお前に預ける。人も金も俺自身もだ。お前のその『数字』とやらがどこまで通用するのか、この目で見たくなった」

それは絶対的な信頼の証だった。
私はその印章を静かに受け取った。
こうして貧乏辺境伯と婚約破棄された悪役令嬢の奇妙なパートナーシップが始まった。
私の頭の中ではすでに五年後十年後の壮大な事業計画が、美しい数字となって踊り始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

聖女の力は使いたくありません!

三谷朱花
恋愛
目の前に並ぶ、婚約者と、気弱そうに隣に立つ義理の姉の姿に、私はめまいを覚えた。 ここは、私がヒロインの舞台じゃなかったの? 昨日までは、これまでの人生を逆転させて、ヒロインになりあがった自分を自分で褒めていたのに! どうしてこうなったのか、誰か教えて! ※アルファポリスのみの公開です。

「君は悪役令嬢だ」と離婚されたけど、追放先で伝説の力をゲット!最強の女王になって国を建てたら、後悔した元夫が求婚してきました

黒崎隼人
ファンタジー
「君は悪役令嬢だ」――冷酷な皇太子だった夫から一方的に離婚を告げられ、すべての地位と財産を奪われたアリシア。悪役の汚名を着せられ、魔物がはびこる辺境の地へ追放された彼女が見つけたのは、古代文明の遺跡と自らが「失われた王家の末裔」であるという衝撃の真実だった。 古代魔法の力に覚醒し、心優しき領民たちと共に荒れ地を切り拓くアリシア。 一方、彼女を陥れた偽りの聖女の陰謀に気づき始めた元夫は、後悔と焦燥に駆られていく。 追放された令嬢が運命に抗い、最強の女王へと成り上がる。 愛と裏切り、そして再生の痛快逆転ファンタジー、ここに開幕!

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

『冷酷な悪役令嬢』と婚約破棄されましたが、追放先の辺境で領地経営を始めたら、いつの間にか伝説の女領主になっていました。

黒崎隼人
ファンタジー
「君のような冷たい女とは、もう一緒にいられない」 政略結婚した王太子に、そう告げられ一方的に離婚された悪役令嬢クラリス。聖女を新たな妃に迎えたいがための、理不尽な追放劇だった。 だが、彼女は涙ひとつ見せない。その胸に宿るのは、屈辱と、そして確固たる決意。 「結構ですわ。ならば見せてあげましょう。あなた方が捨てた女の、本当の価値を」 追放された先は、父亡き後の荒れ果てた辺境領地。腐敗した役人、飢える民、乾いた大地。絶望的な状況から、彼女の真の物語は始まる。 経営学、剣術、リーダーシップ――完璧すぎると疎まれたその才能のすべてを武器に、クラリスは民のため、己の誇りのために立ち上がる。 これは、悪役令嬢の汚名を着せられた一人の女性が、自らの手で運命を切り拓き、やがて伝説の“改革者”と呼ばれるまでの、華麗なる逆転の物語。

絞首刑まっしぐらの『醜い悪役令嬢』が『美しい聖女』と呼ばれるようになるまでの24時間

夕景あき
ファンタジー
ガリガリに痩せて肌も髪もボロボロの『醜い悪役令嬢』と呼ばれたオリビアは、ある日婚約者であるトムス王子と義妹のアイラの会話を聞いてしまう。義妹はオリビアが放火犯だとトムス王子に訴え、トムス王子はそれを信じオリビアを明日の卒業パーティーで断罪して婚約破棄するという。 卒業パーティーまで、残り時間は24時間!! 果たしてオリビアは放火犯の冤罪で断罪され絞首刑となる運命から、逃れることが出来るのか!?

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

離婚と追放された悪役令嬢ですが、前世の農業知識で辺境の村を大改革!気づいた元夫が後悔の涙を流しても、隣国の王子様と幸せになります

黒崎隼人
ファンタジー
公爵令嬢リセラは、夫である王子ルドルフから突然の離婚を宣告される。理由は、異世界から現れた聖女セリーナへの愛。前世が農業大学の学生だった記憶を持つリセラは、ゲームのシナリオ通り悪役令嬢として処刑される運命を回避し、慰謝料として手に入れた辺境の荒れ地で第二の人生をスタートさせる! 前世の知識を活かした農業改革で、貧しい村はみるみる豊かに。美味しい作物と加工品は評判を呼び、やがて隣国の知的な王子アレクサンダーの目にも留まる。 「君の作る未来を、そばで見ていたい」――穏やかで誠実な彼に惹かれていくリセラ。 一方、リセラを捨てた元夫は彼女の成功を耳にし、後悔の念に駆られ始めるが……? これは、捨てられた悪役令嬢が、農業で華麗に成り上がり、真実の愛と幸せを掴む、痛快サクセス・ラブストーリー!

【完結】なんで、あなたが王様になろうとしているのです?そんな方とはこっちから婚約破棄です。

西東友一
恋愛
現国王である私のお父様が病に伏せられました。 「はっはっはっ。いよいよ俺の出番だな。みなさま、心配なさるなっ!! ヴィクトリアと婚約関係にある、俺に任せろっ!!」  わたくしと婚約関係にあった貴族のネロ。 「婚約破棄ですわ」 「なっ!?」 「はぁ・・・っ」  わたくしの言いたいことが全くわからないようですね。  では、順を追ってご説明致しましょうか。 ★★★ 1万字をわずかに切るぐらいの量です。 R3.10.9に完結予定です。 ヴィクトリア女王やエリザベス女王とか好きです。 そして、主夫が大好きです!! 婚約破棄ざまぁの発展系かもしれませんし、後退系かもしれません。 婚約破棄の王道が好きな方は「箸休め」にお読みください。

処理中です...