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第3話:【勃興】ベルク商会の奇跡
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私の計画は翌日から即座に実行に移された。
最初の事業は領内の岩場に自生する「霜ゴケ」の商業化だ。王都の貴族にはただの雑草としか認識されていないが、古文書によればそれは高位の治癒薬や錬金術の触媒として極めて高値で取引される希少植物だった。問題はその加工方法が難しく採算が合わないとされてきたことだ。
私は領内の暇を持て余していた兵士たちを動員し徹底したマニュアルに基づく分業体制を敷いた。採取班、洗浄班、そして最も重要な乾燥工程。私は魔導熱を利用した独自の乾燥炉を設計し従来一ヶ月かかっていた加工期間をわずか三日に短縮した。
当初「女の道楽だ」と文句を言っていた兵士たちも、初出荷分の「霜ゴケ」が年収の数倍もの金塊となって還元されると、その口を永遠に閉ざした。彼らの私を見る目は侮蔑から畏敬へと変わっていた。私はその利益の全てを彼らの装備の刷新と新たな事業への投資に回した。金は信頼を生む最も効率的なツールだ。
私が領内の生産体制を構築している間ジアンは彼の役割を果たしていた。
私が算出したリスクとリターンに基づき、彼は自ら護衛の先頭に立って危険な山道を踏破し隣接するドワーフ王国との交易路を確保した。彼らが持ち帰ったドワーフ製の高品質な鉄は私の計算通り王都の市場で数倍の価格で取引された。
私が頭脳なら彼は屈強な手足であり信頼に足る盾だった。私たちの間に無駄な会話はほとんどない。だが互いの報告書に目を通すだけで相手が何を考え何を成し遂げたのかを完璧に理解できた。それは王太子との間にあった空虚な甘い言葉の応酬よりよほど濃密で信頼に足る関係だった。
ある夜、私はいつものように執務室で帳簿と格闘していた。ベルク領の経営は軌道に乗り始めたが問題は山積みだ。集中するあまり部屋に誰かが入ってきたことにも気づかなかった。
「おい」
不意に頭上から声がした。見上げるとジアンが呆れたような顔で私を見下ろしている。
「お前、いつからそれを食っていない」
彼が指さしたのは昼間に侍女が運んできた冷え切って硬くなったパンとスープだった。
「必要ありません。食事の時間をとるのは思考の妨げになります」
私の言葉にジアンは大きなため息をついた。
「機械じゃあるまいし。倒れられたらそれこそ最大の損失だろうが」
彼は私が手を引く間もなく無造作に私を腕に抱え上げた。
「きゃっ!何を……!」
「いいから黙って食え。俺が食わせてやる」
彼は私を食堂の椅子に乱暴に下ろすと、厨房から持ってきたらしい湯気の立つシチューと焼きたてのパンを私の前に置いた。そして自らも私の向かいに座り無言で食事を始める。その無骨な仕草はおよそ貴族とは思えないものだった。
(非効率だ。領主自らが私の食事の心配をするなど時間の無駄遣い以外の何物でもない)
そう思うのになぜだろう。
冷え切っていた体の芯が温かいシチューと共にじんわりと温まっていく。王都では食事は常に政治的な会話と腹の探り合いの場だった。こんなふうにただ黙って誰かと温かいものを食べるという経験を私はしたことがなかった。
「……ジアン」
私は思わず彼の名を呼んでいた。敬称も付けずに。
彼はシチューを口に運びながらちらりと私に視線をよこす。
「なんだ」
「……美味しいです」
それは私の口から出た生まれて初めての計算も論理も何もないただの素直な感情だった。
ジアンは一瞬驚いたように目を見開いた。そして次の瞬間彼は子供のように少しだけはにかんだ笑みを浮かべた。
「……そうか」
その短い一言と初めて見る彼の笑顔が、私の胸の奥にある自分でも気づかなかった冷たい壁を少しだけ溶かしたような気がした。
それから二年が経った。
かつて「不毛の地」と呼ばれたベルク領は奇跡的な変貌を遂げていた。
私が立ち上げた「ベルク商会」は大陸全土にその名を轟かせる一大組織となった。「霜ゴケ」とドワーフの鉄を元手に私たちは次々と新しい事業に投資し富を増やしていった。灌漑設備によって痩せた土地は豊かな穀倉地帯へと変わり領民の数は数倍に膨れ上がった。活気に満ちた領都は今や北方の交易の中心地だ。
私はもはや「追放された令嬢」ではない。誰もが畏敬とそして少しの恐怖を込めて私を「ベルクの魔女」あるいは「数字の女王」と呼んだ。
その日私はジアンと共に完成したばかりの新しい庁舎の最上階から、眼下に広がる自分たちの「王国」を眺めていた。
そんな平穏を破るように一人の伝令が血相を変えて駆け込んできた。彼が差し出したのは王家の紋章が押された一通の公式書簡だった。
ジアンがその封を切り中身に目を通す。彼の表情がみるみるうちに険しくなっていく。
「……どうやら王都の馬鹿殿がようやく俺たちの存在に気づいたらしい」
彼はその書簡を私に手渡した。そこに書かれていたのは二つのこと。
一つは王国の財政が私が予測した通り破綻寸前であること。
そしてもう一つは――。
『ベルク領の奇跡的な発展を鑑みこれを王家の功績と認め、追って王家直轄の調査官を派遣する。またこれまでの税の未納分及び今後十年間の特別税として、ベルク商会の総資産の七割を王国に上納することを命ずる』
それは命令という名の白昼堂々の略奪宣言だった。
ジアンが怒りに任せて書簡を握り潰す。
「ふざけるな……!あの愚か者めが……!」
私は彼の隣でただ静かにその書簡に記された数字を見つめていた。
私の表情はいつもと同じ無感情なまま。
だが私の頭の中ではすでにあらゆる変数を考慮に入れた次なる「戦争」のシミュレーションが始まっていた。
(王太子アルベルト。あなたとのゲームはまだ終わってはいなかったようですね)
私の口元にうっすらと冷たい笑みが浮かんだ。
最初の事業は領内の岩場に自生する「霜ゴケ」の商業化だ。王都の貴族にはただの雑草としか認識されていないが、古文書によればそれは高位の治癒薬や錬金術の触媒として極めて高値で取引される希少植物だった。問題はその加工方法が難しく採算が合わないとされてきたことだ。
私は領内の暇を持て余していた兵士たちを動員し徹底したマニュアルに基づく分業体制を敷いた。採取班、洗浄班、そして最も重要な乾燥工程。私は魔導熱を利用した独自の乾燥炉を設計し従来一ヶ月かかっていた加工期間をわずか三日に短縮した。
当初「女の道楽だ」と文句を言っていた兵士たちも、初出荷分の「霜ゴケ」が年収の数倍もの金塊となって還元されると、その口を永遠に閉ざした。彼らの私を見る目は侮蔑から畏敬へと変わっていた。私はその利益の全てを彼らの装備の刷新と新たな事業への投資に回した。金は信頼を生む最も効率的なツールだ。
私が領内の生産体制を構築している間ジアンは彼の役割を果たしていた。
私が算出したリスクとリターンに基づき、彼は自ら護衛の先頭に立って危険な山道を踏破し隣接するドワーフ王国との交易路を確保した。彼らが持ち帰ったドワーフ製の高品質な鉄は私の計算通り王都の市場で数倍の価格で取引された。
私が頭脳なら彼は屈強な手足であり信頼に足る盾だった。私たちの間に無駄な会話はほとんどない。だが互いの報告書に目を通すだけで相手が何を考え何を成し遂げたのかを完璧に理解できた。それは王太子との間にあった空虚な甘い言葉の応酬よりよほど濃密で信頼に足る関係だった。
ある夜、私はいつものように執務室で帳簿と格闘していた。ベルク領の経営は軌道に乗り始めたが問題は山積みだ。集中するあまり部屋に誰かが入ってきたことにも気づかなかった。
「おい」
不意に頭上から声がした。見上げるとジアンが呆れたような顔で私を見下ろしている。
「お前、いつからそれを食っていない」
彼が指さしたのは昼間に侍女が運んできた冷え切って硬くなったパンとスープだった。
「必要ありません。食事の時間をとるのは思考の妨げになります」
私の言葉にジアンは大きなため息をついた。
「機械じゃあるまいし。倒れられたらそれこそ最大の損失だろうが」
彼は私が手を引く間もなく無造作に私を腕に抱え上げた。
「きゃっ!何を……!」
「いいから黙って食え。俺が食わせてやる」
彼は私を食堂の椅子に乱暴に下ろすと、厨房から持ってきたらしい湯気の立つシチューと焼きたてのパンを私の前に置いた。そして自らも私の向かいに座り無言で食事を始める。その無骨な仕草はおよそ貴族とは思えないものだった。
(非効率だ。領主自らが私の食事の心配をするなど時間の無駄遣い以外の何物でもない)
そう思うのになぜだろう。
冷え切っていた体の芯が温かいシチューと共にじんわりと温まっていく。王都では食事は常に政治的な会話と腹の探り合いの場だった。こんなふうにただ黙って誰かと温かいものを食べるという経験を私はしたことがなかった。
「……ジアン」
私は思わず彼の名を呼んでいた。敬称も付けずに。
彼はシチューを口に運びながらちらりと私に視線をよこす。
「なんだ」
「……美味しいです」
それは私の口から出た生まれて初めての計算も論理も何もないただの素直な感情だった。
ジアンは一瞬驚いたように目を見開いた。そして次の瞬間彼は子供のように少しだけはにかんだ笑みを浮かべた。
「……そうか」
その短い一言と初めて見る彼の笑顔が、私の胸の奥にある自分でも気づかなかった冷たい壁を少しだけ溶かしたような気がした。
それから二年が経った。
かつて「不毛の地」と呼ばれたベルク領は奇跡的な変貌を遂げていた。
私が立ち上げた「ベルク商会」は大陸全土にその名を轟かせる一大組織となった。「霜ゴケ」とドワーフの鉄を元手に私たちは次々と新しい事業に投資し富を増やしていった。灌漑設備によって痩せた土地は豊かな穀倉地帯へと変わり領民の数は数倍に膨れ上がった。活気に満ちた領都は今や北方の交易の中心地だ。
私はもはや「追放された令嬢」ではない。誰もが畏敬とそして少しの恐怖を込めて私を「ベルクの魔女」あるいは「数字の女王」と呼んだ。
その日私はジアンと共に完成したばかりの新しい庁舎の最上階から、眼下に広がる自分たちの「王国」を眺めていた。
そんな平穏を破るように一人の伝令が血相を変えて駆け込んできた。彼が差し出したのは王家の紋章が押された一通の公式書簡だった。
ジアンがその封を切り中身に目を通す。彼の表情がみるみるうちに険しくなっていく。
「……どうやら王都の馬鹿殿がようやく俺たちの存在に気づいたらしい」
彼はその書簡を私に手渡した。そこに書かれていたのは二つのこと。
一つは王国の財政が私が予測した通り破綻寸前であること。
そしてもう一つは――。
『ベルク領の奇跡的な発展を鑑みこれを王家の功績と認め、追って王家直轄の調査官を派遣する。またこれまでの税の未納分及び今後十年間の特別税として、ベルク商会の総資産の七割を王国に上納することを命ずる』
それは命令という名の白昼堂々の略奪宣言だった。
ジアンが怒りに任せて書簡を握り潰す。
「ふざけるな……!あの愚か者めが……!」
私は彼の隣でただ静かにその書簡に記された数字を見つめていた。
私の表情はいつもと同じ無感情なまま。
だが私の頭の中ではすでにあらゆる変数を考慮に入れた次なる「戦争」のシミュレーションが始まっていた。
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