秘密はいつもティーカップの向こう側 ―BONUS TRACK―

天月りん

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揃いのマグカップ

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「これはどうだろう、湊」
「あの……いや、その……」

 気まずくて、つい視線を落としてしまう。
 ローズメリーの二階で、フードライターのアシスタントとして働くようになって、早一ヶ月。
 俺は今、上司と二人で、デパートの食器売場にいる。

 今日の西園寺亜嵐氏も、やっぱり格好いい。
 細身のスラックスに、涼やかなピンストライプのシャツ。カジュアルなのにどこか上質な香りが漂う。
 そして小さなポイントにも、彼らしい遊び心がある。
 第一ボタンは、ピアスと揃いの金色の星の形をしていた。
 
 メールで『明日、駅前で待ち合わせたい』と連絡をもらい、どこへ行くのかも知らなかったとはいえ――。

(そろそろ学習しろ、自分!)

 ごくありふれたチノパンとシャツで来てしまったことを、今さらながら激しく後悔する。
 俯いたことを「気に入らない」と誤解したようで、亜嵐さんは「む?」と小さく唸った。

「そうか、それならこれは止めよう。では――」

 洒落た持ち手のマグカップを棚に戻し、紳士は再び売り場を歩き始める。
 真剣に品物を見定める後ろ姿に、俺は恐る恐る声をかけた。

「あの……本当に。俺はローズメリーのカップを使わせてもらえれば十分なんで」

 すると亜嵐さんはこちらを振り返り、かっと目を見開いた。

「承服しかねる!職場に君用のカップひとつもないなど、あってはならない事態だ!」
「は、はいっ!」

 暇なときでいい、と言われていたものの。結局俺は、週末ごとにローズメリーの二階へ足を運んでいる。
 そろそろ休憩というタイミングで、翠さんはいつもお茶を運んできてくれた。
 それで気付くのが遅れてしまった。
 
 その日。渡された資料があまりにも面白くて、仕分けそっちのけで熟読していた俺は、亜嵐さんがそっと立ち上がったことに気付かなかった。

 そして次の瞬間。
 小さなキッチンで響いた悲鳴に、俺はソファから飛び上がった。

「どうしたんですか!?亜嵐さん!」
「あぁ――なんたることだ!湊の、湊用のカップが……!」

 カップ?俺用の?何を言ってるんだ、この人は。
 首を傾げたところでドアがノックされ、翠さんが顔を覗かせた。

「空の器を……あら、どうしたの?二人とも」
「翠さん!大変です、この部屋には――湊用のカップがない!」

 翠さんは「あぁ」と頷き、軽い足取りで階段を下りていった。
 やがて戻ってくると、花柄のティーカップを差し出した。

「とりあえずこれを使ったら?」
「……お借りします」

 それで場は収まった――と思っていたのに。
 今日俺をデパートに連れ出した亜嵐さんは、開口一番こう宣言したのだ。

「君が気に入るカップを!今日は買う!」

 そして今に至るのだが――はっきり言おう。

(こんな高そうなの、俺にはもったいないです!)

 しかし。いくら心の中で力説しても、目の前の男に届くはずもない。
 俺は亜嵐さんの背中を追って、子ガモのように歩いた。

 ――と。

「おや、あれは」
「……っ!」

 突然立ち止まった背中にぶつかりそうになって、慌てて足を止める。
 どうしたのかと覗き込むと、照明が反射する棚の上。整然と並ぶ磁器の中から、亜嵐さんは一つのカップを選び取った。 

(あ、それ。すごくいいな)

 華奢なフォルムの食器が多い中、そのカップはどこか異質だった。
 
 直線的で、一見飾り気はない。
 けれどその分だけ、青い船の絵が静かに引き立って見える。
 白地と、絵に合わせた青い持ち手。その潔さが、どこか希望を感じさせた。

(青い船……ここから広い世界に漕ぎ出すって感じがするな)

「湊、これはどうだろう?」

 そう言って振り返った亜嵐さんは、すぐに満面の笑みを浮かべた。
 きっと俺の顔に『そのカップ、すごく良いですね!』と書いてあったのだろう。

「では。ああ、君。これを二客包んでくれ」

 店員に告げた内容に、俺は思わず小首を傾げた。

「え?二つ買うんですか?」
「そうだが?当然だろう」
「え?でも……俺の他にもバイトがいるんですか?」

 話がかみ合わず戸惑う俺に、彼はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「そんなもの、いるわけがなかろう。ひとつは私のものだ」
「……はい?」

 亜嵐さんが使う?俺と――お揃いで?
 理解した途端、頭に血が上った。

(だって、そんなのっ……!)

 今、俺の顔は真っ赤に違いない。

(店員さん、お願いだから……ゆっくり包んできてください!)

 祈りながら目の前の人物を見ると、涼しい横顔はしかし、耳がほんのり赤い。

(……もしかして、亜嵐さんも照れてる、のかな)

 ただそれだけのことで、恥ずかしさよりも嬉しさがぷつり、ぷつりと湧き上がってくる。
 
「……えへへ。亜嵐さん、ありがとうございます」

 にやけた笑みを浮かべたところで、店員さんが袋を手に戻ってきた。
 いつもの落ち着いた仕草でそれを受け取ると、亜嵐さんは俺の手を軽く引き、足早に食器売場を後にした。
 
 ***

 ケトルを火にかけ、棚からマグカップを取り出す。

「……うん。やっぱりいいな、これ」

 デザインもさることながら。
 ティーカップではなく、マグカップというのがまたいい。
 来客用ではないそれが、ここが自分の居場所だと示しているようで、使うたびに胸の奥がぽかぽかする。

 いつの間にか慣れた手付きで、紅茶を注ぐ。
 すっかり手に馴染んだカップから、ふわりと優雅な香りが立ち上がる。

「さて、亜嵐さんを呼ぼうかな」

 それをローテーブルに置いて、俺は部屋の奥――亜嵐さんのプライベート・スペースに歩を進めた。
 揃いのカップから立ち昇る湯気が、静かに部屋を包んでいった。



 秘密はいつもティーカップの向こう側 BONUS TRACK
 揃いのマグカップ / 完

 ◆・◆・◆

 秘密はいつもティーカップの向こう側
 本編もアルファポリスで連載中です☕
 ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。

 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
 ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
  シリーズ本編番外編
 ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
  シリーズSS番外編
 ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
  シリーズのおやつ小話
 よろしければ覗いてみてください♪

 

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