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憂鬱な週明け
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しばらくマンションには帰らない。何かあったら、壱岐に相談すること。良い子で待ってろ。
椿と諍いになり、泣きつかれてそのまま眠ってしまった憂璃は、椿からいつの間にか送られていたメッセージを目にした途端に気分が沈み込む。
言い争いなんてしたくなかった。ただ、椿においしい物を食べてもらいたい一心で玲司に料理を教えてもらいたかったのに。
(どうしてこうなっちゃったんだろう……)
椿が危惧するのは分かる。
どんなに紳士な人間でも、オメガのヒートの当てられればアルファは豹変する。
既に桔梗という番がいる玲司だが、絶対とは言い切れないからこそ、椿は声を荒らげたのだろう。
(椿さんに嫌われたら立ち直れない。やっぱり、商品が口ごたえなんてしちゃいけなかったんだ)
憂璃はじわりと浮かんだ涙を服の袖でゴシゴシと擦り立ち上がる。
壱岐は料理ができないのだ。そろそろ夕飯の時間なのもあり、気持ちは晴れないでも食事の準備する必要がある。このマンションに来てから、椿から三食は必ず食べることと厳命されているから。
食欲がなくても、少しでも食べなくてはいけない。
自分は椿の商品だから、彼の言うことをきかなくてはいけない。
椿の命令は絶対だ。反抗する意思なんて持ってはいけない。
憂璃は自室から出て、パタパタとスリッパを鳴らしてリビングに駆け込む。ダイニングテーブルにノートパソコンや紙類を広げて仕事をしていた壱岐が、憂璃の気配に気づき顔を上げる。
「憂璃さん」
「ご、ごめんなさい、壱岐さん。椿さん、しばらく帰ってこないってメッセージが来てて……」
「慌てなくていいですよ。少しソファに座って落ち着くといいでしょう」
余程焦っているように見えたのだろうか、椅子から立ち上がった壱岐がそう言い、目線で憂璃を促す。
彼は主である椿が不在の時、絶対に憂璃に触れようとしなかった。
アルファというだけで番のいる玲司ですら一緒に居ることをよしとしないのに、同じアルファの壱岐を憂璃の傍に置くことを許している。
椿にとって親友よりも壱岐の方が信頼度が高いのかもしれない。
憂璃はコクリと頷き、ソファに腰を降ろす。一面を硝子で仕切られたリビングは、硝子の向こうに広がる街の展望を望めるように家具が設置してある。
そっと壱岐が差し出してくれたホットミルクに感謝を告げ、口に含む。ほのかに蜂蜜の甘い香りとミルクの優しい甘みが泣いて乾いた体に染み込んだ。
空は赤と橙と薄紫のグラデーションがいっぱいに広がり、街の至るところで小さな光がポツポツと灯り出す。
このマンションの他に高層建築がないのと高台に建てられているのもあり、景色がとても綺麗で目を楽しませる。
春夏秋冬、三百六十五日、どれひとつとして同じ風景はない。
自然が作り出す奇跡的な景色と壱岐の労わるようなホットミルクに、ほんの少しだけ痛かった胸の痛みが和らいだような気がした。
翌日、気怠い月曜日の空気の中で授業を終えた憂璃は、オメガ教育棟の靴置き場で下靴に履き替え入口を出る。
今日は図書委員の仕事があったが、椿が自分の不在の時にアルファと関わるな、と言えばそれに従うしかない。
「市居君、これから帰るのかな?」
「あ、先生」
ふと、賑わう声の波間に低く甘やかな声が憂璃の耳に届く。振り返った先には、授業は受けたものはないものの、質問などで職員室に訪れると優しく対応してくれる数学教師が眼鏡越しに緩く微笑んでいた。
「気をつけて帰りなさい」
「はい、ありがとうございます」
憂璃はペコリと頭を倒して教師に応える。彼はアルファなのに、とても物腰柔らかく憂璃のような出自であっても他の生徒と同じように扱ってくれる。教師がベータかオメガだったらどんなに良かったか、と思ったのは一度や二度ではない。
憂璃が在籍している秋槻学園高等部は、オメガだけで纏めたクラスがある。一学年十数名程だが、家庭環境はさまざまだ。
他はベータとアルファの混合クラス、名家や大企業のアルファ子息だけを集めた特別クラスと分かれていて、小さなヒエラルキーが成立している。
この秋槻学園に入学したのは、憂璃が椿に引き取られて数ヵ月後の高等部入学式のことだった。
栄養失調でやせ細っていたため、まともに学校生活を送れないと玉霞会おかかえの医師に言われ、マンションで静養しつつ、復習の意味で勉強をした程度だ。入試も特例として椿が契約しているホテルの一室に設えたPCモニター越しに受けた。
元々憂璃の成績は春の街の外にある中学校では優秀な部類に入り、余計な勉学が必要なかったのである。椿は憂璃の入学に関して思うところがあったようだが、結局は秋槻学園に入学させるに決めたらしい。
とはいえ、どこから憂璃の出自を調べたのか、一人の例外を除きオメガクラスの生徒たちからは遠巻きにされていた。
当然といえば当然だろう。
憂璃は春の街で生まれ、オメガの片親しか──しかも娼夫で生計を立てている家庭の子供が、秋槻学園のような選ばれた一部の人間しか通うことのできない場にいるのだから。
しかも、現在の保護者が『四季』の玉之浦椿という、裏だけでなく表でもビジネスチャンスを掴み、雑誌でもインタビューを受ける上等な男。
やっかみか嫉妬か、数回どこかの企業社長の娘が、憂璃に絡んできたものの、いつしかオメガの娘は学園を去り、どこかの会社を経営しているアルファと結婚をしたと風の噂で聞いた。
多分──いや、ほぼ確信を持っている。憂璃を害しようとしたオメガの娘は、椿が排除したのだと。
憂璃を害せばどうなるか、社長令嬢の件で知ったのだろう。
以降は憂璃に執拗に絡んでくる者もいなければ、近づく人間も一名以外いなくなっていた。
「ゆーり」
後ろから憂璃の名を気安く呼ばれ振り返る。
柔らかな榛色の紙を揺らし、陽の光が射し込むと赤紫に煌く瞳を持った、憂璃のクラスをまとめている存在で、なぜか憂璃に懐いている同じクラスの藤田彗が、こちらに手を振ってやって来る。
彼の父親はとある名家の専属医師をしているそうで、穏やかな性格……と思いきや、好奇心旺盛で何事にも首を突っ込む悪癖のある人物だった。
藤田曰く「ボクの性格はオメガの母に似たんだよねぇ」と言っていたが、比較対象と会ったことのない憂璃には「そうなんだ」と返事するしかできなかった。
「もう帰るの?」
「うん、ちょっと……」
さすがに高校二年にもなって保護者が早く帰れと言われたから、とは言いづらい。
「……ふぅん」
藤田は不審そうに目を眇めているが、すぐに彼らしい美貌に笑みを浮かべて。
「それなら、一緒に校門まで行かない? ひとりで歩くの禁止されてるでしょ、だから。ね?」
確かに校則でオメガの単独行動は禁じられているが、これまで憂璃ひとりでも問題なかったため、藤田からの申し出に戸惑ってしまう。
それに、藤田はこれまで教室や校舎内では絡んできたけども、登下校時には接触すらしてこなかったのだ。
彼の思惑が分からず憂璃に緊張が走る。
「さあさあ、行こうか」
「え、あ、ちょっ」
ぐい、と腕を取られ、ずんずんと歩き出す藤田に、憂璃はつまづきながら引っ張られる。ちらりと背後に視線を向けたが、数学教師の姿はすでにどこにもなかった。
オメガの下校時は、不要なトラブルを避けるつもりなのか、アルファとベータが使用する正面玄関ではなく、校舎に近い裏門の近くに送迎車が並ぶ。
みな似たような黒く磨かれた高級車が並びおののくものの、藤田に言わせればアルファたちの送迎の方が圧巻だと言っていた。
昔はこんなにはっきりとオメガと他のバース性を分けるようなことはしていなかったそうだ。
十数年前に、当時中等部生徒会に所属していたオメガが、ヒートを起こした場にアルファが遭遇し、ちょっとしたトラブルがあったそうだ。
その出来事を発端に、交流自由だったアルファやベータ、オメガとの間に色々とルールが増え、彼らが交流できるのが中心の総合棟にあるカフェテリアと、各委員会や生徒会での仕事のみとなった。
憂璃は家政婦の出入りがなくなってからはお弁当を持参していたので、他のオメガ生徒のように番探しに目をぎらつかせることなく、トラブルに巻き込まれたこともなければ、図書委員の仕事にも影響を受けたこともない。
平穏で安閑とした日常を過ごしていたのだ。
憂璃は藤田にグイグイと腕を引かれながら同じような黒い車の中から壱岐の姿を見つける。
だが──
「ん? あれ、憂璃のとこのお迎えの人だよね。なんか争ってるように見えるけど」
「……うん。そう、見えるよね」
他の迎えの人が囲むように見守る中心で、壱岐が派手な女性に詰め寄られているのを認める。
桃色の髪に水色のミニ丈のスーツを着た女性。下品としかいいようのない格好は、どう考えてもこの学園の関係者でも保護者でもないだろう。
「どうする?」
藤田の問いに困った顔になる。どうする、と言われても、このまま壱岐を無視するわけにはいかない。彼は仕事で憂璃を迎えに来たのだから。
「藤田君、僕ひとりで行くから離して」
「えー、ダメだよ。危ないよ」
「君を巻き込みたくないから。それに、君も怪我したくないでしょ」
やんわりと腕に絡みつく藤田の指を解き、憂璃は大丈夫だと微笑みで応え、ゆっくりと歩き出す。
次第に大きくなるざわめく音の中で、ひときわ甲高い声が春の空に突き抜ける。
「椿さんに会わせろって言ってるの! 彼の口から本音を聞かないと納得できないわ!」
「……納得はしていただかないと。あの方とは最初からそういう契約ではありませんか。今更ああだこうだと言われても……」
契約? と、憂璃は首を傾げる。
椿とあの女性はなにかしらの契約をして、それが終わったのを納得していない感じなのだろうか。
「……壱岐さん」
あんまり目立ちすぎては椿に迷惑がかかる。
「憂璃さん」
「お迎えありがとうございます。帰りたいのですが……こちらは?」
憂璃は赤い瞳をすうと細め、壱岐にすがり付く女性に目を向ける。間近で見ると、派手な格好からそれなりの年齢の女性だと思っていたが、肌は瑞々しく張りがありスーツを纏う肢体も崩れたようすもない。無理やり椿に合わせようとしている子供じゃないか。
しかも人工的な鼻につく香り。フェロモンの匂いも感じないし、彼女はきっとベータだ。
……それでも二十代前半だから、子供とは違うかもしれないが。
「あんたこそ誰よ」
アイラインを太く塗った目を釣り上げてギッと憂璃を睨んでくる。
「お尋ねになる前に名乗ったらいかがです? あと、あなた学園の関係者ではないでしょ。不法侵入として警察に突き出されたくなければ、即刻立ち去ることを推奨いたします」
「……はぁ!? あんたこそ何様よ!」
「ですから、名乗らない者にお教えする名はございません。……お引取りを」
そう憂璃が言うが早いかバタバタと数人の警備員が駆け寄ってくるのを、女性はギョッと瞠目して壱岐を掴む手を離すと、慌てて校門から走り去ってしまった。
おぼえてなさいよ! と三下な捨て台詞を吐いていたが、まさかテンプレートな言葉を聞くとは思わなくて、憂璃はクスリと微笑をこぼす。
「壱岐さん、大丈夫ですか?」
「それはこっちの台詞です。憂璃さんこそお怪我はありませんか?」
「はい、まったく、問題なく」
それは重畳と、壱岐はホッとした吐息を漏らし、野次馬たちに小さく頭を下げる。まさかアルファの男が謝罪するとは思っていなかったベータの運転手たちは、驚いた顔をしたまま蜘蛛の子を散らすように散開していった。
椿と諍いになり、泣きつかれてそのまま眠ってしまった憂璃は、椿からいつの間にか送られていたメッセージを目にした途端に気分が沈み込む。
言い争いなんてしたくなかった。ただ、椿においしい物を食べてもらいたい一心で玲司に料理を教えてもらいたかったのに。
(どうしてこうなっちゃったんだろう……)
椿が危惧するのは分かる。
どんなに紳士な人間でも、オメガのヒートの当てられればアルファは豹変する。
既に桔梗という番がいる玲司だが、絶対とは言い切れないからこそ、椿は声を荒らげたのだろう。
(椿さんに嫌われたら立ち直れない。やっぱり、商品が口ごたえなんてしちゃいけなかったんだ)
憂璃はじわりと浮かんだ涙を服の袖でゴシゴシと擦り立ち上がる。
壱岐は料理ができないのだ。そろそろ夕飯の時間なのもあり、気持ちは晴れないでも食事の準備する必要がある。このマンションに来てから、椿から三食は必ず食べることと厳命されているから。
食欲がなくても、少しでも食べなくてはいけない。
自分は椿の商品だから、彼の言うことをきかなくてはいけない。
椿の命令は絶対だ。反抗する意思なんて持ってはいけない。
憂璃は自室から出て、パタパタとスリッパを鳴らしてリビングに駆け込む。ダイニングテーブルにノートパソコンや紙類を広げて仕事をしていた壱岐が、憂璃の気配に気づき顔を上げる。
「憂璃さん」
「ご、ごめんなさい、壱岐さん。椿さん、しばらく帰ってこないってメッセージが来てて……」
「慌てなくていいですよ。少しソファに座って落ち着くといいでしょう」
余程焦っているように見えたのだろうか、椅子から立ち上がった壱岐がそう言い、目線で憂璃を促す。
彼は主である椿が不在の時、絶対に憂璃に触れようとしなかった。
アルファというだけで番のいる玲司ですら一緒に居ることをよしとしないのに、同じアルファの壱岐を憂璃の傍に置くことを許している。
椿にとって親友よりも壱岐の方が信頼度が高いのかもしれない。
憂璃はコクリと頷き、ソファに腰を降ろす。一面を硝子で仕切られたリビングは、硝子の向こうに広がる街の展望を望めるように家具が設置してある。
そっと壱岐が差し出してくれたホットミルクに感謝を告げ、口に含む。ほのかに蜂蜜の甘い香りとミルクの優しい甘みが泣いて乾いた体に染み込んだ。
空は赤と橙と薄紫のグラデーションがいっぱいに広がり、街の至るところで小さな光がポツポツと灯り出す。
このマンションの他に高層建築がないのと高台に建てられているのもあり、景色がとても綺麗で目を楽しませる。
春夏秋冬、三百六十五日、どれひとつとして同じ風景はない。
自然が作り出す奇跡的な景色と壱岐の労わるようなホットミルクに、ほんの少しだけ痛かった胸の痛みが和らいだような気がした。
翌日、気怠い月曜日の空気の中で授業を終えた憂璃は、オメガ教育棟の靴置き場で下靴に履き替え入口を出る。
今日は図書委員の仕事があったが、椿が自分の不在の時にアルファと関わるな、と言えばそれに従うしかない。
「市居君、これから帰るのかな?」
「あ、先生」
ふと、賑わう声の波間に低く甘やかな声が憂璃の耳に届く。振り返った先には、授業は受けたものはないものの、質問などで職員室に訪れると優しく対応してくれる数学教師が眼鏡越しに緩く微笑んでいた。
「気をつけて帰りなさい」
「はい、ありがとうございます」
憂璃はペコリと頭を倒して教師に応える。彼はアルファなのに、とても物腰柔らかく憂璃のような出自であっても他の生徒と同じように扱ってくれる。教師がベータかオメガだったらどんなに良かったか、と思ったのは一度や二度ではない。
憂璃が在籍している秋槻学園高等部は、オメガだけで纏めたクラスがある。一学年十数名程だが、家庭環境はさまざまだ。
他はベータとアルファの混合クラス、名家や大企業のアルファ子息だけを集めた特別クラスと分かれていて、小さなヒエラルキーが成立している。
この秋槻学園に入学したのは、憂璃が椿に引き取られて数ヵ月後の高等部入学式のことだった。
栄養失調でやせ細っていたため、まともに学校生活を送れないと玉霞会おかかえの医師に言われ、マンションで静養しつつ、復習の意味で勉強をした程度だ。入試も特例として椿が契約しているホテルの一室に設えたPCモニター越しに受けた。
元々憂璃の成績は春の街の外にある中学校では優秀な部類に入り、余計な勉学が必要なかったのである。椿は憂璃の入学に関して思うところがあったようだが、結局は秋槻学園に入学させるに決めたらしい。
とはいえ、どこから憂璃の出自を調べたのか、一人の例外を除きオメガクラスの生徒たちからは遠巻きにされていた。
当然といえば当然だろう。
憂璃は春の街で生まれ、オメガの片親しか──しかも娼夫で生計を立てている家庭の子供が、秋槻学園のような選ばれた一部の人間しか通うことのできない場にいるのだから。
しかも、現在の保護者が『四季』の玉之浦椿という、裏だけでなく表でもビジネスチャンスを掴み、雑誌でもインタビューを受ける上等な男。
やっかみか嫉妬か、数回どこかの企業社長の娘が、憂璃に絡んできたものの、いつしかオメガの娘は学園を去り、どこかの会社を経営しているアルファと結婚をしたと風の噂で聞いた。
多分──いや、ほぼ確信を持っている。憂璃を害しようとしたオメガの娘は、椿が排除したのだと。
憂璃を害せばどうなるか、社長令嬢の件で知ったのだろう。
以降は憂璃に執拗に絡んでくる者もいなければ、近づく人間も一名以外いなくなっていた。
「ゆーり」
後ろから憂璃の名を気安く呼ばれ振り返る。
柔らかな榛色の紙を揺らし、陽の光が射し込むと赤紫に煌く瞳を持った、憂璃のクラスをまとめている存在で、なぜか憂璃に懐いている同じクラスの藤田彗が、こちらに手を振ってやって来る。
彼の父親はとある名家の専属医師をしているそうで、穏やかな性格……と思いきや、好奇心旺盛で何事にも首を突っ込む悪癖のある人物だった。
藤田曰く「ボクの性格はオメガの母に似たんだよねぇ」と言っていたが、比較対象と会ったことのない憂璃には「そうなんだ」と返事するしかできなかった。
「もう帰るの?」
「うん、ちょっと……」
さすがに高校二年にもなって保護者が早く帰れと言われたから、とは言いづらい。
「……ふぅん」
藤田は不審そうに目を眇めているが、すぐに彼らしい美貌に笑みを浮かべて。
「それなら、一緒に校門まで行かない? ひとりで歩くの禁止されてるでしょ、だから。ね?」
確かに校則でオメガの単独行動は禁じられているが、これまで憂璃ひとりでも問題なかったため、藤田からの申し出に戸惑ってしまう。
それに、藤田はこれまで教室や校舎内では絡んできたけども、登下校時には接触すらしてこなかったのだ。
彼の思惑が分からず憂璃に緊張が走る。
「さあさあ、行こうか」
「え、あ、ちょっ」
ぐい、と腕を取られ、ずんずんと歩き出す藤田に、憂璃はつまづきながら引っ張られる。ちらりと背後に視線を向けたが、数学教師の姿はすでにどこにもなかった。
オメガの下校時は、不要なトラブルを避けるつもりなのか、アルファとベータが使用する正面玄関ではなく、校舎に近い裏門の近くに送迎車が並ぶ。
みな似たような黒く磨かれた高級車が並びおののくものの、藤田に言わせればアルファたちの送迎の方が圧巻だと言っていた。
昔はこんなにはっきりとオメガと他のバース性を分けるようなことはしていなかったそうだ。
十数年前に、当時中等部生徒会に所属していたオメガが、ヒートを起こした場にアルファが遭遇し、ちょっとしたトラブルがあったそうだ。
その出来事を発端に、交流自由だったアルファやベータ、オメガとの間に色々とルールが増え、彼らが交流できるのが中心の総合棟にあるカフェテリアと、各委員会や生徒会での仕事のみとなった。
憂璃は家政婦の出入りがなくなってからはお弁当を持参していたので、他のオメガ生徒のように番探しに目をぎらつかせることなく、トラブルに巻き込まれたこともなければ、図書委員の仕事にも影響を受けたこともない。
平穏で安閑とした日常を過ごしていたのだ。
憂璃は藤田にグイグイと腕を引かれながら同じような黒い車の中から壱岐の姿を見つける。
だが──
「ん? あれ、憂璃のとこのお迎えの人だよね。なんか争ってるように見えるけど」
「……うん。そう、見えるよね」
他の迎えの人が囲むように見守る中心で、壱岐が派手な女性に詰め寄られているのを認める。
桃色の髪に水色のミニ丈のスーツを着た女性。下品としかいいようのない格好は、どう考えてもこの学園の関係者でも保護者でもないだろう。
「どうする?」
藤田の問いに困った顔になる。どうする、と言われても、このまま壱岐を無視するわけにはいかない。彼は仕事で憂璃を迎えに来たのだから。
「藤田君、僕ひとりで行くから離して」
「えー、ダメだよ。危ないよ」
「君を巻き込みたくないから。それに、君も怪我したくないでしょ」
やんわりと腕に絡みつく藤田の指を解き、憂璃は大丈夫だと微笑みで応え、ゆっくりと歩き出す。
次第に大きくなるざわめく音の中で、ひときわ甲高い声が春の空に突き抜ける。
「椿さんに会わせろって言ってるの! 彼の口から本音を聞かないと納得できないわ!」
「……納得はしていただかないと。あの方とは最初からそういう契約ではありませんか。今更ああだこうだと言われても……」
契約? と、憂璃は首を傾げる。
椿とあの女性はなにかしらの契約をして、それが終わったのを納得していない感じなのだろうか。
「……壱岐さん」
あんまり目立ちすぎては椿に迷惑がかかる。
「憂璃さん」
「お迎えありがとうございます。帰りたいのですが……こちらは?」
憂璃は赤い瞳をすうと細め、壱岐にすがり付く女性に目を向ける。間近で見ると、派手な格好からそれなりの年齢の女性だと思っていたが、肌は瑞々しく張りがありスーツを纏う肢体も崩れたようすもない。無理やり椿に合わせようとしている子供じゃないか。
しかも人工的な鼻につく香り。フェロモンの匂いも感じないし、彼女はきっとベータだ。
……それでも二十代前半だから、子供とは違うかもしれないが。
「あんたこそ誰よ」
アイラインを太く塗った目を釣り上げてギッと憂璃を睨んでくる。
「お尋ねになる前に名乗ったらいかがです? あと、あなた学園の関係者ではないでしょ。不法侵入として警察に突き出されたくなければ、即刻立ち去ることを推奨いたします」
「……はぁ!? あんたこそ何様よ!」
「ですから、名乗らない者にお教えする名はございません。……お引取りを」
そう憂璃が言うが早いかバタバタと数人の警備員が駆け寄ってくるのを、女性はギョッと瞠目して壱岐を掴む手を離すと、慌てて校門から走り去ってしまった。
おぼえてなさいよ! と三下な捨て台詞を吐いていたが、まさかテンプレートな言葉を聞くとは思わなくて、憂璃はクスリと微笑をこぼす。
「壱岐さん、大丈夫ですか?」
「それはこっちの台詞です。憂璃さんこそお怪我はありませんか?」
「はい、まったく、問題なく」
それは重畳と、壱岐はホッとした吐息を漏らし、野次馬たちに小さく頭を下げる。まさかアルファの男が謝罪するとは思っていなかったベータの運転手たちは、驚いた顔をしたまま蜘蛛の子を散らすように散開していった。
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