あまく、とろけて、開くオメガ

藍沢真啓/庚あき

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椿を纏う白虎

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「駄目だ」

 たっぷり醤油ベースのソースがかかったローストビーフを挟んだオープンサンドは、パンがバゲットのおかげで食べごたえがあり、かつ、ソースを吸って茶色に染まった白い部分は、噛むとジュワリと肉汁と混ざったソースが口に広がり、多幸感に溢れる。
 ミネストローネも色んな野菜から出た旨味で濃厚で芳醇な香りが口いっぱいに満たされる。
 付け合せのポテトとバジルのガーリック炒めもバジルの爽やかさが絶妙で、セロリのピクルスもしっかり漬かってるのに酸っぱくなく、リセットしてくれ、またサンドウィッチに手が伸びてしまう。
 憂璃がよろめく程の量があったブランチもあっという間に無くなった所で、椿に玲司の所で料理を教えてもらっても良いか提案した途端、不機嫌になった椿から発せたれた言葉がその一言だった。

「どうしてですか? 僕は椿さんが玲司さんの味付けが好きなようだから……」
「誰がお前にソレを求めた。玲司は俺のツレだがアルファの男でもあるんだ。商品のお前をむざむざ檻に放り込む真似をする訳ないだろうが」
「っ!」
「これ以上この件で話し合うつもりはない。部屋に戻っておとなしくしていろ」

 壱岐からも反対されると言われてたけど、こんな風に頭ごなしに言うとは思わなかった憂璃は、これ以上詰め寄ることもせず「……分かりました」と消沈した表情で自室に戻っていった。
 ただでさえ小さな背中が更に小さくなって消えていった途端、椿の口から忌々しげな舌打ちが弾ける。

「カシラ、もう少し言い方というのがあるんじゃないですか」
「……分かってる」
「とても分かってるようには見えませんけどね。あなたのために料理を覚えたいだなんて、健気で良い子ではありませんか」
「言われなくても、憂璃が良い子なのも、真面目なのも、俺を慕うが故の発言だとわかっている。だが、大金はたいて買ったアレをどうしようが俺の勝手だろう」
「……本当に憂璃さんをどちらかに転売するおつもりで?」
「何が言いたい」
「いえ、別に。それがあなたの本心なのかを尋ねただけです」
「……ふん」

 これ以上部下である壱岐に咎められるのも不快でしかなく、椿は立ち上がり自室へと足を向ける。

「今日は本家に泊まる。足は天竹に任せるから、憂璃はお前が見てくれ」

 苦々しげに吐き捨てると、今度こそ椿の姿は寝室の中へと消えたのだった。

 壱岐は陽光で反射した主の顔を見て深い溜息を吐く。

「それが本音ではないでしょうに」

 呆れたように呟いた言葉は誰にも届くことなく静かなリビングに溶けていった。


 寝室に入った椿は、室内に残る憂璃の甘く涼しげな香りを感じて一気に熱が引く。
 きっと自分に責められた憂璃は落ち込んでいるだろう。だが、同じくくらい椿ももどかしい気持ちを抱えていた。

 三年前、憂璃の母であるオメガからまっさらなオメガの子供を買ってくれと打診があった。

 関東圏の二大裏名家である玉之浦家と桐龍きりゅう家は、国から委託を受けて北と南の堺にひとつの街を作った。
 それは──春の街。性を売買する淫れた土地だった。
 頑丈で高くそびえる壁に覆われたその場所は、北と南にのみ中に入ることができるゲートがあり、身分証の提示がなければ入ることすら叶わない。
 というのも、その街に入れるのはアルファとオメガだけだからだ。

 今から二十年近く前、現在総理大臣の朱南あけなみが厚生労働大臣をしていた際に、桐龍当主と玉之浦当主──椿の父親になるが、秘密裏に接触ししてきた。番解除をして壊れかけたオメガを救う政策のひとつとして保養所の建設に入ったものの、そこは一定の財産がないと審査すら通らない場所となっており、低所得などのオメガには入居すら難しい。
 シェルターを県の各地に建造したものの、こちらは女性の保護の名目がメインのため、また別の問題──女性アルファと未番女性オメガとの痴情などが少数ではあるものの報告があるようだ。
 それよりも多いのが、番を解消したオメガが自ら命を絶つ報告らしい。
 番を解消されたオメガは、解消されても体に染み込んだ番だったアルファに囚われ続ける。
 新たにアルファと接触すれば体が拒否を示し、それが原因で破局する事例も聞き及んでいた。
 だが放置しておけば、またオメガの自殺の連鎖が止まらない。
 苦肉の策としてオメガのための売春街を作りたい。ゆえに協力を二家に依頼したいのだ、と提案してきたのである。

 事実、昭和初期まで吉原という、オメガがアルファやベータに春を売る店を纏めた地区が存在するのを知っていた。
 しかし、番に捨てられ発狂したオメガが、街に火を放ち未曾有の災害を起こして街ごと消失したのだ。

 桐龍当主も椿の父も、一度番を結んだオメガは、番以外と交わると発狂するというのを知っていた。
 その問題についてはどうするのだ、と問えば、朱南の実妹で寒川家に嫁いだ:薔子(しょうこ)が所有している薬品研究所で、現在研究を進めており、検体実験までフェーズが進行しているとのこと。
 多少のリスクはあるものの、オメガたちを救うにはこれしかないと熱弁を奮われ、それならばと引き受けることにしたそうだ。
 設立から二十年。計画が成功したかどうかは椿には是とも否とも言えなかった。
 何故なら、アルファ自身がオメガを人間として見ていない輩が多いこと。

 確かに下手に愛人を作って無駄金をばら蒔くよりかは、一定の時間を春の街買い欲を満たすのが楽だと耳にする。
 結果、憂璃のような子供が年々増えているのも事実だ。
 アルファに騙され、子供を産み、満たされない体のまま生きていく。そして生まれた子も同じ運命をなぞらえ、負の連鎖を引き継ぐ。
 例え寒川が作った薬をもってしても、完全にオメガの渇望は満たされない。
 それに、特別なだけあって、国が一部免除をしているとはいえ決して安くない代物なのだ。

 椿が憂璃の母親から息子の売買を打診してきた時、大金の使い道について尋ねた。

「この場所で野垂れ死ぬより、保養所にお金を払って権利を買い、生涯そこから出ないで生きていこうと思ってるんだ。それに、ボクが保養所に入ったら憂璃はひとりになるだろ? だから、こんな場所で生きていくよりかは、誰か優しい人に買われた方が幸せになると思うんだよね」

 実子を金で売るというのは道義に反するものの、後ろ盾のないオメガにしては子供の将来を考えてると思った椿は、オメガの男の要求する金額を渡し憂璃を自分の元へと連れて行った。

(本当は、ある程度の体調が整い次第、どこかの家に養子として渡すつもりだったんだがな……)

 椿はサイドテーブルにある煙草の箱から一本を口に咥え火をつける。
 フワリと憂璃の持つ楚々とした匂いがメープルシロップのトロリとした甘さに塗り替えられ、椿は深く溜息を落とす。
 自分の事情で長年この煙草を愛用しているのだが、甘く強い匂いは儚い憂璃の香りフェロモンをかき消してしまう。あの甘く優しい匂いが。

 憂璃に初めての発情期ヒートが訪れて以降、彼は椿の寝室で寝起きを共にしていた。
 最初は理由なく椿と同じ場所で寝ることを固辞していたが、色々と言い訳めいた言葉で説き伏せ、今では毎日同じベッドで寝て、憂璃に起こされる日々だ。

(だけど、流石に次のヒートの時には、寝室を別にしないとな。いや、その時に俺がここに居るか分からないが……)

 突如憂璃を襲ったヒートから数ヶ月経っている。親友の弟で医師である凛からは、いつ次が来てもおかしくないとのこと。
 番う気がないなら、憂璃の幸せを考えて、あの子供を幸せにしてくれる人に託した方がいい、と、やけに辛辣な忠告も一緒に告げられた。

 オメガはヒートになるとうなじからアルファを誘い込むフェロモンを放つ。匂いはさまざまで、花の香りから甘い菓子のような匂いがするのもいる。
 アルファはオメガのフェロモンとの適合性が高ければ高いほど強い反応を示し発情ラット状態となる。こうなったアルファは倫理観や理性などは崩壊し、ただひたすらに目の前のオメガを孕ませ、子孫を残すことばかりに埋め尽くされる。
 その際にうなじに噛み付けば、オメガは噛んだアルファの専属状態となり、他のアルファをフェロモンで誘うことは叶わなくなる。
 情があれば、一般的には噛んだオメガと婚姻を結び家庭を築く。大半のアルファはそこまで非道な存在ではない。
 しかし、一部のアルファ──上昇志向が高く、傲慢で、オメガを性の道具としか見なしてない愚かなアルファが、オメガを食っては捨てを繰り返すのだ。
 そのために春の街が生まれたといっても過言ではない。

 オメガの男の願いを聞き、憂璃を引き取ったものの、椿の心は次第に変化していった。

 引き取った当初は、憂璃の幸せを考えて養子に出すつもりで、裕福で子供のいない番たちを探したのは事実だ。実際憂璃との対面までに至ったのが数回あったものの、無邪気に椿に懐いてくる憂璃の姿にいつしか絆され、椿の中に憂璃を傍に置いておきたい執着が湧き断っていた。
 今にして思えば、古く今にも崩れそうなアパートの一室で、憂璃と対面した時に感じた湧き上がるような感情を素直に認めてしまえば、こんなに拗れなかったかもしれない。

 椿にとって憂璃は『運命の番』だ。

 気づいていたのに、椿は子供に欲情したのを恥じ、その感情に蓋をした。
 こんな極道という立ち位置にいる自分が、あの無垢な子供を囲いたいと願ってはいけない。
 だけど、運命だと分かっているのに手放す気にもなれない。

 壱岐はそんな惑う自分に気づいている。その証拠が、壱岐自身の手で玉霞会のことや裏社会のことを指南していることについてだ。
 椿が本気で憂璃を番にしたいと思った時に憂璃が戸惑わないよう、少しずつ覚悟をつけさせているに違いない。

(優秀な側近がいるというのも、面倒なものだ)

 椿には金も地位もある。
 憂璃自身が望むのであれば番にすることもやぶさかではない。
 しかし、本当に憂璃と番っていいのか、と誰かが囁く。
 あの優しく寂しい少年を、闇社会に引きずり込んでもいいのだろうか。
 白くしなやかな髪に紅玉の瞳を持つ汚れのない憂璃。
 そんな憂璃をドロドロな欲望に汚れた自分の元に置いておいてもいいのだろうか。

「……まさか、十六も下の子供のことで、こんなに悩むとはな……」

 ゆるりとかぶりを振り、煙がくゆる煙草を深く吸う。甘い甘い楓蜜の香りと白い煙の向こうに、引き取ったその日の口元をシロップやパンケーキの欠片で汚したあどけない憂璃の姿が浮かぶ。

 おいしいです、初めて食べました、と輝くような笑顔で話す憂璃。
 あの汚れない子供を大切にしたい。

「……やはり、一度距離を置くしかないのだろうか」

 まだ半分程残る煙草を硝子製の灰皿に押し潰し、腰掛けたベッドから立ち上がると、着ていたTシャツを勢いよく脱ぎ去る。
 鍛えられた広い背中。そこには威嚇する白虎と血に濡れた色をした椿が絶妙なコントラストで肌を彩っていた。

 スーツに着替えを済ませ、壱岐が手配したのだろう。エントランスに居ると天竹から電話が入り、椿は仕事用のタブレットとスマートフォンはプライベートとビジネス用、現在進めている書類を革製のブリーフケースにしまい込むと寝室を後にする。
 リビングには壱岐が直立して佇んでいる。

「憂璃のことを頼む」
「私に頼むくらいなら、カシラが傍で守る方が、あの子は喜びますよ」
「……」
「憂璃さんには、しばらくの間仕事で帰れないとお伝えしておきます。ですが、あの子は敏い子です。遅くとも次の発情期ヒートまでには覚悟を決めてください」
「……分かってる」

 ぶっきらぼうに吐き捨てて椿は壱岐の視線に見送られマンションを出る。

(憂璃……)

 バックミラー越しに小さくなっていくマンションを見つめながら、椿の胸は引き裂かれるような痛みに苦悶した表情となっていた。
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