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禊の対価
第二百七十五話 禊
しおりを挟むカレンとニーナ、それにサリーの下へ駆け寄る。
「サリーさん。終わりました」
「ええ。見ていたわ。ありがとう」
「そんなことより――」
笑顔を返されるその表情からは身体の状態がよくわからないのだが、サリーの血は未だに止まっていない。
「――…………他になにか方法は……」
何かないかと探そうとしたのだが、そこまで言ってハッとなった。
「そうだ。ティア、さっきみたいに龍脈の力を使えばもしかしたら」
あれだけの力、サリーを生み出してもいる龍脈の力を用いれば血を止める、救える可能性がある。
「そりゃあ可能かもしれないけど」
そこまで言って言葉を止めるセレティアナの視線の先にはサリーの物憂げな笑み。
「いいのよ。私はこのまま消えるわ」
「でもっ!」
消えるなどと、ここで命を失うなどと、そんな必要など全く感じない。
確かにシトラスによって造り出された命なのかもしれない。それでもヨハンの知るサリーは一人の人間に他ならなかった。
「よしなさい」
困惑しながら声に出すヨハンの肩をカレンが掴む。
「ヨハン。これはサリーさんの意志よ」
「――カレンさん?」
そのカレンの目尻には涙が浮かんでいた。
「わたしはサリーさんが何を考えているのか、はっきりとわかるわ」
カレンは断言する。
サリナスからサリーに至るまでの記憶の全てを追体験してきたカレンには、サリーの気持ち、そのはっきりとした意志が理解できた。
「うぅッ!」
苦悶の表情を浮かべるニーナを横目に、サリーはカレンを申し訳なさげに見る。
「わたし達はわたし達でやらなければいけないことがあるのよ!」
シトラスを倒したとはいえ、まだ全てが片付いたわけではない。ドミトールに戻ってドグラスやレグルスを相手にこの一件を片付けなければならない。
「ありがとう。カレンさん。ごめんなさいね」
言葉の意味を汲み取ったサリーはカレンに柔らかく笑いかけた。
「これだけのことをしてしまったみたいで。帝国にもひどいことをしてしまったわ。後の事、申し訳ないけどお願いしますね皇女様」
「いいえ。これは皇女としての役割を外れています」
「えっ?」
「いえ、結果的に皇女として、帝国を護るという責務を果たすことに繋がるだけであって、わたしはサリーさんの友としてこれを成し遂げます」
そのままサリーと同じようにした柔らかい笑みを返す。
「ふふふっ。それでいいわ。ありがとう」
「どういたしまして」
その二人の様子を傍目で見ているヨハンには理解できない。どうして二人はこれほどに理解しあっているのかということを。
ニーナに送られていた緑色の光、龍脈の力であるその光が徐々にその輝きを落としていった。
「良かった。間に合ったようね」
ゆっくりと目を開けるニーナ。
「……サリー、さん!」
サリーの手をガシッと掴むニーナの目は動揺と困惑を隠せないでいる。
「あ、あたし、ごめんなさい! サリーさんにとんでもないことしちゃって」
涙を浮かべるニーナはカランと剣を地面に落とした。
ニーナにもこれまでの記憶があり、それはつまり、サリーの身体に剣を刺したことも含まれている。
「それにお兄ちゃんにも」
いくつもの切り傷を負っているヨハンを申し訳なさげにチラリと見た。
「いいよ。ニーナが無事ならそれで」
腰に手を当てながら、ニーナが無事なのだということに安堵する。
「うぅぅぅっ。おにぃちぁゃん」
「ヨハンくんは優しいね」
「まぁ一応兄として、みたいな?」
言葉にすると、若干気恥ずかしかった。ポリポリと頬を掻く。
「妹想いなのね。私には兄弟がいなかったから羨ましいわ。あぁそれとねヨハンくん」
「はい」
「ヨハンくんにどうしても伝えておかなければいけないことがあるの」
「僕に、ですか?」
「ええ」
真剣な眼差しを向けるサリーなのだが、ヨハンには覚えがなかった。
「気を付けて。魔王はもう現世に甦りつつあるわ」
「えっ!?」
どうして今この場で魔王の事を口にするのか。厳密には確かにシトラスの日記の記述の中にも少しだけ魔王に関する事が書かれてはいた。
「私の中に、お父さんの記憶もあるのよ。その中でお父さんに声を掛けたアイツは確かにこう言っていた。『魔王はもうすぐ甦り、世界が混沌の海と化す』って」
「魔王が……でも、どうして僕に?」
魔王に関することは、帝国に来てから一度として口にしていない。なにかきっかけがあればもちろん調べるつもりではあったのだが、それがどうして今ここで耳にすることになるのか。
不安と疑問の眼差しをサリーに向ける。
「ヨハンくんはシグラムの人なのよね?」
「えっ? はい」
「やっぱり。お父さんの記憶の中にきみがいたからそうじゃないかなって」
「それだけが理由ですか?」
「そうだけど。さぁ。どうしてかしらね。でもどうしてかきみには伝えておかなければいけない気がしたのよ」
フッと優しい笑みをサリーはヨハンに向けた。
「さてっと。こんなものかしら」
「あっ!」
サリーを包み込んでいた緑色の光はもういくらも残っていない。徐々に失われていくと、そのまま抱きしめていたニーナの身体からサリーはずるりとその腕を離す。
「サリーさん!」
後ろに倒れるサリーをヨハンが抱き止めた。
「ニーナちゃん。もう大丈夫よね?」
「うんっ!うんっ!ごめんなさいサリーさん!」
涙を流しながらニーナはサリーに顔を近付ける。
「なに言ってるのよ。謝らなければいけないのはこっちの方よ?」
「そんなことないよっ!」
「やっぱりニーナちゃんは優しいのよ。お兄さんのことも本当に好きだしね」
そっとニーナの頬に手を送り、涙を指の腹で拭った。
「サリーさぁんっ!」
胸の上に頭を乗せて泣きじゃくるニーナの頭をぽんぽんと優しく叩くと、サリーはそのままカレンを見る。
「カレンさん」
「はい。なんでしょうか?」
カレンは目尻に涙を浮かべたまま、毅然とした態度を崩さない。
「一つだけわがままを言わせてもらってもいいかしら?」
「どうぞ。一つとは言わず、二つでも三つでも」
「ふふっ。一つでいいわよ」
「そうですか?」
ほんの僅かに頬を緩めるカレンはそのまま少し首を傾ける。
「この農園、後の事をお願いできないかしら? こんなところでも、私が愛情を込めて育てたところなのよねぇ」
広大な土地。今日までのサリーにとって、ここは当たり前の様に父の跡を継いだ気でいる。それがシトラスにとってどういう意味が込められていたのかなどということは今となってはわからない。
「だめかしら?」
「いえ。それぐらい構いませんよ。ここの実りは確かに帝国に寄与するには十分ですから」
「ありがとう。口実なんてなんでもいいわ」
ふぅ、とサリーは小さく息を吐いた。
「さて、これでもう思い残すことはないかな?」
「……サリーさん」
もうサリーの身体はパラパラと朽ち始めている。人間が生命を終えるときのそれとはまた別の終わり方を迎えようとしていた。
「そんな顔しないでヨハンくん。辛いことばかりだった私の人生だけど、それでも最後に君たちに出会えたことは、短かったけど楽しかったし、それに幸運だったと思うのよ」
「そんなこと……」
結果的に、どういう形にせよ自分たちがここに来たことでサリーの命が尽きようとしている。
「あっ!」
そこでサリーは忘れていたかのような声を上げた。
「まだ何かあるかしら? 言いたいことは遠慮なく言っておいてくださいね」
「ええ。ヨハンくんにね」
「僕?」
「ヨハンくん。カレンちゃんのこと、これからもよろしくお願いするわね。この子、結構寂しがり屋みたいなのよね」
「えっ?」
カレンがサリーと同調して記憶の追体験をしたことと同じように、サリーもまたカレンの記憶、全てというわけではないのだがカレンのことを知るのには十分な程に触れている。言葉のやり取りなど必要ない程に。
「なっ!?」
サリーの言葉を聞いたカレンは思わず目を見開く。どういうつもりでサリーが口にしたのか、その意味を即座に理解して。
「はぁ。まぁそれはもちろん」
「約束ね。彼女も、色々と大変そうだから」
「そうですね」
ラウルにしろセレティアナにしろサリーにしろ、どうにもカレンのことをお願いされ過ぎる気がしなくもない。
「(ちょっと気が強いところはあるけど…………)」
それ程に頼りないのだろうかと疑問を抱きながらカレンを見た。
「いや、ちょ、あなたなにをっ!?」
「はぁ。思い残す事ないと思ってたけど、こうなると意外とあるわね。正直どうなるのか見届けたかったわ」
周囲に首を回すサリーは自分と同じ肉体の入った他の容器へと視線を送る。
「でも、本当なら私は既に死んでいた身なのだから、それも贅沢なものよね。償いはきちんと果たさないと」
達観した物言い。どうにもその言い方に引っ掛かりを覚える。
「もしかして、サリーさん……いえ、あなたはサリナスさんですか?」
「…………さぁ、どうかしら?」
まるで子どものいたずら顔のような笑み、笑顔を浮かべたサリーはそのまま最期の言葉を残すと、パラパラとその身を粉のように朽ちていった。中空で緑色の粒子へと変えていく。
「……うっ、うっ、サリーさぁん!」
ニーナはそれを見上げながら大粒の涙を流していた。
「…………」
「ヨハン。感傷に浸りたい気持ちはわかるけど、わたし達にはまだやらなければいけないことがあるのよ?」
毅然とした態度を崩さなかったカレンなのだが、グッと涙を堪える。それでもいくつかの涙は頬を伝いポタポタと地面に落ちていた。
「……はい。わかっています」
まだ終わっていない。
もう一つの問題を片付けなければならない。
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