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バックパッカーの老人と変異体、そして女の子の思い出を思い出す。【3】
しおりを挟む屋敷の西の窓に、もう太陽がオレンジ色に映っていた。
ホールの窓の前に立つ男性はその場で背伸びをしながら、その横に置かれている柱時計に目を向けた。
「もうこんな時間なのか……」
針を見つめる男性はふと、何か忘れていたことを思い出したように眉を上げる。
その足元に、紫色のボールが転がってきた。地下のボールのひとつなのだろうか。
「またスーパーにいってくる。昼間は行けなかったからな」
男性が玄関の扉に向かうと、紫色のボールは親玉に報告しに行くように地下の扉へと転がって行った。
地下のボールの空間では、晴海が周りのボールに触れて遊んでいた。
その様子を見て、巨大なボールは子供の遊びを微笑ましく思う母親のように笑っていた。
「晴海チャンッテ、オ肉ハ嫌イ?」
巨大なボールにたずねられて、晴海はキョトンとした表情を見せた。
「ホラ、唐揚ゲ、残シチャッタデショ?」
その説明に晴海は納得したように口を開け、少し複雑そうな表情で床に目線を向けた。
「……お肉って、生き物の体なんでしょ? だから……思い出しちゃって……」
晴海の言葉に納得したのか、巨大なボールはうなずくように上下に弾んだ。
「ソノカワリ、野菜ハ好キナンデショ」
話題を変えるような言葉に、晴海の表情も180度変わった。
「うん! お母さんの野菜、とってもおいしいの」
「モシカシテ、畑ガアッタノ?」
「……どうだったかな。あまり覚えてないや」
首をかしげる晴海に、巨大なボールは大きく膨らみ、元の大きさに戻った。まるで、もっとも聞きたかったことをたずねる準備をするために深呼吸するように。
「ネエ、モウ家ニハ戻リタクナイノ?」
晴海はまた複雑そうな表情をした。しかし、その表情には話したくないという心境は感じられず、どこか力は抜いているようにも見えた。
「おうち帰ったって……つらいことしかない。お母さんのことを思い出しちゃう」
「家族ヤオ友達トカ、待ッテイルンジャナイノ?」
「お母さんのことと、あたしの名前以外、全然覚えてない。どこに家があったのかも、全然わからない」
晴海はその勢いに乗せながらも、一度だけ口を閉じ、ためた。
「ねえ、どうして変異体は殺されないといけないの? ただ怖いだけで、殺されないといけないの?」
「……人ソレゾレ、ダネエ」
「人……それぞれ……?」
「エエ。変異体ヲ嫌ウ人モイルケド、サッキノオジサンヤ晴海チャンノヨウニ、変異体ガ大好キナ人モイルデショ」
「でも、変異体が大嫌いな人の方がいっぱいいるよ」
「ソレハネ、ミンナト考エガ一緒ノホウガ、安心スルカラナノヨ。デモネ、自分ノ考エヲ壊シテマデミンナニ合ワセルト、違ウ考エノ人ガ怖ク思ッチャウノヨ」
「……」
まだ幼い子供では難しいのか、晴海は理解できないように首をかしげていた。
「マア、イツカハキット分カルト思ウワ。ソレモ、自分ノ考エヲ大切ニシタママニネ」
ボールの言葉を聞いて、晴海は何かを考えるようにまぶたを閉じた。
「ねえ、変異体が殺されないといけない理由……それがわかったら、またここに来ていい?」
「……アラ、私ト一緒ニ居タイッテ、思ッテイルンジャナイノ?」
「うん。さっきそう思ったけど……でも、ここにずっといたら、今度はおばさんが誰かに見つかりそうだから」
「ダカラ、ソノ答エヲ知ッテカラ会イニクルノネ」
晴海は静かにうなずいて、巨大なボールを見上げた。
その顔は、母親の顔を見上げているような、純粋な笑顔だった。
「――輩」
「――先輩」
「――み先輩」
「晴海先輩!」
誰かの声に、車の運転席に座っていた女性は目を覚ました。
女性は少し寝ぼけた様子で車内を見渡す。
「晴海先輩、今日中に依頼主の所に行かないと。変異体による被害も大きくなっているらしいですし」
女性の隣には、太めの男性が座っていた。ショートヘアーに、太った体形によく似合う青いパーカーを着ている。
「あ……うん……わかってるよお……」
晴海は大きなあくびをしながら、扉に手をかける。
「でも……今すぐに運転するのは危ないから……目を覚ましにいくよう」
ココアカラーの車から降りたロングヘアーの女性は、20代後半に見えた。
薄着のヘソ出しルック、ショートパンツにレースアップ・シューズ。大きなハンドバッグを腕にかけるその女性は、もはや子供の姿が想像することを忘れてしまうほど、スタイルが素晴らしかった。
女性は目をこすりながら、駐車場に設置された自販機に小銭を入れる。
その後ろから、太めの男性が追いかけてきた。
「そういえば、俺が警察にいたころの先輩から聞いたことがあるんですけど……晴海先輩って、親戚の叔父さんのところに住んでいたんですよね?」
自販機のラインアップを確認しながらたずねる太めの男性に対して、女性はうっとうしいようにため息をつきながら取り出し口に手を伸ばす。
「そのことを言っていた先輩の名前、覚えていますかあ? あたしの知っている名前なら、時間が空いた時に会いに行くからあ」
「あ……すみません、忘れてください」
余計なことを聞いてしまったと言わんばかりに、男性は先ほどの言葉を慌てて取り消した。
女性は手にしたエナジードリンクの中身を飲み干した後、肩の力を抜いた。
「……ちょっと家出をしたことがあって、その時に家の帰り方を忘れてしまったんだよねえ。たまたまある家に泊まらせてもらっていたら、親戚の叔父さんが迎えに来てくれた。泊まらせてもらっていた家の主人は叔父さんの上司だったから、特にややこしいことにはならなかったみたいだけどねえ」
「?」
太めの男性の口は、ビー玉の形をしていた。
「でも、実家には帰れなかった。後から思い出したけど、あたしの実家を知っている人はほとんどいなかったんだっけ……」
「……せ、先輩?」
女性は戸惑う太めの男性の声を聞いて、彼が話を理解していないことに気づいた。
「“大森”さんが聞いてきたんじゃないのお?」
「い、いや、俺なんとなく聞いただけなんですけど。それなのにいきなり家出したとかわからないこと言い出して……」
「……確かに、聞かれてもないのにベラベラとしゃべっちゃったねえ。懐かしい夢を見た後は、どうも口が軽くなるんだよねえ」
手に持つエナジードリンクを上から見て、丸の形であることを確かめる。
「あ……それじゃあ、その泊まらせてもらったっていう家は、どんな家だったんですか?」
そして空に浮かぶ丸い太陽を見上げ、女性は大きく深呼吸した。
「もう目が覚めたから、夢の昔話はもう終わりだよお」
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