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1章 魔法少女とは出逢わない
1章27 深き宵深く酔い浅き眠り朝は来ない ②
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――バタンと、大きな音を立てて扉が開かれ、パタパタと慌ただしくも軽い足音を鳴らしながら屋内へ駆けこむ。
「ただいまーーっ!」
自宅へと帰ってきた水無瀬 愛苗は玄関から廊下の向こうへと元気いっぱいに帰宅を報せるごあいさつをした。
間もなくしてパタパタとスリッパの踵が床を叩く音とともに奥の部屋から女性が現れる。
「おかえりなさい、愛苗。遅かったわねー」
「うん、こんな時間になっちゃってゴメンなさいお母さん」
そう言ってペコリと頭を下げる娘に「あらあら」と困ったように笑いながら玄関まで迎えに来たのは水無瀬の母親だ。
娘の愛苗とよく似た栗色の髪を緩くまとめている、おっとりとした雰囲気の女性だ。
「ちゃんと買えたかしら?」
「うんっ! ほら!」
「あらあら、よかったわねぇ」
時刻は20時前後、休日とはいえ高校生としては大分遅い時間に帰宅した娘を特に咎めることもなく、戦利品を見せびらかすように手荷物を前に掲げる姿に「あらあらうふふ」と嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「すぐにご飯たべる? それとも先にお風呂かしら?」
「えっとね……、おなかすいた!」
「うふふ、それじゃあ手を洗ってお父さんを呼んできてくれるかしら?」
「えっ? もしかしてご飯待っててくれたの?」
「そうなの。愛苗と一緒にたべたいって聞かなくって……」
「わわわ……っ! 大変だぁ。ごめんなさーいっ」
「ほら、荷物持っててあげる。お父さんはお店の方にいるからお願いね?」
「うんっ。ありがとう」
買い物袋を母親へ手渡し玄関框に腰掛けてスニーカーを脱ぐ。
それから脱いだ靴を綺麗に揃え直して「うんうん」と満足げに頷くと、ネコさんスリッパに足を通してパタパタと奥へ駆けていく。
「あらあら。慌てなくていいのよー?」
慌ただしく走っていく娘の背を見送っていると「んなーぉ」と鳴き声がかかる。
「あら。メロちゃんもおかえりなさい」
にこやかに足元に声を返した。
一緒に帰宅していた黒猫は玄関の床にゴロリと寝転がると自分を見下ろす水無瀬母へと四本足を突き出した。
勝手知ったるとばかりに母親は雑巾を取り出しメロの足裏を拭き始める。
「メロちゃんは本当にお利口さんねぇ」
「ぅなぁー」
「うふふ。お父さんに内緒で残しておいたお刺身あげるわね?」
口元に手を寄せ飼い猫へと内緒話をする。
そうしてうにゃうにゃと喜びの声をあげる猫を抱き上げキッチンへと戻っていった。
水無瀬家は自営業で『amore fiore』という花屋を営んでいる。
娘の愛苗の高校進学に合わせて学校に徒歩で通える距離の新興住宅地にて開業した形で、元々はこの美景市の出身ではない。
自宅と店舗は一体となっており、1階は店舗スペースとダイニングキッチンやリビングに風呂などがあり、2階が寝室となっている。
居住スペースと店舗には特に大袈裟な区切りなどはなく、扉ひとつで隔てているだけだ。
愛苗はその扉を開け放つ。
「お父さんゴメンなさーい!」
「おや、おかえり愛苗」
店舗スペースに入るとすぐ目に付く場所で作業をしていた父親が顔をあげる。
柔らかい笑みを浮かべる眼鏡をかけた優しげな男性だ。
「あっ……! ただいまっ。遅くなっちゃってごめんね?」
「いいんだよ。ちょうどやりたい作業があったからさ」
「そうなんだ。私お手伝いするね!」
「大丈夫。今終わったところだよ。それよりご飯なんじゃないのかな?」
「わわわ……っ! そうだった。待っててくれてありがとう。えへへー、一緒に行こう?」
ニコッと笑みを浮かべて父親の手を引き歩き出す。
高校生となった今でも大分距離の近い親子のようで、そのまま手を繋いで母親の待つダイニングへと向かう。
「あらあら仲良しねー」
「うんっ! お母さんも手つなごー」
「うふふ、いいわね。でもね、その前に愛苗には、はいこれ」
「あっ」
「先にお部屋に荷物置いてきなさい? 大事なものでしょ?」
「そうだったぁ! あっ――でも、ちょっと待ってね……」
母親へ預けていた荷物を受け取りすぐにその場にしゃがみこんで紙袋をゴソゴソとあさる。
そして取り出した物を父親と母親にそれぞれ差し出した。
「はい、これっ。あのね、お父さんとお母さんにもプレゼント買ってきたの!」
「おや」
「まぁ」
二人は驚いたように目を丸くしてそれを受け取る。
「お、お小遣いは大丈夫なのかい? 追加であげようか……?」
「もう、お父さんったら……。まずは愛苗にありがとう、でしょ?」
「えへへ。セールになってた物なんだけど、お父さんにはネクタイでお母さんにはハンカチにしたの」
「ありがとう愛苗。嬉しいよ」
「大切に使うわね。ありがとう愛苗」
慈しむ目で娘へと感謝を伝える。
父親は普段カジュアルスタイルでエプロンを着けて仕事をしているので、冠婚葬祭の時くらいしかネクタイなどは使わないのだが、そんなことはおくびにも出さずに心から喜び娘の頭を撫でる。
通常、高校生くらいの年頃の娘はそんなことをされれば髪型の崩れを気にしたり、父親とはいえ性別の違いから嫌がるケースも多い。
しかし、水無瀬家ではこれが日常の風景であり、愛苗も少し擽ったそうにするだけで嫌悪など欠片もなく、両親が喜んでくれたことを心から嬉しく思っていた。
「じゃあ、私お片付けしてくるねっ」
満面の笑みを浮かべてパタパタと階段を上がって自室へと向かっていく。
穏やかな笑顔でそれを見送っていた夫婦だったが、ふと呟くように父親が言葉を漏らした。
「……あの愛苗が恋だなんて……」
「うふふ。さみしい?」
隣に立つ母親は少しイタズラげに夫の顔を覗く。
「うぅーん、もちろんそんな気持ちもあるんだけど、嬉しい気持ちの方が大きいかなぁ……。ちゃんと普通の女の子みたいになってくれて」
染み入るようなその言葉を受けて、ふと母親の表情に陰が差す。
「……本当はこんな時間まで出歩いてること、叱らなきゃいけないんだけど……。最近学校の帰りも遅くなってるし」
「……そうだね。でも、それよりも。元気に外で遊べるようになってることに嬉しくなっちゃうなんて……。ダメだなぁ、ボクたち」
「うふふ、そうね。あの子なら悪いことしたりとかは大丈夫だと思うけど……、危ないこともあるかもしれないし」
「もしもあまり続くようならボクから言うよ。父親だからね……嫌われたり、しないよね……?」
「大丈夫よ。あの子が誰かを嫌ったりなんてあるわけないわ」
「そうだよね。でも、本当に元気に育ってくれてよかった……」
「えぇ……」
どちらからともなく、気持ちを擦り合わせるようにキュッと手を握り合う。
すると足元からも同調するように「んなぁー」と細い鳴き声があがり、スリスリと母親の足に身体を擦り寄せられた。
「あら、悲しそうに鳴いて。おなかすいて我慢できなくなっちゃったの? ごめんなさいねメロちゃん」
空気を切り替えるように「うふふ」と笑いながら母親はメロを抱き上げてキッチンへと連れて行く。
「……そうだよな。辛いことも苦しいことも、もう乗り越えたんだ。こらからはたくさんの幸せだけがあるはずだ。いつまでも引きずってちゃいけない……」
一人その場に残った父親は不安や陰鬱さを吐き出す為にか、重く一つ溜息を吐いた。
その姿を、母親に抱かれて連れて行かれる黒猫が耳をヘナっと伏せながら見ていた。
はぁ――
自身の心情を示唆する為だけにそうしていることを隠そうともしない――そんな露骨な女の溜め息が大して広くもない個室内に響く。
(しつこいな。いつまでやってんだ)
つい浮かんでしまったそんな感想はおくびにも出さず、弥堂も弥堂でその溜息を露骨に無視してスマホを操作する。
今しがた新たにできた『お友達』の連絡先などの個人情報を共有すべく関係各所に送信してバラまいた。
自分自身はディスプレイに表示された番号を登録はせずに、ジッと視て記録する。
すると、また重い溜め息が聴こえる。
当然弥堂は無視をした。
スマホを仕舞い、床に散乱した物を拾っていく。
これらは今回の会談の為にと弥堂が用意してきたプレゼン資料だ。
床に放られているので、これらは投げ捨てられ取引は破談になったかのようにも見えるがそんなことはない。
これらの資料はとても役に立ったし取引も無事に成立をした。
なので、これらの資料は一旦は用済みということになるのだが、何かの機会に再び必要になることもあるかもしれないし、一応はこれらを決して外部には流出はさせないという約束にもなったため、こうしてわざわざ回収をしているのだ。
自身の横顔に照射されるジトっとした視線を無視しながら弥堂は黙々と裸で絡み合う男女が写った写真を拾い集める。
適当に周囲に目線を振り、拾い溢しがないかを形だけ確認して立ち上がった。
それからようやく口を開く。
「さて、やるべきことは済んだ。おかげで助かったぞ。ご苦労だったな。協力感謝する。また何かあれば頼むこともあるだろう。では、俺はこれで――」
「――待ちなさい」
流れでいけばこのまま帰れるかもしれないと弥堂はとりあえずチャレンジしてみたが、当然呼び止められる。
こういった場合、『自分は当然のことをしている。何もおかしなことなどない』という態度を貫くことが肝要だ。
そのことを意識しながら弥堂は女の方へようやく顏を向けた。
そこに居るのはソファーに座った半分ドレス姿の女。
スタイリストによって綺麗に盛られて巻かれた明るい色の髪。
暗い場所でもはっきりと映えるメイク。
素体の方も頭の天辺から足の先まで惜しみなく時間と金をかけて手入れを行き届かせていることがわかる。
そんな女が、高級感のある革張りのソファーに腰を下ろし優雅に足を組みながら、こちらへ厳しい眼差しを向けていた。
「なにか用か?」
素っ気のない弥堂の返事に、女の瞼がピクと震える。
その動きで瞼に豪奢に貼り付けて増殖させた睫毛が一層際立ち目に付いたので、なんとなくそこに視点を合わせて彼女の目を見ているフリをする。
「なにか――ですって……? まさかなにもないだなんて思ってないわよね?」
「もちろんだ」
弥堂は即答で意を得たりと厳かに頷く。
もちろん、彼女が何を言いたいのかは弥堂にはまるでわかっていない。
しかし、この手の自分の意図を男に言わせていちいち正解・不正解を言い渡してくるような女は、もしも最初にわからないと伝えた場合、『どうして私の気持ちをわかってくれないの』などとイチャモンをつけてくるのだ。
なので弥堂はこういった場合はとりあえず『わかる』と答えるようにしている。
当然、後でそのことがバレて余計に怒られることになるケースが多いのだが、運よく正解を引くことが出来れば事無きを得られることもある。
どうせ怒られるならと、そのワンチャンを引き当てる僅かな可能性を少しでも未来へと繋ごうとしても損はないと、弥堂はそのように考えていた。
「言ってみなさい」
「断る」
「はぁ?」
即答で言及することを断る弥堂へ向ける不機嫌そうな女の視線がより険しいものに変わる。
「なんで?」
「要はアンタがなにに怒っているのかという話だろ?」
「そうよ。それを言ってみなさい」
「その必要はない」
「私が言えと言っているの。正誤次第で許してあげるかどうかを決めるわ」
「意味がないな。俺はそれをわかっている。アンタも当然わかっている。自分のことだからな。お互いにわかっているとわかっていることをわざわざ話し合う必要などない。時間の無駄だ。とっとと俺を許せ」
「…………」
今まで無視してたくせに急に言葉数多く捲し立ててきた男を女は無言でジッと見た。
弥堂もその視線を受けながら眼を逸らさずに彼女の姿を目に映し続ける。
あともう一回突っ込まれたらこれ以上は返す言葉の持ち合わせがないのだが、だからこそ正々堂々とハッタリと強気な態度でゴリ押すべきだと、そう判断をしたからだ。
数秒見つめ合い、やがて女の方が諦めたように肩を落として溜め息を吐く。
「……もういいわ」
「そうか。俺も言い過ぎた。悪かったな。では――」
「――待ちなさい」
1秒でも早くこの場を辞そうとした弥堂だったが、先程と同じように呼び止められ女からジト目を向けられた。
「行っていいなんて言ってないわ」
「なにか用か」
「……それじゃあ繰り返しになっちゃうでしょう?」
言いながら女は胸の下で腕を組み、ソファーの背もたれに気怠げに体重を預ける。
「相変わらずなんだから。いいわ。ちょっと時間をあげます。キミがここに入って来た時のことをよく思い出してみなさい」
「…………」
呆れたような言葉と共に女が肩を竦めると、胸の下で組んだ腕に持ち上げられ乳房が形を変える。
その様子を視界に映しながら、どうも彼女には逃がしてくれるつもりは毛頭ないようだと弥堂も諦めた。
「……返事は?」
「わかったよ。華蓮さん」
彼女には世話になっていることだし、思い出せと言われればそれくらいのことはしてやってもいいかと、彼女の指定通り先程この部屋のドアを蹴破って突入した時の記憶を記録の中から取り出して見る――
「ただいまーーっ!」
自宅へと帰ってきた水無瀬 愛苗は玄関から廊下の向こうへと元気いっぱいに帰宅を報せるごあいさつをした。
間もなくしてパタパタとスリッパの踵が床を叩く音とともに奥の部屋から女性が現れる。
「おかえりなさい、愛苗。遅かったわねー」
「うん、こんな時間になっちゃってゴメンなさいお母さん」
そう言ってペコリと頭を下げる娘に「あらあら」と困ったように笑いながら玄関まで迎えに来たのは水無瀬の母親だ。
娘の愛苗とよく似た栗色の髪を緩くまとめている、おっとりとした雰囲気の女性だ。
「ちゃんと買えたかしら?」
「うんっ! ほら!」
「あらあら、よかったわねぇ」
時刻は20時前後、休日とはいえ高校生としては大分遅い時間に帰宅した娘を特に咎めることもなく、戦利品を見せびらかすように手荷物を前に掲げる姿に「あらあらうふふ」と嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「すぐにご飯たべる? それとも先にお風呂かしら?」
「えっとね……、おなかすいた!」
「うふふ、それじゃあ手を洗ってお父さんを呼んできてくれるかしら?」
「えっ? もしかしてご飯待っててくれたの?」
「そうなの。愛苗と一緒にたべたいって聞かなくって……」
「わわわ……っ! 大変だぁ。ごめんなさーいっ」
「ほら、荷物持っててあげる。お父さんはお店の方にいるからお願いね?」
「うんっ。ありがとう」
買い物袋を母親へ手渡し玄関框に腰掛けてスニーカーを脱ぐ。
それから脱いだ靴を綺麗に揃え直して「うんうん」と満足げに頷くと、ネコさんスリッパに足を通してパタパタと奥へ駆けていく。
「あらあら。慌てなくていいのよー?」
慌ただしく走っていく娘の背を見送っていると「んなーぉ」と鳴き声がかかる。
「あら。メロちゃんもおかえりなさい」
にこやかに足元に声を返した。
一緒に帰宅していた黒猫は玄関の床にゴロリと寝転がると自分を見下ろす水無瀬母へと四本足を突き出した。
勝手知ったるとばかりに母親は雑巾を取り出しメロの足裏を拭き始める。
「メロちゃんは本当にお利口さんねぇ」
「ぅなぁー」
「うふふ。お父さんに内緒で残しておいたお刺身あげるわね?」
口元に手を寄せ飼い猫へと内緒話をする。
そうしてうにゃうにゃと喜びの声をあげる猫を抱き上げキッチンへと戻っていった。
水無瀬家は自営業で『amore fiore』という花屋を営んでいる。
娘の愛苗の高校進学に合わせて学校に徒歩で通える距離の新興住宅地にて開業した形で、元々はこの美景市の出身ではない。
自宅と店舗は一体となっており、1階は店舗スペースとダイニングキッチンやリビングに風呂などがあり、2階が寝室となっている。
居住スペースと店舗には特に大袈裟な区切りなどはなく、扉ひとつで隔てているだけだ。
愛苗はその扉を開け放つ。
「お父さんゴメンなさーい!」
「おや、おかえり愛苗」
店舗スペースに入るとすぐ目に付く場所で作業をしていた父親が顔をあげる。
柔らかい笑みを浮かべる眼鏡をかけた優しげな男性だ。
「あっ……! ただいまっ。遅くなっちゃってごめんね?」
「いいんだよ。ちょうどやりたい作業があったからさ」
「そうなんだ。私お手伝いするね!」
「大丈夫。今終わったところだよ。それよりご飯なんじゃないのかな?」
「わわわ……っ! そうだった。待っててくれてありがとう。えへへー、一緒に行こう?」
ニコッと笑みを浮かべて父親の手を引き歩き出す。
高校生となった今でも大分距離の近い親子のようで、そのまま手を繋いで母親の待つダイニングへと向かう。
「あらあら仲良しねー」
「うんっ! お母さんも手つなごー」
「うふふ、いいわね。でもね、その前に愛苗には、はいこれ」
「あっ」
「先にお部屋に荷物置いてきなさい? 大事なものでしょ?」
「そうだったぁ! あっ――でも、ちょっと待ってね……」
母親へ預けていた荷物を受け取りすぐにその場にしゃがみこんで紙袋をゴソゴソとあさる。
そして取り出した物を父親と母親にそれぞれ差し出した。
「はい、これっ。あのね、お父さんとお母さんにもプレゼント買ってきたの!」
「おや」
「まぁ」
二人は驚いたように目を丸くしてそれを受け取る。
「お、お小遣いは大丈夫なのかい? 追加であげようか……?」
「もう、お父さんったら……。まずは愛苗にありがとう、でしょ?」
「えへへ。セールになってた物なんだけど、お父さんにはネクタイでお母さんにはハンカチにしたの」
「ありがとう愛苗。嬉しいよ」
「大切に使うわね。ありがとう愛苗」
慈しむ目で娘へと感謝を伝える。
父親は普段カジュアルスタイルでエプロンを着けて仕事をしているので、冠婚葬祭の時くらいしかネクタイなどは使わないのだが、そんなことはおくびにも出さずに心から喜び娘の頭を撫でる。
通常、高校生くらいの年頃の娘はそんなことをされれば髪型の崩れを気にしたり、父親とはいえ性別の違いから嫌がるケースも多い。
しかし、水無瀬家ではこれが日常の風景であり、愛苗も少し擽ったそうにするだけで嫌悪など欠片もなく、両親が喜んでくれたことを心から嬉しく思っていた。
「じゃあ、私お片付けしてくるねっ」
満面の笑みを浮かべてパタパタと階段を上がって自室へと向かっていく。
穏やかな笑顔でそれを見送っていた夫婦だったが、ふと呟くように父親が言葉を漏らした。
「……あの愛苗が恋だなんて……」
「うふふ。さみしい?」
隣に立つ母親は少しイタズラげに夫の顔を覗く。
「うぅーん、もちろんそんな気持ちもあるんだけど、嬉しい気持ちの方が大きいかなぁ……。ちゃんと普通の女の子みたいになってくれて」
染み入るようなその言葉を受けて、ふと母親の表情に陰が差す。
「……本当はこんな時間まで出歩いてること、叱らなきゃいけないんだけど……。最近学校の帰りも遅くなってるし」
「……そうだね。でも、それよりも。元気に外で遊べるようになってることに嬉しくなっちゃうなんて……。ダメだなぁ、ボクたち」
「うふふ、そうね。あの子なら悪いことしたりとかは大丈夫だと思うけど……、危ないこともあるかもしれないし」
「もしもあまり続くようならボクから言うよ。父親だからね……嫌われたり、しないよね……?」
「大丈夫よ。あの子が誰かを嫌ったりなんてあるわけないわ」
「そうだよね。でも、本当に元気に育ってくれてよかった……」
「えぇ……」
どちらからともなく、気持ちを擦り合わせるようにキュッと手を握り合う。
すると足元からも同調するように「んなぁー」と細い鳴き声があがり、スリスリと母親の足に身体を擦り寄せられた。
「あら、悲しそうに鳴いて。おなかすいて我慢できなくなっちゃったの? ごめんなさいねメロちゃん」
空気を切り替えるように「うふふ」と笑いながら母親はメロを抱き上げてキッチンへと連れて行く。
「……そうだよな。辛いことも苦しいことも、もう乗り越えたんだ。こらからはたくさんの幸せだけがあるはずだ。いつまでも引きずってちゃいけない……」
一人その場に残った父親は不安や陰鬱さを吐き出す為にか、重く一つ溜息を吐いた。
その姿を、母親に抱かれて連れて行かれる黒猫が耳をヘナっと伏せながら見ていた。
はぁ――
自身の心情を示唆する為だけにそうしていることを隠そうともしない――そんな露骨な女の溜め息が大して広くもない個室内に響く。
(しつこいな。いつまでやってんだ)
つい浮かんでしまったそんな感想はおくびにも出さず、弥堂も弥堂でその溜息を露骨に無視してスマホを操作する。
今しがた新たにできた『お友達』の連絡先などの個人情報を共有すべく関係各所に送信してバラまいた。
自分自身はディスプレイに表示された番号を登録はせずに、ジッと視て記録する。
すると、また重い溜め息が聴こえる。
当然弥堂は無視をした。
スマホを仕舞い、床に散乱した物を拾っていく。
これらは今回の会談の為にと弥堂が用意してきたプレゼン資料だ。
床に放られているので、これらは投げ捨てられ取引は破談になったかのようにも見えるがそんなことはない。
これらの資料はとても役に立ったし取引も無事に成立をした。
なので、これらの資料は一旦は用済みということになるのだが、何かの機会に再び必要になることもあるかもしれないし、一応はこれらを決して外部には流出はさせないという約束にもなったため、こうしてわざわざ回収をしているのだ。
自身の横顔に照射されるジトっとした視線を無視しながら弥堂は黙々と裸で絡み合う男女が写った写真を拾い集める。
適当に周囲に目線を振り、拾い溢しがないかを形だけ確認して立ち上がった。
それからようやく口を開く。
「さて、やるべきことは済んだ。おかげで助かったぞ。ご苦労だったな。協力感謝する。また何かあれば頼むこともあるだろう。では、俺はこれで――」
「――待ちなさい」
流れでいけばこのまま帰れるかもしれないと弥堂はとりあえずチャレンジしてみたが、当然呼び止められる。
こういった場合、『自分は当然のことをしている。何もおかしなことなどない』という態度を貫くことが肝要だ。
そのことを意識しながら弥堂は女の方へようやく顏を向けた。
そこに居るのはソファーに座った半分ドレス姿の女。
スタイリストによって綺麗に盛られて巻かれた明るい色の髪。
暗い場所でもはっきりと映えるメイク。
素体の方も頭の天辺から足の先まで惜しみなく時間と金をかけて手入れを行き届かせていることがわかる。
そんな女が、高級感のある革張りのソファーに腰を下ろし優雅に足を組みながら、こちらへ厳しい眼差しを向けていた。
「なにか用か?」
素っ気のない弥堂の返事に、女の瞼がピクと震える。
その動きで瞼に豪奢に貼り付けて増殖させた睫毛が一層際立ち目に付いたので、なんとなくそこに視点を合わせて彼女の目を見ているフリをする。
「なにか――ですって……? まさかなにもないだなんて思ってないわよね?」
「もちろんだ」
弥堂は即答で意を得たりと厳かに頷く。
もちろん、彼女が何を言いたいのかは弥堂にはまるでわかっていない。
しかし、この手の自分の意図を男に言わせていちいち正解・不正解を言い渡してくるような女は、もしも最初にわからないと伝えた場合、『どうして私の気持ちをわかってくれないの』などとイチャモンをつけてくるのだ。
なので弥堂はこういった場合はとりあえず『わかる』と答えるようにしている。
当然、後でそのことがバレて余計に怒られることになるケースが多いのだが、運よく正解を引くことが出来れば事無きを得られることもある。
どうせ怒られるならと、そのワンチャンを引き当てる僅かな可能性を少しでも未来へと繋ごうとしても損はないと、弥堂はそのように考えていた。
「言ってみなさい」
「断る」
「はぁ?」
即答で言及することを断る弥堂へ向ける不機嫌そうな女の視線がより険しいものに変わる。
「なんで?」
「要はアンタがなにに怒っているのかという話だろ?」
「そうよ。それを言ってみなさい」
「その必要はない」
「私が言えと言っているの。正誤次第で許してあげるかどうかを決めるわ」
「意味がないな。俺はそれをわかっている。アンタも当然わかっている。自分のことだからな。お互いにわかっているとわかっていることをわざわざ話し合う必要などない。時間の無駄だ。とっとと俺を許せ」
「…………」
今まで無視してたくせに急に言葉数多く捲し立ててきた男を女は無言でジッと見た。
弥堂もその視線を受けながら眼を逸らさずに彼女の姿を目に映し続ける。
あともう一回突っ込まれたらこれ以上は返す言葉の持ち合わせがないのだが、だからこそ正々堂々とハッタリと強気な態度でゴリ押すべきだと、そう判断をしたからだ。
数秒見つめ合い、やがて女の方が諦めたように肩を落として溜め息を吐く。
「……もういいわ」
「そうか。俺も言い過ぎた。悪かったな。では――」
「――待ちなさい」
1秒でも早くこの場を辞そうとした弥堂だったが、先程と同じように呼び止められ女からジト目を向けられた。
「行っていいなんて言ってないわ」
「なにか用か」
「……それじゃあ繰り返しになっちゃうでしょう?」
言いながら女は胸の下で腕を組み、ソファーの背もたれに気怠げに体重を預ける。
「相変わらずなんだから。いいわ。ちょっと時間をあげます。キミがここに入って来た時のことをよく思い出してみなさい」
「…………」
呆れたような言葉と共に女が肩を竦めると、胸の下で組んだ腕に持ち上げられ乳房が形を変える。
その様子を視界に映しながら、どうも彼女には逃がしてくれるつもりは毛頭ないようだと弥堂も諦めた。
「……返事は?」
「わかったよ。華蓮さん」
彼女には世話になっていることだし、思い出せと言われればそれくらいのことはしてやってもいいかと、彼女の指定通り先程この部屋のドアを蹴破って突入した時の記憶を記録の中から取り出して見る――
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青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
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