いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう

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取引

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 ああ、どうしよう…。

『すみませんっ散らかってて。あ、どうぞ座ってください』

『押し掛けたわけだからな、気にすんな。

 なんだ。飯食ってたのか。気にせず食えよ』

 食えるか!!

 取り敢えず来客用のガラスコップを出し、麦茶を注ごうとしてからふと気がつく。お盆に麦茶と…未開封のお茶のペットボトルを置いてから椅子に座った男の前に出す。

『あ、の…麦茶、お嫌いでしたらペットボトル…』

 流石に警戒するかと思ってペットボトルの方も出してみたが、男は少し意外そうに目を見開いてからお盆を抱える俺を見る。

『っ、ふはっ…! おま、オレが何者かわかってんだろ? そんな奴にあんま気ィ効かせるな。ったく、調子の狂うガキだ。

 有り難くこっちを貰うぜ。ほら、お前も早く座りな』

 意外にも麦茶を選択した男、刃斬。手早く残りのサンドイッチを食べてから牛乳を飲むと頃合いを見てから話が始まる。

 というか、単刀直入に切り込まれた。

『お前。昨日あそこにいたな?』

『むぐっ』

 思わず牛乳が変な方に流れた。げほげほと咳をしつつ、どうせ嘘をついたところで酷い目に遭うとわかっているので頷いて肯定する。

『ウチの連中が近くを張ってたからな。後は防犯カメラなんかの映像だ。まぁ、得心はいくな。毎日家のモンがあんな感じで帰れば気にもなるだろ。

 で、だ。問題はここからよ』

 遂にか…。

 死刑宣告を告げられるような気分で刃斬の言葉の続きを待つ。男は両手を組むと真剣そうな面持ちでこう切り出した。

『上位アルファを見なかったか?』

 …ほ?
 
 ポカン、とした俺とは違い刃斬は苦虫を潰したような顔で話を続ける。

『部下が見たのも防犯カメラに映ってたのも、お前だけだ。邪魔しやがったアルファの野郎はどこにもいねぇ。アルファってのはそういう奴なんだよ、抜かりねぇ野郎だ…おちょくってやがる』

 まさか貴方の目の前にいるのが、お探しの上位アルファですよ~…なんて言えるはずもない。

 そっか、まぁ…そうだよな。どう見たってベータの俺が上位アルファに変身できる! なんて…想像する奴の方が変だ。

『で? どうだ』

『見て、ないです…。俺もあの時は中が一気に騒がしくなったから慌てて逃げちゃって。ベータだからあんまりよくわからなかったんですけど、あそこは…なんか最初から凄い色んな力? みたいなのが混ざってて、よくわかんなくて…』

 道理で人がいなかったわけだ。あんな風にアルファが威嚇フェロモンを出す場所、正気でいられるわけがない。

 申し訳なさそうな顔をしていれば、男が椅子から立ち上がる気配がした。

『そうか。ならお前のいた範囲外に奴がいたわけか…、よし。助かったぜ宋平』

 ビシッとスーツを着た男が玄関へ向かう背中に、震えながら声を掛ける。

『…刃斬、さん。兄は…兄は、どうなりますか?』

『お前の兄貴が勤める会社の社長には一人息子がいてな。そいつも従業員なんだよ。そのドラ息子が、会社の名義でウチから金借りて飛びやがったわけよ。

 …あ。飛ぶってのは、まぁ失踪だな。契約書がある限り金はきっちり払ってもらわにゃ困るわけよ。あの会社に席を置くなら同罪だ』

 そんな…、だから兄ちゃんは逃げないのか。逃げたらお世話になった社長さんが莫大な借金を抱えることになる。いくら身内の不始末とはいえ、払うべきは借りた本人なのに。

『お前はもう来るなよ』

『っでも…』

 貴方はまた、兄を殴るんでしょう?

『…お前を見てりゃあ、わかる。教養が備わって初対面のクソみたいな男に心配りができるような奴だ。親がいねぇでそれが出来るのは、お前の兄貴たちが必死になって育て上げた証よ。

 忠告だ。これ以上関わってくれるな。お前は本当に無関係なんだからな』

 リビングを出た男の背中を追う。どれだけ引き留められたとしても、絶対に退けない。泣きながら駆け寄ると靴を履き終わった男を再度、止める。

『俺を雇ってくださいっ…!!』

『…はぁ?』

 思わずといとたように振り返った刃斬は、言っている意味がわからないとばかりに俺を睨み付ける。それでも俺は折れずに交渉を続けた。

『刃斬さんの威嚇フェロモンっ、出してください。貴方は上位のアルファなんですよね?』

『突然何言ってんだ。いくらベータだろうがそんなもん真正面から受けたらお前、…トぶぞ』

『構いません! 出してください』

 しっかりと目を合わせて懇願する俺に刃斬は鬱陶しそうにため息を吐きつつ、まぁ気絶させてそのまま帰るか…と独り言を漏らす。

 真正面から上位アルファの威嚇を受けるなんて初めてだ。…大丈夫、俺はバランサー。

 絶対、最強!!

『わっ』

 強風のような凄まじい威嚇フェロモンを浴びる。室内でなければかなり広範囲に影響を及ぼしそうなそれに目を一瞬だけ閉じてからバレないように切り替えた。

 バランサーは通常の状態でアルファの威嚇フェロモンを受け流すことができる。バランサーの通常時はベータと殆ど変わらず異変等もなし。

 一歩、また一歩と踏み出せば目の前の男から明らかな動揺が伝わる。

『…マジかよ』

 やがて刃斬の服の袖を掴むと、額に汗を浮かべたまま笑ってみせた。

『俺、欠陥なんです。ベータだけどフェロモンに対する影響が殆どないし下手したら気付けない。感知出来ない体質なんです』

 今決めた!

『…確かにさっきも、威嚇フェロモンを感じたからじゃなくて騒がしいから逃げたって言ってたか。そもそもあのレベルの威嚇を感知したただのベータが直後に走り出したのも妙だったな』

『はい。オメガでも同様です。アルファでもオメガでも、バース性による感覚が壊れている俺では若干体調が悪くなる程度で何も効きません。

 お願いしますっ、欠陥のベータだけど使いようがあれば俺を雇ってください! 働いた分を全て借金の返済にっ…あ、でも…利子、とかあるのか…』

 困った…。百万借りてもすぐに返済出来なきゃ、利子とかでどんどん借金は膨れ上がっちゃうもんらしい。

 いかにも困ってます、という顔でウーンウーンと唸っていたら…頬にそっと刃斬の指が添えられた。

『欠陥、ね。そりゃ欠陥っていうより特異体質、ってのが妥当だ。…マズイな。思った以上に魅力的な人材が転がり込んで来やがった』

『へ?』

 ジッ、と刃斬に頭の天辺から爪先まで品定めされるように見つめられて少し居心地が悪い。

 な…なんだよぉ。んな無言で見んな。

『ちょっと待て。お前のヤケクソな交渉だが、どうにもオレだけの判断に負えねぇ』

『えっ!!』

 そんなに?! やった、俺の欠陥ベータ作戦大成功の予感?!

 刃斬が懐からスマホを出すと何処かに電話をし始めた。玄関に腰掛けた男の隣でワクワクしながら電話を待って一緒になって座ると、それに気付いた男が雑な手付きで俺の頭を撫で回す。

『…ボス、おはようございます。申し訳ありません、お忙しい中。少々ご判断を仰ぎたく…』

 …ボスぅうう?!

『例の会社の…、はい。いえ。上位アルファについての収穫はないのですが。社員の弟が現場にいたので尋ねているところです。

 …それが、ですね。どうもかなりの特異体質らしくウチに入れてほしいと。…本物です。この刃斬がこの目で確認しました』

 それから何回かやり取りをしてから電話を終えると、再びスマホを弄って再度電話を掛ける。

『オレだ。車回せ。…一人、客人が乗る。テメェら手を出すなよ、ボスのお客様だ』

 電話を終えた刃斬が立ち上がる。やれやれ、と漏らしながら懐にスマホを仕舞った男は俺に支度をしろと命じた。

『本っ当に強運な奴だ。予定が空いたからボスが直接お会いするとよ。精々自分を売り込むこった。お前の体質は、オレらからすれば相当な武器になる。

 おら、必要なモン揃えな。例え上手くいかなくても、縁あった身だ。必ずこの家にお前を帰してやる』

 僅かでも。本当に、僅かでも兄ちゃんが助かる道が開けたのかもしれない。それが嬉しくて二階まで駆け上がって財布とお気に入りのカーディガンを取りに行って戻る頃には、黒塗りの車が控えていた。

 刃斬と共に後部座席に乗ると、チラリとバックミラー越しに目が合った若い男に会釈をすれば向こうも返してくれる。

 …これがお客様効果か。

『ここからだと二十分程度だ。恐らくボスの時間が空くのは三十分が良いところだろ。ちゃんと受け答えすりゃ殺されるようなことにはなんねぇ。オレもいてやるから、まぁ頑張んな』

『は、はいっ』

 サラッと返事をしたが今…とんでもないこと言われた気がする。

 …え? 下手したら俺、死ぬってことじゃん…。


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