126 / 136
桃源郷に花はある
しおりを挟む
Side:弐条
いない。
何処にもいない、アイツがいない。
『いやぁ、お久しぶりです。どうぞこちらへ。お座敷にご案内致しますね』
三月。まだ三日にも関わらず日中は陽の光によって暖かく、来る途中もなんらかの花の花弁が風に乗って優雅に飛んでいた。
だが、こちらはそれどころではない。
もう三ヶ月…俺は自分の運命の番と離れ、過ごしていた。自分から手放したとは言え、まさかこんなにも不調に見舞われるとは思わなかった。
『それで? …宋平は元気にやってんのか』
『ええ。まだ激しい運動等は控えて頂いていますが、本人がお転婆ですからね。新しい住居を楽しそうに散策する姿がよく見られます』
苛つく。
…こっちだって、新しい拠点はもう出来てる。迎え入れてやれば気に入って走り回る姿はもう何度だって夢に見た。
『綺麗でしょう、こちらの庭は例年より早く花が咲いていましてね。用事が終わり次第、そちらも散策をしてみてはいかがでしょうか』
趣きのある日本家屋の中庭には見事な庭が広がっていた。地面には剪定された緑が一面に広がり、この気候のせいか様々な花が咲き誇っている。少し奥の方にはしっかりとした桃色の花が幾つも花を咲かせた木があった。
『あちらは桃の木なんです。近くに行くと良い香りがしますよ』
『…桃』
いつだったか、桃のゼリーを食べさせてやったことを思い出す。嬉しそうにゼリーを見つめ、食べさせてやると終始顔を赤らめたままだった愛しい記憶。
『こちらです』
刃斬と共に案内されたのは随分と広い和室で中にはテーブルと座布団…、そしてそのテーブルには一枚の紙が重石を乗せて置いてあった。
『婚姻届になります。…お相手は、貴方のご決断に全てを委ねると仰ってますよ。
この紙に先に名前を書いて下されば、以後は顔を合わせず仮面夫婦となり己の名前だけを持ち帰る。
名前を書かなければ、そのまま退席して…以後は二度とお会いにはならないと。
お好きな方をお選び下さい。では、私様はこれにて。刃斬殿。宜しければ庭を見て回っては如何でしょう』
仮面夫婦…?
意味がわからないと部屋を出ようとしていた猫武を引き留めると言葉通りだと返される。
『…どっちを選んでも相手はわからねェのか』
『前者を選択した後、顔合わせ等には応じると。世間知らずの身なので、お近くでは足手纏いになると。
お名前は濃紫の君です』
では。と言って脱いでいた軍帽を被り直すと猫武は部屋を出て行く。それを見届けた刃斬に少し席を外すよう命じれば、静かに頭を下げてから襖を開けて退席した。
静かになった部屋で一人、たった一枚の紙を持ち上げてからペンも掴む。
…正直、干渉されないのは助かる。だがなんだ? こんなにこちらに有利な取引があるのか。結婚とはある種の取引だ。こんな世界なら、尚更。
『…チッ。気に食わねェな…』
気に食わない。そもそも政府側の奴等に用意された人間なんて、本当にいるのかもわからない。何らかの罠なのではないかと思い至るとペンの蓋を閉じてスーツの内ポケットに仕舞う。
『辞めだ』
座布団から立ち上がると襖を開ける。丁度風が吹いたせいか、すぐそこの庭から花弁が舞い上がる。それを気にすることもなく庭を見て回っているだろう土弄りの好きな右腕を探す。
中庭に面した廊下を歩いて回るが、中々見つからない。苛立ちながらスマホを取り出す。庭から目を離そうとした、その時だった。
『ネコブちゃん!』
庭の奥から駆けて来た人物に、目を奪われる。
俺がやった薄紫の甚平に下には黒いスパッツを履いた少年が、元気よく駆けて来て外から廊下に膝を付いた猫武の元に辿り着いた。
黒に光が当たると紺が混じったサラサラの髪に、紫色の瞳を持つ子ども。キラキラと輝かせたその瞳の先には猫武の持つ一枚の紙。
『見ても良い?!』
『あー…、えっと。濃紫様。いや…その…、はい。どうぞ…』
『ありがとう!』
猫武から紙を貰った子どもは、嬉しそうにそれを胸に抱いてから再び走り出す。ペタンコの靴のままグングン走る後ろ姿に惹かれるように廊下を走ると、刃斬が庭の隅から出て来たかと思うと、慌てて地面に俺の靴を置いた。
『…助かる』
追い掛けると、腹に風穴を開けられたとは思えないような身のこなしで桃の木に登り、太い幹に腰を下ろすとゆっくりと紙を眺め始める。
すると、先程までの元気は何処へやら。ガックリと肩を落とした後に木に寄り掛かる。
『書いてない…。名前、書いてなかった。あー…、やっぱダメかぁ。せめて名前だけでも知りたかったのになぁ…』
…こき、むらさき…。
特徴的な瞳の色。力を使うことで輝きと濃さが変わる。この国が何百年振りに産まれた唯一の性別を持つ者に与えるのに、これ以上の名はない。
誘われるように桃の木に近付く。そう言えばと気付くのは、オメガの時も似た香りがした。甘くて、でも爽やかな風味が残る良い香りだ。
手を伸ばせば届きそうな距離まで来ても、子どもは気付かない。
『…俺も一緒に行きたい…』
真下から突き上げるように吹いた風に驚いた後、バランスを崩して背中から落ちそうになったのをすかさず受け止めてから…しっかりと抱きしめる。
『おあーっ?! だ、誰? …え。こ、の匂い…』
会いたかった。
ずっと、ずっと。いつ、この腕の中に帰って来るのかと待っていてやったのに。お前はそんな簡単に答えを出すのか。
『好きだ』
もう何度でも言える。お前に真正面から、この気持ちを嘘偽りなく言葉に出来る。
『宋平。
お前が好きだ。一緒に来い』
『…ボス? なんで、だって…えっ?! すきぃ?』
ボン、と顔を真っ赤にして頬に手を当てる姿が愛おしくて堪らない。耳まで真っ赤にした姿につい悪戯心が湧き、返事が貰えるまで耳や額にキスをしてやる。
『何度言ったらわかるんだ? もう唇にしかキスしてねェ場所が残ってねェなァ?』
『…っ、も…もう一度だけ…お願いしても』
恥ずかしそうに俯くものだから、両脇を持ってから自分の顔よりも高い位置に宋平を上げる。肩に手を置いて俺を見下ろす宋平の頬に手を置いてから、何度目かの告白を捧げた。
『俺の番になってくれ。ずっと傍に…、お前が安心できる家を俺が作ってやる。
だから、お前の心を俺にくれ』
ジワっと紫色の瞳に膜が張る。綺麗な瞳には、今…俺しか写っていない。そんな優越感を持ちながら答えを待つと頬に置いた手に宋平が甘えるように擦り寄った。
『…俺も。
ずっと、貴方が好きだった』
『あ? だった、だ?』
『待っ…!! もうっ、ちょっと黙って下さい!』
ペチペチと手を軽く叩く姿に笑うと、宋平が手を伸ばすのでそのまま抱きしめた。それだけでもう、幸せというに事足りた。
『…ずっと諦めようと思ってた。でも、その度に貴方は俺の心を掻き乱して何度だって奪っていくんだ。
もうずっと前から、この心は貴方のもの。
…へへ。嬉しいっ、嬉しい…!! また貴方が好きになった! 大好きっ!!』
顔を合わせて満面の笑みを浮かべて抱き着く姿に、心臓がとんでもない速さで脈打つ。好かれている自信はあった。だが。
…面と向かって言われると破壊力ヤベェな…。
『あ、の…。本当に良いんですか…? 俺、そんな…バランサーだけど普通の家庭の子だし。特に尊い血筋とかないですけど』
『…そのバランサーってのが最大の強みだろ。安心しろ。お前のもう一つの名前と一緒に発表すれば、文句を言う奴なんざ一人も現れねェよ。
そんなことより、なんだって早く帰って来なかった。…こっちはずっとお前を待ってたんだがなァ』
『ん?
俺、初日から帰りたいって言ってましたよ。ネコブちゃんがまだ弐条会は事後処理で忙しいって…
待ってたのは、俺の方です!』
…殺す。アイツ、絶対ェ殺す。
この弐条を騙すとは良い度胸だ死にてェらしい。
『刃斬!!』
『御意!』
踵を返して屋敷に向かって走り出す刃斬。何かを察知したのか、猫武は即座に廊下に座って茶を飲む姿勢から立ち上がり…廊下を爆速で駆け抜けた。
後の証言では、あまりにも早く宋平が帰りたいと言ったので聞かなかったことにしたとかいう巫山戯た回答が返って来た。
貸し一つ…、いや二つで手を打った。
『あんまり怒らないで下さい。誕生日だからって、俺の欲しいものを用意してくれようとしたんです。…俺も、自信がなかったから名前と性別だけを渡して弐条会の憂いを消したかった。
結局…、わからなかったけど。ズルしようとしたからですね。もう、ボスってば何でもお見通しなんですから~』
…そうか。
コイツは、ずっとそれが知りたかったのか。だとしたらそれは…なんともいじらしいものだ。
名前で呼びたい。
たったそれだけの為に、仮面夫婦になろうと考え至ったのか。
『宋平。手ェ貸してみな』
『手? どっちでも?』
良い、と言えば宋平の右手が差し出される。桃の木の根元に宋平を抱えるようにして座り、その掌にゆっくりと指で漢字を書いた。
『…名前?』
『ああ。…お前が番になってくれたら、俺はもう影武者でも代替えでもねェ。正式な弐条会の主人。
名前を…、俺の名を諦めないでくれて、ありがとな。今度からはその名を呼んでくれ。お前の口からなら、毎日聞きてェ』
掌を見つめてから、ゆっくりとそれを抱く。振り返って俺の胸に引っ付いた宋平は、愛おしげにその名前を呟いた。
『…ん。なんだ、宋平?』
『~ッ、うれ、し…ぁりがと、…』
『バカだなァ。お前に礼を言う方なんだよ。
…帰るか。アイツらが待ってる』
泣きながら返事をする宋平を抱き上げ、屋敷を素通りしてから車に戻る。全てわかっていたように政府の人間は宋平の荷物を玄関で渡し、兄弟たちは自宅に戻っていると伝えて屋敷に戻って行った。
その後。戻った刃斬によって俺ごと抱き抱えられ、暑苦しくて眉間に銃口を擦り付けた。それでも奴は笑ったままで…宋平も嬉しそうだから、暫くは…耐えた。
『いや、やっぱりウゼェ。早く離れろ轢き殺すぞ』
『ボスこわーい』
『ああ。運転は俺の仕事なんだがな』
静かな日本家屋の玄関で、拳銃が一発放たれた。
.
いない。
何処にもいない、アイツがいない。
『いやぁ、お久しぶりです。どうぞこちらへ。お座敷にご案内致しますね』
三月。まだ三日にも関わらず日中は陽の光によって暖かく、来る途中もなんらかの花の花弁が風に乗って優雅に飛んでいた。
だが、こちらはそれどころではない。
もう三ヶ月…俺は自分の運命の番と離れ、過ごしていた。自分から手放したとは言え、まさかこんなにも不調に見舞われるとは思わなかった。
『それで? …宋平は元気にやってんのか』
『ええ。まだ激しい運動等は控えて頂いていますが、本人がお転婆ですからね。新しい住居を楽しそうに散策する姿がよく見られます』
苛つく。
…こっちだって、新しい拠点はもう出来てる。迎え入れてやれば気に入って走り回る姿はもう何度だって夢に見た。
『綺麗でしょう、こちらの庭は例年より早く花が咲いていましてね。用事が終わり次第、そちらも散策をしてみてはいかがでしょうか』
趣きのある日本家屋の中庭には見事な庭が広がっていた。地面には剪定された緑が一面に広がり、この気候のせいか様々な花が咲き誇っている。少し奥の方にはしっかりとした桃色の花が幾つも花を咲かせた木があった。
『あちらは桃の木なんです。近くに行くと良い香りがしますよ』
『…桃』
いつだったか、桃のゼリーを食べさせてやったことを思い出す。嬉しそうにゼリーを見つめ、食べさせてやると終始顔を赤らめたままだった愛しい記憶。
『こちらです』
刃斬と共に案内されたのは随分と広い和室で中にはテーブルと座布団…、そしてそのテーブルには一枚の紙が重石を乗せて置いてあった。
『婚姻届になります。…お相手は、貴方のご決断に全てを委ねると仰ってますよ。
この紙に先に名前を書いて下されば、以後は顔を合わせず仮面夫婦となり己の名前だけを持ち帰る。
名前を書かなければ、そのまま退席して…以後は二度とお会いにはならないと。
お好きな方をお選び下さい。では、私様はこれにて。刃斬殿。宜しければ庭を見て回っては如何でしょう』
仮面夫婦…?
意味がわからないと部屋を出ようとしていた猫武を引き留めると言葉通りだと返される。
『…どっちを選んでも相手はわからねェのか』
『前者を選択した後、顔合わせ等には応じると。世間知らずの身なので、お近くでは足手纏いになると。
お名前は濃紫の君です』
では。と言って脱いでいた軍帽を被り直すと猫武は部屋を出て行く。それを見届けた刃斬に少し席を外すよう命じれば、静かに頭を下げてから襖を開けて退席した。
静かになった部屋で一人、たった一枚の紙を持ち上げてからペンも掴む。
…正直、干渉されないのは助かる。だがなんだ? こんなにこちらに有利な取引があるのか。結婚とはある種の取引だ。こんな世界なら、尚更。
『…チッ。気に食わねェな…』
気に食わない。そもそも政府側の奴等に用意された人間なんて、本当にいるのかもわからない。何らかの罠なのではないかと思い至るとペンの蓋を閉じてスーツの内ポケットに仕舞う。
『辞めだ』
座布団から立ち上がると襖を開ける。丁度風が吹いたせいか、すぐそこの庭から花弁が舞い上がる。それを気にすることもなく庭を見て回っているだろう土弄りの好きな右腕を探す。
中庭に面した廊下を歩いて回るが、中々見つからない。苛立ちながらスマホを取り出す。庭から目を離そうとした、その時だった。
『ネコブちゃん!』
庭の奥から駆けて来た人物に、目を奪われる。
俺がやった薄紫の甚平に下には黒いスパッツを履いた少年が、元気よく駆けて来て外から廊下に膝を付いた猫武の元に辿り着いた。
黒に光が当たると紺が混じったサラサラの髪に、紫色の瞳を持つ子ども。キラキラと輝かせたその瞳の先には猫武の持つ一枚の紙。
『見ても良い?!』
『あー…、えっと。濃紫様。いや…その…、はい。どうぞ…』
『ありがとう!』
猫武から紙を貰った子どもは、嬉しそうにそれを胸に抱いてから再び走り出す。ペタンコの靴のままグングン走る後ろ姿に惹かれるように廊下を走ると、刃斬が庭の隅から出て来たかと思うと、慌てて地面に俺の靴を置いた。
『…助かる』
追い掛けると、腹に風穴を開けられたとは思えないような身のこなしで桃の木に登り、太い幹に腰を下ろすとゆっくりと紙を眺め始める。
すると、先程までの元気は何処へやら。ガックリと肩を落とした後に木に寄り掛かる。
『書いてない…。名前、書いてなかった。あー…、やっぱダメかぁ。せめて名前だけでも知りたかったのになぁ…』
…こき、むらさき…。
特徴的な瞳の色。力を使うことで輝きと濃さが変わる。この国が何百年振りに産まれた唯一の性別を持つ者に与えるのに、これ以上の名はない。
誘われるように桃の木に近付く。そう言えばと気付くのは、オメガの時も似た香りがした。甘くて、でも爽やかな風味が残る良い香りだ。
手を伸ばせば届きそうな距離まで来ても、子どもは気付かない。
『…俺も一緒に行きたい…』
真下から突き上げるように吹いた風に驚いた後、バランスを崩して背中から落ちそうになったのをすかさず受け止めてから…しっかりと抱きしめる。
『おあーっ?! だ、誰? …え。こ、の匂い…』
会いたかった。
ずっと、ずっと。いつ、この腕の中に帰って来るのかと待っていてやったのに。お前はそんな簡単に答えを出すのか。
『好きだ』
もう何度でも言える。お前に真正面から、この気持ちを嘘偽りなく言葉に出来る。
『宋平。
お前が好きだ。一緒に来い』
『…ボス? なんで、だって…えっ?! すきぃ?』
ボン、と顔を真っ赤にして頬に手を当てる姿が愛おしくて堪らない。耳まで真っ赤にした姿につい悪戯心が湧き、返事が貰えるまで耳や額にキスをしてやる。
『何度言ったらわかるんだ? もう唇にしかキスしてねェ場所が残ってねェなァ?』
『…っ、も…もう一度だけ…お願いしても』
恥ずかしそうに俯くものだから、両脇を持ってから自分の顔よりも高い位置に宋平を上げる。肩に手を置いて俺を見下ろす宋平の頬に手を置いてから、何度目かの告白を捧げた。
『俺の番になってくれ。ずっと傍に…、お前が安心できる家を俺が作ってやる。
だから、お前の心を俺にくれ』
ジワっと紫色の瞳に膜が張る。綺麗な瞳には、今…俺しか写っていない。そんな優越感を持ちながら答えを待つと頬に置いた手に宋平が甘えるように擦り寄った。
『…俺も。
ずっと、貴方が好きだった』
『あ? だった、だ?』
『待っ…!! もうっ、ちょっと黙って下さい!』
ペチペチと手を軽く叩く姿に笑うと、宋平が手を伸ばすのでそのまま抱きしめた。それだけでもう、幸せというに事足りた。
『…ずっと諦めようと思ってた。でも、その度に貴方は俺の心を掻き乱して何度だって奪っていくんだ。
もうずっと前から、この心は貴方のもの。
…へへ。嬉しいっ、嬉しい…!! また貴方が好きになった! 大好きっ!!』
顔を合わせて満面の笑みを浮かべて抱き着く姿に、心臓がとんでもない速さで脈打つ。好かれている自信はあった。だが。
…面と向かって言われると破壊力ヤベェな…。
『あ、の…。本当に良いんですか…? 俺、そんな…バランサーだけど普通の家庭の子だし。特に尊い血筋とかないですけど』
『…そのバランサーってのが最大の強みだろ。安心しろ。お前のもう一つの名前と一緒に発表すれば、文句を言う奴なんざ一人も現れねェよ。
そんなことより、なんだって早く帰って来なかった。…こっちはずっとお前を待ってたんだがなァ』
『ん?
俺、初日から帰りたいって言ってましたよ。ネコブちゃんがまだ弐条会は事後処理で忙しいって…
待ってたのは、俺の方です!』
…殺す。アイツ、絶対ェ殺す。
この弐条を騙すとは良い度胸だ死にてェらしい。
『刃斬!!』
『御意!』
踵を返して屋敷に向かって走り出す刃斬。何かを察知したのか、猫武は即座に廊下に座って茶を飲む姿勢から立ち上がり…廊下を爆速で駆け抜けた。
後の証言では、あまりにも早く宋平が帰りたいと言ったので聞かなかったことにしたとかいう巫山戯た回答が返って来た。
貸し一つ…、いや二つで手を打った。
『あんまり怒らないで下さい。誕生日だからって、俺の欲しいものを用意してくれようとしたんです。…俺も、自信がなかったから名前と性別だけを渡して弐条会の憂いを消したかった。
結局…、わからなかったけど。ズルしようとしたからですね。もう、ボスってば何でもお見通しなんですから~』
…そうか。
コイツは、ずっとそれが知りたかったのか。だとしたらそれは…なんともいじらしいものだ。
名前で呼びたい。
たったそれだけの為に、仮面夫婦になろうと考え至ったのか。
『宋平。手ェ貸してみな』
『手? どっちでも?』
良い、と言えば宋平の右手が差し出される。桃の木の根元に宋平を抱えるようにして座り、その掌にゆっくりと指で漢字を書いた。
『…名前?』
『ああ。…お前が番になってくれたら、俺はもう影武者でも代替えでもねェ。正式な弐条会の主人。
名前を…、俺の名を諦めないでくれて、ありがとな。今度からはその名を呼んでくれ。お前の口からなら、毎日聞きてェ』
掌を見つめてから、ゆっくりとそれを抱く。振り返って俺の胸に引っ付いた宋平は、愛おしげにその名前を呟いた。
『…ん。なんだ、宋平?』
『~ッ、うれ、し…ぁりがと、…』
『バカだなァ。お前に礼を言う方なんだよ。
…帰るか。アイツらが待ってる』
泣きながら返事をする宋平を抱き上げ、屋敷を素通りしてから車に戻る。全てわかっていたように政府の人間は宋平の荷物を玄関で渡し、兄弟たちは自宅に戻っていると伝えて屋敷に戻って行った。
その後。戻った刃斬によって俺ごと抱き抱えられ、暑苦しくて眉間に銃口を擦り付けた。それでも奴は笑ったままで…宋平も嬉しそうだから、暫くは…耐えた。
『いや、やっぱりウゼェ。早く離れろ轢き殺すぞ』
『ボスこわーい』
『ああ。運転は俺の仕事なんだがな』
静かな日本家屋の玄関で、拳銃が一発放たれた。
.
195
あなたにおすすめの小説
男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
【完結】少年王が望むは…
綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。
15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。
恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか?
【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する幼少中高大院までの一貫校だ。しかし学校の規模に見合わず生徒数は一学年300人程の少人数の学院で、他とは少し違う校風の学院でもある。
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語
うそつきΩのとりかえ話譚
沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。
舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。
【完結】トラウマ眼鏡系男子は幼馴染み王子に恋をする
獏乃みゆ
BL
黒髪メガネの地味な男子高校生・青山優李(あおやま ゆうり)。
小学生の頃、外見を理由にいじめられた彼は、顔を隠すように黒縁メガネをかけるようになった。
そんな優李を救ってくれたのは、幼馴染の遠野悠斗(とおの はると)。
優李は彼に恋をした。けれど、悠斗は同性で、その上誰もが振り返るほどの美貌の持ち主――手の届かない存在だった。
それでも傍にいたいと願う優李は自分の想いを絶対に隠し通そうと心に誓う。
一方、悠斗も密やかな想いをを秘めたまま優李を見つめ続ける。
一見穏やかな日常の裏で、二人の想いは静かにすれ違い始める。
やがて優李の前に、過去の“痛み”が再び姿を現す。
友情と恋の境界で揺れる二人が、すれ違いの果てに見つける答えとは。
――トラウマを抱えた少年と、彼を救った“王子”の救済と成長の物語。
─────────
両片想い幼馴染男子高校生の物語です。
個人的に、癖のあるキャラクターが好きなので、二人とも読み始めと印象が変化します。ご注意ください。
※主人公はメガネキャラですが、純粋に視力が悪くてメガネ着用というわけではないので、メガネ属性好きで読み始められる方はご注意ください。
※悠斗くん、穏やかで優しげな王子様キャラですが、途中で印象が変わる場合がありますので、キラキラ王子様がお好きな方はご注意ください。
─────
※ムーンライトノベルズにて連載していたものを加筆修正したものになります。
部分的に表現などが異なりますが、大筋のストーリーに変更はありません。
おそらく、より読みやすくなっているかと思います。
その捕虜は牢屋から離れたくない
さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。
というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
転生したら嫌われ者No.01のザコキャラだった 〜引き篭もりニートは落ちぶれ王族に転生しました〜
隍沸喰(隍沸かゆ)
BL
引き篭もりニートの俺は大人にも子供にも人気の話題のゲーム『WoRLD oF SHiSUTo』の次回作を遂に手に入れたが、その直後に死亡してしまった。
目覚めたらその世界で最も嫌われ、前世でも嫌われ続けていたあの落ちぶれた元王族《ヴァントリア・オルテイル》になっていた。
同じ檻に入っていた子供を看病したのに殺されかけ、王である兄には冷たくされ…………それでもめげずに頑張ります!
俺を襲ったことで連れて行かれた子供を助けるために、まずは脱獄からだ!
重複投稿:小説家になろう(ムーンライトノベルズ)
注意:
残酷な描写あり
表紙は力不足な自作イラスト
誤字脱字が多いです!
お気に入り・感想ありがとうございます。
皆さんありがとうございました!
BLランキング1位(2021/8/1 20:02)
HOTランキング15位(2021/8/1 20:02)
他サイト日間BLランキング2位(2019/2/21 20:00)
ツンデレ、執着キャラ、おバカ主人公、魔法、主人公嫌われ→愛されです。
いらないと思いますが感想・ファンアート?などのSNSタグは #嫌01 です。私も宣伝や時々描くイラストに使っています。利用していただいて構いません!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる