寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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募るもの

【十一】母と子

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「何だ、未だ居たのか橘。もう昼近くになるぞ…何をしていたんだ?」

 病室の戸が軽く叩かれた時、優士ゆうじは貼り付いていた瑞樹みずきの頭を掴み、脚の上に置いていた枕へと瑞樹を押し付けてから『どうぞ』と、返事をした。『…酷い…』と、もごもごとした瑞樹の呟きが聞こえたが、聞こえないフリをした。
 そして、戸を開けた高梨が呆れた様に言った言葉に『そちらこそ』と口を開こうとした時、高梨の後ろに居た人物がまなじりを上げて速足でベッドの側へと近付いて来て、枕に顔を埋める瑞樹の頭を両手で掬い、その胸に抱き上げた。

「優士! 瑞樹君に何をしているの!?」

 自分と同じ細い目を鋭くして睨む母に『何か』をされたのは、自分の方なのだがと、優士は僅かに眉を寄せた。

「母さん」

穂澄ほずみさんっ!」

 後頭部を優士の母の胸に押さえ付けられて、慌てながら瑞樹はその名を呼んだ。
 料理を教わる時に『私の事は穂澄って呼んでね』と言われてから、瑞樹はそう呼ぶ様にしていた。
 何より『おばさん』と呼ぶと、穂澄は拗ねてしまうのだ。
 ぎゅうぎゅうと瑞樹を抱き締める穂澄に、優士は軽く額を押さえ、短く息を吐いた。

「…瑞樹が困っているから離してやってくれ」

 そう口にしてから、良くこの場所が解ったなと、そう言えば、高梨は何故未だ居るのだろうと、穂澄の後に入って来た高梨を優士は見る。
 高梨は手に大きな鞄を持っており、それをベッドの足元の方へと置いてから口を開く。

「…昨夜の報告書を書き終わって、雑談をしていたら楠の親御さんが来たと連絡があってな…」

 報告書とは、無理矢理書かされた始末書の事であり、雑談とは杜川や五十嵐の泣き言を延々と聞かされていただけである。津山は『私は誰かさん達と違いまして、体力はありませんので』と、書き終えて早々に逃げ出していた。

「そうなのよ。昨日、夜遅くに杜川さんから電話があって。それで朝一番では無かったけれど、列車に乗って来てね。うちの人も、瑞樹君のお父さんも来たがったけれど、仕事があるでしょう? だから、私だけね。で、入院だって言うから、隊長さんにお願いしてね、宿舎に案内して貰って、必要な物を取りに行ってたの。それにしても、綺麗だと言えば聞こえは良いけれど、こっちでも相変わらず何も無い部屋よね。冷蔵庫も空っぽだったし。瑞樹君に甘えてご飯作って貰っているんでしょう? 本当に仕方の無い子。瑞樹君も嫌だったら遠慮なく断ってくれていいのよ? あ、ううん。ちゃんと食費を貰ってね? 相場の倍は貰っても罰は当たらないわよ。それでね…」

「…母さん…高梨隊長が引いているから…あと、どうやって部屋に…」

 瑞樹の頭を抱えたままで延々と語りそうな穂澄に、優士は今度は両手で顔を押さえた。

「…ああ。管理の者に頼んで開けて貰った。…誰にでも開けたりする物では無いから安心しろ。俺の事は管理人も知っているし、楠が怪我をした事の連絡も管理人の方へ話は行っている」

 高梨の言葉に優士は成程と頷いた。

「仕事の事なら気にしないで休め。親御さんにも話したが、入院費用もこちらの方から出るから気にしなくて良い。後で見舞金が出る…楠の方からは何かあるか?」

「いえ。御迷惑をお掛けしました」

 頭を下げる優士に、高梨は軽く手を振る。

「怪我をした事にならば、次からは咄嗟に刀を出せる様にしろ。親御さんの案内の事ならば、それこそ気にする事も無い。子の心配をする親の頼みを断れる者なぞ居ない」

 冷淡な高梨の物言いだが、それは高梨の経験から来る物なのだろうか。その背中にある傷痕がそう言わせたのだろうか。そう思いながら、優士は『はい』と、小さく頷いた。
 仕事の事なので、穂澄は何も言わない。
 瑞樹は、それが出来る様になるまで、どれだけの経験を積めば良いのかと考えていた。

 ◇

『とにかく、楠は当然だがお前も休め。途中で倒れたら目も当てられんから、宿舎まで送って行く』

 と、高梨がぶんぶんと首を横へと振る瑞樹を伴い、病室を去った後には優士と穂澄だけが残された。もう間もなくもすれば、昼食が運ばれて来るだろう。

「ねえ? 処で、どうして枕が二つあるの?」

 と、ベッドに横になった優士に椅子に腰掛けた穂澄が首を傾げる。

「…枕が変わると眠れないから、瑞樹に頼んで持って来て貰った」

 と、元からある枕を端へと追いやり、瑞樹の枕に頭を乗せた優士が答える。

「ああ、それで瑞樹君が優士の部屋の鍵を持っていたのね。でも、優士ってそうだったかしら? 枕よりも環境の変化で眠れない事はあったと思うけれど。あ、枕のついでに部屋の掃除とかも頼んでないでしょうね? 冷蔵庫に何も無かったのは、入院するから片付けさせたの? あなた、瑞樹君に甘え過ぎよ」

 いや。部屋の鍵は瑞樹の合鍵を作るついでに、優士のも作って渡していただけだ。
 部屋は元から散らかって等いないから、掃除は頼んではいない。
 冷蔵庫の中身は…まあ、ほぼ瑞樹の部屋に居着く事になったからで。
 だが、しかし。

「…僕は…そんなに瑞樹に甘えている様に見えるのか?」

 と、やたらと穂澄が放つ言葉に、優士は眉を寄せて呟く。
 確かに甘えている自覚はあるが、そんなに他人ひとの目に見える物だっただろうか? と。

「解るわよ。他の人はどうだか知らないけれど、親だもの。…"僕"に戻ったの? 懐かしいわ」

「え!? あ、いや…っ…!」

 そう云えば、起きてからずっと"僕"と言っていた様な気がすると、優士は今更ながらに気付いた。
 それは、無意識の事だったから。
 瑞樹に意識して欲しくて、あの夏の日に"僕"と口にした。
 "僕"と口にするのは、瑞樹の前でだけと思っていたのに。

「ふふ。瑞樹君があんな事になって…ただでさえ、表情が豊かとは言い難い優士が硬い表情をする様になって…弱い処を見せまいとしたかったのかしらね? けれど、瑞樹君が相手の時は少しだけど…本当に解り難いんだけど、それが和らいで…お母さん悔しかったなあ…」

 動揺する優士に向けて目を優しく細め、形の良いふっくらとした唇を笑みの形にして、悔しいと、寂しさを滲ませる穂澄に、優士は軽く目を閉じた。

「…ごめん…」

『…っ…!! ばっきゃろーっ!!』

 と、友達だと泣いて走って行った少年の姿が瞼に蘇る。
 自分は、ただ瑞樹の傍に居たかっただけだった。
 ただ、それだけだったのに、どれだけ周りの人間を傷付けて来たのだろうか?
 辛いのは、寂しいのは、苦しいのは、自分だけでは無かったのに。
 ただ、周りを見ずに虚ろに過ごして居たのは、瑞樹だけでは無く、自分もだったのかと優士は思った。
 瑞樹にばかり甘えていると、穂澄は口にしたが。
 だが。だけど。と。
 無意識に出た"僕"と云う言葉は、それは…それを甘えとするのなら、穂澄に、母に甘えていると云う事になるのではないのだろうか?
 杜川や高梨が口にした様に、自分はまだ『子供』で。
 きっと、何が正しいだとか間違いだとか、そんな事は未だ解らなくて。
 こうして、何年も経ってから気付く事もあるのだろう。
 それでも、これは。
 この想いは、間違いでは無いから。
 優士は閉じていた目を開いて、穂澄の目を真っ直ぐと見て口を開く。

「俺、瑞樹が好きなんだ」

「知っていたわよ」

 そうすれば、穂澄は何を今更と言う様に、軽く肩を竦めたのだった。
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