旦那様と僕

三冬月マヨ

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ころがって

【四】旦那様と罰当たり

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「…から…陽が…けるんだ……」

「ええ……な事…るの……」

「…したら、…よ…になるよ…」

 何故だか、頭がぼぉっとしています。
 ふわふわとしている様です。
 倫太郎りんたろう様、瑠璃子るりこ様、せい様のお声が、遠くに聞こえます。
 僕はどうしてしまったのでしょうか?
 ええと、今は教室で机を合わせて…ああ、お弁当を食べているのですよね。
 何故だか、お箸が進みませんが。
 おかしいですね?

「そ…が、ならないん…って!」

「でも、太…が欠……たら暗…なる…?」

「ゆ…お、た……焼…ちょ……い!」

 あ。
 星様のお箸が動いて、僕のお弁当箱から玉子焼きが消えました。

「しょっぱっ!! いや、からっ!!」

「ええ!?」

 その星様の大きなお声は、良く聞こえましたので、僕は慌てました。
 しょっぱい?
 辛い?
 まさか、お砂糖とお塩を間違えてしまったのですか!?
 そのような物を、旦那様のお弁当に入れてしまったと云うのですか!?
 どうしましょう? 何とお詫びをしたら良いのでしょうか?
 ああ、明日、髪を切って下さると仰って下さったのに…!
 それに浮足立って、その他の事が疎かになるだなんて…!
 僕は何て罰当たりな事を…!

「って、…緒、顔赤くな…か?」

「うん、…緒君が間…えるなんて、…じられない。って、あつ…っ…!! 熱!! …生呼ん…来るね!」

 自分の不甲斐無さを嘆いて居ましたら、瑠璃子様の手が伸びて来まして、僕の額に触れたかと思ったら、顔色を変えて椅子から立ち上がり、教室から飛び出されて行きました。
 そんなに慌ててどうされたのでしょうか?

「ゆ…お、…きお、…いじょぶか? 目がくっつきそ…だ」

 何故か、星様が心配そうに僕の顔を覗き込んで来ています。

「…僕は…だ、いじょ…ぶ、です、よ…? 星さ…のほ…が…お元気…無いよ、ですが、だい、じょ…ですか…?」

 あれ?
 おかしいですね?
 口が思う様に動いてくれません。

「全っ然、大丈夫じゃねえっ!! 瑠璃子を待ってられねえっ!! 医務室へ連れてくぞ、星!」

「ん!」

 大きな音を立てて、倫太郎様が立ち上がりました。
 それに続いて、星様も。
 そうして、お二人がそれぞれ、僕の腕を持って椅子から立ち上がらせます。
 周りの皆様も、騒ぎ出しました。
 ああ、いけませんね。
 皆様のお食事の邪魔をしてしまいました。
 これは躾をされてしまいますね。
 ああ、いえ、今は無いのでした。
 おかしいですね…?
 何故、そんな事を考えてしまったのでしょうか?
 ああ、頭が痛いせいでしょうか?
 それとも、寒くなって来たからでしょうか?
 おかしいですね?
 朝は、少し汗ばむ感じでしたのに。
 ですから、僕は水浴びをして…――――――――。

 ◇

 ――――――――…あれ…?
 何故だか…暗いです…もう、夜なのでしょうか…?

 起きようとしましたけど、身体が動きません。
 あ、いいえ。僕は立っていました。
 そして、何方どなたかに抱き締められている様でした。
 ぎゅうぎゅうと締め付ける力は痛いぐらいです。
 何方でしょう?
 旦那様の大きい手とは違いますし。
 ここは、何処なのでしょう?
 真っ暗で、何も見えませんし、何も聞こえませ…。

『…っ…! ………かせ…っ…!!』

 …あ…。
 旦那様のお声が聞こえます。
 ですが、くぐもっていて何を話しているのかは聞き取れません。
 それに、何かを刺す様な…斬る様な…そんな音が聞こえます。
 それに…それに…これは…血の匂いでしょうか…?
 まさか、旦那様…?

「…っ…!!」

「駄目、ゆきお!!」

 堪らず、旦那様のお声のする方へ動こうとしましたら、更にきつく抱き締められました。
 この声は、星様?
 何故、星様が僕を抱き締めているのでしょうか?

「駄目、我慢! おじさん、ゆきお守る言った! 今、出て行ったら、あいつらに殺される!」

 …殺される? 誰が? 旦那様が? 出る? 僕達は、何処に居るのですか?

「…は、なして下さい…! 血の匂いがします! 旦那様が、お怪我をなされているのかも知れません! 手当をしませんと…っ…!!」

「だ、め!! 守るって、言った! おいらが守るって言ったのに、男にもならないガキはすっこんでろ、って! ゆきお、守るのは俺だって! 俺だけだって! だから、ゆきお、おとなしくする!」

 何を言っているのでしょうか?
 訳が解りません。
 血の匂いはどんどん強く、濃くなって来ています。
 これが、本当に旦那様の流された血だとしたのなら…。

 ――――――――…怖い…――――――――。

 身体がぶるりと震えます。
 指先が震えて、冷えて行きます。
 唇が渇いて痛いぐらいです。
 どうして?
 何故?
 僕達を包む暗さが、闇が深くなった気がします。
 何も見えません。
 ここに居ては駄目です。

『…だから、あの人をお願いね?』

 そうです。
 僕は奥様からお願いされていたのです。
 旦那様をお守りしませんと。

 その時、どさりと何かが倒れる音が聞こえました。

「旦那様…っ…!!」

「…っ…! ゆきお…っ…!!」

 震える手で、星様の胸を押せば、思っていたよりもあっさりと離れて行きました。
 これが、火事場の馬鹿力と云う物でしょうか?
 音のした方へ手を伸ばせば、何かに遮られましたが、力を入れたらそれは無くなりました。
 扉か何かだったのでしょうか?
 ぎいっと、錆び付いた様な音がしました。
 そうして、開かれた先には、赤い光がありました。
 暗い闇の中で、それは煌々と煌めいていました。

「…え…?」

 目の前の闇が揺らいだ気がします。
 一拍遅れて、赤い物が僕の胸から流れて行きました。

「…あ、れ…?」

 何故だか、胸が熱いです。
 足が重くて、その重さに引っ張られる様に、僕の身体が傾いて行きます。

「…っ…! ………!!」

 後ろから星様のお声が聞こえますが、何を言っているのかは解りません。
 ただ、傾いて行く先には。
 下へ下へと下がる視線の先には。
 背中を裂かれて、血を流す旦那様のお姿がありました…。

 ◇

「…雪緒ゆきお…?」

 目を開けたら、心配そうな旦那様のお顔がありました。

「…だ、んな…さま…?」

 そう、お声を掛けましたら、旦那様の細い吐息が聞こえまして、その瞳が柔らかく細められました。

「…え…と…」

 僕はどうしたのでしょうか?
 ここは、僕のお部屋ですね。
 そして、お布団の中です。
 額に、ぬるい何かがありますね?
 お部屋の中は灯りが点いていて明るいのですが、障子の向こうは暗い様です。
 学び舎に居た筈なのですが、何時の間に帰って来たのでしょうか?

「お前、熱出して倒れたんだ。悪かったな、俺が気付いてやらねばならなかったのに」

 熱?
 倒れた?

「…そ、れは、多大…な御迷、惑を…ふが…」

 そう言いながら、起き上がろうとしましたら、鼻を摘ままれて止められてしまいました。

「謝る必要は無い。何も考えずに寝てろ」

そう云う訳には行きません。
夕餉の支度もしなければなりませんし、お風呂も…ですが、やけに身体が重いですね。この様な感覚は久しぶりです。

「とにかく。今は休んで熱を下げる事が、お前の仕事だ。解るな?」

 ああ。
 仕事だと言われてしまいましたら、従うしかありません。
 そうですね。
 これ程に、思い通りに身体が動かないのなら、そうするしか無いのでしょう。

「は、い…」

 渋々と不本意ながら了承しましたら、鼻から旦那様の手が離れて行きました。

「眠るまで付いててやるから、安心しろ」

 そうして、その手が頭を撫でてくれます。

 …安心…?

「…魘されていた。熱のせいで、怖い夢でも見たのだろう」

 疑問が顔に出ていたのでしょう。
 旦那様のお顔が歪みました。
 苦しそうです。

「…ゆ、め…? …怖い夢な…見て、いま…せん…」

 はい。
 何時の間にか眠っていて、気が付けばお部屋でしたから。

「…そうか…。覚えていないのなら、良い。怖い夢は忘れるに限るからな」

「…で、すから…夢は…」

「…良いから。手を動かせるか? 布団から出してみろ」

「は、い…?」

 どうしたのでしょうか?
 試しに腕に力を入れてみます。 
 やはり、重いですが動かせます。
 何とか、肩の位置ぐらいに手を出しましたら、その手を頭を撫でていた大きな手で、軽く握られました。

「ええと…?」

 軽く頭を動かしたら、額にあった物が落ちるのが見えました。柔らかな厚い手拭いですね。

「こうしててやるから、眠れ」

 落ちた手拭いを、旦那様が空いている手で拾いあげました。

「…は、い…」

 …ああ…そうですね。
 朝から旦那様に御心配をお掛けしてますから、こうして安心したいのでしょうか?
 大丈夫ですよ。
 僕は、溶けて消えたりはしませんし、何処にも行きませんから。
 …あれ…?
 そう云えば、何時だったか、そんな様な事を奥様に言われた気がしますね?
 何時の事だったでしょうか…?

「ほら、目を瞑れ」

 低く優しく静かな旦那様の声が心地良くて、僕はゆっくりと目を閉じました。
 大きな手に包まれた右手が、ぽかぽかと気持ち良いです。
 ずっと、このままなら良いのにと思いながら、微睡みの中へと僕は落ちて行きました。
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