紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第2章 望まない繋がり

第17話 侮るなかれ

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 砂埃をあげて大男が目の前から消えていった。
 男は顔面から地面とこんにちはしたのか、鼻血を点々と地面に散らしながら転がっていく。ものすごく痛そうだ。

(うわぁ……)

 暁明シャオメイは男の襟首あたりを掴んで投げ飛ばしたように見えた。
 あの細腕のどこにそんな力があるのか。
 曄琳イェリンは軽々と男を転がした暁明をまじまじと見る。服装一つ乱さず済まし顔で男を見下ろす姿は、絵面だけ見るとどちらが悪者かわからない。
 
 さすが武のソン家の人間というべきか。
 暁明は文官なので武芸は一通りくらいできる程度だろう、なんて思っていたことを猛省する。
 暁明は武官としてもやっていけるほど、腕が立つらしい。
 
 唖然として立ち尽くす曄琳を尻目に、悠々と暁明が振り返る。

「怪我は――」

 言いかけて、暁明の口が止まった。
 彼の視線が左目に吸い込まれていく。曄琳はハッとして左目を覆った。

(そういえば眼帯!)

 地面に落ちている眼帯を見て、曄琳は絶叫しそうになる。確実に、見られた。

(落ち着け、落ち着け。変に取り乱すと怪しまれる。ここは冷静に)

 曄琳は素早く眼帯を拾い上げて身に着けると、何事もなかったように暁明に向き直った。
 何もなかった。そう、何もなかったのだ。
 曄琳は顔に焦りが出ないよう、努めて冷静に口を開く。

「少監はなぜこちらに?」 
「…………それはこちらの台詞です。私は青延門せいえんもんでとお伝えしていたはずですが?」
  
 暁明は探るような目を向けてはくるが、深く追及してこなかった。この場で聞く話ではないと判断したようだ。
 曄琳はぐうと言葉に詰まる。

「あと、止血した方がいい」

 暁明が懐から布を差し出してくる。曄琳は頬が痛むことを思い出し、差し出されたそれを受け取った。ほのかに香の匂いがする。
 
 指示を無視した挙げ句、外に出ようとしたところを暁明に見つかってしまった。 
 今回の脱出は完全に失敗だ。
 頬の傷を拭うと、思った以上に血がついた。悔しさから唇を噛む曄琳に追い打ちをかけるかのように、暁明が爆弾を落とす。
  
「まあいいでしょう。私もわかっていてここに来たので」
「……は?」
「あなたが宮中から逃げようとしていたことですよ」

 いよいよ曄琳は固まった。
 
(嘘でしょう。最初から筒抜けだったってこと?)

 曄琳が問い質そうと一歩踏み出すのと、伸びていた大男が鼻血を垂らしながら身体を起こすのは同時だった。強制的に会話が中断されてしまう。 
 見ると、起きた大男が怯えたようにあたりを見回していた。暁明以外に仲間がいないか確認をしているようだった。

「いってぇな……んだよ、生っ白い官吏サマだけだったか」

 他に人がいないことがわかると、男の顔から怯えの色が消えた。線の細い暁明の容姿に警戒心が緩んだのかもしれない、不遜な態度で暁明を睨めつける。

「女みてぇな奴だな。裾子でも履かせればこの女より売れそうだ」

 それは間違いない。
 曄琳は遠巻きに深くうなずいた。
 
 しかしそんな安い挑発に乗る暁明ではなかった。

「それは御免被ります。大人しく伸びていたら見逃してやろうと思っていましたが、まだやりますか」
 
 平時と変わらぬ冷静沈着な面持ちで男の前に立つ。

「丸腰の青瓢箪びょうたんに何ができるんだよ」
 
 威勢だけはいい大男が暁明の端麗な顔に舌打ちする。
 
(その青瓢箪に転がされたことをもうお忘れなんだろうか)

 曄琳は呆れ返る。
 そも暁明の衣の色に怯まないところを見るに、あまり物を知らないのかもしれない。
 
 今暁明が身につけているのは緋色の衣。官職として最高位に近い三品以上の紫には及ばないが、五品以上でなければ身に着けられない赤の衣なのだ。庶民がこれほどの上級官人に目通りできることなど、まずありえない。州城の近くや都に住む人間なら皆が知る常識だと思っていたが、この男に関しては違ったようだ。

 暁明が一歩前へ出た。
 恐れを知らない大男は落ちていた剣を拾い上げる。

「ああ゛!? やんのか!?」

 血の気の多い男だ。やめた方がいいと思うけどな、と曄琳は呟いた。
 その予想は当たることとなる。 
 暁明はその柳眉を顰めると、細く息を吐き出した。
  
「先を急ぎますので」

 そこからの展開は早かった。
 青筋を立てた大男が力任せに剣を薙ぎ払った。素早く間合いから距離をとった暁明は、その一撃を難なく躱した。そして二撃目が振り下ろされるよりも早く男の懐に潜り込むと、自身の肘を男の鳩尾に突き入れた。ぐうと呻いて後ろにたたらを踏んだ男に追い打ちをかけるように、勢いをつけた暁明の回し蹴りが胴に入った。
 
 綺麗な放物線を描いて、大男が再び宙を舞った。
 既視感デジャビュ、とかいうやつだ。

 どさっと音を立てて、またもや顔から大男が着地した。今度は確実に伸びたようだ。ぴくりとも動かない。

 息一つ上がっていない暁明は、男に近づき手早く帯を抜き取ると、男を後ろ手に縛り上げた。そして門の陰で成り行きを見守っていた衛士を振り返る。

「あなたはこいつを連れて自首なさい。いいですね?」

 一部始終を見ていた衛士は悟り切った顔で何度もうなずくと、男を抱えて門の中に入っていった。

「――さて。次はあなたですよ、曄琳」

 暁明が服についた埃を払いながらこちらを向く。
 曄琳も衛士と同じく悟った顔をして両腕を出した。
 ここは大人しく従う他ない。
 曄琳の未来は、今や暁明が握っていた。
   


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