22 / 36
第3章 華の競い合い
第22話 邂逅
しおりを挟む雪宜に連れてこられたのは至春院の外れ、小さな書庫だった。
「毎度お会いするのがこんな場所で申し訳ありません」
見渡す限り、壁一面に譜が収められている。薄暗い室内にすらりとした長身の男が立っている。
「別に場所なんて、どこでも私は気にしませんよ」
すげなくそう返すと暁明の眉が僅かに持ち上がった。曄琳は気にせず話を続ける。
「それで、今日はどんな御用で――て、あれ?」
続けようとして彼の後ろ、足元に小さな塊がひっついていることに気づいた。暁明の腰のあたりにも小さな手がしがみついている。
(子ども?)
曄琳が確認しようと暁明の背後を覗こうとすると、すすっと後ろに隠れてしまった。そのときに、僅かに見えた赭黄色の裾に、曄琳は固まった。いやまさか。
じりじり後退すると背中が雪宜にぶつかった。雪宜は朗らかに笑うと膝をつき、曄琳にとどめを刺してきた。
「ああ、主上もいらっしゃっていたのですね」
赭黄は天子の色、寧春国皇帝にのみ許される貴色である。曄琳は急いで雪宜に倣って膝をつく。
本来ならこんな下官が皇帝陛下より高く頭があるななどあり得ない。相手が小柄なら地面に頭を擦り付ける叩頭礼しかないと身体を畳もうとすると、小さく声をかけられた。
「よい、おもてをあげよ」
幼子特有の舌っ足らずな話し方であるのに、口調は大人びている。そろりと視線を持ち上げると、真ん丸な大きな目と視線がかち合った。
男の子というよりは、女の子に間違われそうな愛らしい顔をしている。滑らかでふくふくとした頬は白玉のよう。
人見知りというのは本当のようで、暁明の腰辺りの布を掴む手は固く握り込まれていた。
横の雪宜は慣れた様子で主上に声をかける。
「主上、ご機嫌麗しゅう御座います。本日は宋少監とお忍びですか?」
「暁が……どうしても外出したいというから、気になって余もいきたいと無理をいったんだ」
「そうでしたか。息抜きになっていいですね」
一人称が余なのか。
曄琳はこの齢五歳の幼い皇帝をひっそり観察する。
彼は遺書騒動の安妃の息子、姓を旺、名を遊聖という。が、皇帝の名を呼ぶことは不敬にあたるので号で呼ばねばならない。彼は即位の際に臣下より贈られた淳良という号があるのて、淳良皇帝と呼ぶのが正式な呼び名である。
主上改め、淳良は、曄琳をちらと見ると隣の暁明を見上げた。
「彼女が暁のイイヒトか?」
「「違いますよ」」
暁明と声が被った。
曄琳が見上げると、嫣然と微笑む暁明と目が合った。こんな顔の良い男と関係を疑われるなど、普通の娘なら頬のひとつでも染めただろう。
が、曄琳にとって宮廷は敵地も同然で、浮ついた感情は微塵も湧いてこなかった。それに相手は暁明だ。油断はできない。
曄琳が死んだ魚のような目をすると、暁明の笑みが深くなった。恐ろしい。
暁明は咳払いひとつすると、淳良に向き直った。
「彼女は蔡掖庭令と同じ。私の協力者ですよ」
協力者。その単語で曄琳は女装の話を思い出す。
――私の女官姿の秘密を知るのは、内侍省では内侍長と掖庭令。殿中省内では殿中監、殿中丞のみです。
ということは、話の流れからして曄琳の横にいる宦官・蔡 雪宜は内侍省掖庭令ということになる。
雪宜が思ったより高い立場の人間であることを知り、曄琳は重い足枷をはめられたような気分になった。どんどん身元を知られてはいけない相手が増えている。逃げたくとも、逃げられない状況にはまり込んでいっている気がする。果たして脱走はいつできるんだろう。
曄琳の目が更に死んだ。
雪宜がそんな曄琳と暁明を交互に見やり、立ち上がる。
「宋少監、私は主上を連れて少し外に出ます。主上は至春院にお入りになったことがないでしょうから、きっと珍しいものがご覧になれますよ」
最後の方は目線を低くして淳良に呼び掛ける雪宜。暁明の要件を察して気を回したのだろう。仕事のできる人である。
淳良は迷った風であったが、雪宜の話に興味を惹かれたのか、こくんと頷いて暁明から離れた。暁明の服を握ったままだった手が解かれる。
「暁、いってくる」
「ええ、いってらっしゃいませ。あまり遠くには行かれませんよう。騒ぎになります」
「わかってる」
淳良は見るからに嬉しそうな足取りで雪宜についていった。後宮を出入りする間に雪宜には多少心を許したのだろう。顔に緊張の色は見られない。
曄琳は書庫を出ていく大小の後ろ姿を床に座ったままで見送る。
(ちゃんと年相応なところもあるんだな……ちょっと安心した)
皇帝陛下相手に失礼は承知だが、彼とは異父姉弟なのだ。兄妹も親戚もいない曄琳が初めて会う、母以外の血縁が淳良だ。親近感まではいかずとも、不思議な何かは感じていた。
(あの子の後宮の夫人選びなら、まあ多少力になるのは吝かではない、かな)
大家族、兄妹。
幼い頃は曄琳にもそんなものに憧れがあったわけで。自分が叶わなかったものだからこそ、血縁の淳良が幸せに暮らせる後宮を作る手伝いができるのならば、それは脱走が多少遅れたとしても曄琳にとって意味のある行為になると思うのだ。
せめて宮廷に足止めされるなら、自分にとって意味のあることをしたい。
そんなことを考えていた曄琳は、暁明からの話で現実を突きつけられた。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~
佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。
それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。
しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。
不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。
陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。
契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。
これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる