紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第3章 華の競い合い

第22話 邂逅

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 雪宜シュエイーに連れてこられたのは至春院ししゅんいんの外れ、小さな書庫だった。

「毎度お会いするのがこんな場所で申し訳ありません」

 見渡す限り、壁一面に譜が収められている。薄暗い室内にすらりとした長身の男が立っている。

「別に場所なんて、どこでも私は気にしませんよ」

 すげなくそう返すと暁明シャオメイの眉が僅かに持ち上がった。曄琳イェリンは気にせず話を続ける。

「それで、今日はどんな御用で――て、あれ?」

 続けようとして彼の後ろ、足元に小さな塊がひっついていることに気づいた。暁明の腰のあたりにも小さな手がしがみついている。

(子ども?)

 曄琳が確認しようと暁明の背後を覗こうとすると、すすっと後ろに隠れてしまった。そのときに、僅かに見えた赭黄しゃこう色の裾に、曄琳は固まった。いやまさか。
 じりじり後退すると背中が雪宜にぶつかった。雪宜は朗らかに笑うと膝をつき、曄琳にとどめを刺してきた。
 
「ああ、主上もいらっしゃっていたのですね」

 赭黄は天子の色、寧春ニンチュン国皇帝にのみ許される貴色である。曄琳は急いで雪宜に倣って膝をつく。

 本来ならこんな下官が皇帝陛下より高く頭があるななどあり得ない。相手が小柄なら地面に頭を擦り付ける叩頭礼しかないと身体を畳もうとすると、小さく声をかけられた。

「よい、おもてをあげよ」

 幼子特有の舌っ足らずな話し方であるのに、口調は大人びている。そろりと視線を持ち上げると、真ん丸な大きな目と視線がかち合った。

 の子というよりは、の子に間違われそうな愛らしいかんばせをしている。滑らかでふくふくとした頬は白玉のよう。
 
 人見知りというのは本当のようで、暁明の腰辺りの布を掴む手は固く握り込まれていた。
 横の雪宜は慣れた様子で主上に声をかける。

「主上、ご機嫌麗しゅう御座います。本日はソン少監とお忍びですか?」
シャオが……どうしても外出したいというから、気になってもいきたいと無理をいったんだ」
「そうでしたか。息抜きになっていいですね」

 一人称が余なのか。
 曄琳はこの齢五歳の幼い皇帝をひっそり観察する。
 彼は遺書騒動のアン妃の息子、姓をワン、名を遊聖ヨウシォンという。が、皇帝の名を呼ぶことは不敬にあたるので号で呼ばねばならない。彼は即位の際に臣下より贈られた淳良チュンリャンという号があるのて、淳良皇帝と呼ぶのが正式な呼び名である。
 
 主上改め、淳良チュンリャンは、曄琳をちらと見ると隣の暁明を見上げた。

「彼女が暁のイイヒトか?」
「「違いますよ」」

 暁明と声が被った。
 曄琳が見上げると、嫣然えんぜんと微笑む暁明と目が合った。こんな顔の良い男と関係を疑われるなど、普通の娘なら頬のひとつでも染めただろう。
 が、曄琳にとって宮廷は敵地も同然で、浮ついた感情は微塵も湧いてこなかった。それに相手は暁明だ。油断はできない。
 曄琳が死んだ魚のような目をすると、暁明の笑みが深くなった。恐ろしい。
 
 暁明は咳払いひとつすると、淳良に向き直った。

「彼女はツァイ掖庭令と同じ。私の協力者ですよ」

 協力者。その単語で曄琳は女装の話を思い出す。

 ――私の女官姿の秘密を知るのは、内侍省では内侍長と掖庭令。殿中省内では殿中監、殿中丞のみです。

 ということは、話の流れからして曄琳の横にいる宦官・蔡 雪宜ツァイ シュエイーは内侍省掖庭令ということになる。
 雪宜が思ったより高い立場の人間であることを知り、曄琳は重い足枷をはめられたような気分になった。どんどん身元を知られてはいけない相手が増えている。逃げたくとも、逃げられない状況にはまり込んでいっている気がする。果たして脱走はいつできるんだろう。
 曄琳の目が更に死んだ。
 雪宜がそんな曄琳と暁明を交互に見やり、立ち上がる。 

「宋少監、私は主上を連れて少し外に出ます。主上は至春院にお入りになったことがないでしょうから、きっと珍しいものがご覧になれますよ」

 最後の方は目線を低くして淳良に呼び掛ける雪宜。暁明の要件を察して気を回したのだろう。仕事のできる人である。
 
 淳良は迷った風であったが、雪宜の話に興味を惹かれたのか、こくんと頷いて暁明から離れた。暁明の服を握ったままだった手が解かれる。

「暁、いってくる」
「ええ、いってらっしゃいませ。あまり遠くには行かれませんよう。騒ぎになります」
「わかってる」

 淳良は見るからに嬉しそうな足取りで雪宜についていった。後宮を出入りする間に雪宜には多少心を許したのだろう。顔に緊張の色は見られない。
 曄琳は書庫を出ていく大小の後ろ姿を床に座ったままで見送る。

(ちゃんと年相応なところもあるんだな……ちょっと安心した)

 皇帝陛下相手に失礼は承知だが、彼とは異父姉弟なのだ。兄妹も親戚もいない曄琳が初めて会う、母以外の血縁が淳良だ。親近感まではいかずとも、不思議な何かは感じていた。

(あの子の後宮の夫人選びなら、まあ多少力になるのは吝かではない、かな)

 大家族、兄妹。
 幼い頃は曄琳にもそんなものに憧れがあったわけで。自分が叶わなかったものだからこそ、血縁の淳良が幸せに暮らせる後宮を作る手伝いができるのならば、それは脱走が多少遅れたとしても曄琳にとって意味のある行為になると思うのだ。
 せめて宮廷に足止めされるなら、自分にとって意味のあることをしたい。
 
 そんなことを考えていた曄琳は、暁明からの話で現実を突きつけられた。



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