紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第3章 華の競い合い

第21話 宮妓の言い分

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 指示された時刻通りに曄琳イェリン至春院ししゅんいん庁堂ひろまへ赴いた。
 眼帯を身に着けた怪しい風体の宮妓の登場に、先に来ていた女達が訝しげに顔を突き合わせて、何やら囁きあう。本人達は聞こえないように話しているつもりだろうが、曄琳の耳は不気味だの醜いだのと悪口がしっかり拾っていた。

(こんな下っ端が混じっていて申し訳ないですね)
 
 曄琳も目立たぬようにと隅の方へ腰を下ろす。知る顔が全くいない場というのは、存外心細いものである。 

 宮妓の数は内教坊全体で数百にのぼる。顔を合わせるのはごく一部、内人や宮人は住まいからして違うので、顔すら知らぬ者が多い。その上、至春院は芸事含め皇帝のお眼鏡にかなった内人のみが所属する部署。尚更知った顔などいない。
  
 曄琳は庁堂を見渡す。
 高天井に蓮を模した透かし彫りの飾り窓がぐるりと並ぶ。天井には管弦を手にした天女の肖像がいくつも描かれ、南向きの走廊から射し込む明るい陽がそれらを照らしている。磨きぬかれた床は、おそらく全て桐――白っぽい床は足の指紋がよく目立つ。
 
 無駄に豪華。曄琳の初見の感想は、これだ。

 教坊の庁堂は、見た目もそこそこ。日もろくに当たらないので、待遇の差を否が応でも感じてしまう。
 
 ここにいる内人は皆が先帝の時代に選ばれた者。だからこそ、故人ではあるがかたの女性の趣味が透けて見える。
 すらりと手足が長く、長身で色白。そして胸元が大変こんもりしている。
 羨ましいったらない。腰の佩魚はいぎょを揺らしてしどけなく座る姿は、それだけで男性の視線を集めそうだ。

 場違い感が否めない曄琳は居心地悪く座っていたが、庁堂に数名の宦官が入ってきたのを見てほっと息を吐いた。始まれば終わる。そうすればさっさと帰れる。
 
「お集まりの宮妓の皆様、本日は――」と、宦官のひとりが定番の台詞から口上を述べ、今日の趣旨が告げられた。

 要約するとこうだ。
 今回の四夫人選抜は、管弦の技能を競って選ぶこととなった。それに伴い、妃嬪らにそれぞれ教坊至春院ししゅんいんより楽人を派遣して老師きょうしとしてつけ、選抜の期日までに管弦の腕を上げてもらいたい――とこんな感じだ。

 内人らが億劫そうに顔を見合わせた。当然だろう。管弦の腕を上げろということは、見ず知らずの妃嬪の面倒を押し付けられるということなのだから。
 しかも妃嬪は軒並み若い……いや幼い。子守りを任されるも同然だ、嫌に決まっている。

「ねーえ? これってあたし達になーんにも旨みがないんじゃないかしら?」

 内人のひとりが発言する。
 内人は宮妓という身ではあるが、佩魚はいぎょを許されている――正五品以上の官吏と同等の発言権を持っている。この場を取り仕切る宦官などより、よっぽど立場は上だ。故に宦官らも恐縮しきりで頭を下げていた。
 
 曄琳も深く頷く。これではただただ仕事が増えるだけだ。
 もっと言って姐様方、と曄琳が密かに応援していると、後ろから足音がした。
 
 振り返ると、ひっそりとひとりの宦官が庁堂に入ってきているところだった。先日見た雪宜シュエイーと呼ばれていた宦官だ。相変わらずあたりにぽやぽやと人当たりの良さそうな雰囲気を撒き散らしている。
 曄琳がそんなことを思っていると、ばちりと目が合ってしまった。更ににこりと微笑まれる。
 曄琳は慌てて前を向いた。
 
「宮妓の皆様方には、老師としてついた妃嬪が四夫人に選ばれた暁には、俸禄を積ませていただきます!」

 宮妓がゴネたことで話が進んだのだろう。宦官が声高に宣言した。
 
 色めき立つ宮妓。喧喧諤諤けんけんがくがくとしていた場が一気に盛り上がる。
 この選抜に勝てば給料に追加で報酬が出るのだ。それも掖庭宮から出るとなると、かなりの量になることが想像される。曄琳も胸の前で手を組んだ。

(逃走資金! 逃走資金!)

 今度の逃走は、どこぞの官吏でも買収して外に出してもらおうかと思っている。自力での逃走は暁明シャオメイに勘づかれる可能性が高い。協力者がいた方が成功しそうだと考えた曄琳である。
 買収に必要な資金はたくさんあるに越したことはない。良い妃嬪にあたることを祈るしかない。

 面倒な仕事から一変、賭け事のような要素が加わったことで、宮妓らのやる気に火が着いた。 
 場はそのまま解散となったが、庁堂からは興奮冷めやらぬ姦しい声が吐き出されていく。しばらくは教坊もこの話で持ち切りになることだろう。
 
 曄琳も浮足立って人波に乗って出て行こうとしたのだが、いきなり後ろから腕を掴まれたことでたたらを踏んだ。

「君はちょっと待ってね」

 声に聞き覚えがある。振り返ると雪宜がにっこりと微笑んでいた。

 雪宜は閉鎖的な後宮では魅力的な宦官なのだろうが、後宮の外に出ると、ただの宦官だ。いくら男前でも、宦官は『男』には及ばない。目の肥えた内人らは雪宜を一瞥しただけで、雪宜と曄琳を置いてさっさと出て行ってしまう。

「な、何か御用でしょうか」

 曄琳が袖を引くも、びくともしない。

「君はこっち。少監がお待ちだよ」

 曄琳はああと嘆息した。
 そういえば、暁明が言っていた五日後は今日だった。

 



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