26 / 36
第3章 華の競い合い
第26話 胡氏
しおりを挟む雪宜に皇帝陛下視察を提案した翌々日。今日も今日とてお手上げだと曄琳達三人がすごすごと碧鈴のもとから撤退していると、突然高い鈴の音が後宮中に響いた。
「おっ、何?」
茗が音の出所を探そうと首を伸ばすが、曄琳にはすぐ場所が分かった。通明門の方だ。
慌ただしい足音、女官らの声。聞き耳を立てて内容を拾うと、理由はすぐにわかった。
「あらお渡りねぇ。主上がいらっしゃったようだわ」
音を聞かずとも燦雲は状況を理解しているようで、のほほんと言い切る。横で曄琳も同意して頷いた。
「通明門を通って主上が橋を渡られたみたいです。どうやら蔡掖庭令にお願いしたことが通ったらしいですね」
すると、静かだった後宮が一気に騒がしくなる。
あちらこちらから支度だ着替えだと声が上がり、髪を撫でつけた姫君達が一斉に房室の外から顔を覗かせる。十前後の年の姫が多いせいか、皆興奮して口数も多くなり、きゃあきゃあと忙しない声が飛び交う。
その中を、年嵩の女官らが手を叩いて声を張る。
「さあさ皆様! 主上は手習いのご様子を見に来られただけですよ! 騒ぎ立てぬようと仰っておいでです! 房室にお戻りを!」
まるで子を預かる私塾の老師だ。
曄琳は少女達の勢いに押されて走廊の端に追いやられた。
「いらっしゃったわ」
誰かの囁き声に振り返ると、遠い院子に明星と雪宜、そして数名の護衛を従えた淳良の姿が見えた。
いつもながら愛らしい顔の淳良が、神妙な顔をして明星の袖を引く。
――いまは何人の妃嬪がいるのだ?
――二十九名です。うち、新たに迎えたのは二十名かと。
――余は見てまわるだけでよいのか?
――気になる方には直接声を掛けていただいてもよろしいですよ。
囁き声で会話する二人を盗み聞く限り、こんなところだろうか。
人見知り発動中の皇帝陛下は、やや不安そうな表情を浮かべている。
(私達も碧鈴様のところに戻らなきゃ)
房室に慌てて駆け込むと、気色ばんだ碧鈴が荒い手つきで二胡を取り出すところだった。ここにきて初めて彼女が楽器に触る姿を見た。
「お渡りがあるなら、もっとちゃんとした格好をしたかったわ。もう……!」
弦に髪が絡まり、苛々した様子で二胡を振っている。
「碧鈴様、そのように手荒に扱っては楽器が泣きますわ」
燦雲が手伝おうと手を伸ばすも、振り払われてしまう。
「触らないで!!」
「あらあらぁ」
壁際の侍女達がやんわりと笑顔を作っている。
彼女は敵を作る天才かもしれないと、曄琳は半ば感心してしまう。
外の走廊の床が軋む音がする。距離的に碧鈴のいる房室まであと数十歩といったところか。
(ここは二胡を弾いて気を引くってのが定石なんだろうけど、碧鈴様はいかに)
あちこちの房室で弦の音がしている。調弦が甘く、弦の押さえも拙いので、響きは弱い。が、十分に聴ける演奏も混じっている。各々が必死に演奏している姿が目に浮かび、自然と頬が緩む。
そんな中、碧鈴の真横の房室から突き抜けるような軽やかな二胡の音色が響いた。
(おお、恋歌だ。大胆な選曲)
碧鈴の房室は一番端の壁際ということもあり隣接するのは左隣の房室となるが、そこから耳に心地よい音が流れてくる。
(隣はずっと静かで人の気配もなかったから、無人だと思ってたんだけど)
曄琳が驚いていると、碧鈴も同じく驚いた顔をしていた。「横は誰なの?」と壁際の女官に声を上げる。
「胡氏朱様でいらっしゃいます。昨日入内されたばかりの方ですよ」
遅れての入内となった姫がいたのか。
曄琳は衝立の奥に耳を澄ます。
海が凪ぐような音がする。指が弦の上を踊るように動いているのがわかる。弓に迷いはなく、手首の返しも揺蕩うように切れ間がわからない。木が、皮が、楽器全体が歌っているように、全て彼女に共鳴している。
朱の演奏が始まると、自然と他の房室の演奏の手が止んでいった。皆が耳をそばだてて朱の演奏に注意を向けている。――ひとりを除いて。
「なによ、あれ……」
強く握られた碧鈴の弓が乾いた音を立てる。
悔しそうに碧鈴が呟くのと、走廊を渡っていた淳良の足が碧鈴の房室手前で止まったのは同時だった。
「……すこし入ってもいいか?」
躊躇いがちに、しかし尊大な物言いはそのままに、皇帝陛下が姫に声を掛ける。それに「もちろんです」と控えめに答えた朱が房に迎え入れる。
(あーあ。完全敗北ってやつね。自業自得だけど)
視界の端の碧鈴は、全てを射殺しそうなほど苛烈な目をして朱の方を睨んでいた。
淳良視察作戦は、思わぬ方向だが一定の効果があったようだ。
◇◇◇
淳良が朱と集花堂へ移動したのを機に、房室に籠もっていた姫達が一斉に外へ出た。当然碧鈴も負けじと参戦し、女達はこぞって堂の周りに群れをなしている。年嵩の私塾老師ばりの女官達が、押すな整列しろと騒いでいるのがなんとも滑稽な光景であった。
「その後はどうです」
騒ぎの中、暁明がするりと横に寄ってくる。曄琳は無言で首を振る。雪宜からある程度事情を聞いているであろう暁明は、沈痛な面持ちで口を結んだ。
「あの子、多分妃に向いてないんだと思います。素直すぎるといいますか、感情的すぎるといいますか」
「そうは言っても入内してきたのですから。勤めは果たさねばなりません」
にべもない。
曄琳はぐしゃりと髪をかき回す。後宮に入るにあたって髪を整え化粧もしてきたのだが、鬱陶しくて早く崩してしまいたいと思ってしまう自分は、甚だ宮仕えが性に合わない。野を駆け山に生きる方が、まだ性格に合っていると思う。耳の良さも野生動物並であるのだから。
野生児曄琳は、暁明の隣にいるはずの小さな人影を探す。
「そういえば、主上を置いてきていますが平気なんですか?」
「蔡掖庭令がついていますから、しばらくは大丈夫でしょう」
見ると、淳良は雪宜の影にいた。
裏を返せば、ある程度時間が経ったら迎えに行かねばならぬということだ。
「場所を移しましょう。あまり人に聞かせる話でもない」
明星姿の暁明の後ろについて、曄琳も堂から離れる。
茗と燦雲は碧鈴の二胡を持たされ、堂の壁際に追いやられていた。堂の中央奥、淳良を囲むように大勢の姫が傅いている。その中に碧鈴の姿もあった。最前列を死守しているあたり、負けん気の強さは人並み外れているのだと思う。当の淳良は、姫の圧に押されて顔色がすこぶる悪く、横の雪宜に何やら耳打ちしていた。
(主上も大変ですね……頑張ってください……)
曄琳は異母弟の四夫人選抜がうまくいくよう、手助けすることしかできないのだ。彼が納得のいく形になればと思わずにはいられなかった。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~
佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。
それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。
しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。
不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。
陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。
契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。
これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる