紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第3章 華の競い合い

第25話 問題児・凌氏

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 女官が慌てた様子で房室へやへと駆け込む。
 遅れて曄琳イェリンら三人も顔を出すと、複数の侍女に囲まれた幼い少女が顔を真っ赤にして櫛を投げているところだった。床には簪やら玉の耳環が散らばっている。状況から察するに、彼女が投げ散らかしたものだろう。

「イヤよ! 私、こんなみっともないものつけないわ!」

 房室の奥、架子床かししょうの上で白雪と見紛うほど色白の美少女が、また金切り声を上げた。
 
 凌家四の姫、年は七つと聞く。あどけなさの抜けきらぬ顔立ちに紅を引いた唇が妙に目を引いた。華奢な身体が潰れそうなほど重い衣を纏い、架子床の上で小さく座り込む姿は、大人びたというより、大人に憧れる少女という印象を受けてしまう。
 
 怒りに震える幼き妃は、きつく釣り上がった目で曄琳らを捉える。閉口した面持ちの侍女らも、入室してきた曄琳らを一瞥する。
 
 最悪の時分に入ってしまったようだ。

「あの……」

 どう声をかけたものか。茗が恐る恐る口を開くと、侍女らは顔を見合わせ、そして取り繕うように笑顔を張り付けると、少女が投げた櫛を拾い上げた。
 
碧鈴ビーリン様、華美ばかりが良いとは限りませんのよ。皆様いらっしゃいましたし、本日より管弦の手習いも御座いますから、お袖も軽く、お飾りも――」
「イヤったらイヤよ! もし今主上がお越しになったら、こんな貧相な格好で出迎えることになるのよ!? 恥ずかしくって耐えられないわ!」
 
 なるほどである。状況は把握した。
 横のミンが「今だって十分に華美な恰好じゃないのさ」とぼやくのが聞こえた。曄琳も同意するが、リン家の姫君にとってはそうではないのだろう。
 
 絹糸のように細く艷やかな黒髪を振り乱し、凌氏碧鈴は曄琳ら三人を睨めつけた。

「あなた達が宮妓とやらね。卑賤の身でありながら私の老師きょうしを気取るだなんて、身の程知らずもいいところだわ。出て行って!」

 通明門での初見の印象とだいぶ違いがある。黙っていれば白雪の精なのだが、中身は随分違ったようだ。

「特にその眼帯女! 気味が悪いから近寄らないで!」

 しかも名指しで攻撃される嫌われようである。
 横の茗が気色ばむ。

「あんたねぇ、言っていいことと悪いことくらい――!」
姐様ねえさま、いいですから」

 ここで揉めるとややこしいことになる。斜め前の燦雲ツァンユンが女官の顔色を伺う。女官は憤懣やるかたないといった様子で、唇を噛んだ。

「……申し訳ございません。お三方は、本日はお引き取りくださいませ。明日よりまた、よろしくお願いいたします」

 宮妓の前でここまで揉める様子を見せたくなかったのだろう。指し示された出口に曄琳達三人は目配せしあい、恭しく礼をとると急いで退出した。面倒事が大きくなる前に、ここはずらかるが吉と見た。居残ればさらに揉めることは明白だった。
 
 房室を出ると、扉の横に雪宜シュエイーが立っていた。足音がしなかったので、曄琳も気づかなかった。
 雪宜はちらりと衝立の隙間から碧鈴の様子を見やり、小声で聞いてきた。

「ダメでした?」
「ご機嫌がよろしくないみたいでしたよ」
「ああ、そうでしょうね。入内してからずっとああですから」

 茗が曄琳の脇をつついてきたので顔を寄せる。

「これ、誰?」
「掖庭令、蔡 雪宜ツァイ シュエイー様」
「へー。この男前、そんな偉い人だったのねー」

 これくらいあっさりとした反応の方が気楽でいい。遅れて退出してきた案内の女官が雪宜の顔を見てぽっぽと頬を染めているのを見ると、健気だなぁなどと思ってしまう。
 雪宜はそんな女官の姿に気づきもせず頬を掻く。

明星ミンシン殿より凌氏様のご様子を伺ってこいと言われまして見に来たのですが、日を改めた方がよさそうですね」

 明星――暁明シャオメイの命ということは、曄琳の様子を見に来たということか。
 曄琳がちらと見ると、ほんの僅かに口角が上がった。
 当たりなのだろう。

「明日からわたくし達が老師として指導することって可能なのかしら? すごーく難しい気がするのだけど」

 燦雲がおっとりと首を傾ける。仕草までも上品な人だ。
 曄琳は雪宜に見惚れる女官に声をかける。

「碧鈴様は管弦の腕前はどれ程で?」
「……………………人にお聴かせできる程では」

 妙に長い無言に、全てが詰まっていた。

「下手くそなんですか。それは困りましたね」

 入内までにあらゆる教養を叩き込まれる妃嬪であるが、当然得手不得手はある。碧鈴は残念ながら管弦は苦手らしい。
 
 上手ければこのまま様子見で四夫人選抜に臨んでも問題ないかもと思ったのだが、下手ならどうしようもない。練習しなければいくら凌家の姫君といえど、落ちる可能性はある。四華の儀は、家柄だけではどうしようもないのだ。
 雪宜がふむと唸る。

「どうにかして手ほどきを受けていただかないと。落第すれば姫や凌家の沽券こけんに関わります」
「そう言われましても、ねぇ……」

 燦雲も難しい顔で頬に手を当てた。
 そして全員で重いため息をついた。



 ◇◇◇



 翌日。門前払い。
 翌々日。門前払い。
 翌々々日。門前払い。

 ここまで来ると根比べだ。
 後宮のあちらこちらから楽器の音が聞こえる中、曄琳ら三人はぽつねんと隅の院子なかにわに座り込んでいた。

「ずうっとあの姫様は不機嫌なのですか? 理由は何でしょう?」

 燦雲が頬杖をついてぼやく。
 
「他家の姫同様に扱われるのが気に食わぬと。同じ宮を分けて使わねばならないというのも、納得いかぬとおっしゃってますねぇ」

 近くの欄干にもたれるようにして腰掛ける雪宜が返事をしてくれる。
 この宦官は此度の曄琳の助っ人らしい。暁明が忙しく後宮に顔を出せない間は、雪宜が手伝いに回ってくれるそうだ。
 雪宜の回答に、茗の眉間の皺は一層深くなる。

「んなこと言ったって、まだ全員一律で位は才人さいじん。立場は同じなんだから、文句言う方がおかしくない?」
「その通りですが、矜持というものがあるんでしょうねぇ」
「くっだらない」

 宮妓に提案された『選抜勝ち抜き妃付きの宮妓、もれなく俸禄』に暗雲が立ちこめ始め、茗はしょぼくれていた。勝ち確定だと思われていた戦が負けそうなのだ、そりゃあ落ち込みもするだろう。
 曄琳もなんとか手立てがないか案をひねり出す。

「主上に後宮へお越しになってもらうのはどうでしょう。このままではまずいと思ってもらえれば、尻に火がつくかも」
「なるほど。明星殿に提案してみましょう」

 雪宜が頷き、場を離れていった。

「うまくいくといいですねぇ」

 燦雲が曄琳の頭を撫でる。
 燦雲は時折こうして頭をわさわさしてくるので、曄琳としてはなんとも面映ゆい気分である。もし年上の従姉がいたらこんな感じだろうかと思ってしまう。
 茗とはもっと竹を割ったような、姉妹のような雰囲気で、こんなに甘やかされることはまずない。
 
 燦雲は曄琳の眼帯姿を気に留める様子もなく、年下の宮妓として大層可愛がってくれる。舞や楽器の腕も確かで、先帝時代は内人のかしらの一角であったらしい。

(こんな凄腕の宮妓を老師につけてもらってるっていうのに、碧鈴様はなんてもったいないことをしているんだろう)

 淳良招集作戦が功を奏することを祈るばかりである。


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