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第3章 華の競い合い
第24話 初めての掖庭宮
しおりを挟む曄琳は教坊の庁堂の隅で正座をし、同僚の宮妓を前に楽器の音を聞いていた。楽器の不調を探ってほしいと言われて請け負ったのだが。
耳を働かせながらも、頭は別のことでいっぱいであった。
(思いの外、あっさり約束を取り付けられて拍子抜けかも)
断られるだろうも思いつつ暁明にふっかけた頼み事、『貧民街に行きたい』は二つ返事で受け入れられた。後日日取りを調整するとまで言われて、あの場は解散となった。
(母様の笛子だけでも回収しないと。私の持ち物と一緒に養母に売っぱらわれちゃたまらないもの)
曄琳が内教坊へ来て既に半年経っている。金に困っていそうな養母が、律儀に曄琳の私物をとっておくとは考えられない。
特に年末にかけては、春節に向けて家財の整理をする家が多い。不用品を市に出して売り捌くなら、秋から冬にかけてだ。夏の今のうちに戻れば、私物を全て回収できる可能性が高い。
「さー小曄! 行くわよぉ!」
ご機嫌な茗が七弦琴片手に曄琳の肩を叩く。
暁明に頼んだ通り、茗も四夫人選抜の面子に選ばれることとなった。俸禄上乗せの可能性があると知り、この師匠は完全に浮かれているようだ。
これからほぼ毎日、四夫人選抜まで老師として後宮へ入り浸ることになる。午前中は教坊で普段通り練習、午後は後宮で妃について練習。忙しい毎日だ。
曄琳は目の前の宮妓に、「皮を張り替えないと音色はそのままだと思います」と伝え、荷物を持つと、急いで茗とともに教坊を後にした。
◇◇◇
通明門で身辺の改めを受け、掖庭宮の中へと入る。
ここへ来るのは三度目か。一度目は幽鬼騒動。二度目は安妃の遺書探し。どれもお忍びだったため、実質初めて内部へ立ち入ることになる。
つい、あたりを見回してしまう。
さすが女の寝所というべきか、細かいところまで手入れが行き届いている。手摺ひとつとっても細かい彫りの装飾が施され、磨き上げられた床は鏡のよう。
掖庭宮は、大きく分けて四つの区画からなるらしい。
一つ目は、掖庭宮中央に位置する皇后の住まい・信宮だ。皇帝が滞在する宮も併設しており、後宮の禁中である。許可なく立ち入ることは禁じられ、選ばれた側近のみが出入りする場所となっている。
それを囲むように二つ目の区画、四夫人の宮が配置される。
貴妃は東の礼宮。淑妃は南の仁宮。徳妃は北の智宮。賢妃は西の義宮――それぞれ住まう妃の氏が宮の名につくことで住まいの持ち主を表す。先帝の安貴妃は東の礼宮に身を置いたため、当時は安礼宮と呼ばれていた。
今は四夫人不在により各宮は閉鎖され、安妃の遺品が未だ残る安礼宮を除き、他の三宮は、氏を外して仁宮、義宮と称する。
四夫人より下の嬪の住まいは、この四宮の周りを囲うようにして配置される。一つの宮を複数人の嬪で使うため、位が低くなるほど房室は手狭になる。よって、仮に皇帝の渡りがあると、別の宮に移るそうな。これが三つ目の区画である。
そして四つ目は、内侍省が置かれた女官、宮女の住まう区画である。ここは曄琳らの居住する雑居舎とつくりは変わらないようで、大勢の宮女が雑魚寝で集団生活をしていた。
――と、このような塩梅で、複数人の宮妓らと後宮内を歩きながら、案内の女官から説明を受ける。曄琳は丸い目を更に丸くして、観光気分で首を巡らす。
(ここに母様が住んでたんだと思うと変な感じ。私の生まれた場所なんだな)
感慨深いような、他人事のような。
曄琳は茗の後ろにくっついて歩きながら、ぼんやりとそう思った。
最後に女官に通されたのは、三つ目の区画に位置する集花堂と呼ばれる大庁堂であった。
「ここは四夫人選抜が行われる予定の場所です。皆様には本日より一月の間、それぞれ姫様方について管弦の手習いの指導をしていただきます」
女官は憮然とした表情で宮妓の顔を見渡した。雑な手つきで手元の巻物を確認すると、ため息を噛み殺す。
(あからさまな反応。お互いに仕事なんだから仕方ないでしょうに)
案内のときから思っていたが、女官らは今回の催しに対してあまりいい感情を持っていないようであった。
道中何度も心無い言葉を聞いた。彼女達なりにこちらに聞こえないよう声を潜めてはいたが、まさかひとりの宮妓に筒抜けだったと知れば、きっと青ざめたことだろう。それほど酷い罵詈雑言であった。
彼女らは部外者に後宮を踏み荒らされるのが気に食わないのだ。閉鎖的な宮仕えの官ならではの反応ともいえる。
曄琳は不快感を隠そうともしない目の前の女官に鼻を鳴らす。
「では、これより姫様方の房へお通しします。名を呼ばれましたら、前へ」
暁明曰く、曄琳は凌家の子女につくらしいが、果たして如何に。
「李 燦雲、呉 茗、沈曄琳。凌氏のもとへ行きますので、ついてきてください」
いの一番に名を呼ばれた。やはり凌家の子女のところで間違いないようだ。
曄琳は茗と顔を見合わせると、女官の背中についていった。
茗は曄琳の事情を知らない。故に、凌家という優良物件を引き当てて純粋に喜んでいるようで、鼻歌でも混じりそうな足取りで女官に従っていた。
(茗姐様以外の宮妓と組むことになるのは予想外だったけど……)
曄琳は斜め前を歩く燦雲を盗み見る。
彼女とは初対面だが、帯から魚袋を下げているところを見るに内人のようである。
年は二十代半ばぐらいか。長身の肢体がすらりと伸び、面立ちは下がり眉に、同じく垂れがちな 目許が上品な美人である。手は楽人らしく節くれ立っており、指先には胼胝ができていた。これだけで臈長けた女性であることは察せられた。
(優しそうな人でよかった。うまくやらないと)
自身が社交的な人間ではないという自覚がある曄琳である。
先行する女官の足が止まり、ようやく凌家の房に到着かと思われたとき、前方から少女の金切り声が聞こえてきた。
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