紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第3章 華の競い合い

第32話 宋家

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「宮妓さーん! ソン少監ー!!」

 手がちぎれるんじゃないかと思うくらい両手を振り回しこちらへ存在を主張してくる姚人ヤオレンに出迎えられて、曄琳イェリン暁明シャオメイは馬車に乗り込んだ。――乗り込んだはいいが、三人でこの馬車は狭かった。
 姚人とは肩が、暁明とは膝が触れ合うぐらいには余白がない。加えてこの暑さだ。車内はすぐに蒸し風呂と化した。

「どうして姚人さんまで来ることになったんですか?」

 幌の隙間風が唯一のりょうとは、一体。
 
 曄琳は隣の姚人に肘を入れないよう、控えめに襟元を仰ぐ。この質問には、三人でなければもっと涼しいのに、という曄琳の恨み言も混じっている。
 
「あれ、宮妓さん聞いてないんですか? この後は少監のご実家に寄るんですよ!」
「実家?」

 実家というと、宋家か。暁明の方を見ると、幌の隙間から風を浴びるのにご執心でこちらの会話に加わる気はないらしい。さすがの彼もこの暑さにうんざりとした顔をしていた。汗ひとつかいていないのは、本当に人かと疑いたくはなるが。
 
「三月に一度、少監はご実家に顔を出されるんです。今回は宮妓さんの用事に合わせて休日を調整されたみたいですよ」

(なるほど、だから少監がついてきた訳だ)

 曄琳はやっと納得した。忙しい殿中少監がせっかくの休日に貧民街までわざわざ足を運ぶのは割に合わない。しかし自身の別件と合わせていたのなら、ありそうな話だと頷く。

「で、姚人さんは――」
「少監がご実家に戻られている間、宮妓さんに不便がないよう見ておけと言われてます!」

(つまり監視役、と)

 脱走される可能性を考慮しての人選というわけだ。
 体力馬鹿らしい姚人から走って逃げ切れる自信など曄琳には微塵もない。ここは大人しくしていた方が身のためだろう。暑さと諦念で、曄琳はぐったりと壁に身を預けた。

 行きと同じ一刻の間、ひたすら暑さと姚人のお喋りに耐え、砂利道から整地された石畳の上を馬車が走るようになってしばらくした後。ようやく目的地に着いた。
 暁明が早く出たいとばかりに荷台から飛び降りる。

「私ひとりで出てきます。あなた方ふたりはここで待っていてください。すぐに――」
「少監。申し上げにくいのですが」

 遮るように口を開いた曄琳に、なんだと言わんばかりに男の柳眉が持ち上がる。

「姚人さんがそろそろ限界みたいです」

 曄琳は隣で伸びる姚人を示す。
 道中あれこれ喋り倒していた彼は、暑さにあてられたのか最後の方は干からびた道草のようになっていた。おそらく水分不足だ。「ふみまへん」と赤ら顔の姚人が呻くと、暁明が額を覆った。

「…………外院げいんまで一緒に来てください。水を用意しましょう」
「ですって。よかったですね、姚人さん」

 不幸中の幸い。棚からぼた餅である。
 こうして三人で馬車から降りられることとなった。



 ◇◇◇



 宋家は皇城こうじょう南の大門、赤央門せきおうもんから伸びる大路おおどおりを南下した西側の区画に居を構えている。官人の舎屋が立ち並ぶ区画で一際大きく、一際目を引く青のいらかがその権威を物語る。青瓦チンウァ――皇帝より許しを得た極少数の家のみが掲げる――寵臣ちょうしんの証である。
  
 れんの下がる朱塗りの大門をくぐり、長い小路こみちから影壁えいへきに突き当り、外院に出る。影壁には伝説の炎尤イェンヨウ――寧楽国における戦神が彫り込まれていた。

「うわ、おおきい」

 暁明が中へ入ってしまったため、院子なかにわ手前の垂花門すいかもんの影で姚人とふたり待ちぼうけをしているのだが、曄琳はぽかんと口が開くことも気にせず、あたりを見渡した。
 
 宋家の屋敷は王城とほとんど変わらない造りをしていた。端女含め、一体何人がここに住んでいるのだろうか。
 横の姚人は屋敷自体見慣れているのか反応は薄いが、曄琳の言葉に同意するように笑う。その手には水の入った竹筒が握られている。
 
「大きいですよねぇ。奥には練功房どうじょうもありますよ!」
「ほあ……さすが宋家」

 宋家に連なる武官となれば、かなりの出世が見込まれると聞く。それだけ家に力と財力があるということなのだが、実際に住まいを目にして更に納得した。暁明があれほどの額を方蘇へ躊躇いなく出せるのも、そりゃあそうだろうと思ってしまう。
 姚人は竹筒を揺らして指をさす。

「あそこから入ると、少監の私室です。で、橋を渡って、東のあの門から西へ曲がると練功房があって……房の隣の園林にわがこれまたすっごく大きいんです。今は蓮が見頃でしょうね!」
「すごく詳しいんですね」
「はい。むかしはここに住んでたので! といっても、私はこーんな小さい頃ですけどね」

 姚人が自身の膝丈あたりを示す。曄琳は驚いて姚人の顔をまじまじと見る。

「住んでいたって……」
「あれ? 聞いてませんでした? 私の家は代々宋家にお世話になってたんです。刑を受けてからは、その……疎遠になりましたが」

 刑とは腐刑ふけい――男性性を切除する刑のことだろう。
 寧楽ニンラ国では大罪は連座、一族の罪となるのが常であった。女子供は奴婢に身を落とし、男は宦官となる――姚人の家は代々武官を務める家系であったらしいが、十数年前に叔父が皇家に対して不敬を働いたことにより、例に漏れず一族もろとも刑に処されたと姚人は語る。

「私ももとは武官志望だったんですけどねぇ……ちなみに私の兄も今は刑部ひょうぶで宦官の端くれとして勤めています。因果なものですよねぇ」

 刑に処された人間が刑を処す側に回るなんてねぇ――などと姚人が呟く。

「少監は私のように色んな理由から宋家からあぶれてしまった者達を気にかけ、拾ってくださっているんです。だからといってはなんですが、少監……暁明様には頭が上がりません」

 曄琳は後宮で見た暁明の横顔を思い出す。

 ――彼らの名を上げるには及ばない。私の部下なのですから。

(あれはそういう意味だったのか)

 姚人の言う通りなら、暁明の部下は腕の立つ武官崩れが多いのだろう。幼少期からの付き合いならば、当然繋がりも深くなる。
 
 漠然としていた宋暁明という男の像が、ほんの少し定まった気がした。




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