紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第3章 華の競い合い

第33話 互いの秘密

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 曄琳イェリンが屋敷を眺めていると、姚人ヤオレンが最初に示した走廊ろうか側――西廂房はなれから聞き慣れた足音が聞こえてきた。
 一人は確実に暁明シャオメイ、もうひとりは……年配の男性だろうか。大股と急くような歩み、踵からおろして爪先を蹴るこの独特の歩き方は、まさに武官の特徴そのものだ。

 ――本日はお時間をいただき、ありがとうございました。
 ――ふん、今はまだ主上の側近のひとり。よもやこの程度で満足とは言うまいな?

 暁明と男の会話が聞こえてくる。いや、聞こえてしまう。横の姚人は「そろそろ終わる頃ですかね」と伸びをしているくらいだ、会話は聞こえないのだろう。

 ――お側に侍る以上の栄誉はございません。他を望むは、主上の思いを無碍にすることになるかと。
 ――相変わらず口だけはよく回る。足の使えぬが。

 曄琳は心臓が跳ねるのを感じた。これは、聞いていてもいい話だろうか。

 ――武官に成れぬ出来損ないのお前を置いてやっている恩を忘れるでないぞ。
 ――勿論でございます、父上。
 ――あのように宦官や隻眼の女のような出来損ないばかりを側に置き……みっともない。

 つと、父と呼ばれた男が暁明の肩越しにこちらへ視線を寄越す。その視線を辿り、暁明が振り返った。
 初めて曄琳達がいることに気づいたのか、暁明が小さく息を呑み――目が、合った。
 気のせいかもしれない。距離があり、彼の表情までは見えないはずなのだが――諦念が滲むその顔に、曄琳は咄嗟に二人から視線をそらした。
 
 これは、彼が隠したがっていたことの全てだ。勝手に踏み荒らすような真似をしてしまった。
 曄琳は唇を噛む。じりと後悔の念が湧く。

「あれ? どうしました?」

 この会話が聞こえない姚人は、不思議そうに曄琳の顔を覗き込んでくる。曄琳は耳を塞ぐと、姚人に断りを入れる。

「私、ちょっと声を出してますが気にしないでください」
「はい? 耳なんて塞いで、何を――」
「こうでもしないと聞こえちゃうんですよ」
「……?」

 あーあーあーと呻く曄琳。耳のことを知らない姚人がおかしなものを見るような目で見てくる。

(人の秘密まで勝手に盗み聞くような真似はしたくない)

 曄琳はきゅっと耳を握る。暁明らの会話は、聞こえなくなった。
 
 四半刻ほどで戻ってきた暁明が見たものは、耳を塞いで唸り続ける曄琳と、その横で困惑しきりの姚人であった。




 ◇◇◇



 石畳を車輪が転がる。
 戻りの車内は暁明と曄琳のふたりきり――本人たっての希望で、姚人が徒歩かちで馬車についてくることになったためだ。よほどあの車内の暑さが堪えたらしい。
 会話を盗み聞いた気まずさから、曄琳はひたすらに黙っていた。何も聞いていない体で暁明には接しようと思っていたのだが。
 その暁明によって、沈黙と決意はいともたやすく破られた。
 
「先程はお見苦しいところを聞かせてしまい、申し訳ありませんでした」

 直球すぎる物言いに、曄琳はうぅと口籠る。

「えと、その……」
「あなたに聞かれる可能性は考慮していました。だから馬車で待たせようとしていたのですが……思い通りにはいかないものですね」

 暁明本人が気づいている、しらばっくれることはできなさそうだ。曄琳は頭を下げる。
 
「……申し訳ありません。聞いたことは全て黙っています」
「そうしていただけると助かります」

 頭の上から降ってくる声は思いの外落ち着いている。おそるおそる顔を上げると、凪いだ表情の暁明と目が合った。

「この際全て話しておきましょう。あなたはご存知でしょうが、私は生まれつき足が悪い……直接口に出したのは初めてですね?」
「そう、ですね」
「おかしな話です。言ってもいないのに知られているというのは」

 暁明の心中が読めない。曄琳は黙って続きを待つ。

「私は生まれつき足が悪かった。幼少の頃は今より酷く、歩くこともままなりませんでした。当時父は、嫡男であった私がこの足のせいで武の道に進めなくなることを、酷く嘆きました。まあ今も尚、かもしれませんが」

 暁明が無意識か、足をさする。

「宋家嫡男が不具ふぐ……公にすると家名に傷がつくと考えた父は、宋家お抱えの侍医と結託し、私を屋敷の奥に隠匿しました。そして、人並みに動けるようになれとを行いました。それはまあ辛いものでしたが……おかげで十をすぎる頃には、他人と何ら変わりなく生活するまでにはなりました」

 暁明の言葉には剣がある。暁明に求められた人並みとやらが、ただ歩けるようになるという意味なわけがない。武官としてやっていけるよう、無理矢理に叩き上げられたのだ。

「動けるようになったといっても、武の道に進めるほど私の足は強くなかった……そこからは今の通りです。足のことは家名を守るために伏せられ、私は文官の道に進みました。そこでまだ赤子であった今の主上と出会い、側近として引き立てられる……ね、なかなか愉快な人生でしょう?」

 そんな反応に困る返しをしないでほしい。
 曄琳が口を引き結ぶと、暁明が肩を揺らす。

「困らせるつもりはなかったんですが」
「嘘です。私の反応を見て面白がってる」
「失礼ですね、そんな下品な人間じゃありませんよ」

 暁明は細い指で顎を撫でる。

「あなたになら話してもいいかと思ったんですよ」
「…………」
「だから、あなたもその内に抱える秘密があるなら――」

 暁明の指が曄琳の眼帯に向き、その藍がかった瞳が曄琳を捉える。

「私に教えてはもらえませんか」
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