BL短編まとめ(現) ①

よしゆき

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一途に歪んだ愛

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ヤンデレストーカーに愛されて病んでいく受けの話。殺人ありますが二人は幸せで終わります。
残酷、流血表現あります。

現代 大学生 ヤンデレ 病んでる 年下×年上



───────────────



「重いんだよ、お前。正直うざい」
「ご、ごめん、気をつける、直すから……」
「もうムリ。お前の相手すんの疲れたわ」
「ま、待って……」
「じゃーな。別れたのに連絡とかしてくんなよ、うざいから」
「待って……っ」

 真緒まおの悲痛な声が虚しく響いた。
 彼氏だった男は、振り返りもせずに去っていった。
 その背中を、ただ見つめることしかできなかった。





 三人目の彼氏にフラれ、一月が過ぎた。
 真緒は立ち直れずにいた。
 今まで付き合った男に、全員同じ理由でフラれている。
 重い。うざい。
 全員に言われた。
 真緒も直そうと努力はしているのだ。しているのだけれど、どうしても好きな相手には尽くしたくなる。あれこれ世話を焼きたい。どこに行くにも着いていきたい。マメに連絡もしてしまう。嫌われたくなくて、好きでいてほしくて、色々と彼のためにと行動するが、それが重いと思われて、全てが裏目に出てしまう。誕生日には手作りケーキを焼き、バレンタインにはチョコを作る。それらも重いと言われた。
 喜んでほしくてやったことなのに、それが原因でフラれるのだ。
 三人目ともなると、もう誰とも恋愛なんてできないのではないかと、深く悲しみ落ち込んでしまう。

「その考えも重いよ。失恋なんて誰にでも起こりうることじゃん。深刻に考えすぎ」
「うぅ……」

 真緒はテーブルに突っ伏した。

「たかだか三人にフラれたくらいで、そんな落ち込まないの。元気出しなさい」

 真緒の旋毛をぐりぐりと指で押すのは、幼馴染みの由梨ゆりだ。
 大学内のカフェでお茶しつつ、落ち込む真緒を由梨なりに元気づけようとしてくれていた。
 わかっている。たった三人だ。けれど、落ち込まずにはいられない。傷は深く、真緒の心を抉った。

「俺ってそんな重いのかな……。耐えられないくらいうざいのかな……」
「相性も悪かったんでしょ。あんたが付き合った男がそういうの嫌いなタイプだったってこと。世の中には尽くされたいとか束縛されたいってタイプも大勢いるんだから」
「そうなのかな……」
「真緒って自分に合わないタイプの男を好きになるよね。もっと視野を広げたら?」

 今まで付き合った三人は、全員真緒の方から好きになり、真緒が告白して付き合うことになった。確かに全員、似たようなタイプの男だ。そういう男を好きになってしまうのだから仕方ない。

「うーん……」
「ほら、伏見ふしみくんとか」
「っ……」

「伏見」の名前に、真緒はぴくっと反応する。

「な、なんで伏見……?」
「だってあの子絶対真緒に気があると思うのよね」

 そのとき。

「呼びましたか?」

 聞こえてきた声に真緒はびくりと肩を竦めた。
 由梨は片手を上げる。

「お、伏見くん」
「こんにちは」

 にこやかに近づいてくるのは、一年後輩の伏見京介きょうすけだ。眼鏡の似合う、長身でスラッとした体格の爽やかなイケメンだ。人当たりもよく、女子からの人気は高い。

「俺もご一緒していいですか?」
「いーよー。あたしはもう行くけど」
「はあ!?」

 立ち上がる由梨に、真緒は思わず大声を上げてしまう。

「な、なんでもう行くんだよ、だったら俺も……っ」
「あたし用事あるし。真緒はまだ時間あるでしょ」
「そ、そうだけど……」

 二人のやり取りに、京介は申し訳なさそうに眉を下げる。

「すみません、俺、邪魔してしまいましたか? 迷惑でしたら……」
「違う! 迷惑とか邪魔とか全然思ってないから!」

 立ち去ろうとする京介の腕を慌てて掴む。

「でも……」
「ほんとに大丈夫だから!」
「いや……」
「いいから、ほら、座れ!」

 戸惑う京介を強引に座らせる。

「じゃ、あたしは行くから」
「おう、またな!」

 手を振る由梨に真緒は手を振り返し、京介は頭を下げて見送った。
 二人になると、京介は改めて真緒に謝罪する。

「すみません、俺……」
「違うって、今のは俺が悪かった! 嫌な態度とってごめん! すげー感じ悪かったよな……」
「そんなことないですよ」

 京介は苦笑する。その顔は寂しそうだ。

「……俺の気持ちは、迷惑ですか?」
「違う! 迷惑とか、そんな風には思ってない、絶対っ」

 ぶんぶんと首を横に振る。
 由梨の言った通り、京介は真緒に気があるらしい。真緒は彼からしっかりとアプローチを受けていた。彼氏と別れてから告白され、断ったのだが、それでも諦めずに思いを伝えてくる。
 嫌ではない。ただ嬉しいと感じるよりも戸惑いが大きい。いつも好きになるのは真緒の方で、こんなことははじめてなのだ。真っ直ぐに気持ちを伝えられると、どうしていいのかわからなくなる。
 今までのことがなければ、恐らく付き合っていたと思う。多少は迷ったかもしれないが、それでも断らずに受け入れただろう。
 でも、手痛い失恋を三度も経験した真緒は、京介の告白を受け入れられなかった。
 付き合っても、またフラれて終わるのではないか。今は好きだと言ってくれても、時間が経てば真緒のことを重いと感じ、ウザくなるのではないか。
 そんな恐怖がつき纏う。こんなことでは、もう誰とも付き合うことなどできない。
 由梨も言っていた。深刻に考えすぎだと。
 わかってはいるが、やはり怖いのだ。
 京介のことは好きだ。恋愛感情ではないが、優しくて誠実な彼を好ましく思っている。きっと付き合っていく内に真緒の気持ちも変化するだろう。恋人として、好きになれると思う。
 だからこそ、彼を好きになったあとで、彼の気持ちが冷めていくのではないかと想像して怖くなる。真緒を残酷に突き放し、離れていってしまうのではないかと考えてしまう。今まで好きになった相手と同じように。
 京介の気持ちを迷惑だとは思わない。それは確かだが、受け入れることもできない。
 中途半端なのはよくない。付き合う気がないのなら、いっそ迷惑だと言ってはっきり断ってしまうべきなのかもしれない。
 そうは思うが、こうして好意を向けてくれる彼を無下にはできなかった。だったらいっそ付き合ってしまえばいいとも思うのだけど、やはり怖い。
 結局どうすることもできず、真摯に思いを伝えてくれる京介に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだ。





 それから数日が過ぎた。大学の帰り道、真緒は一人で歩いていた。
 そのとき、前から歩いてきた男が声をかけてくる。

「あれ? お前、真緒か?」

 名前を呼ばれて顔を上げる。真緒は目を見開いた。
 男は高校の先輩で、真緒の二番目の彼氏だった。
 彼に手酷くフラれた記憶が甦り、顔が強張る。

「おー、久しぶりだな」
「せ……先輩……お久しぶり、です……」

 ぎこちなく挨拶を返す。
 正直、会いたくなかった相手だ。
 真緒の気持ちを知ってか知らずか、男はニヤニヤと笑っている。自分が真緒に吐き捨てた暴言など忘れたかのように、馴れ馴れしく肩に腕を回してきた。

「な、なんですか……?」
「今から俺ん家来いよ」
「は、な、なんで……?」
「今すっげーヤりたい気分なんだけどさー、こーいうときに限って誰も掴まんなくて」
「は……?」
「だから、お前のケツ貸してくんね?」

 なんでもないことのように告げられた言葉の意味を、一瞬理解できなかった。
 冗談だとしてもたちが悪いが、この男は本気で言っているようだ。

「なに言ってんすか、嫌に決まってるでしょう」

 体を離そうとするが、がっちりと掴まれて離れられない。

「いーだろ、別に。はじめてじゃあるまいし。俺とお前の仲じゃん」
「嫌です、先輩とはもう別れてるんだから」
「なに、お前今付き合ってる男いんの?」
「それは、いないけど……」
「だったらよくね? お互い気持ちよくなれてスッキリできるんだからさ」

 へらへらする男の笑顔が不快だった。
 付き合っていたときは、本当に彼のことが好きだった。一途に彼を思って、彼に尽くしていた。それなのに、彼は真緒のことを誰とでも簡単に寝る都合のいい相手だと思っているのだろうか。
 そんな風に見られていることがショックで、とても腹立たしい。
 こんな男に二度と抱かれたくはない。心の底から嫌悪感が湧いてくる。

「嫌だって言ってるだろっ」
「うるせーな」

 振り払おうとするが、逆に腕を掴まれた。ギリッと、腕に男の指が食い込む。

「いッ……」
「いいからおとなしく俺に掘られてろよ」

 威圧され、真緒は青ざめる。
 力では敵わない。このままでは、無理やり家に連れ込まれてしまう。できれば大事にはしたくないので、誰かに助けを求めることもできない。
 どうにか自力で逃げ出す方法を必死に考えていると、後ろから声が聞こえた。

「すみません、離してもらえますか」

 びっくりして背後を振り返ると、京介が立っていた。

「ふ、伏見……」
「あ? なんだよ、お前」

 男は威圧的な態度で伏見を睨め付けるが、彼は怯むこともなく穏やかに微笑んでいる。

「真緒さん嫌がってますよ。離してください」
「てめーに関係ないだろ、邪魔すんな」
「関係ありますよ。真緒さんは俺の大事な先輩ですから」

 微笑を浮かべたまま、京介は真緒の腕を掴む男の手首を掴んだ。そして容易く引き剥がす。

「ってぇな、なにすんだっ」
「引き下がって頂けないなら、警察を呼ぶことになりますけどいいですか?」

 伏見の脅しに、男は舌打ちする。

「うぜーな。萎えたわ」

 吐き捨てるように言って、男は背を向けた。そのまま去っていく。
 その背中を見送り、真緒は深く安堵の息をついた。
 助かったのだ。それを実感して、肩の力が抜ける。
 真緒の腕を、京介が優しく摩った。

「大丈夫ですか?」
「うん。ありがとう、伏見。助かった」

 彼を見上げ、笑顔で礼を告げる。
 京介は真剣な顔で真緒を見下ろしていた。

「真緒さん、俺と付き合ってください」
「は、え……!? 急に、なにを……」
「今の男、真緒さんに恋人がいないから言い寄ってきたんですよね?」
「そう、なるのかな……」

 確かに恋人がいるかは訊かれたが、あの様子だと恋人がいたとしても同じように言い寄られていた気がする。

「だったら、俺と付き合ってください。そうすれば、恋人がいるからって断れますよね?」
「そう、かも、しれないけど……」
「真緒さんが心配なんです。だから……」
「心配してくれるのは嬉しいけど、だからって、付き合うとか……それは、ちょっと……」
「どうしてもダメですか? 俺とは絶対に付き合いたくないですか?」
「そ、そうじゃないけど……」

 京介が本気で自分のことを思ってくれているのは伝わってくる。
 だったらもう付き合ってもいいじゃないかと、頭の片隅ではそう思う。思うけれど、やはりギリギリで踏みとどまってしまう。いつか来るかもしれない別れに怯えて、一歩が踏み出せない。
 逡巡する真緒に、京介が言う。

「真緒さんは、俺と付き合ったあとで、俺に嫌われるのが怖いんですよね?」
「え……?」
「重いって、フラれるのが怖いんですよね? ウザいって言われて、いつか俺の気持ちが冷めるんじゃないかって、そう思ってるんですよね?」
「そう、だけど……」

 それを、どうして彼が知っているのだろう。
 真緒が今まで彼氏にフラれてきたことも、フラれた理由も、そもそも恋人がいたことすら、真緒は由梨にしか話したことがない。由梨が真緒の知らないところで勝手に話すとは思えない。
 考えられるのは、真緒の元カレの知り合いで、そっちから話を聞いたのかもしれない。思えば、京介が告白してきたのも前の彼氏にフラれた数日後だった。あまり深く考えていなかったが、まるではかったかのようなタイミングだ。
 どういうことなのだろう。
 訝しげに京介を見つめる。
 彼の視線は真っ直ぐこちらに注がれていた。
 眼鏡の奥の瞳はいつもと変わらない穏やかな笑みを湛えているのに、どうしてか胸がざわついた。

「ねえ、真緒さん。俺が、真緒さんを嫌いになるなんてあり得ませんよ」
「なんで、そんな、言い切れるんだよ……。そんなの、わからないだろ……」
「いいえ、絶対にあり得ません。重いだなんて思わない。ウザいなんて思うはずがない」
「なんで……」
「それを証明しますから、今から俺の家に来てください」
「え……?」

 京介の態度は普段となにも変わらない。優しい声音も、笑顔も。
 それなのに、有無を言わせぬ雰囲気だった。
 京介を怖いと感じたことなど一度もないのに、なぜか今、言い知れぬ恐怖を彼に対して抱いている。

「来てくれますよね?」
「……うん」

 頷くことしかできなかった。
 京介は嬉しそうに、にっこりと微笑む。

「よかった。じゃあ、来てください」

 歩き出す彼のあとに、ただ黙ってついていく。
 逃げる理由なんてないのに、逃げなくてはならないような気持ちになる。真緒はずっとその気持ちを押し殺して彼の後ろを歩いていた。
 やがて辿り着いたのは、真緒の暮らすアパートのすぐ傍にある高級マンションだ。こんなに近くに住んでいたことをはじめて知った。
 京介に腕を引かれ、中に入る。エレベーターに乗り込んだところで、彼に声をかけられた。

「真緒さん? もしかして緊張してます?」
「え!?」
「さっきからずっと無言だから」
「あ、いや、すごい綺麗なマンションだなって、感心してた……」

 不思議そうにこちらを見下ろす京介に、当たり障りのない言い訳をする。
 京介相手になにも心配する必要はないはずなのに、胸騒ぎが治まらない。
 不安を掻き消したくて、他愛のない会話を繋ぐ。

「伏見って一人暮らしだっけ?」
「はい、そうです」
「こんな立派なとこに住んでたんだな」
「そうですね。セキュリティのしっかりしたところがいいなって思って。ゆくゆくは恋人と二人で暮らしたいですし」
「そ、そっか……」

 屈託のない笑顔を向けられ、顔が引きつりそうになる。
 別の話題を……と考えて、口を開く前にエレベーターが止まった。

「こっちです」

 京介に手を引かれ、前へ進む。何度も立ち止まりそうになるが、それを遮るように京介が前へと促す。
 
「ここです」

 開かれたドアの中へと、手を引かれるままに足を踏み入れた。
 恐れることはないもない。真緒は自分に言い聞かせる。
 廊下を進み、奥にある部屋のドアの前で足を止めた。

「これを見たら、きっと真緒さんは俺の気持ちを信じてくれますよ」

 にっこり笑って、京介はドアを開けた。
 その先に広がる光景に、真緒は息を呑む。
 部屋の壁に貼られた無数の写真。それらの全てに真緒が写っている。
 血の気が引き、全身に鳥肌が立った。
 理解することを頭が拒んでいる。
 これはなにかの間違いだ。
 京介の冗談なのだ。
 真緒を驚かせようとして、こんな手の込んだことをしたのだ。
 きっとこの写真は全部合成だ。
 そのはずだ。
 そうでなければおかしい。
 そうでなければならないのだ。
 写真が作り物だという証拠を探すため、壁に貼られた写真に隈無く視線を走らせる。
 そしてぎょっとした。
 写真は真緒の高校や中学時代のものも混ざっていた。他と比べると少ないが、小学生のときのものもある。

「なん……なんで……」

 いつから? という疑問が頭に浮かんだ。

「どうですか、真緒さん」
「っ……!?」

 背後からかけられた声にビクッと肩が跳ねる。
 笑みを浮かべたまま、京介は部屋の奥へ進んだ。

「俺の気持ち、わかってもらえましたよね?」
「……気持ち……?」
「俺が、どれだけ真緒さんのことを思っているのか」

 狂気に満ちた京介の視線を向けられ、足が震える。
 ふらついた真緒は、近くにあった棚にぶつかった。そのままがくりと膝をつく。
 ぶつかった衝撃で棚から箱が落ちた。蓋が開き、中身が飛び出す。
 ジッパーでしっかりと口を閉じられたビニール袋が二つ。袋の中には体操服が入っていた。どちらも見覚えがある。真緒が中学と高校のときに着ていた学校指定の体操服だ。
 真緒は自分の体操服が盗まれたことが二度あったのを思い出した。
 一度目は中学生の頃で、イタズラだと思っていた。嫌がらせだとしたら気分は悪いが、それ以上はなにもなかったのでその内盗まれたことも忘れていた。
 高校でもまた盗まれて、やはり嫌がらせを受けているのかと思った。でも男の真緒が体操服を盗まれたなんて騒ぐのも恥ずかしく、そしてやはりそれ以上はなにもされなかったので気にしないことにした。
 真緒は震える手を伸ばす。恐る恐る確認すれば、真緒の名字がしっかりと刺繍されていた。
 ひく、と一瞬息が止まった。

「これ、俺の……?」
「ええ、もちろん」

 見られたことに慌てることもなく、京介は大仰に頷いた。

「真緒さんの匂いがついたものが欲しくて。匂いを消したくないから、匂いを楽しむだけであまり触らないように大切に保管してるんです」

 そう話す京介は誇らしげですらある。
 理解が追い付かない。
 自分はなにを見せられているのか。
 目の前の、優しい無害な後輩だったはずの男は、一体なにを言っているのか。
 混乱して、まともにものを考えられない。

「…………好きって……」
「はい?」
「……俺のこと、好きって……いつから……?」

 真緒の問いかけに、京介は笑みを深くする。

「真緒さんが小学生の頃、五年生のときですよ。俺達は同じ学校だったんです」
「そんな……」
「もちろん中学も同じですし、高校も真緒さんと同じところを選びました」
「…………」

 真緒は全く知らなかった。てっきり同じ大学で真緒と出会い、交流していく内に好意を抱いてくれたのだと思っていた。

「真緒さんのことを好きになって、最初は遠くから見てるだけで嬉しかったです。真緒さんの顔を見られるだけで満足でした。でも、どんどん好きになって、真緒さんのことを知りたいと思うようになったんです」

 逃げるべきなのかもしれない。頭の中では警鐘が鳴り止まない。けれど恐怖のせいなのか、体が動かなかった。寧ろここで逃げてしまった方が恐ろしいことになるのではないかと、頭の片隅で考えていた。

「そして、知れば知るほど真緒さんのことを好きになった。だからもっともっと知りたくなった。真緒さんの全てを知り尽くさないと気が済まなくなっていった」
「…………」

 真緒はなにも言えない。なにを言えばいいのかわからない。
 これ以上彼の言葉を聞きたくないのに、それを遮る声も出せない。

「どんな些細なことも知りたくて、調べ上げて、真緒さんのことを知る度に嬉しくてそれだけで満たされました。真緒さんが俺を見なくても、俺の存在を知らなくてもよかった。知ってもらいたいとは思ってなかった。だから、声をかけませんでした」

 真緒は京介のことなど全く記憶にない。本当に遠くから見つめ、調べるだけだったのだろう。

「高校に入って真緒さんに恋人ができて……それを見ても、最初は真緒さんが幸せそうだから俺も嬉しかったんです。恋人と一緒にいる真緒さんはいつも楽しそうで、キラキラ輝いていて、そんな真緒さんが見られることが俺は嬉しかった」

 でも……と、京介は顔を歪めた。

「真緒さんが恋人にフラれて落ち込んでるのを見て、徐々に俺の気持ちは変化していきました。重いって言われてショックで泣きじゃくる真緒さんを見て、慰めてあげたいと思った。俺が恋人だったら、真緒さんを悲しませたりしないのにって。真緒さんの恋人を妬ましく思うようになっていったんです」
「…………」
「真緒さんと同じ大学に入学したら、告白しようって決めてました。だから、真緒さんが恋人と別れるのをずっと待ってたんです。漸く別れてくれて、告白したのに、真緒さんはすっかりフラれることに怯えちゃって、そのせいで俺の気持ちに応えてくれなくて……だから、俺がこんなに真緒さんのことを好きだって知ってもらいたくて」

 眼鏡越しに、暗く澱んだ瞳が真緒を見つめる。

「ねぇ、真緒さん。俺の気持ち、わかってもらえましたよね?」
「ぁ……う……」
「俺はもうずっと何年も真緒さんを見つづけて、ずっと真緒さんのことだけを考えてきたんです。真緒さんが好きで悲しませたくないから、ずっと我慢していたんですよ」

 京介は机の上のパソコンを操作する。
 カチカチというクリック音につづき、あられもない嬌声が鳴り響いた。

「っな……」

 パソコンに映し出された映像を観て目を見開く。
 そこには元彼と裸で絡み合う真緒の姿がしっかりと映っていた。場所は現在真緒が暮らしているアパートの部屋の中だ。
 生々しい情事の音と、真緒の上げる喘ぎ声が耳に入り、激しい羞恥が込み上げる。

「や、やめ……っ」
「我が物顔で真緒さんを抱く男に、腸が煮え繰り返りそうでした。部屋まで乗り込んで、相手の男を殺してやろうかって何度も考えたんですよ。でもそんなことをしたら真緒さんは悲しむでしょう? だからおとなしく別れるのを待ったんです」
「け、消して、くれ……っ」
「それなのに、まだ俺の愛を疑うんですか? 俺はこんなに真緒さんのことが好きなのに、いつか捨てられるかもって怖がっているんですか?」

 京介は明らかに異常だ。そしてそれをきっと本人はわかっていない。だから平気な顔をしてこんな狂気にまみれた部屋を見せられるのだ。
 気持ちを疑うとかフラれるのを怖がるとか、そういう問題ではない。京介はストーカーで、だからこそ彼の気持ちを受け入れられるわけがない。
 警察に行くべきだ。けれど、彼の手元には真緒の弱みになり得るものが多すぎる。男とセックスしている映像なんて、流出されたら終わりだ。顔もバッチリ映っているし、名前だって呼び合っている。これらを証拠品として警察に押収されるのだって嫌だ。

「真緒さん?」
「っは……」

 気づけば、京介が目の前に立っていた。
 ビクッと肩が跳ねる。
 蒼白な顔を上げれば、こちらを見下ろす京介と目が合った。

「まだ足りないですか?」
「え……ぁ……」
「わかりました、じゃあ後は、体に教えてあげます」
「ひっ……」

 手を伸ばされ、恐怖に体が竦んだ。
 ぎゅっと目を瞑る真緒を、京介は腕に抱えて持ち上げた。

「やっ、な、なに……!?」

 相手はストーカーだ。なにをされるかわからない恐怖に真緒は怯えた。怖くて逃げることもできない。
 震えている間に別の部屋へと運ばれる。
 辿り着いたのは寝室だった。
 部屋の真ん中に置かれた大きなベッドを目にし、真緒は更なる恐怖に襲われる。
 ぷるぷる震える真緒の体を、京介はそっとベッドに下ろした。

「これから、真緒さんをたっぷり愛してあげますよ。俺の気持ちを疑う余地もないくらい、徹底的に、真緒さんの中を俺で埋め尽くしてあげます」

 酩酊したような瞳で、京介が囁く。
 これからセックスされるのだ。
 いや、セックスではなくレイプだ。
 この男に犯されるのだ。
 現状がそれを明確に伝えていた。
 好きでもない男に。自分のストーカーをしている男に。
 背筋をぞわりと寒気が走り抜ける。
 涙の滲む真緒の眦を、京介がねっとりと舐め上げた。

「ひぃっ……」
「いっぱい愛し合いましょうね」

 狂気に満ちた京介の笑顔に、真緒は絶望的な気持ちになった。
 ついてくるべきではなかった。ついてきてはいけなかった。
 悔やんでも、もう遅い。
 なにをされるのか、自分がどうなってしまうのかなにもわからないこの状況で。
 決して逃げられないのだということだけはわかった。








 恐怖に震えていた体は、いつの間にか快楽に支配されていた。
 最初こそ怯えていた真緒だが、ガチガチの体を溶かすように、京介は酷く優しく触れてきた。
 甘やかすように真緒の感じる部分を愛撫して、何度も真緒の名前を呼んで、何度も好きだと囁いて。
 そんな風に扱われるのははじめてだった。
 今まで付き合った男はあまり真緒の体に触れてこようとはしなかった。
 真緒が奉仕をして、相手に気持ちよくなってもらう。それが真緒と恋人とのセックスだった。
 それを不満に思ったことなどなかった。真緒は尽くすことが好きで、相手が満足してくれれば自分の快楽など二の次だった。
 それが嬉しかったはずなのに。
 自分はそんなセックスが好きなのだと思っていたのに。
 自分が甘やかされることに戸惑っていた真緒だが、いつしかとろとろに溶かされ京介に与えられる快感に溺れていた。

「真緒さん、気持ちいい?」
「あっ、いい、気持ちいいよぉっ」

 素直な言葉が口をついて出る。
 既に抵抗する気持ちなど残っていなかった。
 全裸の真緒はベッドに仰向けになり、全身余すところなく京介に舐められ、撫でられ、愛された。
 甘やかされ、愛されていると感じる触れ合いは、脳が蕩けるほどに気持ちよく、今まで感じたことのない愉悦を真緒にもたらした。
 今までの恋人とのセックスが、相手の性欲処理だったとしか思えないくらいに。

「あんっ、きもち、いいっ」

 乳首を舐められ、ペニスを擦られ、真緒は甘い喘ぎ声を上げつづける。こんな甘ったるい声を上げたことも今日までなかった。
 指でぐちゅぐちゅと掻き混ぜられるアナルは、いつ男根を受け入れてもいいほどに濡れて解れて、待ちわびるように蠢いている。
 けれども京介は決して自分から入れようとしない。
 真緒が陥落するのを待っている。
 真緒が求め、入れてくれと懇願するのを。
 真緒が望まなければ与えられない。

「京介ぇ……」

 強要されたはずの呼び方は、もうすっかり馴染んでいた。

「どうしました?」
「俺のこと、好き?」
「大好きですよ、愛してます」

 まっすぐに向けられる甘い笑みと甘い囁きに、真緒の瞳がとろんとなる。
 今まで、こんな風に甘えるようなことを言ったことはなかった。甘えられるのを嫌がる恋人ばかりだったから。そんな男が好きなのだと思っていた。
 でも違ったのだ。甘やかしたい。そして甘やかされたい。
 真緒はずっとこれを望んでいたのだ。

「京介ぇ、お願い、入れて……」

 自ら脚を開き、陰部を晒してねだった。

「俺の中、京介でいっぱいにして……」

 涎を垂らしたはしたない顔で、真緒は両腕を伸ばして彼を求めた。
 落ちた真緒に、京介はうっとりと微笑む。

「真緒さんが望むだけ、俺で満たしてあげますよ」

 欲しいものはすぐに与えられた。
 体の内側を彼の熱に侵食されていく感覚に、真緒は陶然となる。

「んあぁっ、あっ、きょうすけぇっ」

 ぎゅっと彼の背にしがみつけば、優しく抱き返してくれた。
 今までは、抱きつけば動きづらいとすぐに手を払われた。思わず相手の肌に爪を立てれば強く怒鳴られた。だから真緒はセックスの最中はずっとシーツを掴んでいることが多かった。
 でも、京介は違う。
 抱きつけば嬉しそうに微笑み、名前を呼べば優しく応えて好きだと伝えてくれる。愛おしむように何度も口づけてくれるし、蕩けるような快楽を与えてくれる。
 幸せで心が満たされていく。
 こんな感覚ははじめてだった。

「あっ、あっ、きょ、すけ、んんっ、京介……っ」
「可愛い、真緒さん」
「あっ、きもちいいっ、京介、あっ、あっ」
「ここ、気持ちいいですか?」
「ぅんっ、うんっ、いいっ、あっ、あぁっ、きょうすけはっ……きょうすけも、きもちぃ? あっ、ひぁっ」
「すごく気持ちいいです、真緒さんの中、熱くて、一生懸命きゅうきゅうしてくれて……」
「あっ、あっ、うれしっ、んあっ、あっ」
「俺も嬉しい、幸せです」

 快楽と同じくらい甘い囁きにくらくらする。
 本当に体が溶けてなくなってしまうんじゃないかと錯覚するほどに、身も心もでろでろに甘やかされた。

「あっ、ひんっ、きょうすけぇっ」
「大好きです、真緒さん……愛してます」

 眼鏡の奥で、彼の瞳が優しく細められる。
 その瞳に見つめられ、真緒の胸はきゅんと締め付けられた。
 何度も何度も繰り返される愛の言葉に、深く愛されることを知らず、愛情に飢えていた真緒は、完全に彼のいる場所まで落とされていた。
 京介のストーカー行為も、真緒への愛情の深さだと思えば嬉しくて堪らなくなっていた。こんなにも自分を愛してくれているのだと喜びこそすれ、恐怖など微塵も感じなくなっていた。
 京介の気持ちが嬉しくて、自分も同じだけ彼に気持ちを返したい。そんな風に思うようになっていた。





 京介と付き合うようになり、数週間が過ぎた。
 真緒はすっかり京介が中心の生活を送るようになっていた。
 大学にバイト、それ以外の時間は全て彼と過ごす。彼の部屋に入り浸り、彼の部屋から大学へ向かうことの方が多かった。
 そんな感じなので、言わなくても由梨には付き合っていることはすぐにバレた。
 彼女は笑顔で祝福してくれた。殆どの時間を京介と過ごすので付き合いが悪くなったことには文句を言われたが、それでも「よかったね。伏見くんならきっと真緒を幸せにしてくれるよ」と言ってくれた。
 真緒は愛される喜びを知り、とても満たされた日々を過ごしていた。
 そんなある日のことだ。
 バイトを終え、京介の家へ向かおうとした真緒を誰かが引き止める。
 振り返ると、真緒の二番目の彼氏だった男が立っていた。

「よお」
「なにか用ですか?」
「なんだよ、冷てーな」

 ニヤニヤと笑いながら近づいてくる男を、真緒はにこりともせずに見つめた。

「なんの用ですか?」
「この前は邪魔されただろ? だから、今日はゆっくりお話でもしよーぜ」
「嫌です。急いでるので、帰ります」
「待てって!」

 踵を返そうとした真緒の腕を男が掴む。
 真緒は顔を顰めた。
 イライラする。早く京介に会いたいのに。なんでこの男に京介との時間を邪魔されなくてはならないのだろう。

「痛いです、離してください。話があるなら、今ここで、簡潔にお願いします」

 平坦な声でそう言うと、男は一瞬鼻白む。けれど、すぐにへらりと口を歪めた。

「なに怒ってんだよ、お前らしくねーぞ、そーいう態度」

 お前らしくない? この男が真緒のなにを知っているのだろう。
 なにも知らない。知ろうともしていなかった。彼と付き合っていたとき、真緒の誕生日を迎えても彼はおめでとうの一言すら言わなかった。真緒の誕生日を知らないから当然だ。知りたいとも思っていなかった。興味もなかった。
 それにひきかえ、京介は真緒のことはなんでも知ってる。誕生日に血液型、身長体重、好きな食べ物嫌いな食べ物、好きな映画、好きな色、基本的なことから誰も知らないようなことまで、なにもかも。
 京介が知りたいと望んだから。真緒のことが好きで、真緒のことならなんでも知りたいと、貪欲に真緒を求めているから。
 彼に愛される喜びに、ぞくりと体が震えた。
 今すぐ彼に会いたい。

「先輩、用がないなら、俺はもう行きます」
「はあ?」

 強く腕を振って、男の手を剥がした。それから素早く距離を置く。

「ちょっ、おいっ、真緒……っ」
「近づかないでください、大声出しますよ。警察にも連絡します」
「っ……」

 スマホを掲げる真緒に、男が怯んだ。
 その隙に、真緒は駅に向かって全力疾走した。男は追いかけてこなかった。
 けれど次の日も、男はまた真緒の前に現れた。その次の日も。バイトが終わる時間を狙って現れる。
 冷たくあしらう真緒に、懲りずに声をかけてくる。

「俺達、やり直そうぜ」
「お前のこと、一番にわかってやれるのは俺だろ?」
「俺と付き合ってるとき、楽しかっただろ?」
「お前は俺の面倒見るの好きだったよな?」
「嬉しそうに俺のあとついて回ってたもんな」
「あの時は俺も今より若かったからさ、お前にあんまり構ってやれなかったけど、これからはもっとお前に構ってやるからさ」
「なあ、俺のとこに戻ってこいよ」

 毎日のようにやってきては、そんなことを真緒にしつこく言ってきた。
 帰ろうとする真緒を無理やり引き止めようとはしなかった。家までついてくることもなかった。
 しかしバイト先の店を出れば、今日もまた、男が真緒を待っていた。

「俺がさ、別れるときに言ったこと、覚えてるか?」
「はい」
「ウザい、重いって、お前のこと突き放したよな」
「はい」
「でもさ、お前と別れてわかったんだ。あのあと色んなヤツと付き合ったけど、あんな風に俺の為に尽くしてくれるヤツなんていなかった。お前がどれだけ俺の為に尽くしてくれてたのか、よくわかった」
「…………」
「それで、お前とまたやり直したいって思ったんだよ」
「…………」
「なあ、真緒」
「…………先輩、俺の家に来てくれますか? こんなとこじゃ、ゆっくり話せないし」

 真緒の言葉に、男はわかりやすく頬を緩めた。
 そして二人で真緒が暮らすアパートへと向かう。外はもう暗く、空には月が輝いていた。
 アパートにつき、真緒は部屋の鍵を開ける。ドアを開き、男に中に入るよう促した。
 薄暗く狭い玄関で男が靴を脱ぎ部屋に上がり、それにつづいて真緒も中に入ってドアを閉めた。
 あらかじめ玄関に用意していたものを手に握る。

「先輩、まっすぐ進んでください」

 鞄を廊下に置きながら、真緒は誘導する。
 廊下の突き当たりのドアを男が開けた。
 カーテンが閉めきられた真っ暗な部屋の中に、男が足を踏み入れる。ガサリと音が鳴った。部屋の状況にも気づかず、そのまま二歩、三歩と男は奥へ進む。

「真緒、電気はど……」

 電気の場所を訊こうとした男の頭を、後ろから、思い切り、持っていた金属バットで殴った。

「がっ……!?」

 倒れるまで殴った。
 何度目かで、ドサリと倒れた。
 そこで漸く、真緒は部屋の電気に手を伸ばした。
 明るく照らされた室内は、床一面にブルーシートが敷いてある。そのブルーシートの上に、頭から血を流した男が倒れている。まだ死んではいない。
 男の体をひっくり返し、仰向けにする。
 苦痛に歪む男の顔を忌々しげに見下ろし、真緒は持ってきた包丁を彼の体に突き刺した。

「俺、もう先輩と話すことはない、やり直すつもりはないって、何回も、言いましたよね!?」

 返り血を浴びることも気にせず、真緒は何度も何度も繰り返し包丁を刺した。

「それなのに、毎日、しつこく、俺の前に、現れてっ」

 ブルーシートにどんどん血が流れていく。既に男の体は血で真っ赤に染まっている。

「先輩と、二人でいるとこ、京介に見られて、浮気だって思われたら、どうしてくれんの!?」

 もう息絶えている男の体に、怒りのままに包丁を突き立てる。

「京介に嫌われたらっ、嫌なのにっ、先輩のせいでっ……」

 ポロポロと涙が零れ、真緒は泣きじゃくる。

「俺のこと、あんなに愛してくれるの、京介だけなのにっ……京介に、嫌われたら、もう生きていけないのにっ……どうして、邪魔すんのっ……俺はもう、京介しか好きじゃないのに、先輩なんか好きじゃないのに、誤解されちゃうじゃん、嫌だよ、京介、京介、好き、俺のこと、嫌いにならないで、捨てないで、京介っ」
「捨てるわけないでしょう?」

 一心不乱に男を刺していた真緒の手に、大きな掌が触れた。
 ハッとして顔を上げると、京介が傍らにいた。
 涙で赤くなった目で、彼を見つめる。

「京介……?」
「はい」
「どうして……」

 と考えるが、すぐにそれは愚問だと思い直す。
 そうだ。真緒の行動など全て彼に筒抜けなのだ。真緒のことで彼が知らないことなどない。真緒の行動はなにからなにまで把握されている。
 そうだ。彼は知ってくれている。

「京介ぇ……っ」
「大丈夫ですよ、真緒さん、俺はちゃんとわかってますから」

 すんすんと鼻を啜る真緒の頭を、京介は優しく撫でてくれる。

「誤解してません、浮気なんて疑ってませんよ、真緒さんが好きなのは俺だけだってちゃんと知ってます、嫌いになんてなりません、捨てるなんてあり得ない、大好きです、愛してます、真緒さん」
「京介……京介ぇ、好き、大好き……」

 流れる涙を、京介が指で拭う。眼鏡の向こうの彼の瞳は愛おしげに細められていた。

「俺の家に帰りましょう? 早く真緒さんの体を洗ってあげたいです」

 にこりと笑って、真緒を血溜まりから引き離す。

「でも……」

 血塗れの肉塊と化した男に目をやる。
 とにかく男の存在が邪魔で、一刻も早く消してしまいたかった。だから殺したあと、死体をどうするかまでは考えていなかったのだ。
 この男を片付けてしまわなくては。でも、どこに、どうやって?
 悩む真緒に、京介は「心配しなくても大丈夫ですよ」と笑った。

「もう死体の掃除は頼んであります。このまま放置しておいても、すぐに専門の人間がやってきて処理してくれますよ。真緒さんがブルーシートを敷いて床が汚れないように殺してくれたので、掃除も簡単に終わります。お利口ですね、真緒さん」

 褒められて、真緒は嬉しくなった。

「この部屋は引き払って、俺の部屋で一緒に暮らしましょう、ね?」

 京介の言葉に、こくりと頷く。
 もう既に半同棲のような生活をしていたので、真緒に異論はなかった。
 とりあえず血で汚れた服を着替えて、部屋を後にする。
 アパートの外に停めてあった車に乗せられ、京介の運転ですぐ近くにある彼のマンションへ連れていかれた。
 部屋に入ると真っ先に浴室へ向かい、服を脱がされ、京介の手で体の隅々まで丁寧に洗われた。

「あっ、あんっ、京介ぇっ」

 浴室に、真緒の甘い声が反響する。
 曇るからと眼鏡を外している京介が、クスクスと意地悪に笑った。

「体を洗っただけなのに、感じちゃったんですか?」
「だって……京介に、触られると……すぐ、気持ちよくなっちゃう、から……」

 真緒の体はすっかり火照り、ペニスは頭を擡げていた。
 我慢できず、京介に縋りつく。

「京介、お願い……もっと触って……」
「ふふ。待てないんですか?」
「うんっ、京介、好き、お願い……」
「可愛いですね、真緒さん」

 ぎゅうっと抱き合い、キスを交わす。
 もう真緒の頭には、少し前に自分が殺した男のことなど欠片も残っていなかった。
 京介のことしか頭になかった。彼のことで満たされ、他のことなどどうでもよかった。
 ぐずぐずに解されたアナルに、剛直を捩じ込まれる。
 片脚を持ち上げられ、キスをしながら体を繋げた。立ったままの交接は体の力を抜くのも難しく、いつもよりも中を圧迫されているような感じがして苦しくて、それでも彼を深い場所まで受け入れられることが嬉しくて、真緒の心は幸せで満たされる。

「あっ、あっ、あっ、きょうすけぇっ」
「真緒さん、好きです」

 体を揺さぶられ、快感に喘ぎ、唇を重ね、キスの合間に名前を呼んで愛を囁き合う。
 蕩けた瞳で見つめれば、まっすぐにこちらを見つめ返す京介と目が合う。
 熱の籠った彼の視線に、ぞくぞくと背筋が震えた。

「京介、好きっ、あっ、あぁっ」

 しがみついてぴったりと体を重ね、体の奥に彼の体液を注がれ、心が幸せで満たされるのを感じながら真緒は意識を手放した。






 気絶した真緒を、寝室へ運んでベッドに寝かせた。
 眼鏡をかけ、真緒の寝顔を見つめる。赤く色づく真緒の頬を撫でて京介は微笑んだ。
 こうして真緒が手の届く範囲にいる。
 はじめて出会った頃は、そんなこと想像もしていなかった。
 真緒との出会いは小学校の運動会だ。
 その頃京介は自分は空気のような存在なのだと思っていた。仕事が第一の両親は京介にまるで興味がなかった。親に愛されず、学校で友達も作れず、京介は常に一人だった。誰にも相手にされない。
 運動会にも両親が来てくれることはなく、しかしそのときの京介はもうそれが当たり前だと思っていた。
 椅子に座って、ただぼんやりと競技を見ていた。
 行われていたのは借り物競争で、参加していた一人の生徒が京介のところへまっすぐに走ってきた。それが真緒だ。

「一緒に来て!」
「えっ……!?」

 戸惑う京介の腕を引き、真緒は走り出す。

「わっ、あ、待って……」

 突然のことに対応できない京介の手を、真緒はぎゅっと握った。

「一緒に走って」

 にこりと微笑まれ、京介はわけもわからぬまま彼と一緒にゴールを目指して走った。
 一位でゴールして、真緒は借り物の書かれたカードを教師に見せる。カードには「眼鏡をかけた男の子」と書いてあった。教師は京介を見て、頷いた。
 真緒は嬉しそうに京介の手をぶんぶんと振る。

「ありがとう! お前のお陰で一位になれた!」

 キラキラ輝く瞳が、まっすぐに京介に向けられていた。
 京介を見てくれている。
 京介を必要としてくれた。
 京介の存在を、真緒だけが認めてくれた。
 このとき京介はそう感じた。
 そして真緒が京介の全てとなった。
 それからずっと真緒を見つづけた。
 真緒以外のことなどどうでもよくなっていった。
 勉強するのも、親の仕事を手伝ってお金を稼ぐのも、全部真緒のため。真緒のためならなんだってできた。
 そして今、京介の目の前で眠る真緒も、同じように京介を思ってくれている。そうでなければ、人一人殺したりなどしない。
 真緒にとっても京介が全てで、真緒も京介のためならばなんだってしてくれるのだろう。
 それを実感して、京介は歓喜した。
 ゆっくりと真緒の瞼が開いた。視線がさ迷い、京介の姿を捉えて、安心したように瞳が柔らかく細められた。

「京介……」

 名前を呼んで手を伸ばしてくる。
 目が覚めて、真っ先に京介を捜してくれる真緒に愛しさが込み上げ、強く抱き締めた。
 もうなにがあろうと彼を離さない。真緒だってきっともう、京介から離れられない。
 歪んだ愛を育むように、二人は飽くことなく抱き合った。






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読んでくださってありがとうございます。



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