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1.転職先は魔王城
2話
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◇
――あ、死んだ
目の前にぽっかりと空いた大穴が、本能的に死を直感させるほどに猛烈なスピードでシオンに襲い掛かった。
巨大なヘビかワニの捕食行動のように、その穴がばくりとシオンに食らいつく。
あっ、と声を出す暇もなく、彼女の体は穴に包み込まれ、そのままごくりと飲み下された。
スマホが手から滑り落ちて、カツン、と地面に打ち付けられた音がした。
今日もスケジュールとアラームはびっしりで、遅らせられない業務ばかりなのに。
死を直感している状況下でも今日の予定が頭を巡ってしまう自分の悲しい性を呪いながら、シオンはその穴に身を任せる事しかできなかった。
そこからは、まるでウォータースライダーを爆速で滑り降りているようだった。
くねくねと渦を描きながら彼女の体は滑り降りていき、ペッと吐き出されるようにして放り出される。
「うぇっ……!」
体を打ち付けた衝撃で、カエルのような声が喉から押し出される。
体中の鈍い痛みを感じながらゴロゴロと数回転がるうちに、何かにぶつかってピタリと体の回転が停止した。
くわんくわんと回る視界の端に、自分が撒き散らしたのであろう私物のいくつかが映り込み、やっとの思いで手を伸ばす。
前も後ろも、下手をすれば上下だって分からない暗闇の中、まるで故郷の蛍みたいにぼんやりと光を放っていたのは、彼女が肌身離さず持っていた社員証だ。
『市瀬 詩音』
ゴシック体で刻まれた名前の横には、入社時にあれよあれよという間に撮影された顔写真が張り付けられている。
新卒で入社してから八年経った今と比べると、少し短くて、幾分か艶のある栗色の髪の毛。
就職活動の疲れはあったけれど、それでも新社会人生活にワクワクしていたあの頃は、今の自分よりもずっと顔色が良く、ほんのり希望を感じる顔をしていた。
じっくり見る事などなかったそのカードを複雑な思いで懐にしまい込み、周囲に散らばるペンや手帳を拾う。
ふと視線をあげると、そこには会議室を思わせる無機質な扉がぷかりと浮かんでいた。
その扉の存在に気が付いたことが何かの引き金となったのだろうか。
まるでそこを起点に世界が構築されていくかのように、暗闇の中にぼんやりと、壁や床が浮かび上がってきた。
心なしかほんのり明るくなってきた周囲を見渡すと、オフィスの一角を思わせる六畳ほどの空間に、ポツンと自分一人だけが佇んでいることが分かる。
がらんとしたその部屋には一つパイプ椅子が置かれており、その上に紙切れが一枚置かれていた。
「何これ……履歴書?」
恐る恐る手に取ってみると、それは確かに数日前にシオンが作成した履歴書だった。
記名欄の右に、社員証のそれよりも少し痩せて伏し目がちな自分の証明写真が張り付けられている。
パイプ椅子のそばに置かれているのは、いつも仕事用に使用しているトートバッグだ。
はっとして自らの体を確認すると、普段職場で着ているオフィスカジュアルの格好ではなく、かっちりとしたビジネススーツを着込んでいることに気が付いた。
「そうか、私……転職活動していて、面接に行こうとしてたんだけ……」
でも、今日って仕事じゃ……あれ、どうだったっけ……?
軽い混乱の中、ジャケットやバッグの中に手を突っ込んでスマホを探すが、見つからない。
やはり先ほど落としてしまったのだろう。
とりあえず時間を確認しようと左手に目をやると、腕時計のすべての針が、緩やかにくるくると等速で回転しているのが見えた。
「ひっ……?」
思わず自分の左手から距離を取るように体をのけぞらせ、気味の悪さからその時計を外す。
それでも時計の針は奇妙な回転は止まらず、いっそこの場に置き去りにしようかと考える。
けれど、初任給で少し背伸びをして購入した思い出が脳裏をよぎり、躊躇しながらもトートバッグの内ポケットに時計をそっとしまった。
さて問題は、この空間には扉が一つしかないところだ。
そして更に困ったことに、扉の向こうに誰かしらの気配があるのだ。
「いや、まさかここで面接とか言わないよね……」
新卒の就職活動ではそれなりに圧迫面接も経験してきたものだが、面接にたどり着く前からこんなに高出力で圧迫してきた企業は流石に知らない。
可能であれば速やかに面接を辞退してお暇したいところなのだが……。
あいにく扉は一つで、それがどこに繋がっているかというと、直感的に"面接会場"なのだ。
ドアの前にぽつりと置かれたパイプ椅子が、あまりにも雰囲気たっぷりだ。
嘘でしょ……という言葉を喉の奥で噛み殺しながら、冷たく佇むその扉の近くで耳を澄ます。
何を話しているのかは全く分からないが、数人の声が時折入り混じって聞こえるような気がする。
(本当にこんなところで面接してる……?)
怖いもの見たさもあり、しばし扉の前で息をひそめて張り付いた。
すると突如、ブブ、という構内放送でマイクがオンになった瞬間のような、鈍く空気を震わせる音が響いた。
――次の方、ご入室ください――
響いたその言葉に、びくりと背筋が伸びた。
まさか本当に?っていうかここ、どこの企業?
私こんな危なそうな会社に応募したっけ?うわーん、助けてエージェントさーんっ!
ぐるぐると思考が駆け巡り、数日前に電話面談をした、顔も知らない転職エージェントの担当者にすら縋りそうになった。
悩んだところで扉は結局この一か所しかない。
ここに留まっても、間もなく再び途方に暮れることは想像に難くなかった。
それに、形はどうあれ、先方はこちらのために時間を確保して待機してくれているのだろう。
そう、形はどうあれ、だ。本当に、最悪の形だとは思うのだが。
絡まる思考を振り切り、決死の思いでシオンは恐る恐る扉を三回ノックした。
どうぞ、という男性の声を確認してからシオンは扉をゆっくりと開く。
先ほどよりも開かれた、会議室のような空間に長机が一つ据えられており、その奥には三人の男女が横並びに腰かけていた。
とりあえずの一礼をして、顔を上げる数秒の間にちらりと三人の姿を確認する。
こちらを向く男女の佇まいを見て、思わずひえっと声が漏れそうになった。
全員がアイドルかモデルなのか?という容姿の整い方をしている。芸能事務所か?
これは新手のドッキリなのか、それか何かの撮影なのではないか?という疑心がむくむくと膨らんできて、背筋に汗が伝うような感覚を覚えた。
「名前と……履歴書をこちらに」
左端に腰かけている銀髪の男性が詩音を静かに促す。
落ち着いたトーンの声なのに圧を感じるのはこの空間のせいか、こちらを射抜くような視線に厳しさを感じるからなのか。
海外の方なのだろうか、瞳の色は冷たい冬の海のようなブルーグレーだ。
「市瀬詩音です」
不躾な視線を送りそうだった自分を戒めて、改めて一礼する。
本来、面接であれば"本日はよろしくお願いします"くらいのことを伝えるべきなのだろう。
しかし、果たして本当によろしくお願いしてよいものなのか判断がつかず、結局そのままおずおずと履歴書を彼に手渡すに留まった。
(ああ……知らない人に個人情報を渡してはいけません!)
田舎の祖父母にも口酸っぱく言っているのに……!と、書類が手元を離れてから激しく後悔する。
左端の銀髪の男性と、右端の長い茶髪の女性はともかく。
中央の椅子に腰かけている、いかにもゆるい雰囲気の金髪の男性はどうだ。
どう見ても、採用担当者でも現場責任者でもなさそうじゃないか。
クリエイティブ系の会社とか、芸能系……?
いや、そんなところ、エントリーしていたっけ……と記憶の糸を手繰り寄せる。
しかし、数件応募した企業はいずれも地場の堅実な中小企業ばかりで、応募ボタンを押す指が滑ったにしてもどこまで滑っちゃったんだよというくらいに全く身に覚えがない。
(いやあ、めちゃくちゃ怪しい……これってもしや拉致?拉致だよね?)
心臓が早鐘のように打っているが、茶髪の女性がにこやかに「どうぞ、お掛けください」と促すものだから、うっかり素直に従ってパイプ椅子に腰かけてしまう。
(ああー!私の馬鹿!!座っちゃったよ、座っちゃったよー!)
――あ、死んだ
目の前にぽっかりと空いた大穴が、本能的に死を直感させるほどに猛烈なスピードでシオンに襲い掛かった。
巨大なヘビかワニの捕食行動のように、その穴がばくりとシオンに食らいつく。
あっ、と声を出す暇もなく、彼女の体は穴に包み込まれ、そのままごくりと飲み下された。
スマホが手から滑り落ちて、カツン、と地面に打ち付けられた音がした。
今日もスケジュールとアラームはびっしりで、遅らせられない業務ばかりなのに。
死を直感している状況下でも今日の予定が頭を巡ってしまう自分の悲しい性を呪いながら、シオンはその穴に身を任せる事しかできなかった。
そこからは、まるでウォータースライダーを爆速で滑り降りているようだった。
くねくねと渦を描きながら彼女の体は滑り降りていき、ペッと吐き出されるようにして放り出される。
「うぇっ……!」
体を打ち付けた衝撃で、カエルのような声が喉から押し出される。
体中の鈍い痛みを感じながらゴロゴロと数回転がるうちに、何かにぶつかってピタリと体の回転が停止した。
くわんくわんと回る視界の端に、自分が撒き散らしたのであろう私物のいくつかが映り込み、やっとの思いで手を伸ばす。
前も後ろも、下手をすれば上下だって分からない暗闇の中、まるで故郷の蛍みたいにぼんやりと光を放っていたのは、彼女が肌身離さず持っていた社員証だ。
『市瀬 詩音』
ゴシック体で刻まれた名前の横には、入社時にあれよあれよという間に撮影された顔写真が張り付けられている。
新卒で入社してから八年経った今と比べると、少し短くて、幾分か艶のある栗色の髪の毛。
就職活動の疲れはあったけれど、それでも新社会人生活にワクワクしていたあの頃は、今の自分よりもずっと顔色が良く、ほんのり希望を感じる顔をしていた。
じっくり見る事などなかったそのカードを複雑な思いで懐にしまい込み、周囲に散らばるペンや手帳を拾う。
ふと視線をあげると、そこには会議室を思わせる無機質な扉がぷかりと浮かんでいた。
その扉の存在に気が付いたことが何かの引き金となったのだろうか。
まるでそこを起点に世界が構築されていくかのように、暗闇の中にぼんやりと、壁や床が浮かび上がってきた。
心なしかほんのり明るくなってきた周囲を見渡すと、オフィスの一角を思わせる六畳ほどの空間に、ポツンと自分一人だけが佇んでいることが分かる。
がらんとしたその部屋には一つパイプ椅子が置かれており、その上に紙切れが一枚置かれていた。
「何これ……履歴書?」
恐る恐る手に取ってみると、それは確かに数日前にシオンが作成した履歴書だった。
記名欄の右に、社員証のそれよりも少し痩せて伏し目がちな自分の証明写真が張り付けられている。
パイプ椅子のそばに置かれているのは、いつも仕事用に使用しているトートバッグだ。
はっとして自らの体を確認すると、普段職場で着ているオフィスカジュアルの格好ではなく、かっちりとしたビジネススーツを着込んでいることに気が付いた。
「そうか、私……転職活動していて、面接に行こうとしてたんだけ……」
でも、今日って仕事じゃ……あれ、どうだったっけ……?
軽い混乱の中、ジャケットやバッグの中に手を突っ込んでスマホを探すが、見つからない。
やはり先ほど落としてしまったのだろう。
とりあえず時間を確認しようと左手に目をやると、腕時計のすべての針が、緩やかにくるくると等速で回転しているのが見えた。
「ひっ……?」
思わず自分の左手から距離を取るように体をのけぞらせ、気味の悪さからその時計を外す。
それでも時計の針は奇妙な回転は止まらず、いっそこの場に置き去りにしようかと考える。
けれど、初任給で少し背伸びをして購入した思い出が脳裏をよぎり、躊躇しながらもトートバッグの内ポケットに時計をそっとしまった。
さて問題は、この空間には扉が一つしかないところだ。
そして更に困ったことに、扉の向こうに誰かしらの気配があるのだ。
「いや、まさかここで面接とか言わないよね……」
新卒の就職活動ではそれなりに圧迫面接も経験してきたものだが、面接にたどり着く前からこんなに高出力で圧迫してきた企業は流石に知らない。
可能であれば速やかに面接を辞退してお暇したいところなのだが……。
あいにく扉は一つで、それがどこに繋がっているかというと、直感的に"面接会場"なのだ。
ドアの前にぽつりと置かれたパイプ椅子が、あまりにも雰囲気たっぷりだ。
嘘でしょ……という言葉を喉の奥で噛み殺しながら、冷たく佇むその扉の近くで耳を澄ます。
何を話しているのかは全く分からないが、数人の声が時折入り混じって聞こえるような気がする。
(本当にこんなところで面接してる……?)
怖いもの見たさもあり、しばし扉の前で息をひそめて張り付いた。
すると突如、ブブ、という構内放送でマイクがオンになった瞬間のような、鈍く空気を震わせる音が響いた。
――次の方、ご入室ください――
響いたその言葉に、びくりと背筋が伸びた。
まさか本当に?っていうかここ、どこの企業?
私こんな危なそうな会社に応募したっけ?うわーん、助けてエージェントさーんっ!
ぐるぐると思考が駆け巡り、数日前に電話面談をした、顔も知らない転職エージェントの担当者にすら縋りそうになった。
悩んだところで扉は結局この一か所しかない。
ここに留まっても、間もなく再び途方に暮れることは想像に難くなかった。
それに、形はどうあれ、先方はこちらのために時間を確保して待機してくれているのだろう。
そう、形はどうあれ、だ。本当に、最悪の形だとは思うのだが。
絡まる思考を振り切り、決死の思いでシオンは恐る恐る扉を三回ノックした。
どうぞ、という男性の声を確認してからシオンは扉をゆっくりと開く。
先ほどよりも開かれた、会議室のような空間に長机が一つ据えられており、その奥には三人の男女が横並びに腰かけていた。
とりあえずの一礼をして、顔を上げる数秒の間にちらりと三人の姿を確認する。
こちらを向く男女の佇まいを見て、思わずひえっと声が漏れそうになった。
全員がアイドルかモデルなのか?という容姿の整い方をしている。芸能事務所か?
これは新手のドッキリなのか、それか何かの撮影なのではないか?という疑心がむくむくと膨らんできて、背筋に汗が伝うような感覚を覚えた。
「名前と……履歴書をこちらに」
左端に腰かけている銀髪の男性が詩音を静かに促す。
落ち着いたトーンの声なのに圧を感じるのはこの空間のせいか、こちらを射抜くような視線に厳しさを感じるからなのか。
海外の方なのだろうか、瞳の色は冷たい冬の海のようなブルーグレーだ。
「市瀬詩音です」
不躾な視線を送りそうだった自分を戒めて、改めて一礼する。
本来、面接であれば"本日はよろしくお願いします"くらいのことを伝えるべきなのだろう。
しかし、果たして本当によろしくお願いしてよいものなのか判断がつかず、結局そのままおずおずと履歴書を彼に手渡すに留まった。
(ああ……知らない人に個人情報を渡してはいけません!)
田舎の祖父母にも口酸っぱく言っているのに……!と、書類が手元を離れてから激しく後悔する。
左端の銀髪の男性と、右端の長い茶髪の女性はともかく。
中央の椅子に腰かけている、いかにもゆるい雰囲気の金髪の男性はどうだ。
どう見ても、採用担当者でも現場責任者でもなさそうじゃないか。
クリエイティブ系の会社とか、芸能系……?
いや、そんなところ、エントリーしていたっけ……と記憶の糸を手繰り寄せる。
しかし、数件応募した企業はいずれも地場の堅実な中小企業ばかりで、応募ボタンを押す指が滑ったにしてもどこまで滑っちゃったんだよというくらいに全く身に覚えがない。
(いやあ、めちゃくちゃ怪しい……これってもしや拉致?拉致だよね?)
心臓が早鐘のように打っているが、茶髪の女性がにこやかに「どうぞ、お掛けください」と促すものだから、うっかり素直に従ってパイプ椅子に腰かけてしまう。
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