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5.魔王城アカデミー
13話
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耳の奥を、キンと鋭い静寂が襲う。
心のどこかで、聞こえてくる言葉を拒絶しているからだろうか。
緊張感で頭は冴えているはずなのに、シオンはエリオルの言葉を咀嚼できず、数回唇を薄く開いて、静かにまた閉じた。
魔王城に身を置くようになってから、シオンの価値観や物の見方は少しずつ変わってきていた。
誰も傷つけず、ひとつも手を汚さず、自分たちの領域を守るのは非常に難しいことだということを学んだ。
一方の利益は他方の不利益であり、そこに流れる血も存在するということを目の当たりにしてきたからだ。
それでも、脳裏に鮮明に浮かび上がった、『誰かの大切な人』の血に濡れたレヴィアスの姿を、どうしてもそのまま飲み下すことができなかった。
いまさらエリオルの言葉に動揺して、悲嘆しようとする自分の心に嫌気がさす。
「君は、レヴィアスのことを愛しているの?」
シオンを見るエリオルの瞳には、相変わらず何の感情もなく、そこにシオンの姿が映し出されているのかどうかすらわからない危うさを感じさせる。
「私……」
エリオルの口調は妙に明るい。
それはまるで、幼馴染の恋路に興味津々の少年のようですらある。
シオンはネックレスをもう一度強く握る。
魔法石は未だ何の反応も見せていない。
それは、シオンの身に危機が迫っているとは判断されていないひとつの証でもあった。
人を好きになることに、こんなに覚悟が必要だなんて思わなかった。
エリオルの金色の髪が日差しを受けて華やかに輝いた。
その光に、あの日見た港町の花火の光を思い出す。
あの時、レヴィアスは怖がるシオンの心を守るために、触れようとするその手を退いたのだ。
2人の間の距離はほんの僅かで、詰めようと思えば強引にでも詰められたはずの距離。
レヴィアスはそこに踏み込まず、シオンに選択肢を残した。
手を取ったのはシオンだった。
心の片隅に残る恐怖よりも、その温もりに触れたいと心が叫んだのだ。
離れないで欲しいと望んだのは、自分だ。
「はい……私にとって、レヴィアスさんは特別な人です」
愛している、と言葉にすることは憚られた。
――もう少しだけ、自分に自信が持てたなら。
きっと、その時に伝えよう。
「ふうん……」
ふっと、エリオルの瞳に色が戻ったような気がした。
それは暗い憎しみでもなければ、友を思う暖かさでもない。
解きほぐすことができない感情が、ぐちゃぐちゃに塗り込められたような、重たい視線。
シオンは後退りしてしまいそうになる体を必死に支えて、エリオルに向き合った。
「君が、『彼女』と同じ目にあうかもしれなくても?」
シオンの喉の奥がかすかに引き攣り、呼吸が震えた。
思考が邪魔をして、上手に肺を満たせない。
「彼女は歌うことが好きで、神殿に捧げる花の手入れを毎日欠かさない……優しくて、温かで」
エリオルの呼吸する音が、柔らかく響く。
「……少しだけ、心の弱い女性だった」
ふわり、と彼の形の良い唇が柔らかく微笑んだ。
その言葉だけが、異常なほどにエリオルの体温を感じさせ、立体的にシオンの耳に響く。
まるで、今もエリオルの目の前に、彼女が微笑んで立っているかのように……エリオルの瞳は彼女の幻を柔らかくみつめていた。
「幼い頃から一緒に過ごした、武器も持たない彼女をひと突きにした男が……もう同じことは繰り返さないって言えるのかな?」
エリオルの視線が、すっとシオンへと戻ってくる。
刺すような、何かをぶつけるような強い視線。
その奥が、僅かに揺れているような気がした。
「私には、まだわかっていないことが沢山あります。……できることなら、彼の側で、少しずつそれを知っていきたい」
「あたたかかった体から血が抜けていって、冷たく、固くなっていく感覚を知っている?」
余裕なく、性急さを感じさせるエリオルの声。
ひとつひとつを思い出しながら、シオンを傷つけようとしている。
それと同時に、自分が再び傷つくことも厭わないという意思を感じさせた。
「……心を許していた相手の顔を染めたのが、自分の恋人の体をめぐる血だった時の感情を理解できる? 血の一滴までも愛しいと思える人だった。君は受け入れられる? ……その赤い血を吸った、あいつの翼が……」
シオンは瞬時に理解する。
――ああ、彼もまた、『見た』のだ。
「真っ白な翼が、闇に焼かれるみたいに、一本残らず黒く染まる、その光景を」
エリオルの言葉は、静かな叫びのようだった。
見開かれた彼の瞳の奥は、早くなった鼓動に合わせるように揺れている。
シオンは口を固く引き結び、圧倒されてしまいそうな心を必死に律した。
それから、エリオルの冷たい激情にさらされて震える手で、そっと彼の頬に触れた。
「っ……な……に」
戸惑いをにじませた声で、エリオルが呟いた。
血の気が失せた彼の頬は、ひどく冷たい。
「やめましょう。……今、傷ついているのはあなたです」
目には見えないけれど、エリオルの瞳からは涙が流れているような気がした。
追体験した彼の恐怖と絶望に、シオンの心はひどく掻き乱されていた。
しかし、自らの記憶をこじ開けて心から血を流しながら……それでもひたすら悪役に徹してシオンを傷つけようとするかのようなエリオルの姿に、シオンは違和感を感じていたのだ。
「レヴィアスさんを狙うというのなら、私はそれを容認できません。でも……エリオルさんが、自分自身を傷つける姿も見たくないんです」
少しでも、自分の手の温度が彼の頬を温められるなら。
指の先からほんの僅かにでも、彼の心の中の冷たい塊を溶かしてあげられるなら。
祈るような気持ちで、シオンはエリオルのゆらめく瞳を見つめていた。
「何言ってるんだい……? 僕は、君を……」
シオンのことを嘲笑うような表情に見せたいのだろう。
エリオルはシオンから視線を外し、口元に笑みを浮かべる。
しかしそれはまるで泣き笑いのような、不安定で痛々しい笑顔に見えた。
「エリオルさんは多分、私を叩いたり、切りつけたり、そんな風に傷つけることはしない人です」
シオンが真っ直ぐにそう伝えると、エリオルはバツが悪そうに顔を背けた。
エリオルはシオンの手首をそっと掴み、自らの頬からシオンの手のひらをゆっくりと引き離す。
「……興醒めしたよ」
ぽつり、とそう漏らして、エリオルはベンチを微かに軋ませて立ち上がった。
ふわっ、と一瞬強い風が走り抜け、シオンは思わず目を閉じる。
気がつくと、目の前には純白の見事な翼が姿を表していた。
風に撫でられてふわりと波打つその翼の表面に、思わずシオンは見惚れてしまう。
エリオルはそんなシオンの姿に、鼻をひとつ鳴らした。
「……せいぜい、あいつに殺されないように気をつけることだね」
大きく、ゆっくりと。
白い翼が羽ばたくと、エリオルの体がふわりと宙に浮く。
翼を持たないシオンの目には、それがあまりにも優美で幻想的に見えた。
「君、ちょっと似てるから。……殺された、あの子に」
そう言ってエリオルは一際大きく羽ばたくと、吸い込まれるように青空へと飛び立っていった。
その姿を見送りながら、シオンはエリオルが見せた、感情の糸がひどく縺れたあの瞳を思い出す。
彼がレヴィアスに抱く思いは、憎しみと、殺意だけなのだろうか。
彼の中の、断ち切れない感情をその瞳の奥に見た気がする。
……シオンはそっと、ネックレスの石を優しく撫でた。
心のどこかで、聞こえてくる言葉を拒絶しているからだろうか。
緊張感で頭は冴えているはずなのに、シオンはエリオルの言葉を咀嚼できず、数回唇を薄く開いて、静かにまた閉じた。
魔王城に身を置くようになってから、シオンの価値観や物の見方は少しずつ変わってきていた。
誰も傷つけず、ひとつも手を汚さず、自分たちの領域を守るのは非常に難しいことだということを学んだ。
一方の利益は他方の不利益であり、そこに流れる血も存在するということを目の当たりにしてきたからだ。
それでも、脳裏に鮮明に浮かび上がった、『誰かの大切な人』の血に濡れたレヴィアスの姿を、どうしてもそのまま飲み下すことができなかった。
いまさらエリオルの言葉に動揺して、悲嘆しようとする自分の心に嫌気がさす。
「君は、レヴィアスのことを愛しているの?」
シオンを見るエリオルの瞳には、相変わらず何の感情もなく、そこにシオンの姿が映し出されているのかどうかすらわからない危うさを感じさせる。
「私……」
エリオルの口調は妙に明るい。
それはまるで、幼馴染の恋路に興味津々の少年のようですらある。
シオンはネックレスをもう一度強く握る。
魔法石は未だ何の反応も見せていない。
それは、シオンの身に危機が迫っているとは判断されていないひとつの証でもあった。
人を好きになることに、こんなに覚悟が必要だなんて思わなかった。
エリオルの金色の髪が日差しを受けて華やかに輝いた。
その光に、あの日見た港町の花火の光を思い出す。
あの時、レヴィアスは怖がるシオンの心を守るために、触れようとするその手を退いたのだ。
2人の間の距離はほんの僅かで、詰めようと思えば強引にでも詰められたはずの距離。
レヴィアスはそこに踏み込まず、シオンに選択肢を残した。
手を取ったのはシオンだった。
心の片隅に残る恐怖よりも、その温もりに触れたいと心が叫んだのだ。
離れないで欲しいと望んだのは、自分だ。
「はい……私にとって、レヴィアスさんは特別な人です」
愛している、と言葉にすることは憚られた。
――もう少しだけ、自分に自信が持てたなら。
きっと、その時に伝えよう。
「ふうん……」
ふっと、エリオルの瞳に色が戻ったような気がした。
それは暗い憎しみでもなければ、友を思う暖かさでもない。
解きほぐすことができない感情が、ぐちゃぐちゃに塗り込められたような、重たい視線。
シオンは後退りしてしまいそうになる体を必死に支えて、エリオルに向き合った。
「君が、『彼女』と同じ目にあうかもしれなくても?」
シオンの喉の奥がかすかに引き攣り、呼吸が震えた。
思考が邪魔をして、上手に肺を満たせない。
「彼女は歌うことが好きで、神殿に捧げる花の手入れを毎日欠かさない……優しくて、温かで」
エリオルの呼吸する音が、柔らかく響く。
「……少しだけ、心の弱い女性だった」
ふわり、と彼の形の良い唇が柔らかく微笑んだ。
その言葉だけが、異常なほどにエリオルの体温を感じさせ、立体的にシオンの耳に響く。
まるで、今もエリオルの目の前に、彼女が微笑んで立っているかのように……エリオルの瞳は彼女の幻を柔らかくみつめていた。
「幼い頃から一緒に過ごした、武器も持たない彼女をひと突きにした男が……もう同じことは繰り返さないって言えるのかな?」
エリオルの視線が、すっとシオンへと戻ってくる。
刺すような、何かをぶつけるような強い視線。
その奥が、僅かに揺れているような気がした。
「私には、まだわかっていないことが沢山あります。……できることなら、彼の側で、少しずつそれを知っていきたい」
「あたたかかった体から血が抜けていって、冷たく、固くなっていく感覚を知っている?」
余裕なく、性急さを感じさせるエリオルの声。
ひとつひとつを思い出しながら、シオンを傷つけようとしている。
それと同時に、自分が再び傷つくことも厭わないという意思を感じさせた。
「……心を許していた相手の顔を染めたのが、自分の恋人の体をめぐる血だった時の感情を理解できる? 血の一滴までも愛しいと思える人だった。君は受け入れられる? ……その赤い血を吸った、あいつの翼が……」
シオンは瞬時に理解する。
――ああ、彼もまた、『見た』のだ。
「真っ白な翼が、闇に焼かれるみたいに、一本残らず黒く染まる、その光景を」
エリオルの言葉は、静かな叫びのようだった。
見開かれた彼の瞳の奥は、早くなった鼓動に合わせるように揺れている。
シオンは口を固く引き結び、圧倒されてしまいそうな心を必死に律した。
それから、エリオルの冷たい激情にさらされて震える手で、そっと彼の頬に触れた。
「っ……な……に」
戸惑いをにじませた声で、エリオルが呟いた。
血の気が失せた彼の頬は、ひどく冷たい。
「やめましょう。……今、傷ついているのはあなたです」
目には見えないけれど、エリオルの瞳からは涙が流れているような気がした。
追体験した彼の恐怖と絶望に、シオンの心はひどく掻き乱されていた。
しかし、自らの記憶をこじ開けて心から血を流しながら……それでもひたすら悪役に徹してシオンを傷つけようとするかのようなエリオルの姿に、シオンは違和感を感じていたのだ。
「レヴィアスさんを狙うというのなら、私はそれを容認できません。でも……エリオルさんが、自分自身を傷つける姿も見たくないんです」
少しでも、自分の手の温度が彼の頬を温められるなら。
指の先からほんの僅かにでも、彼の心の中の冷たい塊を溶かしてあげられるなら。
祈るような気持ちで、シオンはエリオルのゆらめく瞳を見つめていた。
「何言ってるんだい……? 僕は、君を……」
シオンのことを嘲笑うような表情に見せたいのだろう。
エリオルはシオンから視線を外し、口元に笑みを浮かべる。
しかしそれはまるで泣き笑いのような、不安定で痛々しい笑顔に見えた。
「エリオルさんは多分、私を叩いたり、切りつけたり、そんな風に傷つけることはしない人です」
シオンが真っ直ぐにそう伝えると、エリオルはバツが悪そうに顔を背けた。
エリオルはシオンの手首をそっと掴み、自らの頬からシオンの手のひらをゆっくりと引き離す。
「……興醒めしたよ」
ぽつり、とそう漏らして、エリオルはベンチを微かに軋ませて立ち上がった。
ふわっ、と一瞬強い風が走り抜け、シオンは思わず目を閉じる。
気がつくと、目の前には純白の見事な翼が姿を表していた。
風に撫でられてふわりと波打つその翼の表面に、思わずシオンは見惚れてしまう。
エリオルはそんなシオンの姿に、鼻をひとつ鳴らした。
「……せいぜい、あいつに殺されないように気をつけることだね」
大きく、ゆっくりと。
白い翼が羽ばたくと、エリオルの体がふわりと宙に浮く。
翼を持たないシオンの目には、それがあまりにも優美で幻想的に見えた。
「君、ちょっと似てるから。……殺された、あの子に」
そう言ってエリオルは一際大きく羽ばたくと、吸い込まれるように青空へと飛び立っていった。
その姿を見送りながら、シオンはエリオルが見せた、感情の糸がひどく縺れたあの瞳を思い出す。
彼がレヴィアスに抱く思いは、憎しみと、殺意だけなのだろうか。
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