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第六章 星の答え
しおりを挟むロゼリア侯爵の失脚は、捕縛から十日後のことだった。
取り押さえられた暗殺者のひとりが口を割り、首謀者の名が出た。金の動きを辿ると、宮内府を経由してロゼリア侯爵の懐へ繋がっていた。侯爵の目的は単純だった——ロゼリア侯爵は自分の娘を王太子妃とすることで権力を得るつもりだった。しかし、リュシアの占いにより、その道に暗雲が掛かった。そのため、次に計画したのが王太子の暗殺。ロゼリア侯爵家は王家に連なる血脈があり、ロゼリア侯爵の息子は王位継承権も持っていたのだ。
実に身勝手で短絡的な計画だった。
リュシア・アストレアへの訴追は取り下げられた。
処刑の判決は無効とされ、卜部への復帰が認められた。冤罪に対する謝罪などは全くなかったが、リュシュアにとって、あの窓のない部屋に戻れることの方が大事だった。
* * *
復帰した翌朝、リュシアは久しぶりに星図台に向かった。
天球儀を手に取り、回転させる。水晶を磨く。先代の記録を一冊引き出して、開いた。
何も変わっていない。道具も、部屋も、窓のない景色も。
しかしリュシアは、違った。
星図台に向かうとき、もう「信じているふりをしている」という感覚がなかった。疑念がないわけではない。これからも占星術が外れることはあるだろう。占星術は万能ではないし、リュシアの技量も発展途上だ。それでも——星は嘘をつかない、ということを、今は身体で知っていた。
嘘をついていたのは、自分だった。
それがわかった今、もう同じ嘘はつけない。
天球儀がゆっくりと回転する中、扉を叩く音がした。
「失礼する」
入ってきたのはクラウスだった。
リュシアは少し驚いた。宰相がわざわざ卜部に来ることはない。まして、部下を使わず自分で来るなど。
「閣下。どのようなご用件でしょうか」
「用件ではない」
クラウスは室内を一度見回した。書棚、星図台、天球儀——卜部の執務室を、初めて見るように。
「ずいぶんと古い部屋だな」
「先代から何も変えていないので」
「窓がない」
「はい。設計の理由はわかりませんが、慣れました」
「不便だろう」
「星は、瞼の裏にあるので」
クラウスは少し間を置いた。それからリュシアを見た。
「処刑前夜、牢でそれをしていたのか」
「はい」
「あの夜、私が牢へ行ったとき——」
クラウスは言葉を一度止めた。
「青い光のようなものが見えた気がした。気のせいだと思っていたが……」
「気のせいではないかもしれません」
リュシアは答えた。
「占星術を使うとき、術者の周りに星の気が集まることがある、と祖母の記録に書いてありました。私には見えないので、確かめようがありませんが」
「……そうか」
クラウスはそれだけ言い、また室内を見回した。
今度は先ほどより長く。
リュシアはその横顔を見た。
無表情な横顔。
周囲からは「石の宰相」と呼ばれる、有能だが堅物な男。今回の事件がなければ、リュシュアのような王宮の端っこで過ごす占い師が関わることはなかっただろう。
クラウスは、何かを整理しているような——論理では片付けられないものを、どこに置くか迷っているような——そんな顔に、リュシアには見えた。
「閣下は、占星術を信じますか」
我ながら、唐突な問いだと思った。しかしクラウスは不快そうにしなかった。
「信じるとは言い切れない」
即答だった。
「しかし、否定もしない。過去の記録を見れば、占星術の予測が政の流れと一致した事例は少なくない。指標のひとつとして、有用だと思っている」
「指標として、ですか」
「それ以上でも、それ以下でもない——と、思っていた」
「思っていた」という過去形が、引っかかった。
「今は、違うのですか」
クラウスはリュシアを見た。
「今は、まだわからない」
その言葉は、クラウスにしては珍しく曖昧だった。しかし嘘ではなかった。クラウス・ベルシュタインは嘘をつくような人ではない、とリュシアはこの短い時間でそう思っていた。
「アストレア嬢」
クラウスが呼んだ。
「あなたの占星術で、救われた命があることを忘れないように」
リュシアは、その言葉を聞いた瞬間、胸の中で何かが静かに解けた気がした。
大げさな言葉ではなかった。感謝でも称賛でもない。ただ事実を告げるような、クラウスらしい言い方だった。それなのに——それだから——何か大切なものを渡された気がした。
「……はい」
リュシアは答えた。
「忘れません」
短い沈黙があった。クラウスは頷き、踵を返した。
「仕事に戻る」
「はい。ご多忙のところ、ありがとうございました」
「礼には及ばない」
また同じ言葉だった。しかし今度は、扉を開けながら少しだけ足を止めた。
「……また、来るかもしれない」
独り言のような声だった。こちらへの言葉か、自分への言葉か、判断がつかなかった。
「お待ちしています」
リュシアは言った。
扉が閉まった。
* * *
ひとりになった執務室で、リュシアは天球儀の前に座った。
指先で球体の表面を撫でる。星々を模した小さな突起が、指の腹を通り過ぎていく。
また来るかもしれない、とクラウスは言った。
リュシアはそっと目を閉じた。
瞼の裏に夜空が広がる。今はもう、望めばいつでも星が動き出す。それがリュシアにとって、変わった何よりも大きなことだった。
星を探した。
ふたつの星が、夜空の端でゆっくりと、互いの方向へ動いているのが見えた気がした。
気がした、だけかもしれない。
しかしリュシアは、目を開けないまま、少し笑った。
星は嘘をつかない。
嘘をつくのは、いつも人間だ——そして人間は、嘘をやめることができる。
天球儀が、静かに回り続けていた。
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