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声は忘れても、言葉は忘れない
しおりを挟む深い眠りからゆっくりと意識が持ち上げられる。重たい瞼を何度か瞬きすることによって、いつの間にか寝てしまっていたことを知る。頭の半分はまだ温かい泥のような無意識の領域に留まっている。
やけに開きの悪い半開きの目の中の瞳を左右に動かす。視線だけでぐるりと見回して、知らない部屋だがやけに豪奢な室内に一気に目が覚めた。
「起きたか?」
何をしていたのか、眠る前のことを思い出そうとして近付いてきた声に強張っていた身体から力が抜ける。そのままふかふかのベッドに戻りたくなる身体に鞭を打ち、僕の視線の高さまでしゃがみこんだカーティス様を見つめた。
「…ティス、ここは…僕、」
「泣きすぎて喉は枯れているし目も腫れているな。ほら、これを飲め」
苦笑しながら手渡されたティーカップを反射的に受けとる。ゆらゆらと揺れる表面に、自分の無様な顔が映り、ため息が溢れた。
「ありがとう。あの場所によく来れたね…自分でもどこにいるのか分からなかったのに」
「騎士団長からお前が教会に来てたようでそこから脱走したと報告があってな。すぐに逃げた方の方角に向かってシッパに匂いを辿らせたんだ。シッパはロナの匂いを覚えているし、優秀な鼻の良さを持ってるんだぜ」
「すごいや…見つけてくれて、ありがとう」
あのままあそこで泣き続けていたら、どんどん落ちていく冬の気温と精神的に参っていたこともあって体調を崩していただけではすまなかったかもしれない。
「俺はロナがどこにいても見つける。ロナを一人で泣かせたりしない。俺がロナを泣かせることはないけどな」
「……ありがとう」
ゆるやかに流れる川がそっと親指ほどの波を立てるような弱々しい声だなと自分でも思う。今は目の前の彼の優しさと温かい言葉が身に染みる。
「ここは?蘭の宮のティスの部屋?」
「いや、誰がどこで見ているか分からない今の蘭の宮にロナを連れ込むことは出来ない。ここは俺の母上が使っていた杏の宮にある一室だ」
「ティスのお母様…ベアトリス第二王妃様…」
「あぁ。……もうその名を忘れている人間ばかりだが、ロナが覚えていてくれるなら母上もきっと天国で喜んでいる」
カーティス様の実母であり、ビリンガム王国に隣国から嫁いできたベアトリス第二王妃。僕たちが七歳の時に病死したとされているが、何者かに暗殺された説が有力だと言う噂が当時は流れていた。
その噂を止めるべく、カーティス様の実父でありビリンガム王国の王様がベアトリス様の名前を王族以外が口にするのを禁じられ、次第にその名は忘れられていった。
「子供の時、ティスと一緒に絵本を読んでもらったときのことは今でも素敵な思い出だよ」
「俺もだ。母上はよく寝る前にもベッドの中で絵本を読んでくれた。王子様とお姫様が悪の祖国から逃げ出して冒険をしながら、本当の幸せを掴む話を」
遠い昔の記憶を懐かしむように、一言一言大切そうに言葉にするカーティス様。僕も愛に溢れた美ししく凛とした金髪の女性を思い浮かべ、彼の声に耳を傾けた。
「あんなに絵本を読んでもらったのに、もう母上の声をうまく思い出せないんだ。人っていうのは"声"を一番最初に忘れるんだって。でも声を忘れたとしても"言葉"はハッキリと覚えている」
子供にとって母親というのは無くてはならない存在だが、そんな彼女が彼に残した言葉は決して多くはなかっただろう。もっとたくさん伝えたかったことがあっただろう。
「母上は絵本の終わりにいつも言っていた。カーティスもいつか本当に大切で愛する人ができたら、この国から連れ出して好きなところへ行きなさい、って」
「…好きなところ」
「第三王子という身分に縛られなくていい。好きなところで好きなことをして好きな人と共に過ごせる。それがどれほどの幸せなのか、あなたは知る権利があるって」
「ベアトリス様らしい言葉だね」
「今思えば、あの時からもう自分の命が長くはないことを母上は悟っていたんだと思う。だから俺の立場が弱くなることも予期していた。そしてたとえ俺がどこに行ったとしても、俺は自由に生きていいんだとそう伝えたかったんだろうな」
本来、自由が制限される王族。祖国を離れ、第二王妃という立場でビリンガム王国に嫁いできたベアトリス様に、自由はほとんどなかったのかもしれない。
行きたい場所も、見たい景色も、会いたい人も、ビリンガム王国ではない別のところにたくさんあったのかもしれない。
「だから俺はラディス国で自由にのびのびと過ごせた。必ずロナをビリンガム王国から連れ出して幸せにするために」
その口ぶりはまるで、ビリンガム王国では幸せになれないと言っているようだった。
「ロナも、分かっているだろう?この国で教会で式を挙げるということは、神父の前で誓いの言葉を告げたということは…死が二人を別つまで彼らは夫婦になったのだと」
結婚式を挙げると聞いたとき、任務の一環だとしても誓いの言葉は言わないと当たり前のように思っていた。誓いの言葉の前に何かしら騎士団が動いて事はすべて終わるのだろうと、疑いようもなく信じていた。
だからあの光景は、胸を鋭いもので貫かれたような衝撃だった。ここまでするなんて、少しも思わなかったから。
信じて待っていてと言われ、ウォーレンから愛の言葉をたくさん貰い、それらすべてを信じていたから。
「たとえアーバント家のご令嬢が死んだとしても、この国でロナとあの男が教会で愛を誓うことは出来ない。同性愛を否定まではしていないが、同性婚が認められることは今後も絶対に、この国ではあり得ない」
もう僕の恋人は、別の女性の夫となった。多くの人に見守られながら、神に認められる夫婦となった。
これがたとえ任務のためだと、どんなに深い理由があるんだと説明されたところで、その事実は変わらない。
ウォーレンは、僕と騎士団の任務を天秤にかけて、僕を選ばなかっただけの話だ。
「…ティスは、こうなると知っていたからウォーレンから早く離れるよう忠告してきたの?」
「何か騎士団の思惑があってあの結婚式が開かれることは分かっていた。参列者名簿を目にするまでは、誓いの言葉まではいかずその前に何かしら動きがあるんだと思っていたが…参列者の面々を見て、そんなことは不可能だろうと思った。きっと結婚式は最後まで行われ、ロナが傷付くことになると分かったから忠告したんだ」
「その忠告を聞いておけばよかった…僕も偽物の式は途中で終わって騎士団の上層部しか知らない動きがあるんだとばかり…」
「せめてあの場所に君を近付けたくなくて、俺からも騎士団長に指示したんだ。ロナを教会に近付けるなと」
「ティスの指示だったの!?」
「確かに指示したが、俺が指示したときには既にそのつもりだという返答が返ってきたから元々決まっていたんだろう。だがなぜかお前はあの場にいて、一番見せたくなかったシーンを見てしまった」
僕を傷付けないように気を配ってくれていたカーティス様の願いを知らず、僕はのこのこと母上に連れられて教会に来てしまったというわけだ。
教会に来た経緯を説明しているうちに、母上に連絡をしていないことを思い出して慌てる。しかしそれを、カーティス様が落ち着かせるような声色で制した。
「そんなことだろうとは思ったから、バイアット家にはロナは俺の元で預かっていると伝えるよう、命じておいたから大丈夫だ」
「それならよかった…何から何まで本当にありがとう、ティス」
「やっと笑ったな。少しでも元気が戻ったなら食事にしよう。腹空いただろう?その痛々しい目も冷やさないとな」
「うん、確かに」
勢いよく立ち上がったカーティス様につられて、僕もベッドから腰を上げて立ち上がる。紅茶を最後まで飲み干して、腫れぼったくて重い目を細めて彼に向かって笑いかけた。
一人ではなく彼がそばにいてくれることが、元気付けてくれることが、今の僕には何よりもありがたかった。
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