俺の好きな人は誰にでも優しい。

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初めての彼からの優しさ

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 運命の出会いを果たした俺は、彼を上から下までマジマジと視線で撫でる。
    深みのあるバーガンディ色のロングコートの生地はしっかりとした質感があり、高級感がある。形はウエスト部分が絞られ、裾に向かって広がるシルエットになっている。襟元には大きな折り返しがあり、全体的に貴族的な雰囲気を醸し出していた。
 コートの下には白いシャツを着ており、胸元にはレースの装飾や、ひだのあるデザインが見え、クラシカルな雰囲気を強調している。襟元には輝きのあるブローチのようなアクセサリーが付いていて、アクセントになっている。 
 下半身はパンツも靴も黒で統一されていて全体的に引き締まった印象なのに、彼の持つ柔らかな雰囲気は消え失せず、むしろ全面に出ていた。

 一目見て貴族の服装だと判断した俺は、部屋の中で毒々しい蜘蛛を発見したときと同じような素早い身のこなしで彼から1人分の距離を取る。そして直角を体でつくる勢いで、頭を下げた。

「も、申し訳ございません…!無様な姿をさらした挙げ句お手を煩わせてしまい、さらには美しい装束にも触れてしまいました…!なんとお詫び申し上げればよいか…!」

 ひっくり返った頓狂な声を腹から出し、身に染みた謝罪の礼を取る。商人家の息子として、貴族様に失礼なことをしたら徹頭徹尾、誠心誠意、謝罪をするように教え込まれているのだ。
 冷や汗をだらだらと垂らしながら、彼の磨かれて光沢を放つ靴とは雲泥の差である、俺の平凡な靴の丸まった先を見つめる。
 目の前の彼は貴族然りとした華やかで存在感のある装いで、かなりの高位貴族だと思われる。この学園には制服がないため、みなそれぞれ実家の位に見合った服装を身に纏っているのだ。

 対して俺は、クリーム色のゆったりとしたシルエットのトップスで、襟元は紐で編み上げてある。
 その上からダークブラウンの、こちらもフロント部分が紐で編み上げるレースアップ仕様になっているベストを重ね、足首に向かって少し細くなっていく黒色のパンツを履いている。
 いつもならここにウエストを皮のベルトで締めているが今日は急いでいて忘れてしまった。
 ありふれた庶民の服装だが実家で作られているお手製の服をいつもなら誇りを持って着こなしているが、目の前の彼の身に付けている生地とはハリも艶感も縫製の繊細さも桁違いであることが分かり、慄いた。

 しばらくの沈黙を手に汗握りながら受け入れていると、くすっと小さな笑い声のようなものが頭の上に落ちてきた。そして俺の肩に手を置いて上半身を起こすように力を入れながら、彼は柔らかな耳障りのいい声で言った。

「こんなに気持ちのいい綺麗な礼は初めて見たよ。どうか頭を上げて、可愛い子。私に謝罪をするようなことは何一つないのだから」
「…し、しかし」
「大丈夫。それより時間は大丈夫かい?見たところまだ基礎学年の子に見えるけど、もう授業は始まっているんじゃない?」
「あっ…!!」

 衝撃的な出会いと謝罪をすることにしか頭が回っていなかった俺はすっかりと大事な授業のことを忘れていた。
 このままでは無断欠席扱いとなり、成績にも大きく響く。兄たちの期待を背負ってせっかく入れたこの学園で、何としてでも良い成績を残し続け、できるだけ良い就職先をもぎ取らなければならない俺はみるみる血の気が引いていく。
 たった数分の遅刻、されど大きな数分の遅刻なのだ。

「わぁ、今度は顔面蒼白だ。君の名前と学年を聞かせてくれるかい?」
「い、1年6組のロラン・フォードであります。実家は商人家で隣街にございます」
「そう固くならないで。なるほど、商売人の出自でその態度は納得だ。私はフィリオン・ポーマント。教師には私の手助けをしていて少し遅れてしまったと言っておけば大丈夫だよ。あとで私からも伝えておくね」
「そんな…!助けてもらったばかりでなく、そんなご懇情まで頂くのは…」
「待った。ここは素直にお礼を言うべきところだ」
「ほ、本当によろしいのですか!?」
「もちろんさ。ここで会ったのも何かの縁。これからよろしくね。さぁ、早く行きなさい。また会おう、可愛い子」
「ありがとうございます!」

 白い歯を出してにっこりと笑った彼の笑顔の破壊力で目が潰されるかと思った。それほどに彼の容姿も、言葉も、声も、一瞬で俺の心を虜にした。
 そして何より俺は、彼のその優しさにとらわれてしまった。
 遅刻してたどり着いた教室で、彼の言うとおりに教師に伝えるとそのまま頷かれ何の叱責もおとがめもなかった。その後の授業はずっと彼のことで頭がいっぱいだった。

 初めましての相手、しかも格下の庶民が転ぶのを助け、すでに遅刻していた俺が罰を受けないよう名前を貸して下さったフィリオン様。
 大きな棟が7つもあり、生徒数も何千人といるこの学園で、貴族であり年上の彼と出会えて話せる確率などかなり低い。本来なら、同じ学園にいたとしても少しも交わることがない存在だ。
 夢のような、幻のような存在と出会い、俺は胸も頬も常にぽーっとしてしまう。ずっと陽炎に包まれているような、そんな心地だった。

 若々しく、生気に満ちあふれた顔つきの同級生たちとすれ違うたびに俺は羨ましかった。
 授業についていくのが必死で寮に帰ってからも勉強に明け暮れている俺に、学園生活を楽しむ余裕などないからだ。
 俺はいいところの貴族の家令を目指している。19歳になったら家令科に進めるよう、今から覚えることはたくさんあるのだ。さらに奨学金をもらうためにも今度の試験で上から3番以内に入らなければいけない。少しでも兄たちの負担を減らすために。

 そんな切羽詰まった思いと焦りで昨夜も遅くまで勉強をしていたら今日の寝坊である。フィリオン様に出会えていなければ、試験でいい成績を残しても奨学金を貰える審査対象になるか、怪しいものだった。
 俺はフィリオン様に、転びそうになった体だけではなく、遅刻して罰が与えられる筋道を回避できるよう、助けてもらったのだ。

 彼にとっては些細なことだったのかもしれない。何てことのない優しさを当たり前のように差し出しただけかもしれないし、ただの気まぐれだったのかもしれない。
 それでも俺にとって彼は間違いなく救世主だった。彼の優しさに感銘を受け、感謝してもしきれないほどだった。そして、吸引力の強い恋の穴に一気に引き込まれる存在となった。

 俺はいつまた彼に会えるだろうかと、彼の存在を視覚で、聴覚で、嗅覚で探すようになっていた。


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