俺の好きな人は誰にでも優しい。

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期待したくない

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 静かな黄昏と緊張が部屋を満たしていた。もう午後も遅い。空に横たわる一筋の雲だけが、まだ太陽は沈みきっていないのだと証明していた。ゆっくりと、冷たい夜の空気が近付いていた。

 廊下の冷えた空気をわずかに取り入れた室内の温度は何度か下がったはずなのに、俺の熱は上昇していくばかり。
 まだ彼がこの部屋にいることが信じられない。夢でも見ているのかと思いながら、彼が口を開くのを落ち着かない心を持て余しながら待つこと数秒。

「突然ごめんね。ここがロランの部屋か…確か修道士を目指す同室者がいたね」
「あ、えと、そうです!もしかしてピートに用事でしたか?すみません、ピートは今さっき、食堂に向かってしまって…」
「知ってるよ。それに私はロランに会いに来たんだ。誰にも見られずにゆっくり話せるのはここしかないと思ってね」
「そ、そうでしたか。貴重な休日を使って俺に会いに来るほど何か重大なご用事があったのですね!」

 緊張で彼の言葉をうまく理解出来ているか分からない。ただすぐに返事をしないといけないという焦りから早口になり語尾がはね上がる。
 非現実的な出来事に臨機応変に対応しなければ立派な家令になることなど出来ない。彼に、少しでも俺を家令にしたいと思ってもらいたくて必死に脳を動かして次の会話と動きを考えた。

「あっ、あの、狭い部屋ですがどうぞお座り下さい!こっちはピートの椅子なので…どうぞ俺の椅子に!えっと、お、お茶ならありますので今ご用意させていただきますね!」
「急な訪問だったのだからそんなに焦らず、なにもしようとしなくて大丈夫だよ、ロラン。君を困らせるつもりはなかったんだが、どうしても落ち着かなくてね」

 水筒に入れてあるお茶をコップに注ごうとする俺の動きをやんわりと制止させたフィリオン様は、そのまま流れるように俺の腕を掴み、俺のベッドへと腰かける。必然的に俺も彼の隣に並んで俺のベッドの上に座ることになる。
 好きな人が、俺がいつも寝ているベッドの上にいると認識した瞬間、ドッドッドッと心臓が祭りに叩かれる太鼓のように鳴り響き、緊張と羞恥が頂点に達した。

「はっ、ぁ…あの、俺…」
「あぁ、ロラン。そんなに可愛い顔をしないでおくれ。冷静に話をしたいのにそれどころではなくなってしまう」
「フィ、フィリオン様のお悩み…っ、俺でよければきき聞きます!お力になれるよう、が、頑張りますので!」
「…君は本当に可愛いね。ありがとう、ロラン。確かに悩みはあるんだが話したいことはそれではなく君のことなんだ」
「へ…?俺のこと、ですか?」

 何か彼の気に触るようなことをしてしまったのだろうか、彼に迷惑をかけるようなことを無意識にしてしまったのだろうかと、先ほどまでとは別の意味の緊張で心臓がうるさくなる。
 顔色が青くなったであろう俺を落ち着かせるように、彼は俺の頬を指先で優しく触れたあと、きのこ頭の曲線をより滑らかにするような手付きで頭を撫でた。また別の意味で心臓がうるさくなり、とっても忙しい。

「君が何かしたわけではないから安心してほしい。昨日の昼間から食堂に来ていないだろう?食事が出来ないほど具合が悪いか、何か思い詰めているのかと思って部屋まで様子を見に来たんだ」

 彼がここに来てくれた理由は、答えを求めるためではなかった。大丈夫かと確かめるためでもない。ただ、心配だから来た。その事実だけが、胸の奥にゆっくりと染みていく。
 彼の優しさをこの部屋でまで感じることになるとは、思いもしなかった。染み渡る優しさに胸が切なく痛む。俺にここまで優しくする必要など、どこにもないのに。
 彼に優しくされて嬉しいはずなのに、苦しい。俺にここまでするということは、あと何人の部屋に優しさで様子を見に訪ねたのだろうか。そんなことを考えてしまう浅ましい自分が嫌になる。
 優しさをもらうたびに、この優しさを俺以外の誰かにも当たり前のように与えられているのだと思ってしまう。想像してしまう。

「…泣きそうな顔をしているね。もしかしてそんな顔をさせてしまっているのは、私かい?」
「そ、そんなことはありません!ただちょっと…今は、フィリオン様の優しさが優しすぎて苦しい、だけで…っ、す、すみません、こんな贅沢なことを…!」
「私が君に優しくすると君は辛い思いをしてしまうのかい?弱ったな…君を笑顔にしたくてここへ来たのに」

 綺麗に整えられた主張の薄い眉を八の字に下げた彼の言葉に呼吸のリズムが乱れそうになる。
 きっと今の言葉には特別な意味なんてない。彼にとっては当たり前のもので、特別でも何でもないはずだ。それなのに勝手に特別を感じてしまうこの心はなんて哀れなのか。
 今を特別に感じたとて、きっと少し先の未来で彼が心配して部屋に様子を見に来てくれたと嬉しそうに話す誰かの話を耳にしたとき、裏切られたような気分になるだけなのに。
 勝手に期待して、勝手に落胆して、勝手に苦しむ。そしてまた、彼の優しさを勝手に憎むようになるのだ。
 優しさを与えられるたびに彼の優しさを憎むようになってしまうのなら、もう俺になど優しさを向けないでほしい。あなたの大切な時間を、醜い俺のために使わないでほしい。

「…フィリオン様がそこまでする必要はありません。ここまで俺に優しくする必要なんてありません。貴重なお時間を奪ってしまい、申し訳ありませんでした」
「ちょっと待ってくれ。一体どうしたんだい?そんなことを言わないでおくれ。私は君だから、心配してここまで来たんだ」
「それについては心配して頂いて本当に感謝しています。でもこの通り、俺は大丈夫です。これ以上フィリオン様が気にするようなことは何もありません」
「ロラン、私は…」
「今年の年越しパーティーにご出席されるとお聞きしました。ダンスを踊る相手もお決めになられたのなら、俺の心配をするよりもその方との練習時間に充てられて下さい」

 少し棘のある言い方になってしまったが後悔してももう遅い。一度出てしまった言葉は戻ってこない。取り消せない。

「やっぱり君もその噂を聞いてたんだね。確かに今年、初めてパーティーに参加するよ。家からの命令でね…ダンスも侯爵家の人間からとなれば断れなかった」
「もちろんご事情は察しておりました。しかしわざわざそのことを俺に話す必要なんてございません。話させてしまい、申し訳ありません」
「ロラン、聞いてくれ。私は…」

 心が冷えきっていき、態度が固くなっていく俺を焦ったような眼差しで覗き込む彼の言葉は、ガチャガチャとドアノブを回そうとする荒々しい音に止められた。
 俺もフィリオン様も、見つめあったまま体を硬直させ、ゆっくりと扉へと視線をうつす。ドアノブがくるくると回りながら動いており、扉の前にいる誰かが開けようとする様子が伝わってくる。
 ピートではない。彼はこの部屋の鍵を持っているのだから。ならば誰だ、と身構えたとき。

「おーい、ロランちゃん。いんだろ?開けろよ」

 扉の向こうから、名前が呼ばれた。壁一枚隔てているだけなのに、その声は思いのほか近く、胸の奥に直接触れてくる。呑気な声色で呼ばれた瞬間、部屋の空気が変わった。
 返事をするべきか、黙っているべきか。俺が迷っているあいだに、フィリオン様がすくっと立ち上がり扉に近付くのを呆然と見上げていた。ひと波乱が起こる。そんな予感がした。


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