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第2話:漆黒の皇帝に拾われて
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ウェンディが国外追放された翌朝。 ホプリエル伯爵領の空は、昨夜の嵐が嘘のように晴れ渡っていた。
王宮のテラスでは、王太子ジュリアンが優雅に朝の茶を楽しんでいる。 その隣には、愛らしく微笑むエリスの姿があった。
「……? なんだ、この灯りは」 ジュリアンがふと眉をひそめた。 テラスを照らす魔導灯が、不規則に明滅を繰り返している。
「殿下、どうかなさいましたか?」 「いや、灯りの調子が悪いようだ。……おい、誰かこれを直せ。ウェンディはどうした」
無意識に出た名前に、ジュリアン自身が舌打ちをした。 「ああ、そうだった。あの無能は昨夜追い出したのだったな」
「うふふ、殿下ったら。そんな雑用、私がお昼寝の合間にでも直しておきますわ」 エリスが事も無げに言い放つ。
彼らはまだ、気づいていない。 ウェンディという精密な「核」を失ったことで、この国の魔導回路が静かに、だが確実に崩壊へと向かっていることに。
冷たい。痛い。……苦しい。 国境付近に広がる薄暗い森の中。 私は泥にまみれて倒れ込んでいた。
体は燃えるように熱い。指先一つ動かすのにも、激痛が走る。 「……ああ、ここで、終わるのかな」 泥水に濡れた頬を地面に押し付けながら、私は自嘲気味に目を閉じた。
三年間、一度も休まずに結界を守り続けてきた。 誰に褒められることもなく。ただ、この国が好きだったから。 それを、あの二人は「雑用」だと笑った。
悔しさが、熱い涙となって溢れ出す。 私の存在は、ただの「置物」だったのだろうか。 意識が混濁し、暗闇に沈み込もうとしたその時、地響きのような足音が聞こえた。
重厚な金属の擦れる音。馬の嘶き。 何かが、こちらへ近づいてくる。
「……魔力異常の源泉は、ここか」 頭上から、低く、重みのある声が降ってきた。
必死に瞼を押し上げると、そこには現実離れした光景があった。 漆黒の甲冑に身を包んだ、恐ろしいほどに洗練された一団。 その中心に、黒い軍馬に跨がった一人の男がいた。
夜の闇を溶かし込んだような黒髪。射抜くような鋭い黄金の瞳。 その男が纏う|圧倒的な威圧感に、私は息を呑んだ。
「……死にぞこないか、それとも王国の捨て石か」 男――黒狼帝国の皇帝|シリウスシリウスは、冷徹な眼差しで私を見下ろした。
「陛下、この娘……衣服の紋章も剥ぎ取られています。おそらく、王国から追放された者かと」 側近の言葉に、シリウスは興味なさそうに視線を逸らそうとした。
その時、側近が手にしていた魔導羅針が、パチパチと火花を散らした。 「……チッ。国境を越えた途端、魔導具の回路が狂いおる。これでは進軍の経路が測れん」
シリウスが忌々しげにコンパスを投げ捨てようとした、その時。 私の体が、意識よりも先に動いた。
「……待って、ください。……見せて。……回路が、泣いています」 シリウスの黄金の瞳が、驚愕に揺れた。
私は濁った意識の中で、コンパスの内部に視線を透過させた。 純化された微細な魔力を流し込み、絡まった糸を一本ずつ解いていく。
――カチリ。 心地よい音が響き、針がピタリと北を指して止まった。
「……直った……?」 側近が、信じられないものを見るような声を上げた。
シリウスは無言で、私の顔をじっと見つめた。 その瞳に宿っていた冷酷な色が、わずかに変化する。
「……貴様、名は」 「……ウェンディ……です」
「ウェンディか。これほどの編纂能力を持ちながら、あの愚鈍な王国は貴様を捨てたというのか」 シリウスは馬から降りると、泥だらけの私の体を、まるで壊れ物を扱うように軽々と抱き上げた。
「ウェンディ。その腕、我が国で試す気はあるか」 耳元で囁かれたその声は、絶対的な「命令」のようでありながら、私には初めて差し伸べられた「救いの手」に感じられた。
「……はい……」 「よろしい。貴様は今日から、帝国の、……いや、俺の所有物だ」
シリウスの温かさに包まれながら、私の意識は深い眠りへと落ちていった。
この日、王国は唯一の「盾」を完全に失い。 帝国は最強の「剣」を手に入れたのだ。
王宮のテラスでは、王太子ジュリアンが優雅に朝の茶を楽しんでいる。 その隣には、愛らしく微笑むエリスの姿があった。
「……? なんだ、この灯りは」 ジュリアンがふと眉をひそめた。 テラスを照らす魔導灯が、不規則に明滅を繰り返している。
「殿下、どうかなさいましたか?」 「いや、灯りの調子が悪いようだ。……おい、誰かこれを直せ。ウェンディはどうした」
無意識に出た名前に、ジュリアン自身が舌打ちをした。 「ああ、そうだった。あの無能は昨夜追い出したのだったな」
「うふふ、殿下ったら。そんな雑用、私がお昼寝の合間にでも直しておきますわ」 エリスが事も無げに言い放つ。
彼らはまだ、気づいていない。 ウェンディという精密な「核」を失ったことで、この国の魔導回路が静かに、だが確実に崩壊へと向かっていることに。
冷たい。痛い。……苦しい。 国境付近に広がる薄暗い森の中。 私は泥にまみれて倒れ込んでいた。
体は燃えるように熱い。指先一つ動かすのにも、激痛が走る。 「……ああ、ここで、終わるのかな」 泥水に濡れた頬を地面に押し付けながら、私は自嘲気味に目を閉じた。
三年間、一度も休まずに結界を守り続けてきた。 誰に褒められることもなく。ただ、この国が好きだったから。 それを、あの二人は「雑用」だと笑った。
悔しさが、熱い涙となって溢れ出す。 私の存在は、ただの「置物」だったのだろうか。 意識が混濁し、暗闇に沈み込もうとしたその時、地響きのような足音が聞こえた。
重厚な金属の擦れる音。馬の嘶き。 何かが、こちらへ近づいてくる。
「……魔力異常の源泉は、ここか」 頭上から、低く、重みのある声が降ってきた。
必死に瞼を押し上げると、そこには現実離れした光景があった。 漆黒の甲冑に身を包んだ、恐ろしいほどに洗練された一団。 その中心に、黒い軍馬に跨がった一人の男がいた。
夜の闇を溶かし込んだような黒髪。射抜くような鋭い黄金の瞳。 その男が纏う|圧倒的な威圧感に、私は息を呑んだ。
「……死にぞこないか、それとも王国の捨て石か」 男――黒狼帝国の皇帝|シリウスシリウスは、冷徹な眼差しで私を見下ろした。
「陛下、この娘……衣服の紋章も剥ぎ取られています。おそらく、王国から追放された者かと」 側近の言葉に、シリウスは興味なさそうに視線を逸らそうとした。
その時、側近が手にしていた魔導羅針が、パチパチと火花を散らした。 「……チッ。国境を越えた途端、魔導具の回路が狂いおる。これでは進軍の経路が測れん」
シリウスが忌々しげにコンパスを投げ捨てようとした、その時。 私の体が、意識よりも先に動いた。
「……待って、ください。……見せて。……回路が、泣いています」 シリウスの黄金の瞳が、驚愕に揺れた。
私は濁った意識の中で、コンパスの内部に視線を透過させた。 純化された微細な魔力を流し込み、絡まった糸を一本ずつ解いていく。
――カチリ。 心地よい音が響き、針がピタリと北を指して止まった。
「……直った……?」 側近が、信じられないものを見るような声を上げた。
シリウスは無言で、私の顔をじっと見つめた。 その瞳に宿っていた冷酷な色が、わずかに変化する。
「……貴様、名は」 「……ウェンディ……です」
「ウェンディか。これほどの編纂能力を持ちながら、あの愚鈍な王国は貴様を捨てたというのか」 シリウスは馬から降りると、泥だらけの私の体を、まるで壊れ物を扱うように軽々と抱き上げた。
「ウェンディ。その腕、我が国で試す気はあるか」 耳元で囁かれたその声は、絶対的な「命令」のようでありながら、私には初めて差し伸べられた「救いの手」に感じられた。
「……はい……」 「よろしい。貴様は今日から、帝国の、……いや、俺の所有物だ」
シリウスの温かさに包まれながら、私の意識は深い眠りへと落ちていった。
この日、王国は唯一の「盾」を完全に失い。 帝国は最強の「剣」を手に入れたのだ。
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