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第二話
兄と呼べない理由
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エマとユウトがリーディア家の一員となり、はや一週間が経とうとしていた。最初は、どれだけ価値観が違うのだろうとビクビクしていたエマとユウト。だが、意外にもその暮らしにはすぐに馴染めた。屋敷は広く立派だが、マティーラは平凡な生活を大切にしていたため華美な家具などは殆どなかった。使用人の数も名家にしては少なくて、家族の居住スペースに勝手に立ち入る事はない。執事のセディは気さくな人物で、エマとユウトのよき相談相手となってくれている。
(…とはいうものの)
全てが順調かというとそうではない。セージュとは、家の中でさえ殆ど会っていない。食事の時間になっても自室から出てくる事はなく、挨拶をしようとしても素っ気ない。
(俺、嫌われてるのかな…)
記憶のなかを探ったが、セージュの気分を害する事はしていない。だとしたら、やはり義兄弟になる事を嫌悪しているのだろう。
(そりゃあ、そうだよな。俺なんかが義弟なんて、恥ずかしくて言えないよな)
マティーラとエマのお披露目があった夜。セージュがある提案をしたのだ。それは、学園ではユウトは旧姓を使うべきだという事だ。
『リーディア家の一員となったと知られると、いろいろ面倒な事になる可能性があります』
セージュの言葉に、マティーラも納得したらしい。学園長には事情を説明し、ユウトはこれまで通りの生活をする事になった。だが、ユウトとしては複雑だ。セージュの本心がわかってしまったから。セージュは、ユウトを弟と思いたくないのだ。
(…俺なんかが義弟って知られたくないよな)
リーディア家は、名門中の名門。庶民のユウトが義弟なんて、セージュとしてはプライドが許さないのだろう。
「よっ。おはよう」
庭でボ~ッとハーブに水やりをしていれば、スタッドがニコニコしながら歩いてくる。銀の甲冑に身を纏い、ワインレッドのマントを肩にかけている。ユウトの瞳がキラキラと輝いた。
「すごい。これが騎士団の正装ですか?」
騎士団の団長を務めるスタッドは、家を空ける事がかなり多い。朝方に帰宅という事は、おそらく国境付近の警備をしていたのだろう。疲れているだろうに、スタッドはいつものように爽やかな笑顔を浮かべていた。
「格好いいだろ。俺も、このワインレッドのマントには憧れたものさ」
スタッドは、セージュとは顔も性格も正反対だった。顎や肩幅はかなりガッシリしていて、短く揃えられた黒髪と太い眉はかなり男らしい。繊細な美貌のセージュとはかなり違う。
スタッドは前々妻の子供で、セージュとアンディは前妻の子供だそうだ。そのため、外見の違いは否めない。
「なにか悩んでいるのか?顔色が優れない」
スタッドが気遣わしげに顔を覗き込んでくる。
「やはり、気まずいか?」
聞かれて、ユウトは押し黙った。
スタッドが、暗にセージュの事を言っているのは明白である。セージュが出すピリピリした空気は、スタッドにも十分に伝わっているようだ。ユウトは慌てて首を横に振る。
「そ、そんな事はないです。ただ、今でも夢みたいで…」
これまで住んでいた場所と比べ、今は信じられないぐらい豪華だ。自室として与えられた部屋は、まるでホテルのスウィートルームのようだった。だが、フカフカのベッドに寝転んでも気分が晴れる事はなかった。ユウトの心は、セージュに嫌われてしまった事へのショックで溢れていたから…。
「無理はするな」
スタッドが優しくユウトの頭を撫でる。
「俺は良いんですけど…。母さんが…」
セージュの態度を気にしているのはユウトだけではない。エマもまた心を痛めていた。
「俺からもさりげなく忠告しておくよ。ただ、セージュはあんな奴ではないんだ」
スタッドがさりげなくフォローする。
「わかってます」
ユウトはスタッドを落ち込ませないように、精一杯の笑顔を浮かべた。そんなユウトが、スタッドには健気に見えて仕方なかった。
「もっと頼ってくれ。俺達は兄弟になったんだから…」
「スタッドさん」
「兄さんって呼んでくれ」
言われ、ユウトは躊躇いがちに「スタッド兄さん」と言い直した。すると、たちまちスタッドが破顔する。そして、ユウトの髪をワシャワシャとかき回した。
「かわいいなぁ、ユウトは」
「や、やめてくださいっ」
言いながらも、ユウトは嬉しかった。ずっと兄弟が欲しいと思っていた。スタッドのように頼れる兄を持てた事を、心から幸運に思う。
「あ、スタッド兄さん。お帰りぃ」
じゃれ合う2人に気付き、末弟のアンディが駆け寄ってきた。柔らかいフワフワの金髪を揺らし、ユウトの腕にしがみつく。
「ユウト兄さん。カードゲームしよ」
「アンディ。そろそろ学校に行く時間だろ?」
ユウトの腕を懸命に引っ張るアンディに、スタッドが嗜めるような視線を送る。
「一回だけ。ね?」
懐いてくるアンディがかわいくて、ユウトもついつい甘やかしてしまう。セージュとも、こんな風に話せたらどれだけいいのかとユウトは思った。そうできたら、こんな風に心の中が重苦しくならなくていいのにと…。そんなユウトはまだ気付いていない。少し離れた場所で、セージュはユウト達が笑い合う姿をジッと凝視していた。
「…っ」
スタッドやアンディと楽しそうに話すユウトに、セージュは険しい表情を浮かべた。そして、なにかを吹っ切るように振り向くと自室へと足早に向かった。
その夜。マティーラからある提案がされた。それは、ユウトの部屋をリフォームするというものだ。
「あの部屋は陽当たりも悪いし、冬は寒い。これを機会にリフォームしたいんだ」
「あ、あの。俺はこのままでいいです」
陽当たりの悪さや冬の寒さなど、ユウトにはたいした問題ではなかった。だが、ユウトが断った事でマティーラが落ち込んだ顔をする。
「父親らしい事をさせてくれ。ね?」
「は、はい。わかりました」
これまで父親がいない生活が当たり前だったユウトとしては、いまいち甘え方がわからない。おまけに、これまで気さくに話していたマティーラはあのリーディア家の当主だったのだ。
「それで、リフォームの間だけなんだが…」
続く言葉に、ユウトはサッと青ざめた。
「セージュの部屋で暮らしてくれないか」
ユウトは返事に詰まったまま、ただニコニコしているマティーラを見つめた。
「行ってきます」
制服に着替えたユウトがから出ると、そこには同じく着替えを済ませたセージュがいた。いきなりの登場に、ユウトは思わず立ち尽くしてしまった。今夜からセージュの部屋で寝泊まりする事になっているのだ。嫌でも緊張してくる。
「乗れ」
セージュの言葉に驚くと、そこにはリムジンが停まっていた。セージュが登下校で利用しているものだ。ユウトは慌てて後ずさる。
「大丈夫ですっ。バスで行くので…」
リーディア家から歩いて10分ほどの場所にはバス停があり、通学に不便は感じていなかった。
「今日はバスが遅れるらしい。バス停に長蛇の列ができていた」
「えっ」
「行き先は同じだ。乗っていけ」
セージュに言われ、ユウトには逆らう事ができなかった。運転手がドアを開けてくれて、恐る恐る車内へと乗り込む。通学用とは思えない豪華なリムジン。ユウトはおっかなびっくり、ソファのようなフカフカのシートに腰をおろした。後から乗り込んできたセージュが、人一人分空けて座る。
(お、落ち着かない)
横を見れば、セージュが長い足を組んだポーズで参考書を読んでいる。無表情のため、その心情はわからない。だが、きっと怒っているに違いない。
(このままじゃ…)
同じ部屋で寝泊まりなんて、できるはずがない。ユウトは何度か躊躇った後、口をオズオズと開いた。
「俺、明日には家に帰ります」
「何?」
それは、ここ数日悩んで決めた事だった。このままセージュと気まずい関係が続くのは耐えられなかった。エマと二人で暮らしていた家はそのままの状態で残してある。ユウトはそこで一人暮らしをする覚悟を決めた。
「セージュさんが俺の事を嫌っているのはわかっています。だから、安心してください」
最初からわかっていた話だった。自分さえ居なければ、もっと和気あいあいとした空気になっていた。エマが気にする必要もなかったのだ。
「私が、いつお前を嫌っていると言った?」
セージュの声には微かに焦りの感情が見てとれた。が、自分の心に余裕がないユウトはその事に気付かなかった。
「言わなくてもわかります。セージュさんは、俺にとって憧れの人なんです。これ以上、嫌われたくない…」
呟いた途端。ポロポロと涙が溢れてきた。泣くつもりなんかなかったユウトは、慌てて両手で目元を拭った。だけど、涙が後から後から溢れてくる。
「す、すみません。なんで涙が…」
泣いていたユウトは気付かなかった。セージュがすぐ間近に移動してきた事に…。気がついた時には、既にその長い腕に抱き締められていた。
「…え?」
あまりにも突然の抱擁に、ユウトはパチパチと瞬きを繰り返した。
「私の前で泣くな。理性を保てなくなる」
セージュが苦しそうな声で囁く。
「それ、どういう…」
顔を上げたユウトは、セージュの切なげな眼差しに声を失った。ゆっくりと唇が重ねられる。
(え?)
柔らかな感触を唇に受けながら、ユウトは唖然としてしまった。あり得ない事が起きていて、理解が追い付かないのだ。重なった時と同様に、ゆっくりとセージュが離れる。
「家を出る事は、私が許さない」
その声には、どこか甘さが隠れていた。再びセージュの顔が近づく。
「兄と呼ぶなと言ったのは、こういう事だ。私は、ユウトの事が好きなんだ。もちろん、恋愛相手として」
ユウトはハッと我に返り、のしかかってこようとするセージュをなんとか押し戻した。
「あ、あのっ。な、ななななな何を…っ」
「何、とは?」
「セージュさんが俺の事を好きだなんて…っ、そんな…っ」
慌てふためくユウトだが、決して嫌悪しているわけではない。現に今だってドキドキが止まらないのだ。セージュはユウトの右手を持ち上げると、手の甲に恭しく口づけた。
「側にいると、こうやって触れたくなる。ユウトの意思を無視して、全てを奪いたくなる。だから、避けてきたんだ」
指の先を唇に含まれ、舌がゆっくりと這わされる。性的な行為を連想してしまい、ユウトは直視できなかった。
「ユウトは、私をどう思う?」
「ど、どうって…。セージュさんは憧れの人で…」
「恋愛対象とは見れないか?」
「そ、それは…っ」
「私に触れられて、ドキドキするか?」
セージュの指が頬から首筋へと流れるように移動する。その度にユウトは頬が赤くなり、落ち着かなかった。そんなユウトの反応に、セージュが安堵したように微笑む。
「…嫌われてはいないようだな」
「き、嫌うだなんて、そんな…っ」
セージュはユウトを抱き寄せると、その額に唇を押し当てた。
「これからは遠慮はしない。堂々と口説かせてもらう」
「えっ。あ、あのっ。そんな…っ」
車が学園に着くまでの間、ユウトはセージュに愛を囁かれ続けた。濃厚なキス付きで…。
その頃。
マティーラが得意気に自分の計画をエマに話していた。
「これで大丈夫。セージュとユウトはすぐに仲良くなるよ」
「そうかしら…」
エマはまだ不安だった。
セージュの態度にユウトが傷ついているのは、エマにだってわかっていた。その原因が自分達の結婚にあるとしたらと思うと、どうにも落ち着かないのだ。
「セージュは、ああ見えるがとても優しい子なんだよ」
マティーラが深い深い溜め息を吐く。
周囲からは、無感情だとか冷血漢と思われているセージュ。だが、幼い頃のセージュは無邪気でかわいいものが抱き好きだった。
「小さい頃は、ぬいぐるみと寝ていたんだよ」
「本当?」
エマが驚きに目を丸くする。クールで知的なセージュの、あまりにも意外な一面だった。
「男の子なんて、気がついたら仲良くなっているものだよ」
のほほんとマティーラが笑う。
「息子達よりも、私の事を考えてくれないか?」
マティーラの手が、エマの手をそっと包み込む。机にはウェディングドレスのパンフレットが広げられた状態のままだ。
「私達は、新婚なんだよ?」
マティーラに抱き寄せられ、エマは耳まで赤くなった。
2人は知らない。息子達の関係が、一気に変わろうとしている事を…。
(…とはいうものの)
全てが順調かというとそうではない。セージュとは、家の中でさえ殆ど会っていない。食事の時間になっても自室から出てくる事はなく、挨拶をしようとしても素っ気ない。
(俺、嫌われてるのかな…)
記憶のなかを探ったが、セージュの気分を害する事はしていない。だとしたら、やはり義兄弟になる事を嫌悪しているのだろう。
(そりゃあ、そうだよな。俺なんかが義弟なんて、恥ずかしくて言えないよな)
マティーラとエマのお披露目があった夜。セージュがある提案をしたのだ。それは、学園ではユウトは旧姓を使うべきだという事だ。
『リーディア家の一員となったと知られると、いろいろ面倒な事になる可能性があります』
セージュの言葉に、マティーラも納得したらしい。学園長には事情を説明し、ユウトはこれまで通りの生活をする事になった。だが、ユウトとしては複雑だ。セージュの本心がわかってしまったから。セージュは、ユウトを弟と思いたくないのだ。
(…俺なんかが義弟って知られたくないよな)
リーディア家は、名門中の名門。庶民のユウトが義弟なんて、セージュとしてはプライドが許さないのだろう。
「よっ。おはよう」
庭でボ~ッとハーブに水やりをしていれば、スタッドがニコニコしながら歩いてくる。銀の甲冑に身を纏い、ワインレッドのマントを肩にかけている。ユウトの瞳がキラキラと輝いた。
「すごい。これが騎士団の正装ですか?」
騎士団の団長を務めるスタッドは、家を空ける事がかなり多い。朝方に帰宅という事は、おそらく国境付近の警備をしていたのだろう。疲れているだろうに、スタッドはいつものように爽やかな笑顔を浮かべていた。
「格好いいだろ。俺も、このワインレッドのマントには憧れたものさ」
スタッドは、セージュとは顔も性格も正反対だった。顎や肩幅はかなりガッシリしていて、短く揃えられた黒髪と太い眉はかなり男らしい。繊細な美貌のセージュとはかなり違う。
スタッドは前々妻の子供で、セージュとアンディは前妻の子供だそうだ。そのため、外見の違いは否めない。
「なにか悩んでいるのか?顔色が優れない」
スタッドが気遣わしげに顔を覗き込んでくる。
「やはり、気まずいか?」
聞かれて、ユウトは押し黙った。
スタッドが、暗にセージュの事を言っているのは明白である。セージュが出すピリピリした空気は、スタッドにも十分に伝わっているようだ。ユウトは慌てて首を横に振る。
「そ、そんな事はないです。ただ、今でも夢みたいで…」
これまで住んでいた場所と比べ、今は信じられないぐらい豪華だ。自室として与えられた部屋は、まるでホテルのスウィートルームのようだった。だが、フカフカのベッドに寝転んでも気分が晴れる事はなかった。ユウトの心は、セージュに嫌われてしまった事へのショックで溢れていたから…。
「無理はするな」
スタッドが優しくユウトの頭を撫でる。
「俺は良いんですけど…。母さんが…」
セージュの態度を気にしているのはユウトだけではない。エマもまた心を痛めていた。
「俺からもさりげなく忠告しておくよ。ただ、セージュはあんな奴ではないんだ」
スタッドがさりげなくフォローする。
「わかってます」
ユウトはスタッドを落ち込ませないように、精一杯の笑顔を浮かべた。そんなユウトが、スタッドには健気に見えて仕方なかった。
「もっと頼ってくれ。俺達は兄弟になったんだから…」
「スタッドさん」
「兄さんって呼んでくれ」
言われ、ユウトは躊躇いがちに「スタッド兄さん」と言い直した。すると、たちまちスタッドが破顔する。そして、ユウトの髪をワシャワシャとかき回した。
「かわいいなぁ、ユウトは」
「や、やめてくださいっ」
言いながらも、ユウトは嬉しかった。ずっと兄弟が欲しいと思っていた。スタッドのように頼れる兄を持てた事を、心から幸運に思う。
「あ、スタッド兄さん。お帰りぃ」
じゃれ合う2人に気付き、末弟のアンディが駆け寄ってきた。柔らかいフワフワの金髪を揺らし、ユウトの腕にしがみつく。
「ユウト兄さん。カードゲームしよ」
「アンディ。そろそろ学校に行く時間だろ?」
ユウトの腕を懸命に引っ張るアンディに、スタッドが嗜めるような視線を送る。
「一回だけ。ね?」
懐いてくるアンディがかわいくて、ユウトもついつい甘やかしてしまう。セージュとも、こんな風に話せたらどれだけいいのかとユウトは思った。そうできたら、こんな風に心の中が重苦しくならなくていいのにと…。そんなユウトはまだ気付いていない。少し離れた場所で、セージュはユウト達が笑い合う姿をジッと凝視していた。
「…っ」
スタッドやアンディと楽しそうに話すユウトに、セージュは険しい表情を浮かべた。そして、なにかを吹っ切るように振り向くと自室へと足早に向かった。
その夜。マティーラからある提案がされた。それは、ユウトの部屋をリフォームするというものだ。
「あの部屋は陽当たりも悪いし、冬は寒い。これを機会にリフォームしたいんだ」
「あ、あの。俺はこのままでいいです」
陽当たりの悪さや冬の寒さなど、ユウトにはたいした問題ではなかった。だが、ユウトが断った事でマティーラが落ち込んだ顔をする。
「父親らしい事をさせてくれ。ね?」
「は、はい。わかりました」
これまで父親がいない生活が当たり前だったユウトとしては、いまいち甘え方がわからない。おまけに、これまで気さくに話していたマティーラはあのリーディア家の当主だったのだ。
「それで、リフォームの間だけなんだが…」
続く言葉に、ユウトはサッと青ざめた。
「セージュの部屋で暮らしてくれないか」
ユウトは返事に詰まったまま、ただニコニコしているマティーラを見つめた。
「行ってきます」
制服に着替えたユウトがから出ると、そこには同じく着替えを済ませたセージュがいた。いきなりの登場に、ユウトは思わず立ち尽くしてしまった。今夜からセージュの部屋で寝泊まりする事になっているのだ。嫌でも緊張してくる。
「乗れ」
セージュの言葉に驚くと、そこにはリムジンが停まっていた。セージュが登下校で利用しているものだ。ユウトは慌てて後ずさる。
「大丈夫ですっ。バスで行くので…」
リーディア家から歩いて10分ほどの場所にはバス停があり、通学に不便は感じていなかった。
「今日はバスが遅れるらしい。バス停に長蛇の列ができていた」
「えっ」
「行き先は同じだ。乗っていけ」
セージュに言われ、ユウトには逆らう事ができなかった。運転手がドアを開けてくれて、恐る恐る車内へと乗り込む。通学用とは思えない豪華なリムジン。ユウトはおっかなびっくり、ソファのようなフカフカのシートに腰をおろした。後から乗り込んできたセージュが、人一人分空けて座る。
(お、落ち着かない)
横を見れば、セージュが長い足を組んだポーズで参考書を読んでいる。無表情のため、その心情はわからない。だが、きっと怒っているに違いない。
(このままじゃ…)
同じ部屋で寝泊まりなんて、できるはずがない。ユウトは何度か躊躇った後、口をオズオズと開いた。
「俺、明日には家に帰ります」
「何?」
それは、ここ数日悩んで決めた事だった。このままセージュと気まずい関係が続くのは耐えられなかった。エマと二人で暮らしていた家はそのままの状態で残してある。ユウトはそこで一人暮らしをする覚悟を決めた。
「セージュさんが俺の事を嫌っているのはわかっています。だから、安心してください」
最初からわかっていた話だった。自分さえ居なければ、もっと和気あいあいとした空気になっていた。エマが気にする必要もなかったのだ。
「私が、いつお前を嫌っていると言った?」
セージュの声には微かに焦りの感情が見てとれた。が、自分の心に余裕がないユウトはその事に気付かなかった。
「言わなくてもわかります。セージュさんは、俺にとって憧れの人なんです。これ以上、嫌われたくない…」
呟いた途端。ポロポロと涙が溢れてきた。泣くつもりなんかなかったユウトは、慌てて両手で目元を拭った。だけど、涙が後から後から溢れてくる。
「す、すみません。なんで涙が…」
泣いていたユウトは気付かなかった。セージュがすぐ間近に移動してきた事に…。気がついた時には、既にその長い腕に抱き締められていた。
「…え?」
あまりにも突然の抱擁に、ユウトはパチパチと瞬きを繰り返した。
「私の前で泣くな。理性を保てなくなる」
セージュが苦しそうな声で囁く。
「それ、どういう…」
顔を上げたユウトは、セージュの切なげな眼差しに声を失った。ゆっくりと唇が重ねられる。
(え?)
柔らかな感触を唇に受けながら、ユウトは唖然としてしまった。あり得ない事が起きていて、理解が追い付かないのだ。重なった時と同様に、ゆっくりとセージュが離れる。
「家を出る事は、私が許さない」
その声には、どこか甘さが隠れていた。再びセージュの顔が近づく。
「兄と呼ぶなと言ったのは、こういう事だ。私は、ユウトの事が好きなんだ。もちろん、恋愛相手として」
ユウトはハッと我に返り、のしかかってこようとするセージュをなんとか押し戻した。
「あ、あのっ。な、ななななな何を…っ」
「何、とは?」
「セージュさんが俺の事を好きだなんて…っ、そんな…っ」
慌てふためくユウトだが、決して嫌悪しているわけではない。現に今だってドキドキが止まらないのだ。セージュはユウトの右手を持ち上げると、手の甲に恭しく口づけた。
「側にいると、こうやって触れたくなる。ユウトの意思を無視して、全てを奪いたくなる。だから、避けてきたんだ」
指の先を唇に含まれ、舌がゆっくりと這わされる。性的な行為を連想してしまい、ユウトは直視できなかった。
「ユウトは、私をどう思う?」
「ど、どうって…。セージュさんは憧れの人で…」
「恋愛対象とは見れないか?」
「そ、それは…っ」
「私に触れられて、ドキドキするか?」
セージュの指が頬から首筋へと流れるように移動する。その度にユウトは頬が赤くなり、落ち着かなかった。そんなユウトの反応に、セージュが安堵したように微笑む。
「…嫌われてはいないようだな」
「き、嫌うだなんて、そんな…っ」
セージュはユウトを抱き寄せると、その額に唇を押し当てた。
「これからは遠慮はしない。堂々と口説かせてもらう」
「えっ。あ、あのっ。そんな…っ」
車が学園に着くまでの間、ユウトはセージュに愛を囁かれ続けた。濃厚なキス付きで…。
その頃。
マティーラが得意気に自分の計画をエマに話していた。
「これで大丈夫。セージュとユウトはすぐに仲良くなるよ」
「そうかしら…」
エマはまだ不安だった。
セージュの態度にユウトが傷ついているのは、エマにだってわかっていた。その原因が自分達の結婚にあるとしたらと思うと、どうにも落ち着かないのだ。
「セージュは、ああ見えるがとても優しい子なんだよ」
マティーラが深い深い溜め息を吐く。
周囲からは、無感情だとか冷血漢と思われているセージュ。だが、幼い頃のセージュは無邪気でかわいいものが抱き好きだった。
「小さい頃は、ぬいぐるみと寝ていたんだよ」
「本当?」
エマが驚きに目を丸くする。クールで知的なセージュの、あまりにも意外な一面だった。
「男の子なんて、気がついたら仲良くなっているものだよ」
のほほんとマティーラが笑う。
「息子達よりも、私の事を考えてくれないか?」
マティーラの手が、エマの手をそっと包み込む。机にはウェディングドレスのパンフレットが広げられた状態のままだ。
「私達は、新婚なんだよ?」
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