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9月26日 金曜日
第42話 容赦なき口上(1)
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「……本日は突然押しかける形になってしまい申し訳ありません。ですが緊急でお話しさせていただかなければならないことがありまして」
少し低めの、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。くっきり聞こえるということは、スマホを持っている山名さんのお母さんだろう。キャリアウーマン風というか、なんとなく宝塚の男役出身の女優さんを彷彿とさせる、力強さと自信を感じさせるような声だった。
「いえいえそんな、とんでもないですよ。お二人には日頃から何かとご尽力いただいておりますので……ええ。どうぞ、おかけください」
ある程度距離はあるはずだが、教頭先生の声も十分に拾うことができている。
私たちは無言でうなずき合った。
「早速ですが。お話というのは他でもない合唱祭のことでしてね」
山名さんのお母さんが早速本題に入る。
「合唱祭、でございますか……」
教頭先生の声はあくまで穏やかだ。音声だけで表情は見えないものの、もしかしたら軽く眉間に皺くらいは寄っているかもしれない。
「ええ。なんでも今年は去年までとは事情が変わって、生徒が主体となって開催することになったんだと、娘から聞きましてね。楽しみだって嬉しそうに話してくれているんですのよ」
きっとにっこりと、でもどこか凄みを帯びた感じの、迫力のある笑顔が脳裏に浮かんだ。ちなみに私は山名さんのお母さんとは面識がないので、その笑顔は私の脳裏ではある宝塚出身の女優さんの顔で再生されている。名前は──今ちょっと出てこないけれど。
スマホからの音声が途切れ、しんとなる。
とっさに画面を確認したところ通話自体はつながったままなので、向こう──おそらく応接室だろう──に沈黙がおりたのだ。
「……山名様、大変申し上げにくいのですが……その、合唱祭は中止せざるをえない現状となっておりましてですね。といってもまだ公式にアナウンスはされておりませんので、お嬢さんはご存知ないかもしれませんが」
教頭先生が少し困ったような声で言った。
その瞬間、スマホを囲む私たちの空気がぴんと張りつめる。
教頭先生は知らないのだ──目の前にいる保護者会の会長の娘が、他でもない合唱祭実行委員会のメンバーであるということを。思い返してみれば、昨日生徒会室にやって来たときだって、教頭先生は桐山会長のことしか相手にしていなかった。もっと言ってしまえば、彼以外の存在なんて視界に入ってすらいなかったのだろう。
そうでなくったって、立場上、通常の授業を担当することもない教頭先生のことだ。生徒の顔と名前が一致しているとも思えない。
「……いえ、私たちは存じておりますよ。というのも本日は、まさにそのことで抗議に伺いましたので」
山名さんのお母さんはたっぷりと間を置いて、動揺を一切感じさせない口調で言った。
どんな些細な事柄でも、どこでどう役立つかわからない。だから今年の合唱祭にまつわるあれこれは、開催にこぎ着けた経緯から現状までとにかく事細かに伝えてあった。もちろん、それをどう生かすかは、山名さんのお母さん、そして真紀ちゃんのお母さんの二人に委ねるしかないのだけれど。
「抗議、と言いますと……?」
教頭先生の声にかすかに困惑が混じる。少なくとも今年度に限っては「正式な」行事ですらない合唱祭について保護者会からクレームがつくなんて、きっと想像すらしなかったのだろう。
「生徒たちは休み時間も放課後の自由時間も削って、場合によっては多かれ少なかれ勉強や部活動も犠牲にして準備してきたんですよね。それを無下になさるおつもりですか? それもこんな直前になってから」
私はこっそりつばを飲み込む。山名さんのお母さんのこの発言は決して、学校側の決定に対する非難や糾弾などではない──圧だ。「まさかそんなことはしませんよね?」という、無言の圧力だ。
案の定、教頭先生は軽く怯んだようだった。
「そんな、無下にだなんて……。しかしながら、本校にものっぴきならない事情がありますもので」
あくまで中止要請を取り下げる気はないらしい。けれど退く気がないのはこちらだって同じだ。
「それは『先の休校措置で授業に遅れが生じている』というものでしょうか?」
間髪を容れず、別の声で質問が放たれる。こちらは真紀ちゃんのお母さんだろうか。とっさに目を向けると、私の視線に気づいた真紀ちゃんは無言でうなずいた。
「え、ええ。まあ……」
先手を打たれるとは思っていなかったのだろう。教頭先生の歯切れが悪くなる。
「その点も確認させていただきましたが、休校措置によって欠けてしまった授業数というのは、正確には九時限分ですね? 合唱祭が予定されているのは金曜日の午後とのことですから、その時間を充てたところで取り戻せるのはせいぜい二、三時限分。計算が合わないように思われますが」
真紀ちゃんのお母さんは、山名さんのお母さんとはまたちがったタイプのようだ。どちらかというと淡々とした口調で、なんだか秘書や会計士を彷彿とさせるような事務的な雰囲気を感じる。
「それは……いえね、現状ですら各教科の先生方には無理を言い、普段の授業の密度を上げて対応してもらっている状況ですので……ええ、少しでも先生方の負担を減らしたい思いもありまして。我が校といたしましては、一部の生徒が企画しただけの……そうですね、いわばお祭り騒ぎに貴重な時間を割くわけには……」
(「お祭り騒ぎ」……)
私は呆然としてスマホの画面を見つめた。もちろんそれは単に通話時間が計上されているだけの無機質な画面なのだけれど、つい声の発生元を凝視してしまったのだ。
合唱祭は、たしかに「祭り」だ。それは読んで字のごとくというだけでなく、ある意味では今回の企画のコンセプトですらある。けれどそれでも、こんなふうに馬鹿にされるのは耐えられない。
少し低めの、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。くっきり聞こえるということは、スマホを持っている山名さんのお母さんだろう。キャリアウーマン風というか、なんとなく宝塚の男役出身の女優さんを彷彿とさせる、力強さと自信を感じさせるような声だった。
「いえいえそんな、とんでもないですよ。お二人には日頃から何かとご尽力いただいておりますので……ええ。どうぞ、おかけください」
ある程度距離はあるはずだが、教頭先生の声も十分に拾うことができている。
私たちは無言でうなずき合った。
「早速ですが。お話というのは他でもない合唱祭のことでしてね」
山名さんのお母さんが早速本題に入る。
「合唱祭、でございますか……」
教頭先生の声はあくまで穏やかだ。音声だけで表情は見えないものの、もしかしたら軽く眉間に皺くらいは寄っているかもしれない。
「ええ。なんでも今年は去年までとは事情が変わって、生徒が主体となって開催することになったんだと、娘から聞きましてね。楽しみだって嬉しそうに話してくれているんですのよ」
きっとにっこりと、でもどこか凄みを帯びた感じの、迫力のある笑顔が脳裏に浮かんだ。ちなみに私は山名さんのお母さんとは面識がないので、その笑顔は私の脳裏ではある宝塚出身の女優さんの顔で再生されている。名前は──今ちょっと出てこないけれど。
スマホからの音声が途切れ、しんとなる。
とっさに画面を確認したところ通話自体はつながったままなので、向こう──おそらく応接室だろう──に沈黙がおりたのだ。
「……山名様、大変申し上げにくいのですが……その、合唱祭は中止せざるをえない現状となっておりましてですね。といってもまだ公式にアナウンスはされておりませんので、お嬢さんはご存知ないかもしれませんが」
教頭先生が少し困ったような声で言った。
その瞬間、スマホを囲む私たちの空気がぴんと張りつめる。
教頭先生は知らないのだ──目の前にいる保護者会の会長の娘が、他でもない合唱祭実行委員会のメンバーであるということを。思い返してみれば、昨日生徒会室にやって来たときだって、教頭先生は桐山会長のことしか相手にしていなかった。もっと言ってしまえば、彼以外の存在なんて視界に入ってすらいなかったのだろう。
そうでなくったって、立場上、通常の授業を担当することもない教頭先生のことだ。生徒の顔と名前が一致しているとも思えない。
「……いえ、私たちは存じておりますよ。というのも本日は、まさにそのことで抗議に伺いましたので」
山名さんのお母さんはたっぷりと間を置いて、動揺を一切感じさせない口調で言った。
どんな些細な事柄でも、どこでどう役立つかわからない。だから今年の合唱祭にまつわるあれこれは、開催にこぎ着けた経緯から現状までとにかく事細かに伝えてあった。もちろん、それをどう生かすかは、山名さんのお母さん、そして真紀ちゃんのお母さんの二人に委ねるしかないのだけれど。
「抗議、と言いますと……?」
教頭先生の声にかすかに困惑が混じる。少なくとも今年度に限っては「正式な」行事ですらない合唱祭について保護者会からクレームがつくなんて、きっと想像すらしなかったのだろう。
「生徒たちは休み時間も放課後の自由時間も削って、場合によっては多かれ少なかれ勉強や部活動も犠牲にして準備してきたんですよね。それを無下になさるおつもりですか? それもこんな直前になってから」
私はこっそりつばを飲み込む。山名さんのお母さんのこの発言は決して、学校側の決定に対する非難や糾弾などではない──圧だ。「まさかそんなことはしませんよね?」という、無言の圧力だ。
案の定、教頭先生は軽く怯んだようだった。
「そんな、無下にだなんて……。しかしながら、本校にものっぴきならない事情がありますもので」
あくまで中止要請を取り下げる気はないらしい。けれど退く気がないのはこちらだって同じだ。
「それは『先の休校措置で授業に遅れが生じている』というものでしょうか?」
間髪を容れず、別の声で質問が放たれる。こちらは真紀ちゃんのお母さんだろうか。とっさに目を向けると、私の視線に気づいた真紀ちゃんは無言でうなずいた。
「え、ええ。まあ……」
先手を打たれるとは思っていなかったのだろう。教頭先生の歯切れが悪くなる。
「その点も確認させていただきましたが、休校措置によって欠けてしまった授業数というのは、正確には九時限分ですね? 合唱祭が予定されているのは金曜日の午後とのことですから、その時間を充てたところで取り戻せるのはせいぜい二、三時限分。計算が合わないように思われますが」
真紀ちゃんのお母さんは、山名さんのお母さんとはまたちがったタイプのようだ。どちらかというと淡々とした口調で、なんだか秘書や会計士を彷彿とさせるような事務的な雰囲気を感じる。
「それは……いえね、現状ですら各教科の先生方には無理を言い、普段の授業の密度を上げて対応してもらっている状況ですので……ええ、少しでも先生方の負担を減らしたい思いもありまして。我が校といたしましては、一部の生徒が企画しただけの……そうですね、いわばお祭り騒ぎに貴重な時間を割くわけには……」
(「お祭り騒ぎ」……)
私は呆然としてスマホの画面を見つめた。もちろんそれは単に通話時間が計上されているだけの無機質な画面なのだけれど、つい声の発生元を凝視してしまったのだ。
合唱祭は、たしかに「祭り」だ。それは読んで字のごとくというだけでなく、ある意味では今回の企画のコンセプトですらある。けれどそれでも、こんなふうに馬鹿にされるのは耐えられない。
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