この歌声が届くまで

蒼村 咲

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10月3日 金曜日

第47話 垣間見えた本音

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「明日へ」というタイトルの希望に満ちた響きの通り、軽やかな前奏に明るく楽しげな導入部が続く。
 私はそれを聴きながら、四日前の放課後を思い出していた。


「──えー、再度協議の結果、休校措置に伴う授業の遅れについては、各教科担当の先生方に頑張って解消を目指していただくことになりました」

 合唱祭実行委員会と生徒会執行部が詰めている生徒会室に単身やってきた篠田先生が、まるで原稿を棒読みしたような調子で言ったのだ。

 私を含め何人もがはっと息をのんだのに対し、顔色一つ変えなかったのが桐山会長だ。

「それは、予定通り合唱祭を決行してよい、という結論が出たという認識でいいですか」

 何十もの目に見守られながら、篠田先生が頷く。

「教頭……先生からの言葉を、あえて一言一句違えずに伝えさせてもらったよ」

 やはり意図的な棒読みだったようだ。篠田先生はもともと覇気のない──とまでは言わないけれど、少なくとも熱血タイプの教師ではない。けれどそれを差し置いてみても、なんだか疲れて見える。
 似たようなことを思ったのか、新垣くんが「よかったら」と椅子を勧めた。

「ああ、ありがとう」

 意外にも、篠田先生は勧められるがままに腰を下ろした。連絡事項だけ伝えたらさっさと立ち去るものだと思い込んでいた私は少々面食らう。

「……まさか、ここまでやるとは正直思わなかったよ」

 ため息交じりにこぼされたその一言は、紛れもなく本音なのだろう。けれどそれはあくまで純粋な感嘆のようで、非難の響きは感じられなかった。

「それは、僕たち生徒がですか? それとも教頭先生がですか?」

 新垣くんが淡々とした口調でそんなことを尋ねるので、私は思わずぎょっとしてしまう。けれど篠田先生は幾度か目を瞬いた後にふっと笑った。

「そうか、君らにとっては教頭先生が、だよな」

 ということは、篠田先生が「ここまでやるとは」と口にしたのは私たちに対してだったということだ。けれど同時に、教頭先生に対してもやりすぎだったと感じている──?

「まあこれは完全オフレコのあくまで独り言なんだが……あの土壇場での中止命令には教員の間でも疑問の声が上がってな。生徒たちがあまりにも不憫だと」

 初耳だった。もしかして、私たちが知らないだけで実は味方はあちこちに存在したのだろうか。

「数コマ程度の進度の遅れなんて授業の工夫でどうとでもなるし、ただの口実なのはみんなわかっていた。とはいえ平教員が束になって抗議したところでまともに相手にされないのも明らかで、実際問題どうすることもできなかったわけなんだが」

 そう言って篠田先生はため息をついた。
 まったく、なんという独裁体制なんだろう。先生たちが端から諦めてしまうということは、これが初めてではない──どころか、それが「日常」だからだ。山名さんのお母さんの、「理不尽」という言葉が脳裏に蘇る。

「それなのに、週が明けてみれば中止要請は撤回されて。それとなく探りを入れてみれば『PA案件』とだけ返されるし」

 ピーエー? 隠語だろうか。だとしたら生徒の前で口にしてはいけない気がするのだけれど……。私が内心首を傾げていると、新垣くんが口を開いた。

「それでは先生方は……篠田先生も含めて誰一人この一件には関知されてなかったってことですか。保護者会の件を今日知ったということは」

 そこでピンとくる。ピーエーというのはPA──Parent's Associationの頭文字をとった略称で、保護者会のことだ。よかった。隠語じゃなかった。

「ああ。中止させようとしたのも、PAと面談したのも中止命令撤回の判断を下したのも全部教頭先生一人だよ」

 その面談そのものを聴いていたので知っている──と言うわけにはいかないのでもちろん黙っている。それに、篠田先生は事実を告げているだけで「自分は無関係だ」と主張しているようには聞こえなかった。
 と、篠田先生がふっと笑みをこぼした。

「考えてみれば、PAを動かし、最終的に教頭も動かした君たちは、結局何もできなかった我々教員よりもある意味上だよな」

 どこか自嘲的にも聞こえるつぶやきに、返す言葉が見つからない。けれどそれは私だけだったようだ。

「保護者会の抗議の裏に僕たちがいるってご存じだったんですね」

 新垣くんが普段と何ら変わりない口調で言った。こういう場面で取りなすような物言いをしないのは彼のすごいところだと思う。

「そりゃあ。そもそも中止の件を伝えたのはここにいる君らにだけで、面談が組まれたのはその翌日だろう。君らか、そうでなけりゃ君らと相当親しい人間に保護者会とのパイプがあると考えるのが自然じゃないか。まあ、実際にはパイプどころじゃないつながりだったわけだが」

 内心「おっ」と思う。保護者会が──教頭先生的視点で言えば「しゃしゃり出てきた」時点で実行委員会とのつながりを疑えるあたり、そしてそれをきちんと確認する辺り、篠田先生も教頭先生よりある意味上ですよ、と私は心の中でつぶやく。

「まあ、そういうことだから」

 話が一区切りついたということなのだろう、篠田先生が腰を浮かした。

「あとは頑張れよ」

 その一言が存外優しい響きで、私ははっとする。もしかしてこの先生は──。

「あっ、あの……最後に一つだけいいですか」

 うん?というように篠田先生が振り返る。私は思わず声をかけてしまったことに半ば戸惑いながら言葉を探した。

「この一連の……ゴタゴタについては……ええと、正直どんなふうに思ってらっしゃるのかな、って……」

 ああだめだ、これじゃ何が訊きたいのか全然伝わらない。というか自分でもよくわかっていないのだ。
 でもたぶん、確証がほしかったのだと思う。自分たちがやってきたことが、正しいとまでは言えなくても、少なくとも無関係な先生たちに迷惑をかけただけ──ではないと思える証が。
 まさか私のそんな内心を察知したわけではないとは思うけれど、篠田先生はふむ、と一瞬考えてからこう言った。

「どこの誰とは言わないが──たまには思い通りに運ばないことくらいあればいいんだよ、…なんてことは微塵も思ってない──とでも言っておこうか」


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