49 / 55
10月3日 金曜日
第49話 合唱祭の空気
しおりを挟む
(……!)
フォルテのダイナミックな歌声にはっと意識を引き戻される。この曲の一番の見せ場──聴かせどころだ。他チームの曲ではあるけれど、思わず一緒に歌い出しそうになってしまう。歌い出したくて身も心もうずうずしてしまう。
(ああ、懐かしい……)
思えば合唱祭は毎年こうだった。これが合唱祭の空気だった。何十人もの歌声で奏でられるハーモニーをただ聴いていたくて、ただ身を任せるように酔いしれていたくて、でも自ら歌ってその渦の中に交じりたくもあって。
この心が浮き立つような──いや、沸き立つような、だろうか。この感覚はどこから来るのだろう。耳に届くメロディと歌詞、ピアノの音色と歌声がひとつになって生まれる興奮か、後に控えた自分のステージへの緊張か。それともその両方が絡み合っているせいなのか。
曲が一節、また一節と進むごとに、胸の軋みは苦しいほどになってくる。でもそれは決して不快な苦しさではなくて。むしろどこか心地よいくらいの高揚だ──そう、ぱんっと弾ける寸前のつぼみのような。
そんな「合唱祭の空気」を今年も、果てしないほどの紆余曲折の結果、感じることができたのだ。そう思うと胸の奥からこみ上げてくるものがある。ほら、鼻の奥にも少しだけツンと何かを感じた──ような気がしてくる。
気づけばもう最初の合唱は終盤だった。最後の優しいフェルマータを、指揮者の男子生徒がそっと引き延ばし、そしてふわっと拳を引き締め結ぶ。
訪れた静寂の中、彼は静かに腕を下ろし、指揮台を下りた。その間に伴奏者も立ち上がり、ステージ上の全員で礼をする。
と、その瞬間、講堂は拍手に包まれた。マイクを握る立場でさえなければ、私も夢中になって手をたたいていたと思う。この拍手はきっと、合唱への賞賛であると同時に、合唱から流れ込んできたエネルギーの発散手段でもあるのだろう。現に、このエネルギーを発散できずに持て余している私は、さっきより心臓の音が大きくなっているのを感じている。
拍手の勢いが落ち着き始める頃を見計らい、塚本くんがステージ上のチームの退場の誘導を始めた。それに伴い、反対側では湯浅くんが次のチームに移動の指示を出している。
私はその様子を視界の端で確認しながら、司会用のマイクを掴んだ。整列が完了したのを確認し、マイクのスイッチを入れる。
「続きまして、『旅路』です」
一曲目と同様、作詞者と作曲者、指揮者と伴奏者を紹介しながら、これは中村くんが推薦した曲だったな、と思い出す。そして、一時は合唱には参加しないと表明していた桐山会長が選んだ曲でもあった。その桐山会長の姿は今、最後列の一番端にある。中村くんがその一列前だ。
私にとっては知らない曲だった。あの日、音楽資料室で中村くんが「是非入れたい」と挙げるまでは聴いたこともなかったのだ。あのときもデモ音源をちらりと──サビの部分まですっ飛ばして流してもらっただけだったので、ちゃんと聴くのは今日が初めてだ。わくわくする。
静寂の中、指揮者が右腕を振り始める──そして。
すうっと染みこむように流れ出したピアノの前奏に、私ははっと息をのんだ。
(……! これって、短調だよね?)
短調のメロディ特有のどことないほの暗さと迫力、内に秘めたる力のようなものを感じる。
一曲目とは文字通りがらりと雰囲気が変わり、その落差に聴衆が引き込まれているのがわかった。
明るく力強い長調の「明日へ」を一曲目に据えたのは私だけれど、二曲目にこの「旅路」を持ってきたのは中村くんだった。この構成力──展開力だろうか? さすがだと舌を巻かずにはいられない。
(ああ、私もこの歌、好きだなあ……)
後で中村くんに頼んで楽譜をコピーさせてもらおう。これは歌えるようになりたい曲だ。
♪ああ ぼくのこの目の前に
果てしなく広がる旅路
ぼくの進む道 ぼくの生きる道
女声と男声に分かれての見事なリフレインにぞわっと鳥肌が立つ。悪寒でもなく恐怖でもなく、ただこの空気を伝う振動に、音に響きに、皮膚が勝手に反応してしまうのだ。
準備期間がたった一カ月でも、面識のない人も少なくない縦割りのチームでも、そんなことは一切関係ない。全員が同じものを目指し、同じ方向を見据えさえすれば、この完成度に到達できる。
やっぱり、合唱祭は私の一番好きな行事だ。
フォルテのダイナミックな歌声にはっと意識を引き戻される。この曲の一番の見せ場──聴かせどころだ。他チームの曲ではあるけれど、思わず一緒に歌い出しそうになってしまう。歌い出したくて身も心もうずうずしてしまう。
(ああ、懐かしい……)
思えば合唱祭は毎年こうだった。これが合唱祭の空気だった。何十人もの歌声で奏でられるハーモニーをただ聴いていたくて、ただ身を任せるように酔いしれていたくて、でも自ら歌ってその渦の中に交じりたくもあって。
この心が浮き立つような──いや、沸き立つような、だろうか。この感覚はどこから来るのだろう。耳に届くメロディと歌詞、ピアノの音色と歌声がひとつになって生まれる興奮か、後に控えた自分のステージへの緊張か。それともその両方が絡み合っているせいなのか。
曲が一節、また一節と進むごとに、胸の軋みは苦しいほどになってくる。でもそれは決して不快な苦しさではなくて。むしろどこか心地よいくらいの高揚だ──そう、ぱんっと弾ける寸前のつぼみのような。
そんな「合唱祭の空気」を今年も、果てしないほどの紆余曲折の結果、感じることができたのだ。そう思うと胸の奥からこみ上げてくるものがある。ほら、鼻の奥にも少しだけツンと何かを感じた──ような気がしてくる。
気づけばもう最初の合唱は終盤だった。最後の優しいフェルマータを、指揮者の男子生徒がそっと引き延ばし、そしてふわっと拳を引き締め結ぶ。
訪れた静寂の中、彼は静かに腕を下ろし、指揮台を下りた。その間に伴奏者も立ち上がり、ステージ上の全員で礼をする。
と、その瞬間、講堂は拍手に包まれた。マイクを握る立場でさえなければ、私も夢中になって手をたたいていたと思う。この拍手はきっと、合唱への賞賛であると同時に、合唱から流れ込んできたエネルギーの発散手段でもあるのだろう。現に、このエネルギーを発散できずに持て余している私は、さっきより心臓の音が大きくなっているのを感じている。
拍手の勢いが落ち着き始める頃を見計らい、塚本くんがステージ上のチームの退場の誘導を始めた。それに伴い、反対側では湯浅くんが次のチームに移動の指示を出している。
私はその様子を視界の端で確認しながら、司会用のマイクを掴んだ。整列が完了したのを確認し、マイクのスイッチを入れる。
「続きまして、『旅路』です」
一曲目と同様、作詞者と作曲者、指揮者と伴奏者を紹介しながら、これは中村くんが推薦した曲だったな、と思い出す。そして、一時は合唱には参加しないと表明していた桐山会長が選んだ曲でもあった。その桐山会長の姿は今、最後列の一番端にある。中村くんがその一列前だ。
私にとっては知らない曲だった。あの日、音楽資料室で中村くんが「是非入れたい」と挙げるまでは聴いたこともなかったのだ。あのときもデモ音源をちらりと──サビの部分まですっ飛ばして流してもらっただけだったので、ちゃんと聴くのは今日が初めてだ。わくわくする。
静寂の中、指揮者が右腕を振り始める──そして。
すうっと染みこむように流れ出したピアノの前奏に、私ははっと息をのんだ。
(……! これって、短調だよね?)
短調のメロディ特有のどことないほの暗さと迫力、内に秘めたる力のようなものを感じる。
一曲目とは文字通りがらりと雰囲気が変わり、その落差に聴衆が引き込まれているのがわかった。
明るく力強い長調の「明日へ」を一曲目に据えたのは私だけれど、二曲目にこの「旅路」を持ってきたのは中村くんだった。この構成力──展開力だろうか? さすがだと舌を巻かずにはいられない。
(ああ、私もこの歌、好きだなあ……)
後で中村くんに頼んで楽譜をコピーさせてもらおう。これは歌えるようになりたい曲だ。
♪ああ ぼくのこの目の前に
果てしなく広がる旅路
ぼくの進む道 ぼくの生きる道
女声と男声に分かれての見事なリフレインにぞわっと鳥肌が立つ。悪寒でもなく恐怖でもなく、ただこの空気を伝う振動に、音に響きに、皮膚が勝手に反応してしまうのだ。
準備期間がたった一カ月でも、面識のない人も少なくない縦割りのチームでも、そんなことは一切関係ない。全員が同じものを目指し、同じ方向を見据えさえすれば、この完成度に到達できる。
やっぱり、合唱祭は私の一番好きな行事だ。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる