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「ここだよ」
ハルに連れてこられたのは、雑居ビルの一室だった。
「……ここ?」
亜季はこんなところに泊まれる部屋なんてあるのかと心配になる。てっきり、オメガ専用のホテルを紹介してくれるとか、ハルの部屋に泊めてくれるとか、そういったことを考えていた。
「そう、ここ。ここはね、君みたいな帰るところのないオメガの子たちが働きながら生活するところを提供してくれるんだ」
亜季は少しだけひっかかったが、ハルの申し出がとても魅力的に聞こえた。
「え、そんなところがあるんだ。僕、知らなかった」
「そうなの、とってもいいところだから、一緒についていって、話を聞く?」
ありがたい申し入れだった。正直なところ、連れてこられるだけでこの雑居ビルに頬りだされたら、中に入るのは少しためらわれる。でも、一緒についてきてくれるのなら心強い。
「え、ありがとう」
「早速行こうか」
そういって、薄暗い蛍光灯の先のエレベーターに向かって歩いていく。亜季もそのあとを追った。
「よお、ハル。おつかれ~」
「おつ~。この子。さっきメッセした子だよ」
「あぁ、いらっしゃい」
亜季は「お邪魔します」と軽く会釈をして、ハルの後ろについて中に入る。
(さっき携帯でなんか連絡してた相手はこの人か……)
「泊まるところ探してるんでしょ?」
「え、はい……」
この人は何者なのだろうか──。じろじろ見るのは失礼だと思い、ハルの後ろから伺い見る。首にはネックガードをしていない。学校でもほとんどのオメガがネックガードをしていなかった。そもそも、自分の家や部屋でまでネックガードをする人のほうが稀なのではないだろうか。外の常識が亜季にはよくわからない。
容姿は自分の兄弟たちほどではないが悪くはないのだろう、男らしい顔立ちをした中年男性だ。
ただ、年齢に関しては自信がない。学校にいる人はオメガばかりで、中性的な雰囲気を持つ人が多かった。教員や事務員も、その年齢を聞くと見た目より随分年上だったことが多い。この男の見た目が三十代だとして、本当にそうかはわからない。
それに外から見ても雑居ビルだったが、エレベーターを降りた先にあるここも、雑居ビルの中という雰囲気でとても誰かの部屋には見えない。
それともここは、オメガ専用の宿泊施設かなにかなのか。亜季は疑問ばかりが頭に浮かんでくる。
「あ、あの……」
「アキくん、だっけ?」
「あ、はい」
「そう、ハルとアキなんて偶然でも面白いよね」
ハルが亜季に笑いかける。亜季も彼が名前を名乗ったとき、その名前になんとなく不思議な縁があるのかもしれないと思った。
「う、うん。そうだね」
「じゃあ、アキくん。身分証明ができるものって何か持っている?」
尋ねられて、亜季は戸惑った。見ず知らずの初対面の人に身分証を渡すのはやはり抵抗を感じる。
「えっと……」
亜季の様子を見たハルが「何も持ってないの?」と追い打ちをかけるような言葉を発する。
「いえ、持ってます。ちょっと待ってください」
亜季は鞄の中を探すふりをして、時間を稼ぐ。ただ、時間を稼いだところで何の解決にもならないことは自分でもわかっていた。
「アキくんは泊まるところを探しているんだよね。今日、ここに宿泊するなら、身分証は見せてもらわないと」
それもそうだ。
雑居ビルの怪しさに警戒心をむき出しにしてしまっていたが、ホテルに宿泊するときも場合によっては身分証を提示するし、不動産やでも身分証を最初に求められた。不動産屋では相手にされなかったが……。なににせよ当然のことだった。
自分が相手のことを知らないように、相手も宿泊させるにしても自分のことを知らない。
亜季は疑うようなそぶりを見せたことを反省する。
「あ、ありました。国民識別カードでもいいですか?」
「あぁ、大丈夫だよ」
「あの、それで……」
亜季は国民識別カードを取り出す。ハルと同じ位置まで進み、目の前の男に差し出す。ここはどこなのか、ホテルなのか何なのかを尋ねようとするが、その言葉は目の前の男によって遮られた。
「あ、ありがとう。ちょっと見せてもらうね。ふんふん、十八歳か……高校は卒業してる?」
「はい、しています」
「それなら大丈夫」
何が大丈夫なのだろうか……。高校を卒業していないと十八歳で成人していても、保護者の何かが宿泊に必要なのだろうか。思い出そうにも亜季にはそのような一般常識があまりにも少なかった。いまここで携帯電話で検索することはどう考えてもできそうにない。
すでに身分証を渡してしまったが、亜季は少し後悔し始めていた。
「あの、ここは……」
「ちょーっと待ってね。泊まれるように書類を作っているから」
「はい」
またもや質問を遮られて、亜季はどうすることもできない。ハルに聞こうにも、なにか疑っているようで気分を損ねそうで気が引ける。
「はい。できたよ、ここ、とここに名前を書いてね」
「あの」
男に向かって尋ねようとしたが、「どうかした?」とハルが心配そうに亜季を見つめている。
「あ、いや、あの、ここは」
「泊まれるところだよ。あの紙に名前を書いたら案内するから」
亜季はハルの言葉にほっとする。書類に名前を書いたら、今日の寝床が確保できると安心した。もう、これ以上歩きたくないほどにくたくただった。すぐにでも横になりたい一心で、書類の中などよく読みもせずに言われた通りに二か所、名前を記入する。
「うん、これでよし。ハル、案内してあげて」
「おーけー。アキ、こっちだよ」
亜季はハルに促されるまま、安っぽいビーズカーテンがかかる先に入っていく。
思っていたより中は広かった。廊下の左右にはいくつか扉がついている。
亜季はその扉の一つの中で一晩を過ごし、翌朝、自分が騙されたことに気づくのだった。
ハルに連れてこられたのは、雑居ビルの一室だった。
「……ここ?」
亜季はこんなところに泊まれる部屋なんてあるのかと心配になる。てっきり、オメガ専用のホテルを紹介してくれるとか、ハルの部屋に泊めてくれるとか、そういったことを考えていた。
「そう、ここ。ここはね、君みたいな帰るところのないオメガの子たちが働きながら生活するところを提供してくれるんだ」
亜季は少しだけひっかかったが、ハルの申し出がとても魅力的に聞こえた。
「え、そんなところがあるんだ。僕、知らなかった」
「そうなの、とってもいいところだから、一緒についていって、話を聞く?」
ありがたい申し入れだった。正直なところ、連れてこられるだけでこの雑居ビルに頬りだされたら、中に入るのは少しためらわれる。でも、一緒についてきてくれるのなら心強い。
「え、ありがとう」
「早速行こうか」
そういって、薄暗い蛍光灯の先のエレベーターに向かって歩いていく。亜季もそのあとを追った。
「よお、ハル。おつかれ~」
「おつ~。この子。さっきメッセした子だよ」
「あぁ、いらっしゃい」
亜季は「お邪魔します」と軽く会釈をして、ハルの後ろについて中に入る。
(さっき携帯でなんか連絡してた相手はこの人か……)
「泊まるところ探してるんでしょ?」
「え、はい……」
この人は何者なのだろうか──。じろじろ見るのは失礼だと思い、ハルの後ろから伺い見る。首にはネックガードをしていない。学校でもほとんどのオメガがネックガードをしていなかった。そもそも、自分の家や部屋でまでネックガードをする人のほうが稀なのではないだろうか。外の常識が亜季にはよくわからない。
容姿は自分の兄弟たちほどではないが悪くはないのだろう、男らしい顔立ちをした中年男性だ。
ただ、年齢に関しては自信がない。学校にいる人はオメガばかりで、中性的な雰囲気を持つ人が多かった。教員や事務員も、その年齢を聞くと見た目より随分年上だったことが多い。この男の見た目が三十代だとして、本当にそうかはわからない。
それに外から見ても雑居ビルだったが、エレベーターを降りた先にあるここも、雑居ビルの中という雰囲気でとても誰かの部屋には見えない。
それともここは、オメガ専用の宿泊施設かなにかなのか。亜季は疑問ばかりが頭に浮かんでくる。
「あ、あの……」
「アキくん、だっけ?」
「あ、はい」
「そう、ハルとアキなんて偶然でも面白いよね」
ハルが亜季に笑いかける。亜季も彼が名前を名乗ったとき、その名前になんとなく不思議な縁があるのかもしれないと思った。
「う、うん。そうだね」
「じゃあ、アキくん。身分証明ができるものって何か持っている?」
尋ねられて、亜季は戸惑った。見ず知らずの初対面の人に身分証を渡すのはやはり抵抗を感じる。
「えっと……」
亜季の様子を見たハルが「何も持ってないの?」と追い打ちをかけるような言葉を発する。
「いえ、持ってます。ちょっと待ってください」
亜季は鞄の中を探すふりをして、時間を稼ぐ。ただ、時間を稼いだところで何の解決にもならないことは自分でもわかっていた。
「アキくんは泊まるところを探しているんだよね。今日、ここに宿泊するなら、身分証は見せてもらわないと」
それもそうだ。
雑居ビルの怪しさに警戒心をむき出しにしてしまっていたが、ホテルに宿泊するときも場合によっては身分証を提示するし、不動産やでも身分証を最初に求められた。不動産屋では相手にされなかったが……。なににせよ当然のことだった。
自分が相手のことを知らないように、相手も宿泊させるにしても自分のことを知らない。
亜季は疑うようなそぶりを見せたことを反省する。
「あ、ありました。国民識別カードでもいいですか?」
「あぁ、大丈夫だよ」
「あの、それで……」
亜季は国民識別カードを取り出す。ハルと同じ位置まで進み、目の前の男に差し出す。ここはどこなのか、ホテルなのか何なのかを尋ねようとするが、その言葉は目の前の男によって遮られた。
「あ、ありがとう。ちょっと見せてもらうね。ふんふん、十八歳か……高校は卒業してる?」
「はい、しています」
「それなら大丈夫」
何が大丈夫なのだろうか……。高校を卒業していないと十八歳で成人していても、保護者の何かが宿泊に必要なのだろうか。思い出そうにも亜季にはそのような一般常識があまりにも少なかった。いまここで携帯電話で検索することはどう考えてもできそうにない。
すでに身分証を渡してしまったが、亜季は少し後悔し始めていた。
「あの、ここは……」
「ちょーっと待ってね。泊まれるように書類を作っているから」
「はい」
またもや質問を遮られて、亜季はどうすることもできない。ハルに聞こうにも、なにか疑っているようで気分を損ねそうで気が引ける。
「はい。できたよ、ここ、とここに名前を書いてね」
「あの」
男に向かって尋ねようとしたが、「どうかした?」とハルが心配そうに亜季を見つめている。
「あ、いや、あの、ここは」
「泊まれるところだよ。あの紙に名前を書いたら案内するから」
亜季はハルの言葉にほっとする。書類に名前を書いたら、今日の寝床が確保できると安心した。もう、これ以上歩きたくないほどにくたくただった。すぐにでも横になりたい一心で、書類の中などよく読みもせずに言われた通りに二か所、名前を記入する。
「うん、これでよし。ハル、案内してあげて」
「おーけー。アキ、こっちだよ」
亜季はハルに促されるまま、安っぽいビーズカーテンがかかる先に入っていく。
思っていたより中は広かった。廊下の左右にはいくつか扉がついている。
亜季はその扉の一つの中で一晩を過ごし、翌朝、自分が騙されたことに気づくのだった。
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