使用人の俺を坊ちゃんが構う理由

真魚

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1話

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 くそっ。
 俺は不安定な台座の上で、棒のようにただガタガタと震える自分の右足を切り落としたい衝動に駆られた。

 そのまま俺は、バランスを崩して木の台座から盛大に床に落ち、手を伸ばして取ろうと思っていた小麦粉の袋が、周囲に白い粉を撒き散らしながら降ってきた。

「セシル!」
 台所からパントリーに駆けつけたシェフの一人が、怒りの声を上げる。
「すみません……」
 またやってしまった。なんで食材をパントリーから取ってくるだけという簡単なことすら、俺はできないんだ……

「はぁ、まったく。旦那様もなんでこんな奴を屋敷に置いておくかな。余計な仕事ばっかり増やしやがって……」
 シェフがぶつぶつと言いながら、俺にほうきと雑巾の入ったバケツを投げてよこす。
「さっさと片付けろ」
 シェフはそう言いつけると、自分で別の小麦粉の袋を軽々とかついで厨房に戻って行った。

 方々に広がった白い粉はかなりの量で、掃いても拭いても、なかなか元には戻らない。
 おそらく人の倍の時間をかけて俺がパントリーを片付けた頃には、先ほどまで忙しそうに夕食の準備をしていた厨房に、人の影は無くなっていた。
 
 派手にやらかしてしまった罰か、今日も俺の夕飯はない。
 もう慣れた空腹を抱えて、自室に戻る。

 ベッドと小さな物置の棚しかない部屋のランプに火を灯し、四角い窓を見れば、ボサボサの黒髪の痩せこけた貧相な男が映っている。
 これでも昔は、孤児ながら魔力と魔術の才能を認められ、伯爵様に養っていただきながら、その技術の研鑽に励んでいた。
 宮廷魔術院からの期待も高く、俺も魔術に関しては誰にも負ける気がしなかった。

 二年前、師範達と向かったウェリントンの森で、特殊変異したS級魔物に遭遇してしまった時、何人もの死者が出る中、俺が生き残ったのは奇跡だった。
 しかし、魔力生成器官と右足をやられ、俺の体は使い物にならなくなった。
 人々の厄介になりながらしか生きられないのならば、あの時死んでしまった方が良かったのではないかと何度思ったことだろう。

 部屋の窓の外を眺めていると、石畳の内庭に毛並みの良い栗色の馬に乗った青年が入って来た。
 俺は優雅に馬から降りるその人を見つめて、知らずに微笑んだ。
 月夜にプラチナブロンドが輝くあの方は、伯爵家次男のジェフリー様だ。

 昔は、「セシル。セシル」と呼びながら、俺についてきた二つ下のジェフリー様も、今やすっかり青年の体格になった。
 来年には聖騎士団への就任が決まっているという。
 聖騎士団は、高度な魔術を操れる者で、かつ騎士としての恵まれた肉体を持つものしかなれない、エリート中のエリートだ。

 毎日人の役にも立たず、何のために生きているのか分からない俺とは比較するのもおこがましい。
 でも、俺は成長されるジェフリー様の姿を時折この屋敷で見れることを、唯一の楽しみにしていた。

 昔は小さくて天使のようだったジェフリー様が、今は誰もが憧れるような精悍な美丈夫に育った。
 魔術の才能も小さい頃から抜きん出ていたが、日々の鍛錬の成果なのだろう、その体つきもここ数年男らしい均整の取れた体格に変わってきた。

 かつて弟のように可愛がっていたその人が、まさに光輝く道を進む様子は、誇らしく、眩しく、俺に一時の多幸感を与えてくれる。

 馬の手綱を引くジェフリー様が一瞬、こちらの方を見た気がする。
 でも、ジェフリー様の視界に俺は映らない。
 何度か屋敷内でお見かけすることがあっても、その視線が俺に向けられることはなかった。
 かつて仲良く魔術の練習をしたことなどお忘れになっているか、そもそもこんなみっともない人間は無意識に視界に入らないようにしているか、そんなところだろう。

 でも今日は半月ぶりにジェフリー様の姿を見ることができた。
 馬番に手綱を渡し、屋敷の大きな扉に入っていくジェフリー様が見えなくなるまで、俺は窓辺でその姿を見つめ続けた。

 少しいい気分で服を脱ぎ、固く絞った布で体を拭いていると、部屋の扉が小さな音で叩かれた。
「はい」
 返事はしてみたものの、俺の部屋を訪れる人間など誰だか全く想像がつかない。
 扉の向こうの人間は、名乗らずそのままガチャリと扉を開けた。

 部屋のランプの薄暗い光に照らし出されるプラチナブロンドから覗くサファイアの瞳を見て、俺は上半身裸のみっともない姿のまま、立ちすくんだ。

 俺を見て目をひそめたジェフリー様は、そばに来るなり大きな手で俺の腕を掴んだ。
「セシル。こんなに痩せて」
 ジェフリー様が掴む俺の左腕が痛い。

 あぁ。俺の名前なんか覚えてくれていたんだ。
 しかも、なんだか心配してくれているようだ。

「恐れ入ります。健康状態に問題はありません」
 そうなのだ。俺は足は不自由だが結構頑丈で、風邪などは引かない。
「そんなあばらの浮き出た体で何を言っているのですか。少し待っていてください」
 ジェフリー様は扉から出て行くと、しばらくして肉やら野菜やらを挟んだバゲットサンドを持ってきた。

「食べてください」
 ジェフリー様が怖い顔で皿を差し出した。
「ありがとうございます」
 ふんわりとトーストしたパンの香りが立ち上り、思わず腹が鳴る。

 ジェフリー様は俺がベッドに座りバゲットサンドを食べるのを、その場でじっと見張っていた。
 肉や野菜を食べるのは、いつぶりだろうか。
 パンだって、いつも食べている口の中を切りそうな固いやつではなく、おそらく今日の夕方に焼き上げただろう屋敷の主人たちが食べるような柔らかいパンだ。

 ありがたい。
 そして、恵んでもらった久しぶりのご馳走にがっつく自分が悲しい。

「屋敷の者には、十分な食事を与えているはずですが?」
 ジェフリー様が、食べ終わった俺に問いただした。
「私はまともに仕事ができていませんので……」
 俺の答えにジェフリー様が不快な表情をする。

「あなたは強く誇り高い人であったのに……」
 ジェフリー様が俺を咎めるように呟いた。
 そう言われても、俺が変わってしまったのは事故であって、俺がどうこうできる問題ではない。
 俺の責務でないことを責められても、どうしようもない。

「……明日から別の仕事に変わっていただきます」
 ジェフリー様は苛立たしげにそう言うと、俺の部屋を去っていった。
 
 せっかくジェフリー様と二年ぶりに会話ができたというのに、俺の心はザワザワと乱れた。
 この方は遠くから見つめているだけの方がよかった。
 その目で、今の俺など見ないで欲しい。
 
 しばらく忘れていた喪失感と、改めて自分を卑下する気持ちが湧き上がり、俺はその夜なかなか寝付くことができなかった。
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