櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
185 / 219
◇ 二章七話 懐かしの川 * 慶応元年 四月

いざ過去へ

しおりを挟む
「土方さんは……かづらという方を、ご存知ですよね」

 言った瞬間、土方は表情を変えないまま、口だけを呆けたように小さく開けて動きを止めた。

 かと思えば、一瞬苦虫をつぶしたような顔になり、しかし直後今度は何かを訝るように眉をひそめ、それから思案するように視線を横に流す。

 随分な百面相に斎藤が口をつぐんでいると、土方は流していた視線をぐるりと一度天井にまで回して、それから改めて斎藤へと視線を戻してきた。

「……お前にかづらの話をしたのはどうせ総司だろうが、それはそれとして、今のお前の訊き方は妙に引っかかる」

 なるほど、故の百面相かと納得し、斎藤は思わず小さく鼻を鳴らしてしまう。

「特に引っかかっていただく必要はないかと。私自身、葛様とは幼い頃の知己であった、というだけですので」

 こればかりは偽らず告げると、土方は今度こそ言葉を失ったように口をつぐんだ。

 斎藤は普段通りの抑揚のない声で「驚きますよね。私も驚きました」と小さくあごを引き、話を切り出す前に無意識に少しばかり詰めていた息を、改めてゆっくりと吐き出す。

「昔は私にも守りたいものがあった、ということを……以前、土方さんにはお話ししたことがあったと思うのですが」

 覚えておいでですかと問えば、土方はさしたる間を置くこともなく目を伏せ、ハ、と薄く口の端を上げた。

「なるほどなァ……葛のことだったわけか」

 土方は細い息を吐き、背を丸めてあぐらをかいた膝の上に頬杖をついた。「改まって何かと思えば」と独り言ちて、そんな体勢のまま再び斎藤を見る。

「何でまた、今さらンなってそんな懐かしい名前を出してきやがる」
「何故、今……と問われると、今だから、としか言いようがないのですが」

 動揺ゆえかあるいは別の意図か、何かを探るように見てくる土方の目を真っ直ぐ見返しながら、斎藤はゆるくあごを引いた。

「……私が葛様と共にあったのは、葛様が土方さんにお会いになるよりも以前のことでした。当然、あの方が土方さんと交流があったことも、最近になって沖田さんから話を聞くまで知りませんでした」
「最近?」
「そうです。ですからその最近ヽヽまで、私は己と別れた後の葛様が、亡くなるまでの間、江戸にいたことも知らなかったのです」

 答えれば、今だから、と言った意味が土方には正しく伝わったようだった。

 土方は目を瞬かせ、前傾していた上体を軽く上げると、「ああ」と妙に間の抜けた声を上げる。

 その虚を衝かれたような顔に向かって、斎藤は改めて本題を切り出した。

「……土方さん。もしいとまがあるならば……私を連れていって、教えていただけませんか。かつて葛様がどこで過ごし、あなたとどこで出会い……どう、生きておられたのか」

 返答は、すぐにはなかった。

 ただ、開け放たれたままになっていた斎藤の背後の障子から、さわさわと、青くさい初夏の風が室内に吹き込んできた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

改大和型戦艦一番艦「若狭」抜錨す

みにみ
歴史・時代
史実の第二次世界大戦が起きず、各国は技術力を誇示するための 「第二次海軍休日」崩壊後の無制限建艦競争に突入した 航空機技術も発達したが、それ以上に電子射撃装置が劇的に進化。 航空攻撃を無力化する防御陣形が確立されたことで、海戦の決定打は再び「巨大な砲」へと回帰した。 そんな中⑤計画で建造された改大和型戦艦「若狭」 彼女が歩む太平洋の航跡は

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

『続・聖パラダイス病院』

菊池昭仁
現代文学
『聖パラダイス病院』の続編です。こんな病院なら入院生活も悪くはありません。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

戦国九州三国志

谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...