13 / 39
南鄭の戦い
しおりを挟む
涪県から白水県へ進軍した。
広漢郡と漢中郡の郡境が近い。敵地はすぐそばである。
私は魏延を呼んだ。
「文長、味方は四万です。敵は五万もいて、しかも南鄭城と陽平関という要害に籠もっています。どう戦うのですか」
魏延はすでに考えをまとめているようで、落ち着いていた。
「確かに敵は五万ですが、二手に分かれています。南鄭城に三万、陽平関に二万。五万を一度に相手にしなくてもよいので、勢力はこちらが上です。しかも、張飛隊、趙雲隊は精鋭中の精鋭です」
「野戦ならば、五万と戦っても、負けるとは思っていません。しかし、敵は籠城しています。城攻めはむずかしい。私はそれを危惧しています」
「士元の働きのおかげで、兵糧に不安はありません。いまのところ劉璋軍とは同盟しているので、後背から討たれる心配もありません。戦えます」
魏延はさらに詳細に、私に戦略を語ってくれた。
「その方針でよさそうですね。では、軍議を開きましょう」
私は張飛、趙雲、龐統、魏延、法正、孟達を集めた。
「郡境を越え、東へ行けば南鄭城、西へ行けば陽平関です。我が軍の方針を魏延に説明してもらいます」
私はそう言った。魏延が立ちあがった。
「作戦を申し上げます。自分たちは南鄭城を攻め、陽平関は放置します。南鄭にいる教祖張魯を討てば、陽平関の張衛は立ち枯れてしまうでしょう」
「俺もその方針でよいと思うが、南鄭城には三万の兵がいる。落城させるのは容易ではないぞ」
「張衛はすぐれた軍人のようですが、張魯は宗教家です。ぎりぎりと締めあげてやれば、やがてほころびが出ると考えています。南鄭城を包囲し、そのほころびを待ちます」
「張衛が陽平関を出て、張魯を救出しに来るのではありませんか。そのときに張魯が城から打って出れば、私たちは挟撃されてしまいます」と孟達が懸念を言った。
「わっはははは」と張飛が大笑いをした。
「そのときは勝ったも同然だ。俺と趙雲がいれば、野戦なら敵が十万でもたやすく蹴散らせる」
「そのとおりだと自分も思います。張衛軍が来襲したら、張飛殿の騎兵隊と孟達殿の歩兵隊で応戦してください。張魯軍は趙雲殿にお任せします。自分は劉禅様を守ります」
魏延の言葉は明確だった。
「では、南鄭城へ向かいましょう」と私は言った。
軍議は終了した。
南鄭城に到着した。
東に趙雲隊、南に魏延隊、西に張飛隊と孟達隊を配置し、北側は空けておいた。
「敵が北から逃げたければ、逃がしてやればよいのです。南鄭城を無傷でいただくことができれば、上々です。追撃してうまく張魯を倒すことができれば、任務は完了です」と魏延は言った。
南鄭の戦いが始まった。
魏延の方針で、力攻めはせず、包囲して、弓戦を行った。彼はじわじわと攻めるつもりのようだった。
「法正殿、劉璋様から投石車と衝車をお借りすることはできませんか」と魏延が法正に頼んでいた。
投石車と衝車はどちらも大型の攻城兵器である。
投石車はその名のとおり、巨石を投げ、城壁を破壊する兵器。
衝車は先端を尖らせた丸太を乗せた車で、城門を破るための兵器。
「主に手紙を書きましょう。署名は劉禅様にしていただいた方がよろしいかと存じます」
法正が劉璋あての手紙を書き、私は署名した。
一か月後、戦陣に四台の投石車と二台の衝車が届いた。
魏延は喜び、張飛は「こんなものに頼るのか」と少し不満そうだった。趙雲は「兵を無駄に死なせずに済む」と言って、微笑んでいた。
「これはよい兵器です。これを真似て、この場でも生産しましょう」と魏延は言った。
投石車と衝車による攻撃が開始された。
巨石が城壁に当たり、壁がひび割れていった。
衝車が城門に何度も衝突して、門を弱らせていく。
「このまま張魯に圧力をかけつづけます」と魏延が私に話しかけてきた。
「まだ我が軍に犠牲者は出ていないですね。よいことです」
「自分はまったく犠牲者を出さずに、南鄭城を落としたいと思っています。兄上、張魯に手紙を書いていただけませんか」
「どのような内容の手紙ですか」
「降伏勧告です。五斗米道の信仰の自由を認めるかわりに、漢中郡の支配権を譲り渡してもらいましょう」
「張魯には単なる宗教家になってもらうのですね。信仰の場として、新たな寺社を建ててやりましょうか」
「よろしいかと思います」
私は手紙を書いた。
使者に持たせて、城内に届けた。
信仰の自由は完全に認めてもらえるのか、と問う張魯からの返信が来た。
信仰は認めますが、五斗の米のうち三斗は郡役場に納めてもらわなければなりません。そのかわり、民政はこちらできちんと行います、と返事をした。
少し考えさせてほしい、と張魯は書いてきた。
魏延は降伏について交渉中であるという情報を、陽平関に流した。
徹底抗戦派らしい張衛は、二万の兵を率いて、南鄭へ向かってきた。
張飛と孟達が迎撃した。
魏延と趙雲は城を睨み、動かなかった。城から打って出る兵は皆無だった。
張飛が蛇矛で張衛の首を斬った。
「張衛は死んだ。降伏すれば殺さぬ。逃げる者は斬る」と張飛は叫んだ。
一万五千の敵兵が降伏してきた。
龐統の率いる文官たちが、彼らを我が軍に組み入れる事務を行った。
張衛の敗北を見て、張魯は降伏してきた。
身に寸鉄も帯びず、ひとりで私の幕営へやってきた。
「あなたが劉禅様ですか。本当に幼児なのですね」
「幼児ですが、張魯殿が降伏したからには、私が漢中郡を治めます」
「はい。信仰はつづけてよろしいでしょうか」
「かまいません。しかし、張衛殿が抵抗したので、条件は厳しくさせていただきます。五斗のうち四斗を南鄭城内に置く郡役場に納めてください」
「承知しました。郡内の民は傷つけないでいただきたい」
「もちろんです。張魯殿配下の三万の兵は、そのまま私の旗下としますが、よろしいですね」
「はい」
話し合いは終わった。
南鄭の戦いは終結した。
建安十七年の春のことである。私は六歳になっていた。
張魯軍を吸収して、劉禅軍は七万五千の大軍となった。
軍を維持するため、龐統と法正が懸命に働き、漢中郡の民政を整えていった。
広漢郡と漢中郡の郡境が近い。敵地はすぐそばである。
私は魏延を呼んだ。
「文長、味方は四万です。敵は五万もいて、しかも南鄭城と陽平関という要害に籠もっています。どう戦うのですか」
魏延はすでに考えをまとめているようで、落ち着いていた。
「確かに敵は五万ですが、二手に分かれています。南鄭城に三万、陽平関に二万。五万を一度に相手にしなくてもよいので、勢力はこちらが上です。しかも、張飛隊、趙雲隊は精鋭中の精鋭です」
「野戦ならば、五万と戦っても、負けるとは思っていません。しかし、敵は籠城しています。城攻めはむずかしい。私はそれを危惧しています」
「士元の働きのおかげで、兵糧に不安はありません。いまのところ劉璋軍とは同盟しているので、後背から討たれる心配もありません。戦えます」
魏延はさらに詳細に、私に戦略を語ってくれた。
「その方針でよさそうですね。では、軍議を開きましょう」
私は張飛、趙雲、龐統、魏延、法正、孟達を集めた。
「郡境を越え、東へ行けば南鄭城、西へ行けば陽平関です。我が軍の方針を魏延に説明してもらいます」
私はそう言った。魏延が立ちあがった。
「作戦を申し上げます。自分たちは南鄭城を攻め、陽平関は放置します。南鄭にいる教祖張魯を討てば、陽平関の張衛は立ち枯れてしまうでしょう」
「俺もその方針でよいと思うが、南鄭城には三万の兵がいる。落城させるのは容易ではないぞ」
「張衛はすぐれた軍人のようですが、張魯は宗教家です。ぎりぎりと締めあげてやれば、やがてほころびが出ると考えています。南鄭城を包囲し、そのほころびを待ちます」
「張衛が陽平関を出て、張魯を救出しに来るのではありませんか。そのときに張魯が城から打って出れば、私たちは挟撃されてしまいます」と孟達が懸念を言った。
「わっはははは」と張飛が大笑いをした。
「そのときは勝ったも同然だ。俺と趙雲がいれば、野戦なら敵が十万でもたやすく蹴散らせる」
「そのとおりだと自分も思います。張衛軍が来襲したら、張飛殿の騎兵隊と孟達殿の歩兵隊で応戦してください。張魯軍は趙雲殿にお任せします。自分は劉禅様を守ります」
魏延の言葉は明確だった。
「では、南鄭城へ向かいましょう」と私は言った。
軍議は終了した。
南鄭城に到着した。
東に趙雲隊、南に魏延隊、西に張飛隊と孟達隊を配置し、北側は空けておいた。
「敵が北から逃げたければ、逃がしてやればよいのです。南鄭城を無傷でいただくことができれば、上々です。追撃してうまく張魯を倒すことができれば、任務は完了です」と魏延は言った。
南鄭の戦いが始まった。
魏延の方針で、力攻めはせず、包囲して、弓戦を行った。彼はじわじわと攻めるつもりのようだった。
「法正殿、劉璋様から投石車と衝車をお借りすることはできませんか」と魏延が法正に頼んでいた。
投石車と衝車はどちらも大型の攻城兵器である。
投石車はその名のとおり、巨石を投げ、城壁を破壊する兵器。
衝車は先端を尖らせた丸太を乗せた車で、城門を破るための兵器。
「主に手紙を書きましょう。署名は劉禅様にしていただいた方がよろしいかと存じます」
法正が劉璋あての手紙を書き、私は署名した。
一か月後、戦陣に四台の投石車と二台の衝車が届いた。
魏延は喜び、張飛は「こんなものに頼るのか」と少し不満そうだった。趙雲は「兵を無駄に死なせずに済む」と言って、微笑んでいた。
「これはよい兵器です。これを真似て、この場でも生産しましょう」と魏延は言った。
投石車と衝車による攻撃が開始された。
巨石が城壁に当たり、壁がひび割れていった。
衝車が城門に何度も衝突して、門を弱らせていく。
「このまま張魯に圧力をかけつづけます」と魏延が私に話しかけてきた。
「まだ我が軍に犠牲者は出ていないですね。よいことです」
「自分はまったく犠牲者を出さずに、南鄭城を落としたいと思っています。兄上、張魯に手紙を書いていただけませんか」
「どのような内容の手紙ですか」
「降伏勧告です。五斗米道の信仰の自由を認めるかわりに、漢中郡の支配権を譲り渡してもらいましょう」
「張魯には単なる宗教家になってもらうのですね。信仰の場として、新たな寺社を建ててやりましょうか」
「よろしいかと思います」
私は手紙を書いた。
使者に持たせて、城内に届けた。
信仰の自由は完全に認めてもらえるのか、と問う張魯からの返信が来た。
信仰は認めますが、五斗の米のうち三斗は郡役場に納めてもらわなければなりません。そのかわり、民政はこちらできちんと行います、と返事をした。
少し考えさせてほしい、と張魯は書いてきた。
魏延は降伏について交渉中であるという情報を、陽平関に流した。
徹底抗戦派らしい張衛は、二万の兵を率いて、南鄭へ向かってきた。
張飛と孟達が迎撃した。
魏延と趙雲は城を睨み、動かなかった。城から打って出る兵は皆無だった。
張飛が蛇矛で張衛の首を斬った。
「張衛は死んだ。降伏すれば殺さぬ。逃げる者は斬る」と張飛は叫んだ。
一万五千の敵兵が降伏してきた。
龐統の率いる文官たちが、彼らを我が軍に組み入れる事務を行った。
張衛の敗北を見て、張魯は降伏してきた。
身に寸鉄も帯びず、ひとりで私の幕営へやってきた。
「あなたが劉禅様ですか。本当に幼児なのですね」
「幼児ですが、張魯殿が降伏したからには、私が漢中郡を治めます」
「はい。信仰はつづけてよろしいでしょうか」
「かまいません。しかし、張衛殿が抵抗したので、条件は厳しくさせていただきます。五斗のうち四斗を南鄭城内に置く郡役場に納めてください」
「承知しました。郡内の民は傷つけないでいただきたい」
「もちろんです。張魯殿配下の三万の兵は、そのまま私の旗下としますが、よろしいですね」
「はい」
話し合いは終わった。
南鄭の戦いは終結した。
建安十七年の春のことである。私は六歳になっていた。
張魯軍を吸収して、劉禅軍は七万五千の大軍となった。
軍を維持するため、龐統と法正が懸命に働き、漢中郡の民政を整えていった。
1
あなたにおすすめの小説
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
電子の帝国
Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか
明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる