毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十二章 コーラル〜海の人形〜

第460話 さようなら聖人様

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 コツ。コツ。コツ。
 講演ホールの外。庭園の先にある正門ではなく裏門へ向け、灰にまみれたコンクリートの上を、ミシェルは一定の歩調で靴音を刻みながら進む。
 その前後左右を、重武装した私兵たちが護衛する。感染者が視界に入れば即座に火炎放射器が火を吹き、焼き払われた。
 凍結による保護など、一切考慮せず。
 だが、正門に待機する装甲車まではまだ距離があるというのに、ミシェルは唐突に足を止めた。

「ミシェル会長?」

 先頭を行く私兵が振り返る。

「進行を止めないでください。もしも足に不具合が起きたというのでしたらご申告を。我々が運搬を……」

 しかしミシェルは返答しない。ただ腕時計に視線を落とす。
 アナログの白い文字盤。指針が、ぴたりと11時を指していた。

「祭りは過ぎた、さよなら聖人様」

 そしてぽつりと、彼は呟く。

「祭り? 聖人様?」
「万聖節の事ですか? まだ半日以上あるでしょうに……。会長、今は雑談よりも移動を、」

 ぐしゃっ
 生温かい音が、会話を切り裂いた。
 ミシェルのすぐ隣にいた私兵の一人が、頭上から降ってきた何かの直撃を受け、トマトのように潰れたのだ。
 反応すら許されない一瞬の死だった。
 無表情と無感情を徹底していた私兵達も、これには動揺を隠せない。次々に視線を上空へ向ける。

 ――真紅の翼が、空を覆っていた。

 無数の、羽根のように見える菌糸の塊が、空の上層でゆらめいている。その羽根の一枚が落ちて、私兵を肉塊へと変えたのだ。
 それはまるで、伝承に語られる大鷲『ジズ』の翼。
 太陽を覆い隠し、大地に死をもたらす天災の兆し、そのものだった。

「……人は満足すれば、施しをもたらした功労者を忘れてしまうもの。縋る時は、利用する時はいつも、苦難の最中のみ」

 困った時の神頼み。喉元過ぎれば熱さを忘れる。
 それが、『祭りは過ぎた、さよなら聖人様』ということわざに込められた意味だった。
 ミシェルは誰に問うでもなく、静かに呟く。

「神を忘れた天使は果たして、何処へ堕ちるのか」

 答えを知る者は、いない。

 ◇

 5分前。
 10時55分。

(パライバトルマリンが、いない)

 硫黄の猛攻から逃れ、講演ホールのドーム状屋根へ辿り着いたガーネットは焦っていた。
 講演ホールの地下は勿論、地上階、2階、3階……。そして現時点で避難場所に最も相応しいだろう多目的ホールでさえ、ジョンの姿はなかった。
 多目的ホールは警備が強固だった為に直接、侵入し目視した訳ではないが、屋根に透明性の高い菌糸を張り巡らせ、ウミヘビの邪魔を受けずに電気信号を探った。
 そこから得られた情報……内部の人間の思考回路から、ジョンがいない事は明白。こうなっては講演ホールの外に出てしまったと見ていいだろう。

 しかし外は今、西棟を中心に《植物型》の菌床に侵されている。
 姿を現せば直ぐに判明し、自分へ伝達が来る筈なのに、それもない。

(一体どこに身を隠した!?)

 周囲を目視で見回した際に目に飛び込んできたのは、病院の正門。
 その上に浮遊する、黒塗りのリムジン車。
 否、国連軍所有のVIP用装甲車両。

(……まさか、アレに乗った……?)

 あり得る。
 オフィウクス・ラボはジョンを『教祖を誘き寄せる餌』として認識していた。つまり有用性が高いと判断している。
 そのジョンの安全の確保をする為ならば、如何なる手段も取るだろう。

(あの装甲車はヘリと同じ高さまで飛べる。そこまで菌糸を増殖しても、自重によって途中で折れてしまう事だろう。例え、敷地内にある建物支柱を利用したとしても。……一度乗車されてしまえば、捕獲も追跡も、できない)

 ギリと、ガーネットは奥歯を噛み締めた。
 教祖へ、ひいては《珊瑚サマ》へ捧げるつもりだった神饌が手に入らない。

(直ぐそこに、教祖様がいらっしゃるというのに!)

 心の中でガーネットは嘆いた。
 空に広がる、オレンジがかった薄桃色をした菌糸が描く、フラクタル図形。
 その中心。網状菌糸に包まれた者こそ、敬愛してやまない教祖だ。

(クソ。到底、代わりになどならないが、この下にいる医師達を収穫するのも手か? いや、警備が多過ぎる。流石にあの数を相手取るのは骨が折れるうえに、万が一に火を放たれ、火事となってしまえば脳の収穫が叶わない!)

 何せ多目的ホールにはクロロメタンがいる。
 彼の毒素は引火性がある。その気になれば、辺り一帯を火の海にする事など容易だ。意図的に放火する気がなくとも、出血による青い血と火元――カルバミドの扱う爆発物系毒弾が接触すれば、会場は一気に燃え上がってしまうだろう。
 ※クロロメタンが原因とされる大火事は実際起きています。

(……いいえ。そもそも、教祖様を介する必要など、ないのでは?)

 ふ、と。ガーネットは気付きを得る。

(そうです。は、私を見限った。遜る必要など、ない)

 寧ろ、この機に吸収してしまえばいい。

「私こそが、アレキサンドライト。永遠を手に入れ楽園に君臨する、《珊瑚サマ》に最も近い御使い……」

 ゆらりと立ち上がり、ガーネットは地上を見下ろした。

「それを世界に示す為にも、手始めにここを楽園と致しましょう」

 地上の人間養分を吸い尽くし、ウミヘビを狩り、教祖さえも飲み込んで、最後のメインディッシュとして、優れた脳を取り込み尽くす。
 背中に生えていた、赤い翼の骨が肥大していく。そして骨を覆うように赤い羽根が生えていき、空を覆っていく。
 それはまるで、伝承に語られる大鷲『ジズ』の翼。
 太陽を覆い隠し、大地に死をもたらす天災の兆し、そのものだった。
 ……ただし、右翼のみ、だが。

「近々、《珊瑚サマ》がご降臨なさる。是非、この地で出迎えを……」
「感謝するよ」

 真後ろから、低く鋭い声が降ってきた。
 硫黄だ。

「外に出てくれて。これで手加減の必要がなくなった」

 次の瞬間、硫黄の全身に内勁が迸り、足元の屋根材が音もなく陥没する。
 八極拳、『斧刃脚』。
 強烈な踏み込みと共に、ガーネットの膝裏めがけて鋭く繰り出された、斬鉄のごとき一撃。
 まともに受ければ、膝から下が捻じ切られる。

「こちらこそ、追いかけて頂きお礼を申し上げます」

 するとガーネットは真紅の翼をばさりと羽ばたかせ、あえてバランスを崩し、翼を割って入らせる。迎撃ではなく、受け流し。
 ガキンッ!
 斧刃脚が真紅の翼へ激突し、硬質な音が響く。攻撃が直撃した翼は激しく揺れた後、一枚、羽根が抜け、地上へ落ちていった。
 ぐしゃっ
 生温かい音が、遠くから聞こえる。

「自ら死地へ、来てくださって」

 次いで彼は笑みを浮かべ、自ら屋根の縁を滑り、身体を翻すようにして地上へと舞い降りていく――


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