毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第475話 時差一時間

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 西暦2320年、11月1日 。
 全ての聖人を記念し、カトリック圏の国の多くは祝日となっている『万聖節』と呼ばれる日。
 同時に故人を偲ぶ日ともされ、墓参りに当てられる事が多い。
 尤も祝日など、あらゆる文化圏から切り離された人工島アバトンには関係ないが。
 この日にドイツの首都、ベルリン中心部で開催される第36回特殊学会の方がよほど重要である。
 だがそれさえも、人工島アバトン内にある“一施設”オフィウクス・ラボのクスシに関係するというだけで、人工島アバトンの人口の大半を占めるウミヘビには、関係のない話であった。

「いや~! 今日から先生のお側から離れなくていいだなんて、嬉しいですわぁ!」

 オフィウクス・ラボの2階、共同研究室にて。
 シアンは敬愛するカールの隣に座り、満面の笑みを浮かべていた。ちなみに2人が座っているのは実験台の上で、とても褒められた状態ではないのだが、行儀が悪いだの椅子に座れだの叱ってくる相手――ユストゥスやパウルは今日はいない為、気兼ねなくできてしまう。
 そもそも今、共同研究室にいるのがカールとシアンだけだ。普段よく共同研究室を利用する、カールの心の中で「ドイツOB組」と呼んでいるクスシ達は皆、ドイツ最大、ヨーロッパ屈指の規模を誇る大学附属の総合病院兼感染病棟へ向かってしまったのだから。
 その大学は、彼らの母校でもある。

「先生、長らく根を詰めとりましたから、今日はリフレッシュ日にしましょか! あっ、糖分補給に飴ちゃん如何です!?」
「ありがと~シアン、貰っとくね~」
「なんぼでもどうぞ!」

 ステージ4治療の為の臨床試験、その執刀医の一人を担当し、そのまま臨床試験の内容を学会へ発表する為に、カールは他のクスシと延々と資料を纏めていた。
 それが今日という学会当日を無事に迎えられた事で、一旦解放されたのは事実だ。
 カールはシアンが渡してくれた飴ちゃん(梅味)を受け取り、黒衣のポケットに入れながらマスクの下で愛想笑いを浮かべる。

「先生、今食べないんです? ここには自分以外、だぁれもいませんし、マスク取ってもええんちゃいます?」
「そーかもしんないけど、俺ちゃん罹りやすいからね~っ! 念の為、飲食は寄宿舎の自室で済ますことにし・て・る・のっ!」

 ラボ内では徹底した殺菌・消毒が常時施されている。だがここ、共同研究室は別格だった。
 研究対象である『珊瑚』を、日常的に、至近距離で扱う場所。感染リスクの高さは、他のどの部屋よりも明白だ。
 粘膜感染を警戒してマスクを外さないという判断は、過剰に思えて実はきわめて妥当である。

「後でちゃんと食べるからね~」
「いえいえ。飴ちゃん一つ、気分じゃなかったら捨ててしまっても構いまへん。用心深い先生も素敵ですわ!」
「俺ちゃんビビりだかんね。はっはっはっ」
「ただのヘタレでしたら前線張ることあらへん」

 ふと、シアンの声音が真剣さを帯びる。

「例え心臓ばっくばくだろうと、果敢に恐怖を取り除こうとする姿勢に、自分は惚れたんですわ」

 その言葉は紛れもない本心で、室内の空気が張り詰めた。

「先生が昔、感染しかけた時、自ら右目くり抜いたって話を聞いた時も自分、痺れまして! その辺の思い切りのよさ含めて、ぜぇ~んぶ好きです!」

 しかしそれも一瞬の事で、シアンは直ぐに口角を緩めると屈託のない笑顔でカールを褒め殺す。
 人間への関心が乏しく、他者の情動には頓着しないシアンが唯一強い執着を見せる対象、カール。それはカールが常人とかけ離れた発想力に行動力、そしてそれらを寸分狂わず実行できてしまう技術力を持つからに他ならない。
 故にシアンはカールがラボ入所以降ずっと、変わらぬ熱量で敬愛し続けているのだ。

「ストレートに告白してくれるの、ちょー嬉しいけど、俺ちゃん返せるものないよ~?」
「お返しなんていりまへん! お側に置いて頂けるだけで充分ですわ!」
「そう? ん~まぁ俺ちゃんへの賛美は置いとくとしても、何かご褒美考えないとなんだよねぇ。ほら、シアン抽射器の整備すっごく頑張ってくれたじゃん?」

 カール達が学会の準備に駆られる傍ら、シアンは砒素と共に抽射器の調整メンテナンスや新規製造に追われ、彼は彼で忙しかった。

「頑張ったらその分、ご褒美が来る! ってシステムは保っておかないと、他のウミヘビにも悪いと言うか、モチベ下げちゃう原因になっちゃうかもだし~? こういうのは公平にしなくっちゃだ」
「自分は今の状態で充分幸せやけどね」
「それじゃだぁ~め、だぁ~め。シアン、ご褒美の一つだったドイツ遠征も断っちゃったじゃん! 折角、観光のチャンスだったのに!」
「そりゃあ先生が行かないなら自分も行きまへんよ」

 何を当たり前の事を、とシアンはあっけらかんと言う。

「それより先生こそ。4年前にドイツへ行った時、寝過ごして観光しそびれていたじゃないですか」

 4年前。フリードリヒの推薦でユストゥスにラボ入所試験を受けさせる為に、カールはシアンと共にドイツを訪れたのだが――遠征以外では久々となる島外滞在に、興奮して一睡もできず、結局滞在中は寝落ち。気づいた時には、もう帰路の時間。
 カールはドイツの地を踏みしめることなく、アバトンへ戻る羽目になったのだった。

「自分としては、今回どうして先生がドイツ行かへんかったんか、不思議でしゃあないんですわ。観光もですけど、先生は執刀医を務めてたやないですか。学会の主役張れますやん」
「それぇ? まぁ観光に関しては、俺ちゃんは行こうと思えば休み作ってドイツ行けちゃうから、あんまこだわってないってのと……。今回ピックアップしたいのは、ユストゥスだからね」

 そもそもユストゥスを臨床試験の主担当としたのは、モーズのフリをしたガーネットが振り撒いた風評被害を吹き飛ばす為。
 世間的に影響力を持つ肩書きと知名度と実績を持つ者を、とカール自身が選出した結果だ。

「『ユストゥスと、その仲間たち!』って構図にして、一気に彼への注目度を上げなきゃなんないのよ~。そこに俺ちゃんとか青洲先生とか、他の執刀医まで並んじゃうと、どうしたってスポットライトが分散しちゃうっしょ?」
「先生こそ称賛されるべきやと思いますがね。何か功績が横取りされとるみたいで、嫌な感じですわ」
「別に横取りとかじゃないんだけどねぇ。でもなーんかユストゥスが嫌って言うなら、そろそろ部屋から出た方がいいよ? 俺ちゃんこれから学会生中継見るんだし」

 壁に映し出されたスクリーンを指差し、カールは言う。
 そもそも今日カールが共同研究室にいるのは、大きな画面で学会の生中継を観る為である。青洲やフリードリヒ、駄目元で徐福も一緒に観ようと誘ってみたのだが、残念ながら全員から断られてしまい今に至る。

「絶対、嫌です」

 そしてシアンは“嫌な感じ”よりもカールの隣を迷わず選び、頑として動かない表明をしたのだった。
 学会の開始時間は10時。しかしドイツとアバトンでは時差がある為、アバトンでは9時からの開始となる。
 現在、8時45分。
 学会開始まで、あと15分。
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