毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第476話 紙飛行機

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 8時50分。
 オフィウクス・ラボ3階、『飼育室』。
 筒状のガラスケースが柱のように何本も立っているそこで、盲目のウミヘビ、メタノールは片手に白杖を、もう片方の手に銀色のバケツを持って訪れる。
 そしてガラスケースの内側に入ると、中で泳ぐように浮遊するアイギスへバケツを捧げた。中には、小魚やエビといった海産物を細かく刻んだ、特製の挽肉ミックスが詰まっている。

「ご飯だよ」

 メタノールの穏やかな声が響くと、近くにいた1体のアイギスがふわりと身を寄せ、長い触手をそっと伸ばす。
 バケツの中には、小魚やエビといった海産物を細かく刻んだ、特製の挽肉ミックス。
 それを器用にひとつまみ取り上げ、傘の内側にある口へ運び、ゆっくりと咀嚼していく。順番を待っていた他の個体も、次々と近付いてきては、静かに食事を始めた。
 やがてバケツが空になる頃には、どのアイギスも傘の縁をゆったりと波打たせ、満ち足りた様子で漂い始める事だろう。

 とはいえ、一度に全てのガラスケースへ給餌する訳ではない。
 食事のペースも消化の早さも微妙に異なるため、メタノールは時間差で給餌と回収を繰り返し、各水槽の状態を均等に保っていた。
 空になったバケツはひとつひとつ洗浄し、すぐ次の準備に取りかかる。
 それが、アイギスの飼育を一任されているメタノールの、毎朝のルーティンだった。

「あれ? 空じゃない?」

 しかしそのルーティーンは、隣のガラスケースの中に先んじて入っていたエタノールの声によって、崩れた。

「メーちゃん。3番のケースのバケツ、一時間前には置いていたよねぇ?」
「うん、そうだよ。量が多かったかな?」
「ちゃんと測りで量を測ったんだし、そんな事ないよぉ。でも沢山残ってるんだよねぇ」
「そんなに残っているの?」

 話しながら、メタノールは白杖をつき、エタノールのいるガラスケースへと移動をする。
 その中に置いていたバケツの持ち手を持ってみれば、なるほど確かに餌が残っている。それも半分の量が。
 アイギスが餌を食べ切らずに終わる事は偶にある。しかし半分もの量を残すのは初めての事だ。メタノールは戸惑った。

「どうしたんだろう。アイギス、調子悪いのかな? ボクに話してくれるかな?」

 メタノールは顔を上げ、浮遊するアイギスに電気信号でのコミュニケーションを求める。
 言語を介するのと同等の、細かな意思疎通――はできないが、人間がペットの感情を汲み取る時と同じように、喜怒哀楽を伝え合う事はできる。
 しかしそのコミュニケーションも、今日はできなかった。アイギスの電気信号(メタノールは“声”と呼んでいる)が、遠いのだ。

「あれ? 聞こえないなぁ」
「メーちゃん。アイギス達、高い所に行っちゃってる。みーんな天井すれすれだ。やっぱ、変だよぉ」
「えぇ? こんな事、初めてだ。これはクスシに相談した方がいいよね、エッちゃん」
「そうだねぇ。今なら副所長がラボに居るんだし、行ってみようか」

 次々に天井へへばり付いていくアイギス達を背に、メタノールはエタノールの介助を受けながら、飼育室の外へ足を向けた。

 ◇

「貴方、硫黄から副賞貰ったって聞いたのだけれど……。どうしてネグラここにいるのかしら?」

 8時55分。ネグラの食堂にて。
 テーブルで黙々と折り紙を折るパラチオンを見付け、水銀は腰に手を当てながら、呆れたように声をかけた。
 パラチオンの隣にはアトロピン、向かいにはテルルが座り、それぞれ思い思いの折り紙細工に取り組んでいる。

「硫黄にあと一歩の所まで迫ったの、貴方だけだったそうじゃない」

 10月に毎日のように開催されていた、硫黄主催の対人試合。
 硫黄に触れられた者には報酬が与えられる、という触れ込みで参加者を集め、戦闘という名の稽古を繰り広げていたのだが、ウミヘビの中でも卓越した身体能力を持つ硫黄に追い付ける者は誰もおらず、一週間も経てば参加賞目的のウミヘビしか残らなくなっていた。
 そんな中、鬼気迫る勢いで硫黄へ喰らい付いて行ったのがパラチオンである。最終目標こそ叶わなかったものの、その闘志と健闘を讃えられ、副賞の『ドイツ遠征』を授与された――筈だった。
 そして今日が、その遠征出発日。
 それにも関わらず、彼は今ここ、ネグラの食堂で、折り紙を折っている。

「別に。俺様は報酬など端から求めていない。ただあのいけすかない男の顔面に、拳をめり込ませたかっただけだ。達成できなかったがな……、あ」

 くしゃ
 悔しさという気持ちの乱れが指先に表れたようで、折っていた紙が歪み、ぐしゃりと潰れてしまう。こうなると修正は難しく、作り直しだ。

「……ぱら、へた」
「ぬ、ぬぅうう……!」

 横からアトロピンに呟かれ、苦々しい顔を浮かべるパラチオン。が、その表情に怒気や苛立ちはない。寧ろ楽しげな色すら滲んでいる。
 そんなパラチオンに、テルルは新たな折り紙差し出し、ぽつりとこんな事を言った。

「次は、紙飛行機でも……折るか?」
「飛行機? 紙でか?」
「あぁ……。ちゃんと、空を飛ぶ……」

 静かに頷いたテルルは、慣れた手付きで紙飛行機を折り、誰もいない壁に向け構え、飛ばした。
 すいーと、滑空するように、紙の飛行機は弧を描きながら飛び、やがて壁に軽くぶつかって、ぺちりと音を立てて床に落ちた。

「おぉ……!? 飛んだぞ! 紙が! それも意図した方向に!」

 まるで魔法か奇跡でも見たかのように、興奮た様子でガタリと席を立ち大声を出すパラチオン。彼その隣で折り紙に熱中していたアトロピンも、控えめに「わぁ……」と声を上げ、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
 パラチオンは紙飛行機を回収しに駆け出すと、そのまま席へ戻って、早速自分でも作ろうと黙々と紙を折り始めた。
 アトロピンも釣られるように、小さな手でちまちまと折り始める。
 その光景を見守っていたテルルは、小さく「ふふ」と微笑んだ。

「貴方、やけに5歳児の扱いが上手いわね……。それにしても、アトロピンの世話係はアコニチンが担当だったでしょうに。彼はどうしたのかしら?」
「……アコニチンは、植物園の、クスシの元に……。採取せねばならない草花が、あるのだとか……」
「植物園のクスシ、は青洲の事かしら。人間にとって今日は祝日だと聞いたのだけれど、彼も忙しいわねぇ」

 対照的に、水銀は暇を持て余している。
 今日は普段つるんでいる砒素も、付き纏って来る硫黄もいない。敬愛する所長は相変わらず帰ってくる気配がない。
 食堂で軽食を取った後は、広場で他のウミヘビ達を眺めるか、自宅でチェス・プロブレムにでも興じようかと思っていたが――

「ボクもやってみようかしら。一枚よこしなさいな」
「……どうぞ」

 気紛れに、水銀もまた席に座り、折り紙を手に取ったのだった。
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