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第二十三章 失楽園
第477話 魚釣り
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広場の時計の長針が、ぴたりと9時を指し示す。
それと同時に、軽快な音楽がスピーカーから流れ出し、ネグラの広場を賑やかに彩る。音に乗せられるように、そこにいるウミヘビ達の表情も自然と柔らいでいった。
「ニコ、お酒作ってあげようかぁ?」
木製の長椅子に座るニコチンに、隣のアセトアルデヒドがにこにこと問いかける。
彼の指は広場の片隅にある、屋台バーの方を軽く示していた。
「いいや、遠慮する」
しかしニコチンは即答で断った。
「どうしてぇ? 久しぶりでも、腕は鈍ってないよぉ?」
「アセトの腕を信用してねぇわけじゃねぇ。ただ、今日は気分じゃねぇだけだ」
そう言って、ニコチンは火のついた煙草をくわえ、ふぅと煙を吐き出す。
「じゃあさぁ、シミュレーターでゲームでもするぅ? 映画を観るのもいいよねぇ。あとね、並んで本読むのも、プールでのんびり漂うのも、僕は好きだなぁ」
「おぉ。俺も好きだぞ、アセトと過ごすの」
「モーズ先生と過ごすのは?」
みし
小さな音を立てて、ニコチンの指に力がこもる。
「なんでここで、あいつの名前が出てくんだよ」
「だってぇ……。治療、上手くいってるのかなって。ちょっと、気になって……」
「俺に鬱の疑いがあるってアレかよ? ハッ。あいつぁ俺を言いくるめて、こき使いたかっただけだろ。当番でもねぇのに、料理付き合わせてきたりよ。その料理に使う魚を釣るとかで、簡易外出許可まで取って、わざわざ浜辺に連れ出してきやがって……あの行動力はなんなんだ」
そう言って煙を吐き捨てるニコチンに、アセトは目を丸くする。
「えっ。釣りしたのぉ、ニコ」
「……させられたんだよ」
釣り道具を見つけた話は聞いていた。だが、まさか本当に実行に移してくるとは。
謹慎が解けて業務に復帰したというのに、モーズは副所長の帰還をいいことに、直接出向いていきニコチンの簡易外出――ネグラの外、港までの浜辺の範囲――の許可をもぎ取ると、ニコチンを“連行”したのだ。
反発もした。口論もした。けれど、アイギスの触手で手を引かれてしまえば、どうあっても逆らいきれるはずもない。
下手に意地を張るより、さっさと釣りを終わらせて帰る方がマシだ――そう判断して、渋々付き合ったのである。
「へぇ~。ニコが釣りねぇ。いいねぇ」
「やりたかったのか? ならモーズに言えばさせて貰えるだろ」
「んーん。僕がしたいんじゃなくってぇ、ニコが初めての事をしたのが嬉しくってぇ」
「何だそりゃ」
「あ、ちなみにお魚は釣れたのぉ?」
「俺は3匹。あいつは0匹」
「ぶふっ! あーはっはっはっ!!」
膝を叩き、盛大に笑うアセトアルデヒド。
釣りは腕やセンスより、まずは“運”の遊びだ。初心者同士、それも同じ場所、同じ道具で挑んで、この差。
しかも、より気合が入っていた筈のモーズが全く釣れなかったという事実が、彼にはたまらなくツボだった。
「釣りしようって言い出した本人がボウズ!? あっははは、そんな事あるんだぁ」
「笑うよな。そりゃ、俺も見てて思ったぞ。“情けねぇ”って」
「想像したら駄目だ……。あははっ、モーズ先生、釣り竿持ったまま黙り込んでたりしてぇ」
「正解だ。“むぅ”とか呟いてたけどな」
「それ絶対、悔しがっているよ~! モーズ先生、意外と負けず嫌いだからさぁ。あーっはっはっはっ!」
笑い過ぎて、アセトの目尻にうっすら涙が浮かぶ。
ニコチンは呆れたように横目でそれを眺めながらも、ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
「きっと近い内に、モーズ先生リベンジ申し込んでくるよぉ」
「ケッ。だぁれが受けっかよ。もうそんな時間、ねぇしな」
「……時間?」
不意に零れたニコの言葉に、アセトが小さく首を傾げかけた、その時。
「あれ。何だか2人揃っている所を見るの、久し振りな気がするっス」
てろてろと、まったりとした足取りで、タリウムが広場にやってきた。
「最近は僕、訓練頑張っていたからねぇ。シミュレーターにこもってたんだぁ」
「お前ぇこそ、カリウムとナトリウムはどうしたよ。ここんところ、暇な時は3人でバーチャルゲームにどっぷりなんだろ?」
「流石にずっと一緒って訳じゃないっスよ。当番ありますし。2人は図書館の清掃スね。クレゾールが空いた穴埋めってやつっス」
「あぁ。お出かけしているウミヘビ、多いものねぇ」
クレゾールのお出かけ先、ドイツ遠征には4人のクスシと複数のウミヘビが駆り出され、アバトンを留守にしている。
国連への貸し出しでウミヘビが複数人、アバトンの外に出る事はままあるが、一度に10人以上、それも同じ場所への遠征は初めての事と思われる。
そしてそれだけウミヘビが一辺に留守となると、当番の皺寄せがやってきて、普段はやらないような当番が回ってきているという訳である。
「俺も午後から料理当番が入ってますんで、今の時間はあくまで小休憩って感じっスね」
「そっかぁ。揃ってお休みな僕らの方が珍しい、って感じだったんだねぇ。ニコ」
「みてぇだな。ま、10年前は今ぐれぇウミヘビがいなかった事も珍しくなかったけどよ」
「けどその分、全体数も少なかったから仕事量も少なかったんじゃないスかね? あ、でも施設の規模は変わらないから、人がいない方が大変か……」
「そこまで変わらねぇよ。足りない人手は、」
ニコチンは顎をしゃくって、屋台バーの奥を示す。
そこにはアセトアルデヒドの抜けた代打として働く、自動人形《オートマタ》の姿があった。
「こいつらが埋める。それだけだ」
人が少なくとも多くとも、最終的には生活が回るよう調整がされる。
どちらかと言えば一時的に人数が減っている今が、一番忙しないと言える。
「うーん……。ニコ、僕やっぱお酒作るよぉ」
「何でだよ。いいって言っただろ」
「僕が作りたくなっただけぇ。お酒作りもさ、僕がアバトンに来て、エタノールと一緒に覚えた技術だから、披露したくなるんだよぉ。労働とかじゃなくってぇ」
ただの作業として命令通りに動く自動人形の手ではなく、自分の手で、今までの軌跡を注ぎ込む。
そんな一杯を、作りたくなったのだ。
「タリウムも折角だし作るよぉ? 何飲むぅ?」
「俺は、ええと、ショットガンでも」
「ニコはぁ?」
「……俺、は」
口を開きかけ、目を泳がせ、迷いを見せ、
「タリウムと、同じで、いい」
結局、先の注文に倣って終わった。
それでもアセトアルデヒドは快く引き受け、屋台バーへ向かいカクテル作りを開始する。
テキーラとジンジャーエールを一対一で割る。それを目分量ながらも完璧な配分でグラスに注ぎ、最後にコースターで蓋をしグラスの底をテーブルで叩けばできあがりだ。非常に小慣れた手付きで、あっという間に作ってくれた。
「どうぞぉ」
アセトアルデヒドから手渡されたショットガンを受け取り、タリウムは黒マスクをずらすとグラスのコースターを取り、一気に飲み干す。
それを横目で見ながら、ニコチンもまた、ショットガンを喉の奥へと流し込んだ。
直後。
ドン――と。
立っていられない程の地響きが、広場全体激しく揺さぶった。
それと同時に、軽快な音楽がスピーカーから流れ出し、ネグラの広場を賑やかに彩る。音に乗せられるように、そこにいるウミヘビ達の表情も自然と柔らいでいった。
「ニコ、お酒作ってあげようかぁ?」
木製の長椅子に座るニコチンに、隣のアセトアルデヒドがにこにこと問いかける。
彼の指は広場の片隅にある、屋台バーの方を軽く示していた。
「いいや、遠慮する」
しかしニコチンは即答で断った。
「どうしてぇ? 久しぶりでも、腕は鈍ってないよぉ?」
「アセトの腕を信用してねぇわけじゃねぇ。ただ、今日は気分じゃねぇだけだ」
そう言って、ニコチンは火のついた煙草をくわえ、ふぅと煙を吐き出す。
「じゃあさぁ、シミュレーターでゲームでもするぅ? 映画を観るのもいいよねぇ。あとね、並んで本読むのも、プールでのんびり漂うのも、僕は好きだなぁ」
「おぉ。俺も好きだぞ、アセトと過ごすの」
「モーズ先生と過ごすのは?」
みし
小さな音を立てて、ニコチンの指に力がこもる。
「なんでここで、あいつの名前が出てくんだよ」
「だってぇ……。治療、上手くいってるのかなって。ちょっと、気になって……」
「俺に鬱の疑いがあるってアレかよ? ハッ。あいつぁ俺を言いくるめて、こき使いたかっただけだろ。当番でもねぇのに、料理付き合わせてきたりよ。その料理に使う魚を釣るとかで、簡易外出許可まで取って、わざわざ浜辺に連れ出してきやがって……あの行動力はなんなんだ」
そう言って煙を吐き捨てるニコチンに、アセトは目を丸くする。
「えっ。釣りしたのぉ、ニコ」
「……させられたんだよ」
釣り道具を見つけた話は聞いていた。だが、まさか本当に実行に移してくるとは。
謹慎が解けて業務に復帰したというのに、モーズは副所長の帰還をいいことに、直接出向いていきニコチンの簡易外出――ネグラの外、港までの浜辺の範囲――の許可をもぎ取ると、ニコチンを“連行”したのだ。
反発もした。口論もした。けれど、アイギスの触手で手を引かれてしまえば、どうあっても逆らいきれるはずもない。
下手に意地を張るより、さっさと釣りを終わらせて帰る方がマシだ――そう判断して、渋々付き合ったのである。
「へぇ~。ニコが釣りねぇ。いいねぇ」
「やりたかったのか? ならモーズに言えばさせて貰えるだろ」
「んーん。僕がしたいんじゃなくってぇ、ニコが初めての事をしたのが嬉しくってぇ」
「何だそりゃ」
「あ、ちなみにお魚は釣れたのぉ?」
「俺は3匹。あいつは0匹」
「ぶふっ! あーはっはっはっ!!」
膝を叩き、盛大に笑うアセトアルデヒド。
釣りは腕やセンスより、まずは“運”の遊びだ。初心者同士、それも同じ場所、同じ道具で挑んで、この差。
しかも、より気合が入っていた筈のモーズが全く釣れなかったという事実が、彼にはたまらなくツボだった。
「釣りしようって言い出した本人がボウズ!? あっははは、そんな事あるんだぁ」
「笑うよな。そりゃ、俺も見てて思ったぞ。“情けねぇ”って」
「想像したら駄目だ……。あははっ、モーズ先生、釣り竿持ったまま黙り込んでたりしてぇ」
「正解だ。“むぅ”とか呟いてたけどな」
「それ絶対、悔しがっているよ~! モーズ先生、意外と負けず嫌いだからさぁ。あーっはっはっはっ!」
笑い過ぎて、アセトの目尻にうっすら涙が浮かぶ。
ニコチンは呆れたように横目でそれを眺めながらも、ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
「きっと近い内に、モーズ先生リベンジ申し込んでくるよぉ」
「ケッ。だぁれが受けっかよ。もうそんな時間、ねぇしな」
「……時間?」
不意に零れたニコの言葉に、アセトが小さく首を傾げかけた、その時。
「あれ。何だか2人揃っている所を見るの、久し振りな気がするっス」
てろてろと、まったりとした足取りで、タリウムが広場にやってきた。
「最近は僕、訓練頑張っていたからねぇ。シミュレーターにこもってたんだぁ」
「お前ぇこそ、カリウムとナトリウムはどうしたよ。ここんところ、暇な時は3人でバーチャルゲームにどっぷりなんだろ?」
「流石にずっと一緒って訳じゃないっスよ。当番ありますし。2人は図書館の清掃スね。クレゾールが空いた穴埋めってやつっス」
「あぁ。お出かけしているウミヘビ、多いものねぇ」
クレゾールのお出かけ先、ドイツ遠征には4人のクスシと複数のウミヘビが駆り出され、アバトンを留守にしている。
国連への貸し出しでウミヘビが複数人、アバトンの外に出る事はままあるが、一度に10人以上、それも同じ場所への遠征は初めての事と思われる。
そしてそれだけウミヘビが一辺に留守となると、当番の皺寄せがやってきて、普段はやらないような当番が回ってきているという訳である。
「俺も午後から料理当番が入ってますんで、今の時間はあくまで小休憩って感じっスね」
「そっかぁ。揃ってお休みな僕らの方が珍しい、って感じだったんだねぇ。ニコ」
「みてぇだな。ま、10年前は今ぐれぇウミヘビがいなかった事も珍しくなかったけどよ」
「けどその分、全体数も少なかったから仕事量も少なかったんじゃないスかね? あ、でも施設の規模は変わらないから、人がいない方が大変か……」
「そこまで変わらねぇよ。足りない人手は、」
ニコチンは顎をしゃくって、屋台バーの奥を示す。
そこにはアセトアルデヒドの抜けた代打として働く、自動人形《オートマタ》の姿があった。
「こいつらが埋める。それだけだ」
人が少なくとも多くとも、最終的には生活が回るよう調整がされる。
どちらかと言えば一時的に人数が減っている今が、一番忙しないと言える。
「うーん……。ニコ、僕やっぱお酒作るよぉ」
「何でだよ。いいって言っただろ」
「僕が作りたくなっただけぇ。お酒作りもさ、僕がアバトンに来て、エタノールと一緒に覚えた技術だから、披露したくなるんだよぉ。労働とかじゃなくってぇ」
ただの作業として命令通りに動く自動人形の手ではなく、自分の手で、今までの軌跡を注ぎ込む。
そんな一杯を、作りたくなったのだ。
「タリウムも折角だし作るよぉ? 何飲むぅ?」
「俺は、ええと、ショットガンでも」
「ニコはぁ?」
「……俺、は」
口を開きかけ、目を泳がせ、迷いを見せ、
「タリウムと、同じで、いい」
結局、先の注文に倣って終わった。
それでもアセトアルデヒドは快く引き受け、屋台バーへ向かいカクテル作りを開始する。
テキーラとジンジャーエールを一対一で割る。それを目分量ながらも完璧な配分でグラスに注ぎ、最後にコースターで蓋をしグラスの底をテーブルで叩けばできあがりだ。非常に小慣れた手付きで、あっという間に作ってくれた。
「どうぞぉ」
アセトアルデヒドから手渡されたショットガンを受け取り、タリウムは黒マスクをずらすとグラスのコースターを取り、一気に飲み干す。
それを横目で見ながら、ニコチンもまた、ショットガンを喉の奥へと流し込んだ。
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