毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第478話 侵入と侵蝕

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 海が、迫り上がる。津波でも発生したかのように。
 だがそれは“波”ではなかった。
 海面を、何かが、押し上げている。
 遠目には、まるで巨大な鯨のブリーチング。けれど現れたのは、鯨などではなかった。
 それは、数千年の樹齢を経たバオバブの木を思わせる、異形の巨塊。
 幹のように見えるそれは、鮮血のように真っ赤に染まり、脈打っていた。
 ――まるで、島の地底からせり上がった巨大な“心臓”。
 最も目を引くのは、その中心部。
 塔の如く天を突く“それ”の中央に埋め込まれた、ひとつの“目”。
 真紅の、巨大な、単眼。
 瞼はなく、瞬きもせず、ただひたすらに――見下ろしていた。
 島を、空を、人々を。

 ウゥ~ッ! ウゥウウ~ッ――!
 警報が、アバトン全土を貫いた。ネグラに。ラボに。植物園に。
 全施設に一斉に響き渡る、非常事態を告げるサイレン。
 異常は、確かに目の前に“ある”。
 突如として姿を現した“それ”に、人工島アバトン中が、一気に緊張に包まれていく。

「何、あれ……」

 海上に突如現れた赤い巨塔を見て、アセトアルデヒドは口を開けたまま硬直した。
 ネグラは海に面していない。視界は柵に遮られ、普段なら海の異変など察知できるはずもない。
 だが、“あれ”は、別格だった。
 柵の向こう、遥か遠方にもかかわらず、空を裂くようにそびえ立つその異形は、広場からさえ目視できる。
 ――視られている。
 そんな錯覚すら覚える。巨大な単眼が、島全体を値踏みするように見下ろしている。
 その瞳から何の感情も読み取れず、アセトアルデヒドの背筋に、ぞくりと寒気が走った。

「アセト!」

 鋭く飛んできた声に、アセトアルデヒドはハッと我に返る。ニコチンだ。

「ありゃ『珊瑚』だ! 多分、《植物型》!」
「《植物型》って……! デカ過ぎません!?」

 タリウムから最も過ぎる発言が飛び出す。
 天に伸びる白い巨塔、オフィウクス・ラボに迫る『珊瑚』の塊など、今まで見た事も聞いた事もない。

「『珊瑚』ならやる事ぁ一つ、処分だろうが……。あいつ海にいるみてぇだし、どう対処すべきかはクスシの指示待ちだな。取り敢えずアセトは避難しておいてくれ」
「避難って、どこに……」
「見通しが良くて、何かあったら直ぐ動ける場所だよ。そうだな、マンションの屋上がいい。行ってくれ、アセト」
「う、うんっ」

 ニコチンに言われた通り、アセトアルデヒドはマンションへ向け素直に駆け出した。
 途中、すれ違うウミヘビにも「マンションに避難しよう」と声をかけながら。

「で、俺達はどうします? ひとまずは、抽射器取りに行かなきゃスよね」
「そうだな。直に指示が飛んで……。お?」

 そこでニコチンは腕時計型電子機器の文字盤を見詰め、目を細めた。文面で指示が送られて来たのだろう。

「早速、来たぞ。タリウム、俺に付いて来な」
「はいッス!」

 そうして2人もまた、ネグラを走り出す。

 ◇

「あれは、『珊瑚』か……?」

 植物園のビニールハウス、半透明の屋根の向こう側に見える赤い塔を見た青洲は、その規格外の大きさに困惑を滲ませた声を漏らした。
 あまりに巨大で、現実感が薄い。常識を遥かに逸脱したその姿は、ただの植物では断じてない。警報がけたたましく鳴り響くなか、鼓膜をつんざくサイレンに青洲は眉をひそめた。
 しかし――その“次”が来ない。
 もしやと青洲が腕時計型電子機器に目をやると、その文字盤はで、完全に沈黙している。

「ステージ6による、電波妨害か……! アバトン中の電子機器を、軒並み機能停止にかかったと……!」

 スピーカーから鳴っているサイレンも、恐らく妨害が始まる直前に発動した最後の命令。
 今はもう、外部との通信も、新たな操作も、一切が不可能になっている。

「青洲先生、これどうすりゃいいかね!?」

 両腕にバスケットを抱え、動揺した様子のアコニチンが駆け寄ってくる。
 バスケットの中には、青洲の指示で集めたばかりの草花が溢れんばかりに積まれていた。

「副所長の命を待つ、のが筋なのだろうが……」

 それがいつになるのか、皆目見当もつかない。
 となれば、ラボに急ぎ、今この場にいる中での副所長トップの徐福と合流する事こそが最善。
 だが、赤い塔が建つ海の、直ぐ近く。
 ネグラには、幼児の姿をしたアトロピンがいる。
 彼に降り掛かる火の粉を取り払う事。それが、青洲の中で最も優先すべき事だ。

「ネグラに、向かう。着いて来てくれるか? アコニチン」
「勿論さ!」

 そして2人は顔を見合わせると、次の瞬間、ネグラへ向けて一斉に走り出した。

 ◇

「何やのあれ!」

 共同研究室の窓の外に見える、赤い塔。
 単眼を持つ、巨大な『珊瑚』。それを見たシアンは絶句していた。

「あんなサイズの『珊瑚』、自然発生する訳あらへん! 絶対に人為的なもんや! せやけどそれなら、認識阻害装置はどないなったん!?」

 人工島アバトンは、世界から見えない存在だ。その全域に、極めて高度な認識阻害装置が張り巡らされている。
 目視も、超音波も、衛星監視も、全てすり抜け、アバトンの存在自体が認識されないようになっている。
 それが、破られた。

「先生! この辺、どうお考えで……!」

 シアンはカールに縋るような目を向けた。
 頭が切れ、行動の早い彼なら、もうとっくに事態を見抜いている筈だと。
 しかし声をかけても、カールからの反応はなかった。そもそも未知で溢れた赤い塔を見た瞬間、彼ならば「嘘ぉっ!」だの「そんな事ある~っ!?」だの、オーバーなリアクションで戯けるような反応をしそうものだが、それさえない。
 カールはただただ窓の外へ顔を向け、硬直していた。

「先生? 先生、カール先生っ!」
「んぇっ!? あっ、あーごめん! ぼうっとしてたわ~、たははは」

 何度か呼びかけ、肩を掴んで揺さぶり、“名前”を呼んで、カールはようやく我に返ったようだった。
 しかしその声には、普段のような覇気がない。

「……先生、調子悪いんですか? “あれ”が原因なら、自分、今すぐ始末しに行きますわ」
「だぁめだぁめ! アリンコがゾウに立ち向かうようなもんだってぇ! 落ち着いて対策練りましょ~っ!」

 シアンの気迫を軽く宥め、カールは実験台から飛び降りた。
 そして天井を指差す。

「ともかく副所長の所行こっか! 電波は……やっぱ通じないし、物理的に会いに行って計画立てるっきゃないね~!」
「了解です! 道中、自分が守りますんで、安心して欲しいですわ!」
「心強ぉ~い! そんじゃ急いで……」

 ガシャンッ!!
 突如、真上――3階から、ガラスが砕ける音が鳴り響いた。質量のある“何か”が、窓ガラスを叩き割ったのだ。
 それはほんの一瞬、赤い塔から目を離した隙だった。
 “あれ”が放ったのだ、『珊瑚』の、塊を。
 直後、天井の隙間から赤い菌糸が血管のように這い出し、じわじわと、広がっていく。
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