毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第487話 砂浜の攻防

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「んっふふふ。惜しい」

 暗がりの中、フルグライトは喉を鳴らす。

「適合率の高い彼ならば、手を差し伸べさえすれば、御使いへなれると思っていたのだが……。分身の導きでは、力不足だったようだ」

 カールを右腕を絡み取り、感染させ、急激な進行促進によってステージ5へ仕立て上げたあの弾の中身には、フルグライト自らが作った傀儡を入れていた。
 それによって繊細で俊敏な動きを可能とし、目的を果たせた。結果は少々、物足りなかったが。

「急いては事を仕損じる、か。けれどあの状態まで至ったのならば、未成熟子の期間は直ぐに終わる事だろう。アレキサンドライトも、知人がいた方が嬉しいはずだ。……さぁ、おいで」

 ◇

『ア、ァ、ア……』

 意味を持たぬ呻きを、濁った水底から泡が漏れるように洩れ出しながら、カールは幽鬼のようにゆらりと立ち上がる。
 天色あまいろの瞳は虚で、何も映していない。

「先生、先生! カール先生……っ!!」

 シアンの叫びは砂浜に溶け、波に攫われる。
 彼の耳には届かない。届いたとしても、もはや理解する回路は残っていない。
 ふらり。緩慢な動きで、カールは後退りをした。天敵であるウミヘビ、シアンから距離を取る為に。
 『珊瑚』の本能は生存と、増殖。標的は動植物。中でも人間への寄生がより望ましい。
 そしてこの場にいる人間は、ただ一人。
 青洲。

 ぐるり、とカールの身体があり得ぬ速度で反転する。
 背骨が軋む音すら聞こえそうなほどの動きで、蒼白な顔が青洲の方へと向けられた。
 次の瞬間。胸から伸びていた剣状の菌糸が、血管を裂いて増殖するかのように脈動し、その数を一気に増やす。次いで肥大化した菌糸は、その切先を砂浜に突き刺さしたかと思うと、支えとなり、カールの全身を空中へ引き上げた。
 そのまま菌糸を蜘蛛の脚のように這わせ、節々をきしませながら、カールは青洲を狙って進軍を始める。

「チッ……!」

 短く舌打ちを放ち、アコニチンが弓を構えた。
 その弦に掛けられたのは、自身の毒素を固形化した紫色の矢。
 引き絞られる弦が軋み、空気が震えた。

「……! 待て、アコニチン……!」
「待ってられるかい!」

 青洲の制止を振り切り、毒矢はためらいなく放たれる。
 ドスッ
 しかし矢はカールに届く前に、その進路へ飛び込んだシアンの左腕に突き刺さった。矢尻の先端が肉を貫通し、青い血が砂浜の上にぼたぼたと溢れ落ちる。

「シアン! 邪魔するんじゃないよ!」

 アコニチンの怒声が響く。

「自分こそ何やっているんや! 先生を射るなんて正気やあらへん!!」
「そいつはもうステージ5なんだ! 処分対象なんだよ!!」

 その断言に、シアンの瞳が鋭く細められる。
 彼は左腕に刺さったままの矢を強引に引き抜くと、僅かな出血の後に傷口を再生させつつ、アコニチンを睨みつけた。

「あんたが元だろうとカールを守りたいみたいに、こっちだって青洲先生を守りたいんだ! その為だったらあんたごと片すのだって辞さない!!」
「やってみぃボケナスが! 返り討ちにしたる!!」
「アコニチン、シアン! 頼む、落ち着いてくれ……!」

 今は災害の真っ只中。赤い塔は断続的に弾を投擲していて、島を徐々に菌床で埋め尽くそうとしている。
 いつこの場所まで覆われるか分からない。だというのに、2人は殺気を飛ばし合うばかりで、青洲の制止は届かない。

『……ァ、ア』

 その時。カールが、ふいに歩みを止めた。
 僅かな間を置いて、首と胴体がぎこちなく反転する。彼はシアン達に背を向けたまま、足元の砂をぐしゃりと踏みしめ、別の方向へ歩き出した。

「……先生?」

 シアンが呼びかけても、相変わらず返事はない。
 歩みを進める度にカールの肩は微かに揺れ、頭が左右にふらつく。ゆっくりとした足取りながら、何か抗えぬ引力に手繰り寄せられているかのようだった。

「どこ行くんや、先生。そっちは海……」

 その瞬間、シアンの心臓が跳ねた。
 カールの進む先――海。その波打ち際まで、単眼の赤い塔が触手を束ね、桟橋のように伸ばしている。
 まるで「こちらへ来い」と誘うかのように。
 シアンはかつて、イギリスから戻ったカールから聞いた言葉を思い出す。

『ペガサス教団の意思かステージ6の意思か、元々の『珊瑚』の意思かわかんないけどぉ。なんか脳みそ集めているんだって! ホラーだよねぇ!』

 ――まさか、赤い塔へ、吸収されに行く気ではないか。

「あかん! 駄目や、先生! 行ったらあかん!!」

 養分としてか、はたまた『脳』を狙ってか。わからないが、どちらにせよこのまま行かせてしまっては、カールは二度と戻って来ない。
 胸を焼く焦りのまま、シアンはサバイバルナイフを抜き放つと、カールの“脚”へ刃を叩き込んだ。
 切断された異形の脚が砂浜へ転がり、カールの身体がガクリと前のめりに沈む。手を伸ばせる高さまで下がった瞬間、シアンは背後からその体を抱き締め、押さえ込んだ。

『ア、ァ、ァアアッ!』

 カールが足を激しく蹴り、腕を振り回す。背中からは剣状菌糸が隆起し、シアンの脇腹を深々と突き刺した。

「先生、暴れんといて! 自分の血ぃ浴びたら死んでまう! そんなん駄目や!」

 シアンは自身の負傷よりも、それに伴い出血した青い血の毒素がカールに注がれる事を恐れ、剣状菌糸を鷲掴むと腕力のみでへし折り、切断パージさせる。
 そして出血量を増やさないため敢えて菌糸が刺さった状態のまま、カールの右腕を掴み砂浜へ引き倒すと、必死に動きを止めようとした。

「アイギス! アイギス! 先生ぇ拘束できひん!? あんさんなら先生を傷付けずにできるやろ!? 動きさえ止めれられたらこっちのもんや! なぁ先生! ステージ5になっても意識は残っているんやろ!? そんでこれから皆んなで治す方法を見付けるんやろ!? 必ず治してみせるゆうてたやない! 先生、先生、踏ん張って……っ!」

 宿主たるカールを『珊瑚』に奪われてしまったアイギスは、ヒドラジンを触手で抱えたまま、空中に漂っている。
 シアンが幾ら必死に呼びかけても、無反応であった。
 それもその筈で、アイギスは基本的に宿主の人間に対してのみ意思伝達をする寄生生物。その宿主もアイギスと正確なやり取りをこなすまで、一定の時間を必要とする。宿主でもなければ信頼関係を築いてきた訳でもないシアンは、アイギスとコミュニケーションを可能とする術を持っていないのだ。

「青洲さん! 青洲さんのアイギスは……っ!」

 ならばと青洲を頼り声を投げ付けたが、縋り付いた希望は青洲の「……駄目だ」という言葉で打ち砕かれる。

「小生のアイギスは、小生が里帰りをした時に数を大幅に減らした……。小生のアイギスの強みは、数の多さ、なのだが……数匹のアイギスでは、ステージ5を押さえ付けられない」

 今年の8月。日本で発生した菌床を処分した時。青洲は宿していた数多のアイギスを酷使した後、一匹を残し全てを野生に還した。
 あれから3ヶ月近く経ったものの、アイギスの数は未だ少ない。
 今の青洲ではカールを押さえ付けられない。
 そう突き付けられ、シアンの顔が絶望に歪んだ。

「……嫌や。嫌や、こんなん。先生、先生……!」
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