毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十三章 失楽園

第489話 赤子の呼び声

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 ざり
 砂浜に右手が深く食い込み、爪の間に砂が入り込む。その異物を追い出す為、爪先に真っ赤な菌糸が集い、隆起し、ナイフの切先のように変形させた。
 それを砂浜に突き立て、カールは身体を起こそうとする。しかし上手くバランスを取れず、彼は再び砂浜の上に倒れた。ならば左手や胸元から生えた菌糸を使って、と考えても、そこから隆起していたそれは今、青い血の所為で死滅してしまった。身体に届く前に、と末端に毒素を移し切断パージする事はできたのだが、再び生やすには養分が足りない。精々、爪先を尖らせる程度だ。
 養分を補給したくとも、この場で唯一と言っていい栄養源たる人間は、毒素を孕んだ海蛇に押さえ付けられていた間に姿を消してしまった。
 高く聳え立つ【赤子】が届けてくれる『珊瑚』を取り込む手もあったが、先程までは弓使いに、今は海月に絡まれていた海蛇と、白い塔から現れた海蛇が二人一組で対処し、塵へと変えてしまっている。

 助けは得られない。故に、カールは自力で向かう必要があった。
 産声を上げた、【赤子】の元へ。

「……先生」

 背後からかけられる雑音ノイズを無視し、カールは這った。
 おいで、おいでと、呼ばれている。その声には応えなければならない。
 それは細胞一つ一つを置換し支配者へ成り代わった、『珊瑚』の意思。

「行かんといて、ください。先生……」

 だが――
 優先すべき【赤子】の呼び声よりも、波の音に攫われそうな程に小さな雑音ノイズが、耳から離れない。
 動きを押さえてきた上に、青い血で苦しませてきた海蛇。毒素に侵され、呼吸が乱される苦しみにのたうち回った所、それの力が抜けた。
 その隙を逃さず、無数の菌糸で串刺しにして遠ざけた。元は頭だけが青かった海蛇は、いまや全身が青く染まり、砂浜に沈んでいる。
 本来、海蛇は障害物。忌むべき対象。
 これで自由になったはずだ。毒素も排したはずだ。――なのに。
 体が、鈍い。胸の奥が、妙に苦しい。

「アイギス」

 新たな雑音ノイズが耳に届く。

「君の大事な人が、遠くに行っちゃうよ? 止めてあげて?」

 他の雑音ノイズと比べ、高い音をしている。また声と一緒にぱりぱりと、極々微弱な電気を放っている。『珊瑚』が伝達に扱う電気と似ているが、系列が異なり何を意味しているのかはわからない。
 しかしその高音の雑音ノイズに呼応するように、巨大な海月が、目の前に立ち塞がった。

『……ア』

 新たな障害物。排除しなければならないと、本能が警報を鳴らす。
 だと言うのに、胸の奥では不思議な安らぎを感じてしまい、一瞬、硬直してしまった。
 しゅるり
 その隙に伸ばされた数多の触手に身体が絡まり、カールは宙に浮く。

『アァアアッ!!』

 捕食の危機を感じたカールは暴れ、逃れようとする。揺籠に揺られたかのような安堵を覚え、四肢が弛緩しそうになる。
 相反する思考と身体と反応に錯乱し、カールは腕に足にノコギリのような刃を菌糸で形成し、がむしゃらに暴れ何度も海月を触手を斬り付けた。どれだけ斬り落としても、海月は拘束こそすれ、危害を加えて来ない。その事を疑問に思う事もなく、カールは触手を引き千切り、毒素を凝縮していない箇所を見付けると養分として取り込む。
 海月はカールがどれだけ暴れても、幼子をあやすように支え続ける。その身が削られても、じっと耐えていた。
 そしてどれだけ経ったか。長かったようにも、僅かだったようにも感じる時が過ぎ、

「アセトン! 頼むよ!!」
「ねぇ俺、実験はしたけど実践は……」
「いいからやる!!」

 弓使いが戻ってきた。新たな海蛇を連れて。
 その海蛇は怠そうな表情を浮かべながらも、手に持っていた真っ白い銃をカールへ向け、引き金を引く。
 パァンッ!
 銃声と共に放たれた銃弾は、吸い込まれるようにカールの背中へと着弾し、
 ピキ、ピキキッ
 次の刹那には全身が一気に白化する。急激に冷やされた身体は周囲の水分ごと氷結し、体表に氷を形成していく。カールに絡まった触手を巻き込んで凍り付けとなるのに、時間を要する事はなかった。

「アコニチン、カールは……!」
「青洲先生! いいタイミングじゃないか!」

 雑音ノイズが騒がしくなっていくのを感じながら、カールの目の前は、真っ暗な闇へ溶けていく――

 ◇

「これで、コールドスリープが……完了した」

 砂浜へ搬送された、コフィン。その中にはカールが納められ、コールドスリープ処置は滞りなく終わった。
 青洲は安堵と共に全身の力が抜け、その場に膝をつく。

「無事に眠らせられて、よかったです」

 ホルムアルデヒドの手を借り歩み寄ったメタノールが、青洲へ薄く微笑みかける。

「礼を言うのは、こちらの方だ……。アイギスに呼び掛けてくれて、助かった」
「アイギスにお願いするだけなら、こんな僕でも役に立てるんじゃないかって思っただけですよ。ずっと、お世話してきましたから」

 ――ラボの3階に『珊瑚』が投げ込まれた後。
 メタノールはホルムアルデヒドに抱えられ、地上階であるエントランスまで運ばれていた。ホルムアルデヒドはそのまま外に避難をしようとしていたが、『珊瑚』に侵されている様を見て出る事を躊躇していた。
 しかしメタノールはそこで、聞いてしまったのだ。シアンの叫ぶ声を。アイギスに呼び掛け、必死に助けを請う声を。
 メタノールは置き去りにしてしまったエタノールへ、何もできなかった。その無力感と後悔から、頬を伝う涙を拭い、外へ飛び出す決意をしたのだ。

「僕よりもホルムの方が頑張ってくれましたよ。青洲さん」
「そう、だな。周囲の『珊瑚』を……一通り片してくれたから、コフィンを無傷で運ぶ事が、できた。感謝する」
「そりゃ安全確保した後じゃなきゃ、兄貴を歩かせられねぇからな。……まぁ実質、『珊瑚』を片してくれたのヒドラジンだけど……」

 そう言って、ホルムアルデヒドは少々悔しそうに口を尖らせた。
 普段使い慣れた抽射器を持っていなかった上、撃ち落とされた『珊瑚』の殻は異様に硬く、毒素の浸透も遅い厄介な代物だった。
 そこで殻が割れてからの処理を提案したホルムアルデヒドだったが、カールが中身に串刺しにされる様を目撃していたヒドラジンは「割れる前に仕留めた方がいい」と主張。港に備えてあった槍状抽射器を手に、距離を保ちながら次々と片付けていった。
 結果、第一課らしく強力な毒素を固い殻越しに注ぐ事ができる、ヒドラジンが処理の主力となり、ホルムアルデヒドは殻から突き出た菌糸を払うなどの補助に回る形となった。それが何だかムカつくのだ。

「けど近距離戦闘に慣れた、ホルムアルデヒドが居て助かったと思うワケ。硬いし数が多いし、一人じゃキツかった」
「褒めてくれるのは嬉しいけどなんか、素直に喜べない……。つぅか何で港備え付け抽射器が槍なんだよ。銃が置いてあったらヒドラジンも本領発揮できただろ」
「俺に言われても困るワケ。決めたの所長らしいし」
「その通り、だ……」

 膝に手を置き、ゆらりと立ち上がりながら青洲が言う。

「銃を始めとした飛び道具では、使えるウミヘビが限られる……。また緊急だからと、扱い慣れていない者が使えば……瞬く間に中毒となる。しかし槍ならば、その心配がない事に加え、相手との距離を保てる……と、聞いた」

 槍は大半のウミヘビが扱える。硬い殻の中に籠り、予兆もなく菌糸を突き出してくるような『珊瑚』との相性もいい。
 そもそもそれを見越して用意していたかのようだ。
 尤もここには銃を所持していたシアンがいた。彼から借り受ける事が出来たのならば、より迅速に処分が終わっていた事だろう。しかしそれは叶わなかった。
 何故ならば同じ第一課なれど、ヒドラジンよりもシアンの方が毒素が強いからだ。青い血に塗れた状態のシアンに、ヒドラジンは近寄る事さえできない。

 近寄る事ができるのは、より強い毒素を宿すウミヘビ。
 例えば、アコニチン。

「シアン、生きているかい?」

 彼は躊躇なくシアンへ歩み寄り、砂浜へ沈んだままの声をかけたのだった。

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