毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十六章 交差する思惑

第555話 ゆっくり急げ

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「モーズ、モーズよ」
「あっ、はいっ!」

 名を呼ばれ続け、モーズはハッと顔を上げる。
 そしていつの間にか隣にルイが立っている事を知り、慌てて椅子から腰を上げた。

「ルイ院長! すみません、気が付かなくって……!」
「構わぬが、そろそろ食事を摂らねば倒れるぞ。医者の不養生なぞ笑えぬ冗談よ」
「えっ!?」

 指摘を受け壁掛け時計へ視線を向ければ、22という数字が表記されている。
 11月3日。夜の10時。隔離病室に入ってから気が付けば丸一日以上、経っていた。ベッド脇のサイドテーブルには栓が閉じられたままの携帯流動食(パウチタイプ)。折角用意して貰ったと言うのに、本を読み解くのに夢中で手をつけないまま時を消費していた。

「もう、こんな時間でしたか……」
「おぬし、食事を省いたどころか一睡もしていないのではないか? 昨日と体勢が一切、変わっておらなんだ」
「そ、そうですね。動かずにいたらエコノミー症候群に陥ってしまいますし、今後は気を付けます……」
「貴殿はまず休息を取れ、休息を」
「はい……」

 ひとまず流動食の栓を開け、内蔵されているストローを引っ張り出し、マスクの給水口から摂取するモーズ。その味はフルーティーで舌を喜ばせ、ラボで至急されている流動食との落差が大きかった。美食の国フランスの国民性が顕著に表れている。

「……美味しい、ですね」
「当然よ。食の豊かさは生の糧に直結するのだからな。これは患者にも支給している食事の一つ、味の悪い物は採用せぬ」
「成る程。配慮が行き届いていますね」
「ユストゥスから聞いた事があるが、ラボの流動食は味が二の次だとか? 信じられぬ愚行よ。幾ら一日一食で済むからと、おざなりにしていい所とそうでない所の違いくらい判別できぬのか」

 オフィウクス・ラボの効率に特化した食事事情に呆れ返るルイ。
 ちなみにこのフルーティーな流動食は通常の食事と同じく、一日三回摂取しなければ必要な栄養は取れない。

「セレン達よ。ウミヘビは人間と生活習慣が異なると聞いたが、人間の規則正しき生活習慣も学んでおけ。そうでなければこやつは遠からず身体を壊すぞ」
「はーい」
「わかりました! 私達がしっかり先生を管理しますっ!」

 ついでと言わんばかりに、ルイはモーズを寝かせようと床に布団を敷き始めていたウミヘビ、テトラミックスとセレンに体調管理の役目を与える。これで無理はできないだろう。

「……俺としてはフランチェスコ先生の為にも、早急に研究を進めて欲しいんだが?」

 そこでベッドの端に腰掛けたブロムが、不満を押し殺したような声音で呟いた。
 焦りと苛立ちが混じったその表情は、他の2人のウミヘビとは明確に温度が違う。

「モーズも、一刻も早く先生を治したいだろう?」
「それは、そうだが……」
「たわけ。人間、不眠不休では頭が回らぬ。根を詰めたところで目標は遠退くばかり。急がば回れゆっくり急げと言うだろうに」

 しかしブロムの焦りは、ルイの冷静な指摘によって軽々と断ち切られる。

「確かにフランチェスコの症状は特異も特異、いつ変わるのか全く読めぬ。急変する前に、と願う気持ちはわかるが……。急いだ所でどうしようもなき事」

 淡々と告げられる現実。
 ブロムは拳を握りしめ、唇を噛み、必死に飲み込もうとする。だが――

「……悠長に構えて、フランチェスコ先生が命を落とす事態になってしまったら、どうするんだ」
「どうもこうも、弔うだけであるが?」
「貴様!」

 抑揚のないルイの発言に、ブロムは堪忍袋の緒が切れたように立ち上がる。
 その肩をモーズが慌てて抑えた。

「ブロム、落ち着いてくれ……!」
「吾輩がこの地で、幾人の患者を見送ったと思っておる」

 殺気立つブロムを前に、ルイは一歩も引かずに言葉を紡ぐ。
 その一言の奥に沈むものは重く、深く、底知れない。

「おぬしらも見たであろう? 裏手の地下共同墓地カタコンベを。あそこには救えなかった命が大勢、眠っている」

 昨日、合流場所として利用した地下共同墓地カタコンベ。壁にも床にも棺が納められ、数えきれない程の人間が埋葬されていると一目でわかる光景。
 その棺の中にあるのは――遺灰だ。
 亡くなった感染者は、骨も残らない程の高温で火葬される。特に感染爆発パンデミック初期は手探りで感染対策を実施していた為、家族でさえ見送るのを許さず灰へ変え、どれが誰かもわからぬまま、それどころか一人なのか複数人のものが混ざってしまっているのかも把握できないまま、ただ地中へ埋めていた。
 このフランス感染病棟を創立したミシェルは、そんなぞんざいに弔われた人々へ少しでも埋葬という形を与える為に、地下共同墓地カタコンベを作った。そこは感染爆発パンデミックが落ち着いた後も感染者の埋葬先として利用され、ルイはそれを引き継いだ。

「おぬしだけが特別などと思うでないわ」

 ブロムは言葉を失った。
 だが、理解と納得は別物である。

「それでも、俺には……フランチェスコ先生しか、居ないんだ」

 絞り出すような声。
 そこにはどうしようもない必死さと、縋りつくような焦燥が滲んでいた。

「そう思うのならば尚の事、モーズに無理を強いるでない。頼れるのは彼だけなのだからな」

 身を隠しながらでも研究できる医師は今、モーズしかいない。
 その事実はブロムだけでなく、モーズ自身にも重くのしかかってきた。
 フランチェスコを自らの力で治したい思いは依然と強く抱いている。だが他のクスシの手を借りられたのならば、どれだけ心強い事か。

(たった一つ、助言を得られるだけでも……。いや、違う。助言を貰えなくともいいんだ。ただ悩みや不安を傾聴して貰えるだけで、それだけで……)

 しかし、それは叶わない。皆、被災した。傷を負った。クスシも、ウミヘビも。
 詳細は知らされていないが、誰もが目の前の対処で手いっぱいで、こちらへ手を貸す余力など残っていない事は、モーズにも察せられる。隔離病室を提供してくれている、ルイの多忙さからしても間違いない。
 寧ろ自分だけが安全圏に置かれているという事実こそが、胸を締めつけた。
 罪悪感と、歯痒さと、居た堪れなさが、じわじわとモーズの心を侵す。

(しかしだからこそ、集中しなくては。突破口を見付けなくては。先の災害で多くのステージ5が出たと聞く。カールさんも……。此処で、此処でフランチェスコを目覚めさせる事が出来たのならば、救う事が出来たのならば、私が此処にいる意義が……)
「待つ事を知る者には全てが時を経てやってくる。しかしさかずきから唇までは遠いものだ。故に斧の後で決して柄を投げてはならない」

 モーズが思い詰める気配を察したのだろう。ルイはどこか力を抜いた声音で、しかし確かな重みを伴って、その言葉を置いた。伝えるタイミングを計っていた、言伝を。
 ――焦るな。そして諦めるな、と。

「ミシェル会長からの伝言よ。貴殿に宛てた、な」
「……伝言? 私はミシェル会長と面識がありません。人違いでは?」
「さてな。あの方の予言は何処から降ってくるか、まるでわからぬ故。だがパラスの英雄として名が知れた貴殿の事を、知っていても何らおかしくはない。特に9月は貴殿を騙る者が現れひと騒動起きていたのだし、目に入れるなと言う方が難しかろう」
「は? 私を騙る……? は? それは、なん、何の話でしょうか?」
「……うん? よもや知らなんだか……?」

 ぽかんとするモーズを前に、ルイは首を傾げる。
 そしてその日の晩、モーズはルイを通じ、自分の偽物が世間を大いに騒がせていた事を知ったのだった。
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