毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十七章 虫籠の底

第565話 観察者になった日

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「ずっと気になっていたんだけどさ。モーズって、ちょっと変だよね」
「えっ」

 18歳になった年の末。珊瑚症に罹らないまま、大人になれた年。
 ルームシェアをしているアパートの一室で、僕はずっと思っていた事を口にした。

「僕がモーズと初めて会った日、君は雪かきをしていたね。たった一人で」

 成人したから改めて振り返ってみるけど、シスターはモーズを働かせ過ぎていたよ。
 幾らモーズが素直で従順だからって、やり過ぎだ。思い出す度に腹が立つ。

「掃除も洗濯も料理もお菓子作りも、ピアノの演奏まで任されていた時さえあったよね」
「金も人手もなかったんだ、そのぐらい請け負う。お陰で今、家事に困る事はないぞ」
じゃないと思うよ、モーズ。……その頑張りは、いっぱい褒められて、お金を貰えて、労われて、感謝されるべき事だ。ただの作業じゃない」
「あ、あぁ。家事も立派な労働というのは私も認識していて……」
「じゃあもっと、自分を褒めなよ。モーズ」

 僕はテーブルから少し身を乗り出して言う。
 自己肯定力が低いんだよね、モーズ。どうしてか知らないけど。

「“大した事ない”なんて思わないで。実際、君はそつなくこなしてしまうし、大した事ないと思えるぐらい器用だとしても」
「器用? 私は不器用な人間、という自負があったのだが……。フランチェスコよりも余程、要領が悪いのだし」
「人間の評価は成績の数字だけで決まるものじゃないよ」

 モーズは頑張りだ。しかも頑張った分だけちゃんと経験を身に付ける。それをあまり自覚していない。医大の卒業まであと2年。この機にちゃんと伝えておこう。
 ……って、思っていたんだけど、モーズがフルーツたっぷり欲張り手作りケーキの話を振ってきたものだから、そっちに気を取られて話がすっぽ抜けてしまった。
 むぐぐ。モーズもやるね。誕生日プレゼント、覚悟しておいてよ?

 ◇

 感染した。
 あんなに気を付けていたのに。
 わかっている。今までだって可能性を考えなかった訳じゃない。欠かさずワクチンを打とうとも消毒を徹底しようとも、外に出て人と会って生活している以上、『珊瑚』の感染は防げないのだから。
 僕は陽性を証明する診察書を破り捨てたくなる衝動を抱きながら、アパートの部屋でギリと奥歯を噛み締めた。

(どうする?)

 モーズは感染していない。健常者だ。真っ当に考えるなら彼から離れるべきだ。
 他に部屋を借りて――あぁ、違う。この部屋は僕の名義で借りているんだ。支援金を貰う為に。つまりモーズを追い出す形になってしまう? 僕から誘ってルームシェアをしたのに、そんな馬鹿な話がある?
 モーズに話せばあっさり飲み込んで、軍の寮に入ってしまうのだろうね。
 駄目だよ、それは。僕と会えなくなってしまうじゃないか。
 違う。会っちゃ駄目なんだ。僕は感染者となってしまったんだから、これからはリモートで……。モーズも大学に入ってようやく携帯端末を持つようになったのだし。
 ……あれ。そういえば携帯端末を持つようになったから、モーズはシスターとの連絡も取るようになったのだっけ。イースター祭に誘われたとか、前に話していたような。僕が「期末テストに集中したいって言って断りなよ」って避けさせたけど。孤児院から離れて安心していたけど、モーズはシスターとの縁は切れていない。切った方がいいと僕は考えているけど、彼女に嫌な感じを覚えているのはあくまで僕の勘で、モーズにとって親代わりの存在をその勝手な想像で取り上げるのは流石に酷だから、何も言えていない。
 この機会に言った方がいい? シスターと関わるなって。信じてくれる? 根拠なんてないのに? 僕がシスターを毛嫌いしている事を知ったら、モーズは僕を敬遠するかな? 感染者となってしまったのを機に、距離を取って、顔を合わせなくなって、疎遠になって……。

(嫌だ)

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 友達。幼馴染。失った家族の寂しさを埋めてくれる唯一無二。僕の宿怨に染まった夢を応援してくれる、それどころか一緒に立ち向かってくれる、僕の支え。
 ……別に、感染は、珊瑚症患者は、珍しい存在ではない。大学にもいる。研修先でも会う。住む場所が別となってしまっても、モーズと会えなくなる事なんてない。
 わかっている。理解している。それでも無性に嫌なのは、どうして? 僕の見ていないところで、僕の離れたところで、僕の知らないところで、モーズがモーズの人生を積み上げていく事が、堪らなく不愉快に思ってしまう。
 どうせ医大を出たら同じなのに。モーズは軍医になって、僕は感染病棟か、大学の研究所に入って、別々の道を歩むのに。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 不快感が頭を支配していく。僕が子供だったら癇癪を起こしているところだ。何でこれほど心が乱れているのか、落ち着けないのかわからない。疲れている? セロトニンが欠乏している? 感染したのがそれだけショックだった?
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 ぐっちゃぐちゃの心を落ち着かせようと、僕はベッドで仰向けになった。
 目が見える。目玉。
 真っ赤な虹彩を持つ一つ目。それが天井に浮かび上がって、ぎょろりと動いて、僕を凝視している。

 そういえば小さい頃、モーズは目玉の怪物を見たと泣いていた事があった。
 僕は今、同じ幻覚を見ているのだろうか?
 幻覚? 本当に?
 目玉の怪物の話を聞いたシスターは、正体を御使いだか天使だか言っていた。共通の認識があるなら、あれは法則のある何か?
 現実に存在する、『観察者』?
 そうだ。観察者だ。あれは。対象を見続ける為に存在している観察者。僕も観察し続けないと。
 僕がモーズを観察し続けるにはどうすればいい? 離れない為には何をすればいい?
 僕はベッドから起き上がる。床の上に立つ。モーズの元へ足を運ぶ。
 彼は自分のベッドで眠っていた。もう夜遅いからね。真っ白な布団にくるまって、体を横向きにして、丸くなっている。
 年不相応に大人びた言動が目立つ彼だけど、眠る姿は普段よりぐっと幼い。無防備だ、とっても。
 ねぇモーズ、知っている? 知っているよね。基本中の基本だ。僕の消したい『珊瑚』は、両親の命を奪った『珊瑚』は……アレは、そう、身近で、そこら中に蔓延していて、進化の時を待っていて、うん? 違う。そういう事を言いたいんじゃ。纏まらない。明日には感染した事を伝えなくっちゃ。嫌だ。雖後□縲ょ菅縺ョ蛛エ縺ォ縺。言いたくない。本当は叩き起こしてでも伝えるべきなのだけど。何だろうね。ぐるぐるする。蜷帙?蠢?慍縺瑚憶縺。問題を整理しなくっちゃ。『珊瑚』は人の中に入りたい時、

 粘膜に触れると、入る事感染ができるんだ。
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