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第二十七章 虫籠の底
第578話 皮を被る者、備える者
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「お主が知る必要はない」
キッパリと、拒絶するように、ルイは言った。
「……隔離病室には末期患者を密かに入れている、とだけ認識していればよい。それよりも速急に事務室へ向かえ、猫の手も借りたい状態なのでな」
「……。そうですか」
「かの患者は難しい状態でな。近々、コールドスリープをする予定である。正直、いつ正気を失うかわからぬ故、決して近寄ってはならぬ」
「成る程。しかし貴方は、そこへ行けるのですね?」
「まぁな。吾輩は最高責任者故に」
「わかりました」
ルイの返答ににっこりと、ルチルは穏やかな微笑みを浮かべる。
(つまり姿をルイに変えれば、怪しまれる事なく近寄れる。と。ひた隠しにしている対象が何なのか。手駒にできそうな感染者だったら嬉しいが、ルイの弱味でも嬉しいね)
腹の中でよからぬ企みを考えながら。
「あぁ、そうだ。忘れるところであった。ルチルよ、少しよいか?」
「はい、何でしょうか?」
「体重を計ってくれぬか。今、此処で」
そう言ってルイは院長室の端、まるでインテリアの一部のように置かれた体重計を指差す。
ルチルは、金色の目を細めた。
「……それは、何故?」
「確認よ。院長室に来る人間には全員、やらせておる。――人の皮を被った紛い物が、病棟に入り込んでは困る」
体重計はアナログ式。何ともシンプルで原始的な作りだ。
電波障害による誤魔化しは、効かない。
(ルイ院長、用心深い方だ。あの時だって、この男がいなければ――)
4年前。末期患者だったシャルルを利用し、大学で幅を利かせているユストゥスを排除しようとした日。前の身体の立場が危うくなる事を承知の上で踏み切った策だったというのに、ルイのさり気ない介入によって達成する事が出来なかった。
あの時、教え子ごと皆殺しにできていれば、今頃もっと楽に立ち回れていた筈だ。
(しかし同時に、愚かだね。私が人でないとわかった所でどう対抗する気なのやら。か弱い人間一人、簡単に片せる。……あぁ、何ならこの機にルイ院長の立場を頂いてしまってもいいね。同じ顔の人間が同じ場所にいるのは、不自然なのだから)
今の身体は細い。体内をごっそり削っても体重は異様に重いまま。肥満体型だったロベルトのように誤魔化せない。まして相手はルイだ、細やかな違和感も見逃してくれないと察せられる。
しかし体重は誤魔化せなくとも、院長室に設置された監視カメラは機能不全に陥らせる事が可能。
誰にも気付かせず、ルイを処分し、入れ替わる事など容易。『融合』は出来なくとも、身体の表面を変えれば充分通用するだろう。
ルチルは微笑みを崩さないまま、体重計へ向かって足を運ぶ。
――ルイは用心深い。
その見解は正しい。かつてユストゥスにレ・ミュール・オン・デ・ゾールと忠告したように。
ましてここ最近は生物災害によく巻き込まれているのだ。軍医でもないというのに。加えてモーズを匿っている身。また何処から災難が降って来るか見当もつかない。
よって彼は備えていた。
胸ポケットに一つ、小振りで軽い――水鉄砲を。
といっても拳銃の形をした玩具ではない。その正体は病棟の備品である、何の変哲もない注射筒だ。針をつけずキャップで固く口を閉じ、間違っても中身が漏れないよう軽く細工を施しているが。
何せ中には水ではなく、ウミヘビの青い血が入っているのだから。それもこの場で最も強い毒素を持つ、テトラミックスの。
モーズが護身用にと、ルイへ贈ってくれたのだ。巻き込んでしまった後ろめたさから、少しでも身を守れる手段をと、彼なりに考えた結果だろう。毒素の強さから使用者自身も中毒に陥ってしまう危険があるものの、確実に、ステージ6へ抵抗できる。
院長室の空気がひりつく。
このまま素直に体重計へ乗るか、その前に事を起こしてしまおうかと思案するルチル。いつでも動けるよう、視線をルチルから外さないまま胸元に手を添えるルイ。
5分後にはきっと、院長室は災害現場となっていただろう。
けたたましい警報音が、病棟中に鳴り響かなければ。
ウ~ッ! ウゥ~ッ!!
その警報音は生物災害が発生した報せであり、病棟が緊急事態に陥った証。
『珊瑚症患者が隔離病室から脱走いたしました。ステージ5になった可能性あり。直ちに避難してください。繰り返します。珊瑚症患者が……』
続いて無機質な機械音声が流れてきて、ルイは反射的に立ち上がり、マスクの下で血相を変えつつも迷わず廊下へ出た。警告が指し示す現場は明白だった。ホログラム映像に映されたマップで赤く点滅している箇所。
モーズ達が使用している、隔離病室だ。
(暴走を止められなかったか……!? しかし彼処にはウミヘビがいる、災害が広がる危険性は低い! が、警報が鳴ってしまった以上、いずれ国連軍が派遣されて来る! その対処を考えねば……!!)
潜伏しているというモーズを表に出す訳にはいかない。学会時にウミヘビを借りていたという体にするか、それとも水鉄砲の毒素を使った事にして誤魔化すか。そもそも具体的に何が起きたのか。
監視カメラの類を全て遮断している為に情報を得られない。直接、足を運び自分の目で確かめる他ない。ルイは早足で廊下を突き進む。
(隔離病室内の警報は切っていた。フランチェスコが廊下に出たか。それとも菌床を展開したか。何にせよ被害は最小限に食い止めたい所であるが……っ!)
「ルイ院長!」
「ついて来るでない!!」
後を追ってきたルチルを、ルイが一喝する。
「お主は来たばかりで勝手がわからぬだろう! 外へ退避せよ!」
「避難するべきは貴方もでしょう! そちらは出口とは真逆の、隔離病室の方向ですよ!? 災害の対処は軍に任せ、逃げましょう!」
「吾輩にはやるべき事がある! お主は自分の身の安全だけ考えよ!」
「目の前で危地に向かう人を見過ごせと? そういう訳にはいきませんよ!」
傍から見ればルチルはルイの身を案じて着いて来ているように見えるだろう。だが実際はルイの単独行動阻止を大義名分に、隔離病室へ正面から入り込むのが狙いだ。この流れならば自然に、工作の必要もなく向かえる。
災害現場の状況によってはステージ5を利用して、自分の手を汚す事なくルイを片せる事も出来るかもしれない。ルチルにとっては利点だらけである。
よってルチルはルイから何度、拒絶されようとも執拗に付いて行き、とうとう隔離病室のある地下階層へ辿り着く。
「……ルチル。わかっているか? ここから先、命の保証はないぞ?」
「えぇ、理解していますよ。しかし貴方を一人にさせて後悔するよりも、ずっといい」
「……。左様か」
あくまでルイから離れないルチルを前に、ルイは盛大な溜め息を吐く。
そして部外者がいる事を踏まえ、深く踏み込むのは諦め、様子を窺うだけに留める事とした。階段を降りて左。最初の曲がり角を真っ直ぐ進んだ最奥に、モーズ達が潜伏する隔離病室がある。
ルチルは階段付近に菌床が及んでいない事を注意深く観測した後、曲がり角から慎重に顔を出し、廊下を注視した。
そして絶句する。
廊下の最奥では、真っ白な内装が真っ黒になる程の大量の蝿が、まるで一つの生き物のように蠢いていたのだから。
キッパリと、拒絶するように、ルイは言った。
「……隔離病室には末期患者を密かに入れている、とだけ認識していればよい。それよりも速急に事務室へ向かえ、猫の手も借りたい状態なのでな」
「……。そうですか」
「かの患者は難しい状態でな。近々、コールドスリープをする予定である。正直、いつ正気を失うかわからぬ故、決して近寄ってはならぬ」
「成る程。しかし貴方は、そこへ行けるのですね?」
「まぁな。吾輩は最高責任者故に」
「わかりました」
ルイの返答ににっこりと、ルチルは穏やかな微笑みを浮かべる。
(つまり姿をルイに変えれば、怪しまれる事なく近寄れる。と。ひた隠しにしている対象が何なのか。手駒にできそうな感染者だったら嬉しいが、ルイの弱味でも嬉しいね)
腹の中でよからぬ企みを考えながら。
「あぁ、そうだ。忘れるところであった。ルチルよ、少しよいか?」
「はい、何でしょうか?」
「体重を計ってくれぬか。今、此処で」
そう言ってルイは院長室の端、まるでインテリアの一部のように置かれた体重計を指差す。
ルチルは、金色の目を細めた。
「……それは、何故?」
「確認よ。院長室に来る人間には全員、やらせておる。――人の皮を被った紛い物が、病棟に入り込んでは困る」
体重計はアナログ式。何ともシンプルで原始的な作りだ。
電波障害による誤魔化しは、効かない。
(ルイ院長、用心深い方だ。あの時だって、この男がいなければ――)
4年前。末期患者だったシャルルを利用し、大学で幅を利かせているユストゥスを排除しようとした日。前の身体の立場が危うくなる事を承知の上で踏み切った策だったというのに、ルイのさり気ない介入によって達成する事が出来なかった。
あの時、教え子ごと皆殺しにできていれば、今頃もっと楽に立ち回れていた筈だ。
(しかし同時に、愚かだね。私が人でないとわかった所でどう対抗する気なのやら。か弱い人間一人、簡単に片せる。……あぁ、何ならこの機にルイ院長の立場を頂いてしまってもいいね。同じ顔の人間が同じ場所にいるのは、不自然なのだから)
今の身体は細い。体内をごっそり削っても体重は異様に重いまま。肥満体型だったロベルトのように誤魔化せない。まして相手はルイだ、細やかな違和感も見逃してくれないと察せられる。
しかし体重は誤魔化せなくとも、院長室に設置された監視カメラは機能不全に陥らせる事が可能。
誰にも気付かせず、ルイを処分し、入れ替わる事など容易。『融合』は出来なくとも、身体の表面を変えれば充分通用するだろう。
ルチルは微笑みを崩さないまま、体重計へ向かって足を運ぶ。
――ルイは用心深い。
その見解は正しい。かつてユストゥスにレ・ミュール・オン・デ・ゾールと忠告したように。
ましてここ最近は生物災害によく巻き込まれているのだ。軍医でもないというのに。加えてモーズを匿っている身。また何処から災難が降って来るか見当もつかない。
よって彼は備えていた。
胸ポケットに一つ、小振りで軽い――水鉄砲を。
といっても拳銃の形をした玩具ではない。その正体は病棟の備品である、何の変哲もない注射筒だ。針をつけずキャップで固く口を閉じ、間違っても中身が漏れないよう軽く細工を施しているが。
何せ中には水ではなく、ウミヘビの青い血が入っているのだから。それもこの場で最も強い毒素を持つ、テトラミックスの。
モーズが護身用にと、ルイへ贈ってくれたのだ。巻き込んでしまった後ろめたさから、少しでも身を守れる手段をと、彼なりに考えた結果だろう。毒素の強さから使用者自身も中毒に陥ってしまう危険があるものの、確実に、ステージ6へ抵抗できる。
院長室の空気がひりつく。
このまま素直に体重計へ乗るか、その前に事を起こしてしまおうかと思案するルチル。いつでも動けるよう、視線をルチルから外さないまま胸元に手を添えるルイ。
5分後にはきっと、院長室は災害現場となっていただろう。
けたたましい警報音が、病棟中に鳴り響かなければ。
ウ~ッ! ウゥ~ッ!!
その警報音は生物災害が発生した報せであり、病棟が緊急事態に陥った証。
『珊瑚症患者が隔離病室から脱走いたしました。ステージ5になった可能性あり。直ちに避難してください。繰り返します。珊瑚症患者が……』
続いて無機質な機械音声が流れてきて、ルイは反射的に立ち上がり、マスクの下で血相を変えつつも迷わず廊下へ出た。警告が指し示す現場は明白だった。ホログラム映像に映されたマップで赤く点滅している箇所。
モーズ達が使用している、隔離病室だ。
(暴走を止められなかったか……!? しかし彼処にはウミヘビがいる、災害が広がる危険性は低い! が、警報が鳴ってしまった以上、いずれ国連軍が派遣されて来る! その対処を考えねば……!!)
潜伏しているというモーズを表に出す訳にはいかない。学会時にウミヘビを借りていたという体にするか、それとも水鉄砲の毒素を使った事にして誤魔化すか。そもそも具体的に何が起きたのか。
監視カメラの類を全て遮断している為に情報を得られない。直接、足を運び自分の目で確かめる他ない。ルイは早足で廊下を突き進む。
(隔離病室内の警報は切っていた。フランチェスコが廊下に出たか。それとも菌床を展開したか。何にせよ被害は最小限に食い止めたい所であるが……っ!)
「ルイ院長!」
「ついて来るでない!!」
後を追ってきたルチルを、ルイが一喝する。
「お主は来たばかりで勝手がわからぬだろう! 外へ退避せよ!」
「避難するべきは貴方もでしょう! そちらは出口とは真逆の、隔離病室の方向ですよ!? 災害の対処は軍に任せ、逃げましょう!」
「吾輩にはやるべき事がある! お主は自分の身の安全だけ考えよ!」
「目の前で危地に向かう人を見過ごせと? そういう訳にはいきませんよ!」
傍から見ればルチルはルイの身を案じて着いて来ているように見えるだろう。だが実際はルイの単独行動阻止を大義名分に、隔離病室へ正面から入り込むのが狙いだ。この流れならば自然に、工作の必要もなく向かえる。
災害現場の状況によってはステージ5を利用して、自分の手を汚す事なくルイを片せる事も出来るかもしれない。ルチルにとっては利点だらけである。
よってルチルはルイから何度、拒絶されようとも執拗に付いて行き、とうとう隔離病室のある地下階層へ辿り着く。
「……ルチル。わかっているか? ここから先、命の保証はないぞ?」
「えぇ、理解していますよ。しかし貴方を一人にさせて後悔するよりも、ずっといい」
「……。左様か」
あくまでルイから離れないルチルを前に、ルイは盛大な溜め息を吐く。
そして部外者がいる事を踏まえ、深く踏み込むのは諦め、様子を窺うだけに留める事とした。階段を降りて左。最初の曲がり角を真っ直ぐ進んだ最奥に、モーズ達が潜伏する隔離病室がある。
ルチルは階段付近に菌床が及んでいない事を注意深く観測した後、曲がり角から慎重に顔を出し、廊下を注視した。
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